さらば三兄弟 の巻
90


 そんな木立が指し示す空へ矛は、残る塩を滴らせながら引き上げられてゆく。
 これでよかろう、と一息ついた天津神らが、残る兵士を引き連れ一柱、また一柱と、高天原へ還っていた。そうして積み上げられた塩の柱が、新たな国中之柱となったところでなに不思議のない数だ。頭を垂れて見送って、国津神らもまた己が地へ和魂と鎮まっていった。
 野は再び野とそこに、青々と広がる。
 そのいずかたに流れ着いた命が、己に瓜二つな男とまた顔を突き合わせたとして、我はなんじの幸魂、奇魂ゆえ、三輪の山に鎮めて祀れば国造りを助けてすすめるぞと言う男へ、今度こそそのようにお祀りいたしますと答えて伏したことはいうまでもない。上げてここはどこか、と辺りを見回し、ぽかんと空を見上げる者らを見つけたなら、おういおうい、と手を振り駆け寄っていった。こうして眺めるしか手立てのない者らのためにこそ、しかと国造りを進めねば。心を定める。早々に、祀りの支度に取りかかるのであった。
「なかなかの出来」
「そりゃ、あたしたちだからさ」
 引き上げた矛のつなぎ目を抜き去り伊邪那岐神と伊邪那美神は、高みでわずか微笑み合う。それぞれの矛を大事と懐へ戻せばその目に、ふい、と髪をちりちりに焦がした天照の姿は映った。さて、呼びかけずにはおれまい。伊邪那岐神は口を開く。
「そら、天照よ」
 声に我を取り戻して天照が、二柱を見上げた。はい、と答える声は弱々しく、ままにそこにかしずく。
「この野は、伊邪那岐神があんたに任せた野なんだよ」
 すかさずしっかりおしよ、と伊邪那美神は言い含める。おかげで天照がしゅん、と縮こまったことはいうまでもない。それは同じく頭を垂れた烏が心配するほどの気の落としようであった。だからして今度は伊邪那岐神が、まあすんだことだ、ととりなしてみせる。
「そら、そのような顔をするから、野はまだ陰ったまま。見よ、また下で民が心配しておるぞ」
 促し野を指し示した。
 従い野へ目を向けてゆく天照は、まったくもっておずおずと、がちょうどだ。なら良く見えるように、と雲をかき分け烏は、世話した。天照、と囁きかけ、微笑むように己が嘴を広げてみせる。
 応えて天照が、いつからか涙の滲んでいた目じりを右、左と、拭っていった。最後、鼻をすすりあげ、そうっと雲の切れ目から顔をのぞかせる。
 見えたのは、誰もが奮闘したおかげで広がる、穢れなく穏やかな野であった。とはいえ元通りとまでは行かず、富める野にしてゆくのはまたこれからとなるだろう。何とかせねば。思いは天照へこみ上げる。つるり、頬へかつての笑みは舞い戻ろうとしていた。


 だからしてその時、矛を見送り空を仰いでいた者らの前で雲は割れる。
 野に神々しくも光は射した。
 それだけで、どうしてこうも力が湧いてくるものなのか。みなして吸い込み、見つめ続ける。
 国造りに走り始めた命は己が幸魂、奇魂と、
 モトバとミサクは、村に里の者らと一塊になり、
 タカはシソウと手に手を取って、
 兄弟たちを抱きしめミノオは、探しに現れたスマらと共に、
 そしてつくしは身を寄せた木立と共に、
 虹色にさえ見える光へ額をさらし、目を輝かせた。
 やがてしみじみ手を合わせる者が現れたなら、無事でおればこそと抱き合い、人々はそこここで踊り始める。
 その中で、つくしも一人、呟いていた。
「……暖かい」
 ほかにつくしへ触れるものはなかったのだから、なおさら日差しは暖かい。そうして、そう感じるからこそ助かってしまったことを噛みしめた。またひとりぼっちになったと、肩を落とす。
 生きておっても、仕方がないのに。
 ひとつ息を吸い込んでいた。
 と、そんなつくしへ声は語りかける。
 わしはわしの成すことを成す。つくしはつくしのことを成せ、と。
 それはこの暖かい日差しからか。雲太の声にはっ、とつくしは顔を上げていた。急ぎ探して辺りへ手を伸ばすが、木立の立つそこに雲太がおるはずもない。つくしは泳いでいた手を引き戻していった。握りしめ、そうか、と胸へ押し当てる。
 間違いない。
 声は、そこから聞こえていた。
 つくしをつくしと繋ぎ止めんと、胸の奥から響いていた。
 だとして自分に何が成せるのか、つくしにはわからない。成そうとしたところでめしいておる、と嫌われるだけやも知れなかった。けれどその時、生きてみようとつくしは考える。なぜなら、ここに留まり息する限り胸の内より声は聞こえて、雲太とだけは結ばれ続ける。もう、ひとりぼっちではなかった。つくしは確かめ、今一度、大きく息を吸い込む。なら声は合わせてつくしへ語り、さらにつくしを強く野へ結びつけるのだった。
 それも木偶の身に宿った「結び」の力の働きか。
 つくしにそう、させていた。


 なら頃合いである。伊邪那岐神と伊邪那美神もさて、と互いの横顔をとらえあった。そうして細めた目に、千人、黄泉へ引きずり込むかと、いや千五百人、産ませてやるぞと闘志をたぎらせる。携え、ふん、ときびすを返した。
 つまり喧嘩するほど仲がいい、とはよく言ったもので、。そうして互いが張り切れば張り切るほど野が賑やかとなることは、うけあいだ。知っておるからこそか道を分けて二柱もまた、それぞれの成すべきところへ戻ってゆくのだった。
 それからというもの大国主命は、そら盛大な祭りを経て、天照の遣わした神を三輪の山に鎮めている。鎮まった神の力も絶大であったなら、野の後ろ盾と行く先を示し、性根を入れなおした大国主命の奮起ともども国造りは滞っていたことが嘘のように進んでいった。野の者らもまたそれら数多、神に見守られてたくましく田畑を耕す。
 あれからつくしは木立の根元で幾日かを過ごしたが、三輪の山から帰る途中の命に、その身を拾われていた。さて命も、須勢理姫と雲太のやりとりをしらぬはずはなく、雲太らにはいたく世話になったことから、巫女となり屋敷で国造りを手伝ってはもらえぬだろうか、とそのときつくしへ話を持ちかけている。木立から離れるのはいたたまれなかったが、つくしはそれが成すべきことやもしれぬ、と考え、命について出雲へ戻ることを決めていた。だがおかげで年に数度、命と共に、三輪の山へ赴かなければならぬことにもなっている。そのたびに通るのは、あの木立の傍らであった。


「これ、つくし」
 声につくしは目を瞬かせる。
「ぼうっとするとは、道行に疲れたか?」
 命の声は、もうすぐそばだ。
「そら、飲んでおかんと干からびるぞ」
 相変らず人もよさげと気がおけぬ命は、竹筒を差し出して言う。車を引いていた牛も確かに水を舐めて一休みの最中なら、つくしはそれを有難く受け取ることにした。傾け一口、こくんと飲む。
「何か、考えごとか?」
 隣へ腰かける命が、問いかけていた。
 竹筒から口を離してつくしは、しばし黙する。
 その背には固く幹が寄り添い、高く空でこずえが風に揺れていた。そのたびにちらちら差す日は、今日もつくしの額を撫で暖めている。
「さて、わたしの元へ知らせに参った雲太らとは、いったい何者であったのだろうな。礼をいわねばならずとも、消えてしもうてはどうにもならん。見かねて名のある神がわたしへ、遣わした者であったのかの」
 まいったまいった、と笑う命はどこまでもほがらかだ。
 聞きながらつくしは、日差しへ顔を持ち上げていった。きっとそうだ、と大きく息を胸へ吸い込む。なら見えぬつくしが何を見ておるのか気になったらしい、笑いおさめて命も目を、つくしの眺める先へ持ち上げていった。
「いやあ、今日もほんに、よい日よりであることよ」
 ただそこに広がる青い空を見る。ううん、とうなって背伸びした。
 と、つくしが命へ振り返ったのはその時だ。浮かべた笑みは、あの日と何も変わっていない。ままにつくしは命へ、こう教える。
「それはつくしの、内緒ごとでございますっ!」


 国譲られて、時は流れ、「古き事」の記述が人の心から薄れたとて、この世に結びの力が尽きることはなし。万事、人に、物に、かたちあるものに、なきものに、結ばれてこそ有りにけり。
 忘れて人は成らぬなり。
 忘れて国も成らぬなり。
 忘れて野も、明けぬなり。
 明き野を成す結び目こそ、まことの幸となりにけり。





『来 神 '』 完
長らくお読みいただき、ありがとうございました。

   

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