END ROLLまで読了者様向け
『SO WHAT ?!』side story 1

MY FUNNY VALANTAINE
Phot by NEO HIMEISM


2012/2/ by N.river
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 旅行といえば、あらかじめ計画を立てておくものだからして、時期は選んだりするものと決まっている。だがバービーことバーバラ・ウィンストンは、あろうことか極寒の二月、ロシア東部に位置するここハバロフスクを訪れていた。
 気温は最高でもマイナス数度、最低ならマイナス三十度を超すハバロフスクは、お世辞にも観光向きとは言えない。
 アムール川は青く凍てついていたし、囲んで広がる街はどこを見ても真っ白だ。除雪された雪はあちこちにうず高く積み上げられ、街並みはその雪を押しのけて生えてきたかのように、息を殺して軒を並べていた。音はそうまで覆う雪に吸収されてしまうのか、まるで耳に残ることがない。辺りは切れるように冷たい空気とは裏腹の、柔らかい静けさで包みこまれると、行き交う人の息を、車の吐くガスを長く白くけぶらせていた。
 最初、それら風景を目にした時、美しく幻想的だと思ったことは本心で間違いない。空港から乗りつけたタクシーの窓越し、こうして眺める今でも、バービーは確かにそう感じている。
 だがタクシーは、低い鉄門が入口らしいそこでブレーキを踏むと、ドアを開けてここから先を歩くようバービーを促していた。暖かかった車内を後にしてしまえば、幻想的だと思えた風景も、続けて堪能するにはいくらかの忍耐が必要であることを、バービーは身をもって思い知らされることとなる。
 もちろん旅行に当たっては下調べをし、いくらか話も聞いてきた。 だからして足元は内側がムートンの滑り止めがついたブーツで、ロングのダウンコートに手袋も忘れていない。下着も多めに着込み、素材にも注意を払った。ただ頭だけは耳当てをつけたきりで、タクシーを降りたとたん、もう凍ってしまったのかと思うほど冷たい。
 失敗したと思うくらいなら、いい勉強になったと考えなおすべきだろう。バービーはただ、上がる白い息の向こうへ目を凝らした。
 もしかすると雪の中に埋まってしまっているかもしれない。聞かされたここ墓地は、しかしながら雪かきの行き届いた場所として、目の前に広がっている。人影はなく、作られた小道だけが静かに奥へ伸び、前にして彼、レフ・アーベンは振り返っていた。
 豪勢に白い息が上ったのだから、その時、何か言おうとしていたことは確かだ。同時に足も踏み出しかけていたのだから、案内して先を促すつもりだったのかもしれない。だが声は出ず、口は閉じられ、彼はバービーの元へ歩み寄っていた。
 ダブルのグレーコートはひざ下まで。毛皮のロシア帽もかぶり慣れた様子で、詰まったコートの襟元からマフラーを抜き出す。バービーの冷えた髪へやおらかぶせた。
「言ってなかったか?」
 余った左右を首へ巻きつけ、問う。それだけでずいぶん暖かくなるのは、むしろ残る温もりのせいだろう。
「だからコレでいいかと思って。失敗ね、あとでかぶるもの、すぐ買うわ」
 ん、とだけ答えた彼は、一枚剥いだコートの襟を立てている。タクシーのトランクからおろした自分の荷物を肩にかけると、バービーのスーツケースを引いた。
「足元、気をつけろ」
 確かに小道は踏み固められると、雪どころか氷の道となっている。おっかなびっくりバービーは、歩き始めた彼の後を追いかけた。

 帰れば二年ぶりだ、と彼は言う。
 ODA活動を終えて立ち寄った日本で、そんな彼に、家族へ紹介しておきたいと話を持ちかけられた時は、だからしてそれが気まぐれの帰郷でないことをバービーは理解していた。つまりもっと別の言い方があるはずだと手繰り寄せ、彼らしいプロポーズだと、とりなおしてみる。きっとそうだと思えたからこそ、近いうちにウチへも遊びに来て欲しい、と返しさえしたほどだった。
 だが困ったことに、相変わらずテロリストを相手にした彼の仕事は、帰国後もラスベガス近郊の病院へ勤めるバービー以上、都合がつきにくい。旅行の予定も一日や二日でないなら、互いの休みを合わせることは至難の業でもあった。だからしてそのチャンスが訪れた時は、気候のことな二の次となってしまっている。それがあえてこの時期に訪れることとなった、最大の理由でもあった。
 だのに彼は空港からまっすぐ家へ向かおうとせず、その前に寄りたいところがある、とこうしてバービーへ話している。最初、バービーはそれを、てっきり買い物でもする気なのだろう、くらいに聞いていたのだった。 だが目的地に到着して初めて、窓の向こうにのぞく墓標に驚かされることとなる。
 一体、何が始まるのかと思って当然だった。
 埋まっていたなら、分からないかもしれない。なにしろここを訪れるのは、これが二度目だ。
 言ってタクシーを降りた彼が手際よく、トランクから荷物を下ろす様子ただ、バービーは眺めるほかなくなっていた。
 そう、彼が何を考えているのか、バービーには時折、見当のつかなくなる時がある。その時も言葉の残す意味合いに、少しばかり翻弄されていたことは認めるしかない事実だろう。

 墓地は、小道を抜けたそこに広がっていた。並ぶ墓標はほどこされた彫刻のせいもあって、場所によってはまるで美術館のようにも見えてならない。そのどれにも等しく雪は積もると、ここでも街同様、ひっそり息をひそめていた。
 こんな季節だ。ほかに弔い、訪れている人影はない。
 二人きりで、なおさら寒々しさの増した風景の中を歩いた。
 二度目だからか、彼は幾度か迷うように墓標と墓標の間を行き来している。やがてそんな芸術作品の間で、彼は足を止めていた。間違いないらしい。並べば傍らへ荷物をおろした彼は、身を屈めてみせる。伸ばした手で、ありふれた四角い墓標に積もる雪をていねいに払いのけていった。そこに刻まれていた文字はやがて、バービーの前に明らかとなってゆく。目で追い、誰? と尋ねかけたそのとき、彼はバービーへと口を開いた。

 それが特殊な仕事であればあるほど、選ばせるだけの原体験というものがあっても不思議はないはずだ。バービーが看護師を選んだのも、やはり幼い頃の出来事が大きく影響している。
 三つ離れた兄が入院するというアクシデントはそれのみならず、家族の雰囲気さえもをすっかり変えてしまったのだから、覚えた不安は忘れがたい出来事として残っていた。だからこそ病院で出会った彼女ら看護師の、どんな場面でも落ち着きを失わず、しかしながら決して冷たくはないその存在が、どれほど幼かったバービーを勇気づけてくれたかしれない。比べて何もできない自分を悔しく思ったのも、だからして自分もああなりたいと思い描くようになったのも、あのときで間違いなかった。
 反対を押して職につき、罪滅ぼしにと促した場所でテロに遭ったという彼の祖母の話は、飛行機でも、家でも、レストランでも、タクシーの中だろうと似合わない。この場所だからこそ、口にできたような話だったと思う。
 二度目だと彼が言った時に感じた違和感も、一度で十分だという耐えがたい響きだったなら、誰に会うよりも最初にここを選んだ彼はもう避けて通る必要がなくなったのだとも、感じ取った。
 連れて来てもらえた自分が、大事な場面に立ち合っていることはよく分かる。
 だから、悲劇には続きがあってよかったとも思っていた。
 ひとつの死が、その最期で新たな出会い産み落とした。そんな結末を共に報告しに来ることが出来たことは、ここにいる三人共が喜んでいい出来事だと思えてならない。
 目を上げれば世界は白銀に輝いてた。
 その白はバービーの、いや、二人の周りへ突き抜けるがごとく冴えわたって広がると、覆う果ての果てまでを弔いの色に変えて、降る天使の気配をしん、と伝えよこす。鈍色の空にはそのとき確かに、昇華した罪の粉を翼にまとわせ天使たちが軽やかと舞っていた。
 そうして彼がコートのポケットから取り出したのは、カラフルな包み紙がオモチャのようなヌガーだ。生前、好物だったらしいそれは、分け与えられた彼の味覚の一部を形成しているらしい。幾つかを供えて、それもまた供養のように一つ、彼は自分の口へ放り入れた。バービーにも促して手渡す。受け取ったならバービーも、残しておきたいような包を解いて興味津々、口へ運んだ。
 刻んで練り込まれたナッツの欠片が舌先に触れて、少し痛い。追いかけて甘さは、ノスタルジックで素朴な味を口の中へ広げていった。
 きっと彼はこの甘味の中から、幾つもの思い出を拾い上げているのだと思う。けれど何一つ知らないなら、バービーはただ同じ味から彼女へと思いを馳せた。
 立ち去るきっかけを作ったのは、ほかでもないこの寒さだ。並んで小道を戻ったが、彼の歩みは行きも帰りも、何一つ変わりがなかった。
 と、鉄門が見えた時、自分たちと入れ替わるように人影は墓地へ向かい歩いてくる。ダウンの茶色いコートを着たそれは、彼と似たような帽子をかぶった男性だった。同じように気づいたらしい、彼の足取りも少しばかりリズムを乱す。すれ違う間際だ。先に行ってくれ、とだけバービーに告げ、肩を並べた彼は相手へ振り返っていた。
 少し目を丸くして言われるままに足を進めたバービーだったが、門をくぐる手前でやはり足は止まる。気になり、振り返っていた。
 慣れた様子で握手を交わす双方のロシア語が、バービーに聞き取れるはずもな。少し離れた場所から、取り残された気分でそんな二人の様子をただ眺める。相手がチラリ、バービーを盗み見ていた。何者なのか、バービーにはさっぱり見当がつかず、その人物もほほ笑みを残すと道を違えて墓地へと消えてゆく。彼もまた、バービーの元へ足を繰り出していた。
「今のは誰?」
 来るときに使ったタクシーは、もういない。鉄門を出たところで、バービーは彼へ問いかけることにする。
「軍にいた頃の友人だ。ヤツもバーブシカに会いに来てくれたらしい」
 教えて言う彼は、いまさらだった。
「なら紹介してくれてもよかったのに」
「悪友には、そのうちでいい」
「わたしの方、見てたわ」
「ああ、あの美人は誰だと聞かれた。だから、お前も骨の二、三本、折れば見つかると教えておいたさ」
 などと言って笑うのだから、あっけに取られるしかなかった。もう、と怒って言う代わりに、少し高い位置にあるその胸へ、ポケットへ突っ込んだままのヒジで体当たりしてやる。跳ね返されて路面で滑り、掴まれた腕を彼に引っ張り上げられていた。

 家までは歩いて行けない距離でもない。
 バスも待てば乗れると言う。
 けれど寒さは特殊だ。ここぞの場面で笑みも浮かべられそうにないほど唇までがかじかんでいたなら、電話を借り、タクシーを呼んで到着するまでの間を、見つけたカフェで過ごすことにする。
「二十分ほどで来れると言っていた」
 木造のテーブルとベンチは固定されていて、電話口から帰って来た彼は向かいで前屈みになると、間へ身を滑り込ませながら話していた。
 そんなこんなで陣取った席は、窓際だ。窓は二重となっている様子で、しかしながら触れて確かめたくなるほど寒さというものが伝わってこない。加えて店内の暖房もよく効いていたなら、手早く脱いだコートに次いで解いたマフラーを彼へ返しながら、バービーも口を開いた。
「コーヒーでいいわよね。頼んでおいた」
 また、ん、とだけ言った彼は受け取ったマフラーを丸めて、脱いだコートと帽子の傍らへ押し込む。腕時計の時刻を読んで、顔を上げた。
 そのうちにもジワリジワリ体へしみこんでくるものが暖かさだと分かってきたなら、知らず知らずのうちに縮まっていたあちこちから、錆びたねじを緩めてゆくようにぎこちなく力は抜けて、心の底からほうっ、と息はもれだす。
 味わえば、それ以上の言葉は出てこなかった。
 二人して、当てもなく黙り込む。
 墓地を後にしてきたところなら、なおさらだった。
 地元の客だろう。少し離れたところでは初老の客が数人、それぞれにカップを傾け菓子を口へ運んでいる。似合う店内は腰かけているベンチとテーブルがそうであるようにレトロそのもので、流れる音楽も埃を噛む針の音がリズムセクションさながらの古いジャズ、この曇天を憂うような悲しげなメロディーだ。
 だからといって店内を見回したバービーとは対照的に、黙り込んだまま窓の外を眺める彼は、ただ呼んだタクシーを探しているだけかもしれない。けれど彼が何を考えているのか、バービーには時折、見当のつかなくなる時があった。
 嘘は、どちらかといえば下手な人だ。思考の過程を説明する習慣がないらしいこともよく知っている。ただそこに悪意があったためしはなく、思考の軸は、バービーを大事に思う気持ちで回っていることも伝わっていた。けれどそれとは別に、まだほかに何か大事な、大事だからこそ踏み込めない何かが残されているのなら、と話を聞いた後だからこそ、その横顔が何を考えているのか気になって仕方なくなる。
 ほどなく運び込まれたカップが二人の注意を引き戻して、バービーは改まったように、温もりを取り戻した頬へ笑みを浮かべた。
 もうヌガーは口の中に残っておらず、頼んでいたホットチョコレートのカップを宝物のように両手で包みこむ。やけどしないよう気をつけながら口にした。すぐにも驚かされて眉を跳ね上げる。
「ねえ、きっと少しだけ、リキュールが入ってるわ。こんなの初めて」
 試してみて、とのぞいた不安を蹴散らすように彼へカップを突き出した。
 コーヒーから口を離したばかりの彼は、期待するでも面倒くさげでもなく受け取って、バービーの前で至って真面目に口をつける。うん、と少し長めの返事を返して、カップを眺めた。
 そういえば流されているジャズは、イントロが終わってようやく、名トランぺッターの演奏でよく知られるあの曲だとバービーは気づく。歌詞なら知っていた。


   私のおかしな恋人、ヴァレンタイン
   すぐに私を笑わせてくれる、愛しいヴァレンタイン
   あなたはどんな時も、心から笑顔にしてくれる
   ハンサムというよりはファニーフェイスだし
   とても写真向きとはいえない風貌だけど
   私にとっては、あなたは
   最高にお気に入りの芸術作品なのよ


 だが彼の感想はそれきりだ。
 言ってただカップをバービーへと返す。
 受け取れば肩透かし。それだけ? とバービーが不満を覚えたことは否めない。けれど吹き飛ばして、たちまち笑い出しそうにもなっていた。
 彼は気づかず、また窓の外へ目を向けている。その上唇には、いたずら書きでもされたかのように、ホットチョコレートの泡がちょん、とだけ乗っていた。


   そりゃあ、ギリシャ彫刻みたいな体つきじゃないし
   話すときも、もうちょっとはっきりとしゃべればいいのに、って
   思うこともあるわ
   あなたもそう思うでしょ?
   でもね、ヴァレンタイン……


 横顔は、見れば見るほど滑稽だ。そこにコートジボワールの保健所まで駆けつけたあの面影は、欠片も見当たらない。
 きっとチャイニーズがとてつもなく好きで、とてつもなく注射が嫌いな、映画『小熊のチェブ』を心から愛するただの、どこにだっている人なんだとバービーは思いなおす。だからしてそんな人が本当にテロリストを監視しているのだとすれば務まるのかと、やはり心配でならなかった。だいたい撃たれて運ばれてきたわけだし、無頓着にもたいがい驚かされている。それもこれも、いまさら目が離せそうにないことだらけだ。
 付き合いは、決して長い方ではない。そんな彼の中に、まだ何か大事で、逆に踏み込めないモノが残されているとして、それは出合った時からあった自然な秘密だろう。暴露させようなどと、解決しなければなどと、傲慢で不自然過ぎた。発揮する必要があるなら、機会はこの平穏を破り、互いの間へ警告の鐘を打ち鳴らして迫った時でかまわない。今はまるごと、と言えば結構かさばる大きさだと苦笑して、そんなこんなもまるごとが彼なんだと考えてみる。
 堪えているわけではない。
 そういう人と出会っただけだ。
 仕方ない人ね。
 ひとりごちたのは、このまま放っておけば彼はきっと監視するテロリストに、後ろから頭の毛を引っこ抜かれかねないと思ったからで、
「レフ」
 呼びかけて振り向かせる。一大事が訪れる前にと、伸ばした指先で甘い落書きを拭い取った。
 古いジャズは、そんなバービーへ歌い続ける。


   変えちゃダメよ、その髪型も
   本当に私のためを思ってくれているなら
   愛してくれているのなら
   あなたの何一つ、変えちゃだめ
   ずっとそのままでいて、大好きなヴァレンタイン
   ずっとよ、
   だってあなたさえいてくれれば、
   私にとっては毎日がバレンタインデイなんだから

(1937/ by Lorenz Hart『MY FUNNY VALENTINE』)


 一台のタクシーが湯気のようにガスを立ち上らせながら、表通りでブレーキを踏む。また降り始めたらしい。雪に紛れて点滅するウインカーが、次の場所へと二人を呼んでいた。




『SO WHAT ?!』side story
『MY FUNNY VALENTINE』
終劇




お読みいただき有難うございます。



『SO WHAT?! SIDE STORYS』TOP SIDE STORY 2 (PG-12)
「YOU WOULD BE SO NICE...」