朝、ジャケットを羽織った。
 待機日はオフィスから半径五キロ圏内での行動が義務付けられているが、これから向かう「20世紀CINEMA」にその心配はない。
 だからして鳴れば優先することを条件とした端末は、尻ポケットにある。しかしながらここ数日、沈黙したきりのそれは、このところ監視に変わった活動を体現すると、おそらく今日も鳴りそうになかった。
 問題視されている初日の作品の上映は、同じスクリーンで別作品が上映されたその後だ。だからして時刻も十時三十分と遅めに設定されており、現場は上映中の館内なのだから、相手が車で逃走する心配こそないとよんだ。
 だからして劇場へは、徒歩と電車で向かうことにする。
 予定通り、上映一時間前に家を出ていた。


 あのあと見せられた投稿動画より、盗撮は毎回スクリーン中央、前列でも後列でもない高さで行われていることをレフは確認している。その決まりきった位置はおそらく座席が前日中にも予約されているためで、常連客に違いないという従業員側の証言とも十分、かみ合うものだった。
 だが常連といったところで、データベースなどと都合のいいものはない。事前に顔を記憶しておくことは出来ず、盗撮犯が陣取るだろうだいたいの座席位置だけを頭に入れるに留めおく。さらには、その数が二十にも満たないことを幾度か訪れた記憶の中で確認していった。
 目的からして、そんな盗撮犯が途中入場してくることはない。つまり仕事は本編開始から三十分もあればすむはずで、間にまた別の一本を挟む次の上映までの四時間を考えると、むしろ初回に盗撮犯が現れなかった場合の方が面倒だなと考える。だが時間を潰すいい案こそ浮かばなかった。浮かばぬままに「20世紀CINEMA」の正面扉を押し開ける。
 やはり初日だ。パンフレットを吟味する客に、カウンターでチケットを買い求める客が多く目にとまった。
 シアター内への出入りは自由でいい、とすでに話はついている。つまりチケットを買う必要はなく、発券カウンターをやり過ごし、フロア右手側、小さく作られたロビーへ向かった。
 そのさいカウンターの向こうに水谷の姿を確認したが、水谷がこちらを気に留めた素振りはない。従いこちらも他人のフリを決め込むと、向かい合うように置かれたロビーのベンチシート、その端へ素知らぬ顔で腰を下ろした。
 客はすでに三人いる。一人はリュックを背負い、キャップをかぶった中年男で、もう一人はうつむいたきり携帯電話を懸命に操作している中年の女だ。三人目もまた、フロアから集めて来たチラシを読みふける学生風の女で、そんな女二人は脇に挟める程度の小さなカバンを所持していた。とはいえテクノロジーの進歩はめざましい。どちらも無視できる大きさではなく、さらにそこへチケットを買い終えた客が四人、加わった。さらにもう一人やってくる。パンフレットを手にした姿は、まったくもって無防備だ。いずれも手狭なロビーの、すでに四人が腰かけるベンチシートへ割り込む気はない様子で、傍らに立ったその姿へも、もれなく目を通してゆく。
 だが何ら不自然な点は見つからない。もちろんここでバレるようであればそうも盗撮は成功していないのだから、仕方なしと目を逸らした。
 どうやら先に上映されていた作品の終了時間が迫っているらしい。スタッフが一人、カウンターから抜け出しシアター内へ向かってゆく。混乱を回避すべくフロアへ順路も作られ始め、終わればほどなく上映終了を告げて防音扉の開く音はフロアへ漏れた。
 気配が先だ。鑑賞を終えた客の姿はその後から現れ、向けて「ありがとうございました」の声をまた別のスタッフがカウンターの向こうから投げている。
 様子を、次の上映を待つ客らが遠巻きに眺めていた。リュックを背負いなおした男が、読みかけのチラシをまとめた若い女が、ベンチシートから立ち上がり、その輪へ加わってゆく。ならいつまでも座り込んでいる方が不自然だった。おっつけこちらも、紛れて立ち上がることにする。
 なら狭いフロアで帰る客と、これからを楽しむ客は入り混じり、その群衆を横切って男は一人、小走りで駆け寄ってきた。携帯電話を弄り続けていた女の連れらしい。「間に合った」という声がやけに高くロビーへ響く。掻き消しフロアに、開場のアナウンスは流れされた。
 注視して止まった頭の全ては、これからの観賞客で間違いない。
 その頭はやがてシアターへ向かい、動き始める。
 入るのは一番最後がいいだろう。提示したチケットをもぎられながら奥へ消えゆく客を横目にチェックしつつ、壁際で待った。
 と水谷が、初めて視線を投げよこす。
 なるほど、上映開始の時刻だ。
 先ほどまでチケットをもぎっていたスタッフが、扉を閉めにシアターへときびすを返していた。まもなく水谷が、その穴を埋めて立つ。投げかけられた視線はこの事を知らせるためのもので間違いなく、便乗して傍らを通り抜け、シアターへと向かった。
 そのさい水谷から受け取ったのは、向かいに座っていたリュックにキャップの男が常連の一人である、という情報だ。
 通路はシアターを回り込んで伸びている。キャップ男の記憶を手繰りながら、果てに現れた防音二重扉を押し開け中へもぐり込んだ。
 窓のない暗がりが持つ閉塞感が独特だ。開いた瞳孔を刺激して、片側ではスクリーンが明滅している。その光が、立ち見用の手すりを辛うじて見える程度、浮かび上がらせていた。
 ひとまず掴んで寄りかかる。
 そこから見下ろす客席は、混んでいるとも空いているとも言い難い状況だった。中央寄りの座席を中心にまるで決まり事でもあるかのように互いの間にひとつ、空席を設けて頭は並び、誰もが固まったように真っ直ぐ前を見つめている。
 などと見回しているうちにも、目は闇に慣れてきた様子だ。もういいだろうと左手、壁際へ向かった。座席はスクリーンに向かって傾斜が付き、その低さが拍子抜けな階段を、座席を探す素振りで降りていった。
 その一列ごとに、客の様子を確かめる。
 最前列にまでたどり着いたところで、屈んでスクリーン前を横切った。
 辿り着いた反対側から、客席を見上げる。
 客の顔はスクリーンからの光で想像以上に鮮明だ。だが前方を凝視する彼らに不審な点は見られない。それは目星をつけていた中央座席群もまた、だった。おかげでいくらか時間を食ってしまったなら、不自然さは否めない。目の前にあった座席へ腰を下ろす。
 スクリーンに映し出されている映像は、ビデオカメラを頭に被ったパントマイマーが登場するあのコマーシャルだ。
 最前列は見づらい。埋もれるように浅く腰かけなおして腕を組んだ。と、コマーシャルは終了し、シアターという空間から、しばし光に音は剥ぎ取られる。その無にも似た感覚は場面転換を予感させ、ならその通りと一呼吸おいて本編フィルムは回り始めた。
 盗撮犯は律儀と毎回、この広告終了直後からアップロードを始めている。紛れているのであれば確実に、背で犯行は行われているはずだった。
 意識しつつ見上げるスクリーンでは、雲をまといつかせた製作会社のロゴが映しだされている。再び雲の中へ消え去ったなら、入れ替わりに情感たっぷりのメロディーは流された。乗って視界を埋め尽くし、緑鮮やかな丘の風景はスクリーンへと浮き上がってくる。滑るような空撮はそこを吹き抜ける風の視点か。すり抜けた木立の葉が軽やかに翻っていた。
 と同時にこの明るさなら、と首もまたひねる。
 再度、座席中央へ視線を投げた。
 当然ながら視点が低い。
 見上げるような角度を取る客の顔は重なり気味で、白く浮き上がったその一人、一人へ辛うじて視線を走らせる。だが誰もが大人しく座席に収まっているだけだ。またしても、そのどこにも不審な点は見当たらなかった。常連の男もキャップを脱ぐと字幕に備えてか眼鏡をかけ、始まったばかりの本編を凝視している。
 たとえばここから見えない位置で盗撮している輩がいるとして、それはもうしばらくしてから手洗いへ向かう素振りで立ち上がった時にでも確かめるほかないだろう。
 切り上げ、前へ向きなおった。
 はずが視界の隅で、押し止めてそのとき何かは動く。
 確かめたばかりの位置だ、と感じ取っていた。
 あからさまにならぬよう、振り返りはしない。残した目尻で捉えなおす。なら控えめと眼鏡のブリッジを押し上げる常連客の姿は、そこにあった。
 紛らわしい。
 舌打ちがもれる。
 改め再び前へ向きなおりかけた。
 いや、と見えたものに押し止まっていた。
 スクリーンの光だ。ブリッジを押し上げたせいで、常連客の顔には妙な影が落ちている。
 そこから先、なるほど、と思うまでそうも時間はかかっていないはずだった。
 形を変えた「納得」を携える。
 今度こそ前へ向きなおった。
 見上げたスクリーンでは港とカモメをバックに女が一人、石畳を足早と歩いている。その服装から時代はだいぶと古いことが知れ、そんな彼女を呼び止め、魚を山と乗せた木箱の向こうから男が言葉を投げていた。振り返った女の顔は険悪で、投げ返す暴言が字幕となって下部に短く打ち出される。とたんのカットアウトに場面は闇の中、明かりを灯した窓に打ちつける雨のアップへ切り替えられていた。雨音は激しく、負けぬ音量で口論を交わす男女の声もまたそこに重なる。
 見えぬ人物に、声へ注意が傾くのは自然なことだ。なら物音は暴力をにおわせるけたたましさで、そのときガシャン、と鳴り響いた。
 観客を驚かせるに十分な効果だ。
 こちらもその過激さに紛れ、席を立つ。
 背で、起きたらしい殺人を聞き取りながら、階段を登った。
 つまり作品は冒頭三十分にくる最初の山場に差しかかろうとしている。その展開に眼鏡をかけた常連男も、スクリーンへ集中しきっていた。
 様子を確かめてから、屈めた身で同じ列へもぐり込む。
 辿り着くまでに観賞中の客前を三人、やり過ごした。
 だが男の前はまたがない。
 真横の座席だ。
 腰を下ろす。
 男が気にする様子はなかった。いや、気になったとしても振り返ることこそできないだろう。だからして腕を組み、むしろこちらの方から先に眺めてやることにする。間違いない。男のかける眼鏡にはレンズが入っていなかった。代わりに片眼上部に小さなプリズムは仕込まれると、そのせいで妙な影は今もなお、男の顔へ落ちている。
 そう、男がかけているのは開発元の欧米ですでにトラブルを起こし、規制対象にもなっている眼鏡型のウエアラブルデバイスだ。もちろんトラブルが起き、規制がかけられている原因は、装備された録画機能によるものにほかならない。そして上映開始間際、レンズすら入っていない眼鏡を着用した男の目的が視力矯正にないことは、日を見るより明らかだった。
 盗撮犯か。
 少なくとも任意で事情を聞いても差し支えない人物であることを見極める。
 と、気づいたらしい。呼び止められたかのように男が、やおらスクリーンから目をこちらへと反転させた。互いの間に遮蔽物がないからこそだ。うかがい見る目はまさに現場を押さえられたコソ泥そのものと光る。だからといって決めつけはいただけない。水谷からも穏便に、と話を受けていたなら、ここはひとつ相手の出方に任せた方が無難だと考える。
「NO MORE」
 レフは言っていた。
「映画泥棒」
 ついでだ。噛み合わせた歯のまま「ニ」と笑いかけてやる。


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