「おっつかれ様っ!」
 部屋は、かつて巨匠だったスタンリーブラックが控え室として使っていたあの部屋だ。そこへ当時と同じく盆を掲げ、百々は茶と菓子を運び入れる。
 上映開始からおよそ三十分足らず。見事、場内から盗撮犯をつまみ出したレフは、駆けつけた警察へ事情を説明し、身分を明かすことなく盗撮犯を引き渡していた。そのさい、盗み撮りされていたろう画像は確かめていない。なぜなら盗撮犯は、レフが笑いかけたとたんすんなりと、「すみませんでした」と白状したせいだった。あまりのあっけなさにレフはどこか腑に落ちない様子だったが、百々はもちろんレフの笑みに盗撮犯が心底、縮みあがったせいだと確信している。
 そんな犯人は、やはり百々もよく知る常連の一人だった。
 水谷はそんなこんなで事後処理のため警察へ出向き、終わったからといってそそくさ帰ってもらうわけにもゆかないレフにはこうして、応接室に立ち寄ってもらっている。
「早く解決してよかったよ。頼んだところでやっぱりさ、休みの日に来てもらってるって気が引けてたんだよね」
 あれほど期待の目を向けておいて言う、それは言葉だろう。臆せず百々は投げて、レフの前へコーヒーと菓子を差し出した。
「本日は大変お世話になりました。殺風景なうえに粗茶ですが、どうぞ遠慮なく召し上がって下さい」
 言葉を添えて頭を下げれば、「ん」とだけ答えたレフは早速、コーヒーへ体を倒した。ならその手がカップに触れたかどうかというところだ。思い出したモノの存在に、百々慌てて制服のポケットをまさぐる。 「それから」とつけ加えて、一枚の封筒を取り出した。
「これ、支配人からでした」
 言葉に動きを止めたレフは、そこから視線を持ち上げている。倒していた体を改め百々へ起こすと、差しだされた封筒を受け取った。その裏表を確かめる顔は危険物でも扱っているかのようでならない。果てに「なんだ」と、口を開いて確かめた。
「うん、ウチの作品がタダで見られる特注、特別招待券。使って下さいって。あ、もちろん通報のお礼としてね」
 何しろ報酬です、などといえばオフィスの業務規則に反するはずで、それは受け取ってもらうには言っておかねばならない建前だ。なら気遣いは功を奏したか、聞いたレフは遠慮なく封を解いた。中から、昨日パソコンでしつらえたチケットを六枚、つまみ出す。瞬間、レフの頬がゆるんだことを、百々は決して見逃していない。
「どこかみたいにずっと割引は出来ないけどね」
 だからこそ言っていた。
「いや、相手が貧弱で腰砕けだ。十分過ぎる」
 封筒の中へチケットを戻しながら言う、それがレフの本音らしい。
「って、暴れるつもりで来てたんですかっ」
 百々は歯を剥き出すが、傾けた体で尻ポケットへ封筒を仕舞い込むレフはといえば、鼻でかすかに笑って返しただけだった。
「ま、言ったところで大事なお休みを使わせてしまったわけだし」
 つまり冗談だということらしい。百々も気を取りなおす。
「今日の埋め合わせにバービーさんとまた来てよ。そのときは支配人に交渉してさ、出血大サービス。パンフにポップコーンもつけちゃうから」
 そう、式を挙げてから半年後の去年の冬だ。アメリカでの仕事を終えたバービーことバーバラ・ウィンストン・アーベンは、ついに日本へやって来ていた。
 だがレフの返事はどうにもつれない。
「それは遠慮しておく」
「どうして?」
「つかまされた挙句、次はこれをやれ、あれをやれと言われても困るからな」
「あのねっ、ウチはそこまでセコくないですってば」
 結局、吠え返す始末である。片耳にコーヒーをすするレフは、まったくもって涼しい顔つきだ。それもこれも慣れらしく、続けさま並べ置かれた菓子へ手を伸ばした。
「あ、それね」
 だからして百々も急ぎ口を開く。
「早めのバレンタインデー。あたしの手作りチョコケーキだよ。ほら、さっきやってた映画。タイトルにもなってるやつ。主人公が店で出してたブルーベリーチョコレート。パウンドケーキみたいな見た目、そっくりでしょ。映画のホームページにレシピがあったから挑戦してみたんだ」
 この一大事を発見することになった、それこそが当初の目的だ。
 なら言われるままに、レフはつまみ上げた指先の菓子をしげしげと眺めてみせた。やがて疑問に思ったらしい。
「赤くないぞ」
 問う。
「違うよ。赤は映画の中で起きる殺人事件、って意味じゃん。ほら、ココアスポンジの間に挟まってるでしょ。それが生チョコとブルーベリージャム。その生チョコも作ったんだからね」
 それがもどかしいほどの愚問なら、指さし百々は説明していた。
「そうか」
 律儀に耳を傾けるレフはなおさら菓子を睨みつけるが、始まってすぐ場内を後にしたのだから、劇中、菓子が登場するなど知る由もない。
「もうさ、スポンジ生地の泡立てとか、チョコの温度管理とか、このサンドイッチみたいな三層構造の成形も意外と大変でさ」
 かまわずまくし立てる百々に認識はなく、話が単なる愚痴へと変わり始めたところでどうにか我に返っていた。
「ま、とにかく食べてみてよ」
 切り上げ促し、矢継ぎ早にレフへとうんうん、うなずく。無論、そ腹の内は早く食って感想を教えろ、だが、物は言いようだ。
 だからして互いの間に期待という名の緊張感は高まり、感じ取らざるを得ずレフは菓子を口へと運んゆく。恐る恐る、は一方的な百々の被害妄想か。見守る前で一口、菓子へとかぶりついた。ままにスポンジ生地についた己の歯形なんぞ睨みつけながら、しばし黙々、レフは菓子を食む。
 あいだ三回、繰り返された瞬きは何の兆候か。そのたび表情は微妙に変わり続けると、やがて意外そうな面持が百々を釘付けにした。
「……うまい」
「ほん、と?」
「うまい」
 繰り返すレフがお世辞を言えるようなタイプでないことくらいはもう、百も承知の仲である。
「イエスっ!」
 握った拳を脇へ引き付ける。百々は小さく唸って成功を噛みしめた。
 見向きもせず菓子を平らげたレフはコーヒーをすすり上げると、早くも次へ手をつけている。様子はもう躊躇しているようには見えず、加えてこうも百々へ言った。
「まだあるのか?」
「あ、持って来るよ」
 残りは休憩室の冷蔵庫だ。握っていた拳を開いて、百々は即座にきびすを返す。
「いや、バーバラにも持って帰ってやりたい」
 言葉に止めた足で、なるほど、と浮かべた笑みのまま部屋を出た。
 そうしてもぐりこんだ事務所奥。休憩室の冷蔵庫から、まだ半分以上が残ったままの菓子を取り出す。包装紙にくるんではきたものの、そのまま渡すわけにはゆかず、何かないかと雑然とした休憩室を見回す。いいあんばいに見つけた紙袋を引っ張り出し、ちょうどとこのあいだイソ芸さんが委託販売用の前売り券を入れて持ってきた、側面にケーキ屋のマークが入ったそれへ、菓子を入れた。
 応接室で待つレフへ手渡せば、中をのぞいたレフは「こんなにいいのか」と驚いた風だ。だが残りは持ち帰るつもりでいただけに、欲しいといわれて渋る理由こそなかった。
「いいよ、いいよ。気にせず全部、持って帰って」
 顔の前で勢いよく手を振って返す。
「これで田所にも作ってあげられる、って分かったしね」
 などと満足したはずが、妙な違和感を覚えてみる。
 俺はモルモットか。
 だとして、のぞいていた紙袋から顔を上げたレフが言うことはない。
「この調子でやれ」
 至って真面目に応援してくれる。つまり「あはあは」笑うのはいつものことで、百々は放つ渾身の敬礼で、レフのエールへ応えていた。


 道すがら、幾度も紙袋の中身をのぞき込むレフは、よほどケーキが気に入ったらしい。定時の掃除もすませるつもりで百々は、ほうきとチリ取りを手にそんなレフを表まで見送りに出る。
「今日は本当にありがとうございました」
 席を外している水谷に代わり、改め通りで頭を下げた。
「大したことはしていない」
 レフは言い、
「ならなくてよかったしね」
 百々も微笑み返す。
 それにも「ん」とだけ答えたレフは、「また来る」と返していた。だからして放った「またのご来場、お待ちしております」は常套句のようなもので、じゃあ、といわんばかりレフは手を持ち上げる。それきり大きな体は翻ると、駅へ向かい歩き出した。
 後ろ姿は、提げた紙袋が小さすぎてどうにも可笑しい。思わず笑い出しそうになるのを堪えて百々は、しばしレフを見送り続ける。やがて思い出した仕事に前屈みと、路面へチリ取りを沿わせた。
 見つけた吸い殻はマルボロか。目がけてほうきをあてがいかける。
 はずが、動きはそこで止まっていた。
 なにしろ「そういえば」と言うしかないのだ。そういえば呼ばずとも現れたあの日、一体、何の目的でレフは「20世紀CINEMA」を訪れていたのか。そもそも映画を見るためなら一時間ほどで終わった盗撮犯半確保の後、観賞してもいいはずで、そうしなかったレフはただ菓子を片手に帰っていった。
 百々は屈めていた身を起こしてゆく。
 ままに再び通りへ視線を投げた。
 だが角を曲がってしまったレフの姿はもう見えない。
 ただ背後から急ぎ足で帰って来る水谷の靴音だけを、聞いていた。


『SO WHAT ?!』another story
『赤いブルーベリーチョコレートの作り方』
終劇




お読みいただき有難うございます。

※本編中の眼鏡は架空のものです。
実在する類似の眼鏡とは何の関係もありません。
盗撮における劇場の対応も異なる場合があります。


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『SO WHAT?! ANOTHER STORYS』
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