END ROLLまで読了者様向け
『SO WHAT ?!』side story 2

YOU WOULD BE SO NICE...



2012/7/ by N.river
Copyright © 2012-2017 N.river All Right Reserved.






Phot by 三毛猫6/9




 オフィスの入る警察病院から歩いて通えなくもない自宅の貸家は、純和風の3LDKである。その一角、こうして頭を突っ込む押入れは、今や突っ張り棒がかまされたクローゼットと化していた。
 洗濯がまるで間に合っていない。買い足し続けたせいで、売り場のごとく白のワイシャツが並んでいる。しかしながら身につけるのはせいぜい手前の数枚だけで、何がどうなっているのか奥にはまるで覚えがない。だからして確か、とレフ・アーベンは記憶を辿った。袖を通したのは病院からホテルまでの一回きり。持ち帰ってすぐクリーニングへ出すと、ここへ吊るしたはずだと思い起こす。
 ならそれは日々のローテーションに追いやられた奥の奥から、見つけ出されていた。淡いながらもピンクのオックスフォードシャツは、暗い中でもひときわ異質とその目に映る。あった、と急ぎ、掴み出していた。
 気に入っている。
 言わずとも、袖を通せば伝わるだろう。ただ厄介なのは、見慣れぬその色目だ。眉をひそめて今一度、眺め回し、意を決する。
 そもそも嵐の中では前さえ見えず、シェルターなんて気の利いたものこそありはしない。ゆえに通り過ぎるまで、互いは互いに掴まりその場をしのぐほかなかった。たとえばそれは離さない、と約束させるための意地悪い嵐だったとして時に人生には、そんな風が吹きつけることがあるらしい。
 試されていると思う時こそ、意地を張ってはだめ。自分に素直になりなさい。
 在りし日のバーブシカが繰り返していた、それも言葉のひとつだ。


「これで講座は終了です。ご購入の御案内はこちらに。ここはあと三十分ほど自由にできます。楽器を触りたい方はその間に思う存分どうぞ。質問のある方は私へ遠慮なく。でない方はお疲れ様でした。素敵な音楽と、よい週末を」
 結局、参加したカルチャーセンターのテルミン無料体験講座は、演奏を体験するよりもテルミンの小型版、マトリョーミンという新しい楽器の、これはマトリョーシカの中にパーツを納めた持ち運び可能な組み立て式テルミンだ、セールスを目的としたものらしかった。
 テーブルと椅子が一体になっているせいで、体勢は座ったきりと融通が利かない。物足りない講座に加えて狭苦しく、無料なのだからこんなところか、諦めレフ・アーベンは遠慮気味に息を吐いた。


 銃弾を食らったあの日から、早くも十日あまりが経とうとしている。折れた骨に違和感は拭えなかったが、どうやら死神には愛想をつかされたようで、晴れて退院した今、こうしてラスベガス、その居住区にあるカルチャーセンターを訪れていた。
 つまり日頃をよく知る人物なら、その時間をどう捻出したのか、と首をひねることだろう。確かに誰もが事実確認に昼夜なく奔走している最中でもある。しかしながらチーフ百合草に与えられた指示といえば、判をついたような日中八時間のデスクワーク、ただそれだけだった。
 これをよきにとれば体調を考慮して、で間違いないはずだ。だが実際はフライングとなった確保時に対する謹慎に違いなかった。おかげで時間は潰しきれないほども余り、慣れない行動に期待外れを食らってみる。


 果たしてマトリョーミンたるものは、売れるのか。
 講座の最初に配られた冊子は数ページほどと薄い。
 向けて手を伸ばした。
 文字を辿るべく視線を落としかけたところで、感じる何かに動きを止める。
 見回すほどのこともなかった。廊下側、並ぶガラス窓の向こう側だ。バーバラ・ウィンストンの姿はそこにあった。やっと気づいたといわんばかり手を振るバーバラは、すぐさまロビーを指して頭を傾けてみせる。握ったり開いたり。顔の横で手を振り、きびすを返した。
 早いな、と思う。そうしてロビーへ向かう姿を見送り、正面へ向きなおった。
 受講生に囲まれたマトリョーミンは、早くも取り合いと大人気だ。だがため息を吐き出したところなら加わるだけの興味はわいてこず、何より用件はバーバラを待たせておくに気の引ける内容でもあった。
 ちょうどだ。いい加減愛想の尽きた椅子から尻を持ち上げることにする。荷物はそれしかない。足元に置いていた紙袋を掴み上げた。胸のコルセットのせいか動作はいちいちおっくうでならず、申し訳なくも冊子はそこに残してゆくことにする。挨拶する相手などいない。教室を後にした。
 センター内、講座は他にも開かれると、終えて吐き出されてくる生徒が今や廊下に賑やかと声を響かせている。
 午後九時。
 紛れて歩けば受け付け前だ。置かれたソファに腰かけ待つ、バーバラの姿を見つけていた。
 白衣と違い、やはり色つきの服が見慣れない。何が入っているのか、たすき掛けにしたまま膝へ乗せたカバンはやけに大きく、その横顔はニコリともせず前の自動販売機を見つめていた。つまり余計なことを言ったのか。考えたところで今さらどうすることもできやしない。わずか重くなった気分を入れ替える。
 と何の脈絡もなくバーバラが、振り返ってみせていた。様子は先ほどの自分を連想させるようでならず、病院で幾度も目にした笑みはそこにようやく浮かべられる。立ち上がれば歩み寄ってくる足取りこそ早く、行き交う人を避けて互いは、ロビーの隅で向かい合った。
「ほんと、ここを聞いておいて大正解。急患もなし。時間とおりに仕事は終了よ。きっと病人をよこすな、ってナイチンゲールのおぼしめしね」
 開口一番、まくし立てるバーバラのあけすけな口調は、病室そのものだ。だからして知ったのは、ときに患者の間で話題になる人気者だということだった。その人気者との約束は本来、講座が終わったその後、自分が病院へ立ち寄るというものにほかならず、おかげで言葉は出る。
「病人は夜、出歩かない。もう病人じゃなくなった。だいたいこれは、ついででいいような用事だ。わざわざ来るほどのことじゃない」
「あら、あなたはまだ病人です。言ったでしょ。本当はじっとしていた方が治りは早いって。けど無理な性分みたいだから。そうね、今ここで、わたしとかけっこしてみる? 自分の言っていることが、イヤってほどわかるはずだわ」
 いさめるバーバラに淀みはなかった。さあ、どうするのか。挑発的な視線さえ投げかける。すぐにも冗談よと笑って、後にして来た教室の方をのぞき込むと確かめてみせた。
「わたしが呼んだから途中で抜け出してきたんじゃない? 向こう、よかったのかしら?」
 様子には、めまぐるしいな、と思うほかない。
「ちょうど終わったところだ。かまわない」
 おかげで本題へはすぐにも取かかれそうで、握り続けていた紙袋を互いの間へ持ち上げた。
「これだ。中に言っていたやつが入っている」
 とたん縮みあがったバーバラの目は、見開かれた。
「ありがとう。嬉しいっ!」
 受け取った紙袋を、たちどころに開く。何、遠慮することなく中へ手を差し入れ、やおらその動きを止めた。
「でもお見舞いの品だって。本当にもらっていいのかしら?」
 つまり中に入っているのは「小熊のチェブ」のDVDだ。ストラヴィンスキーが退屈しのぎにと、置いていったものだった。


 それは退院した翌日である。
 退院時、二十四時間心電図というものを貼られ、ポータブル音楽プレイヤーのような機器を首から下げていたなら、そこに納められたデータごと機材を返しに翌日、ふたたび病院を訪れていた。そのさい装置の回収を担当したのはバーバラで、そこで「小熊のチェブ」をもう一度、見ようとレンタル店へ向かったことを、だがもうDVDはラインナップから削除されており再入荷の予定がないという話を、聞かされていた。
 良さが分かっていない。二枚あってもいいくらいなのに。思わない? そうね、レンタルしようとした自分がケチだったわ。気に入っているんなら保存版と視聴用よ。二枚、買う。明日にでも探しに行くわ。
 話す様子は相当だ。
 おかげで一枚、手元で余っていることに気づかされもする。
 譲る。
 ついぞ言っていた。


「どうせ家に同じものがある。二枚あっても見る方は一人だ。持っていても仕方がない」
「そうね。だったら遠慮なくいただくことにする。同僚さんによろしく伝えておいて。擦り切れるほど見るだろうけど、大事にするからって」
 なるほどうまいこと言うなと聞く前で、バーバラの手は紙袋からDVDを取り出した。
「そうそう、これよ、これ」
 言いながらパッケージの裏表を眺める顔は、ご満悦そのものだ。おそらく伝言が届くことはないだろうが、その顔へかたちだけでもわかった、とうなずき返すことにする。
 ひととおり眺めたバーバラが、カバンの底へDVDを仕舞いこんでいた。
 見とどけたなら用はすんだ、と思う。
 じゃあ。
 踵を返しかけたところで、押し止まっていた。
 何しろ素振りは、まるきり面倒ごとが片付いたと言わんばかりでいただけない。こういう場合は、と急ぎ踏み止まり、そつない話の一つや二つ、投げてワンクッションおくものだろう、と装いかける。だがそれこそ慣れた芸当でなかったなら、察したようにそうね、と口を開いて間をつないだのはバーバラの方だった。
「もらう物だけもらってさようなら、じゃあんまり。あたしはこの後、一人で夕食をかきこむだけなの。あなたは?」
 肩をすくめてみせる。
 単身ここへ来ていることは、入院時に知られた話だ。だが近くに美味しいチャイニーズがあるのと言うバーバラへは、果たして好みの話をしたろうかとうがる。判然とせず、しかしながら境遇は似たようなもので、今、不測の事態に振り回される立場でこそなかった。
 カルチャーセンターのロビーは、いつしか残っている方がワケありな様子だ。回した手で何気に、尻ポケットに財布があることを確かめてみる。同じだ、と答えて返せばバーバラはこっちよ、と誘ってこともなさげにまた別の話題を投げていた。


 言うとおりだ。店は遠くない。ただし気遣うバーバラはゆったり歩くと、「タイハン」と看板をあげた店へ十五分もかけて辿り着いていた。
 漂う匂いが香ばしい。詰める客に並んだ家具が、アジアも裏通りを連想させて止まなかった。取り囲んで渦巻く装飾もまた、良くも悪くもあやしげだったが、もろともせずにバーバラは、その中を奥へ奥へと進んでゆく。空いているテーブルを見つけるが早いか、上げた手で呼び寄せた。落ち着かないけど、シェフは最近こっちへ来た中国人だから間違いないの。話す口調は自慢げにさえ聞こえて仕方なかった。
 やがて運ばれてきた料理は実際、その通りとどれもが美味い。店が店なら気取る必要こそありはしなかった。久方ぶりの味に手は止まらず、その七割を自分が、残り三割をバーバラが腹へおさめる。埋め合わせて五分にするように、あいだ七割をバーバラが、残り三割を自分が話した。
 そんなバーバラの態度は病室と変わらない。どれほど親しげな素振りをみせたところで、距離は初対面の時を保つと、馴れ馴れしくこそしてこなかった。現に七割を埋めた話題も好きな映画に、病院での面白おかしな出来事と、話す相手を選ばぬような内容ばかりだ。違う話題があったとすれば一度だけ、撃たれて運ばれてきた職務についてを問いかけたことくらいに留めおかれている。だがそこれこそ語れる類でないならはぐらかし、はぐらかされたバーバラも深追いしてくることはなかった。それでいて変えない態度に、安堵する。おかげでむしろ仕事を忘れることが出来ていた。
 時間に気づかされたのは、見える顔ぶれもだいぶ様変わりして半分ほどに減った客の中に取り残されたせいだ。見回し覚えた気だるさは、満腹と慣れない長話に疲れたせいだろう。
 龍が巻き付く時計はもう、十一時過ぎを指している。閉店が近いらしい。店員の動きもまた、客や厨房から離れがちとなっていた。様子に顔を見合わせたのはどちらから、というわけでもない。合図に互いは席を立つ。
 そうして最後、聞かされたのは、あろうことかバーバラの悲鳴だった。
「ロッカーよ。私ってバカ。中の棚に置いたところまでは覚えてるの。後で入れようと思っていたのに、忘れてきてる」
 支払いを済ませようと立ったレジ前で、バーバラはカバンをまさぐり万策尽きたようにうなだれていた。
「かまわない。俺が払っておく。最初からそのつもりだ。なくしたんじゃないと分かっているなら、たいしたことじゃないだろう」
 すぐにも財布のことだと分かっただけに、驚かせる、と思わずおれない。
「でも案内するって言ったのはわたしよ。チェブも、もらったところなのに」
「それは同僚からのおごりだ。気にするな」
 同様に驚かされたせいだ。向かいの店員も、浮かべた笑みをぎこちなくさせていた。手へ、自分のカードを握らせる。
「こういう時はせめて割り勘だわ。ああ、もう、何してるんだろう。顔から火が出そう。いえ、出た。もう出てる!」
 以後も続く罵倒はよくそれだけ出てくるな、と思うほどで、聞かされつつすませたサインは書き損じそうで危なかった。もう済んだ、忘れろ。言ってとにかく、バーバラを店の外へ押し出す。
 そこに街並みは、間違いなくベガスのそれと広がっていた。しかも居住区である。華美なネオンはまるでなく、人の気配すら途切れがちと息をひそめている。しかしながら大通りへ出ればタクシーくらいはつかまるはずで、向けてバーバラを促していた。
「けど、家まで乗るほどの距離じゃないの」
 言われて送る、と返す。だがどっちだ、と聞いたところで、初めて会話に間はあいていた。
「……それは、ちょっと困る」
 笑いに紛らせこぼすバーバラの明かすわけは、こうだ。
「お巡りさんだから信用していいと思うのだけれど。信用するから明かせば私、一人暮らしなの。だから男の人にどこに住んでいるのかを知られるのは……、ちょっと落ち着かないわ」
 ああ、と思えば、動きも止まる。なぜならその男につく形容詞はおそらく「知らない」が妥当で、確かに尻に腹も見られて飯も一緒に食べたが、それもこれもたまたま担ぎ込まれただけの、同じ映画に興味を持っただけのことだった。物騒な案件も絡んでいない自分にある信用といえばその辺りが限界で、むしろ印象の大半は人に撃たれて運ばれてくるような、人に言えない仕事を持つ怪しげな男だった。
 社交辞令との区別がつかないわけじゃない。
 いや、だから当たり障りのない会話は続いていたのか。
 じゃあここで。
 言わんばかりにバーバラが隣りから身をひるがえす。
「ミスターアーベン、退院後の心電図の検査結果は、明日の午後二時。一階、外来第五診察室のドクター、マクダナルよ。十分前には待合まで来ていて」
 後じさり、そこから呼びつける名でここを病室へ変えてみせた。ならここを別れる場所と決めるしかなく、止めた足で大丈夫だ、とうなずき返す。
 とふいに、そうねとバーバラは空を仰いだ。
「ナースの所見だけど心配しなくていい。仕事を抜けて出してくるなら、散歩だと思って臨めばいいから。滅茶苦茶サボって帰るといいわ」
 ご丁寧にも、サボタージュをすすめてくれる。
「もう、撃たれて運ばれてきたりなんかしちゃ、だめよ」
 ご提案へ肩すくめて返せば、言われていた。
「そういう職場は人にも言えない。よくないわ。サボるついでに、……そうね」
 その目はしばし宙を泳ぎ、やがて再びこちらをとらえる。
「やめちゃいなさい!」
 言い切った。
 笑いはそこで、たまらずこみ上げている。逸らした顔で吹き出していた。断ったことを気にかけていたらしい、見て取ったバーバラが安心したように頬を緩める様を目にする。
「ごちそうさま。楽しかった、ありがとう」
 響きにこそ、社交辞令はうかがえない。
「次に会えたら、今度はわたしがおごるから」
 なら確かめずにはおれなかった。
「鍵はあるんだろうな」
「大丈夫。それはくくりつけてあるの」
 また後じさってバーバラは、デカいカバンを抱え上げてみせる。
「これも!」
 ついでに叩いて中を示した。
「ありがとう!」
 チェブだ。
 続くおやすみなさい、が後を引く。
 向けられた背中が角を折れるまでを見送っていた。
 もしかするとその向こう、すぐのところに家はあるのかもしれず、なら何事もなく辿り着くだろう、と考えることにする。
 終わった。
 思うままに大きく息を吸い込んでいた。軋む胸に背を丸め、それきり返したきびすでホテルまでを歩いて帰る。


 翌日、内勤の合間を抜け出し診察へ向かった。
 当日は救急搬送口から入ったうえ、入院していたのだから正面からはこれが初めてだ。おかげで受付は、ホテルのロビーかと思うほどに広いことを初めて知り、手続きも分からず面食うと、カウンターに詰める職員を捕まえどうにか診察室前へたどり着いていた。
 あいだ医者も職員も看護師にも、幾人となくすれ違っている。こうして待合の椅子に腰かけ順番を待つあいだも同じだ。果てにようやく分かり、ああ、とひとりごちてみる。目にしてきた看護師の白衣はみな、バーバラのものと違っていた。つまり病棟と外来では管轄が違うらしく、骨のひとつも折らなければもう接点はないということらしい。知ってあらため、「今度、会えたら」の意味を理解しなおす。おかげでその姿を探していたことにも、気づかされいた。
 振り返った動きは自然だったはずだ。
 診察室から名前を呼ばれ、立ち上がる。


 バーバラが言う通り、中で聞かされた診断結果は問題なし、の一言に尽きていた。来週はずすというコルセットの予定にも、変わりはない。だが本人がいらないと思うなら、それまでに外してもらってかまわないと、ドクターは許可していた。
 しょせん肋骨はどの骨にもつながっていない、浮いた骨だ。肺の収縮に合わせて常に動く。だからしてギプスも出来ず、コルセットは補助具だった。そして補助具は症状の軽減を促すもので、そもそもなくとも骨は勝手に元通りとつながるらしい。
 それもこれも骨がぱっくり、真っ二つに折れたせいだろう。粉砕骨折だったならボルトのひとつも埋め込むだろう手術が控えていたはずで、回復にはさらに時間がかかるはずだった。
 帰り道も言われたとおりだ。散歩がてら、遠回りを決め込むことにする。あえて病院の中庭を横切った。見える景色はただ目に映り、頭の中で漠然とこれからのことを巡らせる。
「うそ」
 言う声に我を取り戻していた。その声には覚えがあるからこそだ。自然と顔も持ち上がってゆく。なら確かに嘘のようなそれは光景だった。荷物を抱えたバーバラは、白衣でそこに立っていた。


 検査の結果はどうだった? と聞くバーバラは、ドクターの用事でたまたまここを通っただけらしい。言うとおりだったと教えて返せば、わかった御馳走しなきゃね、と観念したようにバーバラは腰へ手をあてがった。続けさま「小熊のチェブ」の話し相手がいなくて物足りないの、と笑ってみせる。
 そもそも仕事柄、偶然は信じない方だからして、この展開を飲み込むのに時間を要したことは否めない。おかげで返事は曖昧だったと記憶している。送れないなら昼間がいい、辛うじてそう返しただけだった。聞き入れたバーバラは間髪入れず、丸一日の休みなら五日後の水曜日なのと明かしている。凝り固まったこちらのスケジュールもまた同日に休みが巡っていたなら、待ち合わせはあの夜、別れた「タイハン」前で午前十時とすぐさま決まっていた。すれ違ったついでにふさわしい手短さだ。じゃあ、とそこで互いは別れた。
 それから実感することとなったのは、仕事を片付けるに五日は短すぎるとして、待つには少々、長いということだろう。時間は双方の間を捻じれて流れ、捻じれ切った当日、もういいだろうとコルセットはずすことにする。身軽なのは取り戻した自由のせいか。待ち合わせの場所へと向かっていた。
 だがそこに現れたのは、一台のバンにほかならない。目の前でブレーキを踏む様に警戒していた。ならハンドルを握るドライバーこそバーバラで、袖をまくり上げた麻のシャツでバンを降りると、おかげで素っ頓狂だったろう顔へ向かい、開口一番、こう言い放つ。
「今日は砂漠でバーベキューよ。道具は後ろに積んできてる」
 唖然とさせられていた。にもかかわらず、ひとつ断っておかないといけないことがあるんだけど、と申し訳なさげにつけ加えるバーバラは確信犯だ。
「なんだ」
「ほかにも友達がついてきているんだけれど、かまわないかしら」
 事後承諾なのだから、そこに追い返すという選択などそもそもない。かまわない、と返していた。聞いたバーバラは喜び勇んで、やおら車内へと振り返る。
「ジョーイ、いいって。出てきてっ!」
 なんだ男か、と至極単純に思わされていた。
 するとハアハア荒い息は聞こえ、車内から、そのジョーイは飛び出してくる。
 かなりの巨体だ。
 そして確かに「男」らしかった。
 しかし雑種だ。たちまちチョコレート色の大型犬は、バーバラの足元へまとわりつくと、屈み込んでバーバラはその頭をなでた。嘗め回されて、あっという間にもみくちゃにされてしまう。
「勤務の加減で時々、預かるの。今日は急で。ともかく同僚の愛犬、ジョーイよ。しつけはしてある。絶対、噛まないわ」
 本当か。むしろ現状、頭からかぶりつかれてやしないか。目を疑うが、おかげでバーベキューのわけを知った気にもなっていた。これではドッグカフェさえ入りづらい。預かっている以上、放り出すこともできず、こうなったに違いなかった。
「ほら、座りなさいジョーイ。彼はレフ・アーベンよ。おとなしく挨拶を。ほら、離れて。ジョーイはおりこうさんだったでしょ?」
 言うがジョーイは興奮の真っただ中だ。聞いちゃいない。これでよく預かっているものだと、呆れる。このまま眺めていたところで埒は明きそうになく、ますます腹がすくだけだった。どうやらこちらから挨拶してやるしかないらしい。前へ屈み込むことにする。その平たい頭を掴んで撫でた。すぐにもジョーイはこちらの手へ興味を示すと身をひるがえす。だがそうはさせない。飛びかかられる前に首輪を掴んで押し止めた。力にジョーイはずいぶと驚いた様子だ。あからさまに動きを鈍らせる。逃さずその顔を引き寄せた。吠えそうになったところで間近と見据える。居心地悪そうにするジョーイは目を逸らそうとするが、揺さぶりこちらへ向きなおさせた。
 肝心なのは、ここで決して慌てないことだ。
 口にする前に伝わっていることを確かめる。
 そこで座れ、と静かに唱えた。
 案外、気は合うらしい。
 ジョーイはハアハアいいながら、前へすんなり腰を下ろしていった。


 乗せて乗り込み、バンで向かったのは、砂漠に面したオートキャンプ場だ。
 先客のキャンピングカーが、赤茶けた大地に並んでいる。ベガスが観光地だからだろう。平日にもかかわらず張られたテントも多く見えた。思い思いに過ごす利用者らはそこでバーベキューを楽しみ、持ち出した椅子の上で寝そべり砂漠を眺め、勝手気ままと過ごしている。
 混じるべく、バンから道具を運び出した。仲間とよく来るのか、簡易のテーブルセットを広げ、炭に火を入れるバーバラの手つきはいい。こちらもこちらで足元をうろつくジョーイをかまってやりながら、肉に野菜をグリルへ並べてゆく。
 などと好きにするつもりが、バーバラはうるさかった。気づけば互いにああだこうだと、バーベキューの講釈を披露し合うハメに合う。熱弁が功を奏して腹はすき、はしゃぎ通しのジョーイへ水を与え、スチールテーブルを挟んで腰を下ろした。講釈の検証だ。互いの調理を吟味し合う。
 うちにもジョーイは水を飲み干し、向けた顔で、おこぼれをねだった。その情けない顔つきといえば、見ている方が萎えてくる。仕方なく肉の端くれをくれてやった。
「ジョーイ」
 呼べば宙で投げた肉へ、ジョーイは違わず食いついてみせる。
「そう、ジョーイは、私よりレフがいいのね」
 目にしたバーバラの口ぶりは悔しげだ。
「私のいうことなんか、ちっとも聞いてくれないんだから。あなた、男の子でしょ。少しはレディをいたわって」
 丸のみするジョーイはすぐにも食い終わると、そうだ、とハアハア、また長い舌を出して期待に目を光らせている。甘やかしてはきりがない。次はやらず、残りはすべて自分が食うことにした。
「なんてことはない。ロシアにいた頃、家で同じくらいの大きさの犬を飼っていた。扱いに慣れているだけだ。同僚は男か? 女一人じゃ、持て余すだろう」
 ははぁん、と鼻を鳴らすバーバラは、そうして視線を皿へと落とす。
「ジョーイは彼女のボディーガードよ。けど、彼女も私も最初からなめられっぱなし。きっと最初の睨みが足りなかったせいね」
 いまさらのように、バウ、とジョーイへバーバラは吠えた。そうして笑ったその口へ、焦げ目の目立つ野菜を押し込む。


 後片付けは帰る間際でかまわない。せっかく訪れた場所だった。今は風景を堪能することにする。あえて地面へ腰を下ろしていた。焼けた地面は熱かったが苦にはならず、赤い地平線は肩の位置まで高くなると、空もならって高く、いやむしろ深くなる。そんな景色が錯覚させるのだろう。地の底にいるような気持ちに駆られ、ままに空を見上げていた。
 観光用か、赤いセスナがオモチャのように飛んでいる。
 追いかけ、果てに消え去ったところで視線を引き戻した。握るゴムボールは一点を真っ白に光らせた緑色だ。そんなボールを空と大地の境目へ向け投げつける。胸をかばっているせいであまり遠くへ飛ばずことはできなかったが、たちまち追いかけジョーイは矢のように駆け出していった。
「あれから、見たんだけど」
 声へと振り返る。バンの中へ身をもぐり込ませていたのは、それを探していたせいらしい。肩までツバの広がる麦わらぼうをかぶったバーバラが、そこに腰を下ろしていた。
「チェブか?」
 問い返すうちにも、緑色を口にしたジョーイは駆け戻ってくる。その口からボールを抜き取った。また精一杯、遠くへ投げる。


◆      
『SO WHAT?! SIDE STORYS』TOP