遠い遠い未来の、遠く遠く離れた物語。
始まりへ還る物語。

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ACTion 00 『POSE & NOISE』



 流れるような紋様が虹色に混ざり合う加鉱石カウンターを眺めて押し黙ること、かれこれ地球基準時換算で二時間あまり。どれほど周囲から怪訝な視線を投げかけられようとも『ヒト』の発声器官しか持たないアルトにとって、ここ『ラウア』語専用カウンターでのやりとりは、まったくもって不可能だった。
 目の前には注文を要求するホロメニューが浮かんだきり。透けたその向こう側には、今にも営業妨害だとまくし立てそうな店員が一体、エラをなびかせて立ち尽くしている。他にこのカウンターの利用者は誰もいない。
 もちろん注文のひとつもすませたなら、この気まずさも少しは紛れるのだろうが、見てのとおりメニューはどれも馴染みのない『ラウア』語圏の伝統料理ばかりだ。その得体の知れない流動食に、つかの間でも興味を持てという方がこれまた無茶なハナシだった。
『兄さん、あんた症候群か?』
 半ばからかうように、背後から言葉が投げられる。生真面目に反論するほど、まだ冷静さを失ったわけではない。聞き流すべく、アルトはカウンターに投げ出したままのホロレターへ指を伸ばした。すかさず開いたなら、折り目の投光レンズから、文字映像は飛び出してくる。

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 その下に円形の俯瞰図は広がり、図の一点を指し示した数列と、添付された光学バーコードが白く光って浮かび上がった。言わずもがな光学バーコードは、ここへの圧縮ナビプログラムであり、俯瞰図はこのフロアのものだ。時刻に相違ない数列が、『ラウア』語カウンターの位置に引っ掛けられてもいる。何度確認したところで待ち合わを示しているだろうほかに、思い当ることはなかった。にもかかわらず、どこにも送り主の記録は残されていない。その胡散臭さがまたアルトからため息を引き出させる。
 ホロレターを投げ出していた。手はそのまま無煙タバコを探すと、うんざりする気持ちを紛らわせて無意識のうちに作業着の胸ポケットをまさぐり始める。
 ここは広大な宇宙の僻地に浮かぶ中継コロニー『フェイオン』。蜂の巣のように格納庫を並べた二本の発着リングを串刺すメインシャフト第二十八階層、ハウスモジュール『ミルト』だ。
 フロアはシャフトの形状同様に円形かつ広大で、壁沿いにアルトの寄りかかる『ラウア』語を含む総計三千とんで二十八種の言語別カウンターを一枚板でぐるり、据え置いている。
 出入りを促すゲートは時計の文字盤さながら、カウンターを等間隔に区切ってちりばめられ、そのどれもに隣接モジュール名を連ねたアーチを掲げていた。
 言うまでもなく、中継コロニーには昼夜の境界がない。そのためゲートをくぐって出入りにする者の姿にも切れ目はなく、おかげでフロア内はゲートへ向かう者と好みのカウンターへ向かう者、そして変化自在なフレキシブルシートが散らばるフロア中央に至ってまで、万種入り乱れて終わりなき大盛況を繰り広げていた。もちろんそのほとんどが燃料補給の傍ら訪れた、長距離航行就労者たちだ。


 安直なグローバル化の果てに、世界は今や情報同様、物理面での同時性をも強く要求して止まず、今や長距離航行就労者数は全労働者数の三割にまでのぼっている。もちろんこれは認識されているうちの統計にすぎず、もぐりの数に入れたなら五割に達するかという勢いだ。そしてその誰もが広大な空間でのスピーディな輸送を要求され、どれほど運搬路が整備され輸送船機能が向上しようとも追いつかぬ即時性に、劣悪極まる労働環境の元、奔走していた。
 補って通信や映像技術の革新は数度、起きている。だが限られた刺激と空間に長らく閉じ込められたが者が発症する『イルサリ症候群』は、居住環境のもたらす弊害として今もなお解決していない。
 この『イルサリ症候群』、そのもそもはホームシックからくる鬱状態だ、とあしらわれてきた各種症状だった。具体的に挙げるなら、極端な感情の萎縮を経て、不可逆的な外部刺激への無反応状態が特徴的な病ともいえる。果てに自我消失を招くことから、発見された当初は長距離航行就労者の奇病とも呼ばれ、ホームシックなどと言う一方でそれ以上、ひどく恐れられてもいた。
 だからして発症はもっぱら航行中と決まっている。果てに船長を失った船は失踪し、ある日、突然、放置船となって発見されるという成り行きがオーソドックスだ。その中からミイラと干からびた主が見つけ出されるたび、関係者は明日は我が身と表情を曇らせてきたのだった。
 ゆえに過去、物流関係からの就労者離れが起こったのも当然のなりゆきだろう。だが放置すれば世界はたちまち立ち行かなくなるのだから、連邦はすぐにも政策を打ち出していた。それがこれらハウスモジュールの運営だった。

『いかなる種族も持ちうる郷愁と枯渇している物理他者を利用することで、埋没しつつある感情を掘り起こす』

 ハウスモジュールの設営理念は、実にご立派なものだ。
 きっかけを作った症候群研究の権威は、病名にも名が残されている亡き連邦局名医、ドクター・イルサリである。そして名は病と共に、こうして今や広く既知宇宙で知られることにもなっていた。


 そろそろ目の前の『ラウア』語店員も、黙りこくる自分を本気でそんな症候群患者だと疑い始めているのではないだろうか。アルトはうがる。もちろん保健員に通報されてはかなわないと、最初、優勢十三種の言語で構成された公用語、いわゆる混合造語で話しかけもしている。だがネイティブ店員などという仕事につくこと自体、造語が話せないせいだという偏見通りか、店員が答えて返す様子はなかった。
 いや、混合造語は連邦政府がごり押しで公用化を決定した言語だったなら、普及の際、自らの文化を、言語圏を保護すべくテロまがいの行為で抵抗を続けた少数派言語圏種族がいたことは誰もが知る事実だ。『ラウア』語は閑散としたカウンターを見ての通り、少数派、拒絶組である。敵言語と、造語を無視したたところで気持ちをくめば文句こそ言えなかった。
 現に、そうして造語に解体されていった弱小種族は少なくない。それでも現地語を貫いた一部種族に至っては、経済活動からつまはじかれ、略奪で生計をたてる船賊になり下がっている者たちもいる。そのクチかと思えば、なおさら店員へかける「言葉」はなかった。
 ただアルトはタバコの先へ火を点ける。そう、同情されたいのは、こんな場所でねばり続ける自分の方だと内心、吐きながら。
 静まり返る『ラウア』語カウンターへ近づく者の影は、まだ見あたらない。


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