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ACTion 05 『アンダーグラウンド ミニライブ』



 ままに、餌を待つひな鳥と首を長くして、デミはネオンの答えを待つ。
 おかげで小さな体へ詰め込んだ翻訳機能をフル働させ、モバイロは割り込もうとした。
『ネオン。約束。ここで会う。演奏』
 ネオンは慌てて、苦手な造語をこま切れと口にしていた。何しろその容量に比例したお粗末極まるモバイロの翻訳機能は、事態を混乱させこそすれ、潤滑なコミュニケーションの橋渡しになった試しがないのだ。
 活躍の場を奪われてモバイロは、その場でクルリ向きを変えている。バツ印へ向かい走り去って行った。
『あんまり近づきすぎちゃ、挟まれちゃうよ。あ、でも乗っかるのは大丈夫なんだ』
 気づいたデミが声をかけ、続けさまネオンへへも告げる。その無邪気な笑顔は、子供ならでは、万族共通の愛らしさに満ちていた。
『駆動系もプログラムも単純だから、壊れようがなかったみたい。だから安心して』
 証明すべく、作業つなぎのポケットから小さなバーを取り出す。バツ印へ向けボタンを押せば、とたんバツ印は鈍いうなり声を上げ動き出し、押し上げていた天井を下げだした。おかげで天井にはぽっかり穴はあくと、そこから光と喧騒は、暗くうすら寒かったこの空間へどうっと一気に流れ込んできた。
 デミの心配とおりバツ印に巻き込まれかけたモバイロが、少し離れた位置でトラックボールをしまい込んでいる。
「十二分後、こちらの昇降機でフロアへ上がります。起動は、昇降機に備わっているものを使用してください」
 最後の段取りをネオンへ告げた。
 聞いていたように、デミもそこから握っていたバーをネオンへ差し出している。
「せり上がれってことね。さすが派手さはドクター・イルサリを名乗るだけはあるってわけだ」
 ネオンはそれを受け取った。
『ありがと』
 デミへ微笑みかける。
 さあ仕事だ、と受け取ったバーをジャケットのポケットへ落とし込んだ。提げ続けた黒革のケースを床に寝かせ、片耳のピアスを外す。そこには古典的な凹凸が刻まれたアルミ製の物理鍵が飾りとしてぶら下げられており、握ってネオンもまた、ケースの前に屈みこんだ。その側面には、小さな穴が開いている。ネオンは鍵を、あいた穴へと差し込んだ。
『これ、物理ロックなの?』
 そんなネオンの手元を、デミは興味津々のぞき込んでいる。
『ぼく、初めて見たよ。中には何があるの? ねえ、ぼくも見ていい?』
 少しばかり悩んでネオンは、うなずき返す。差し込んだ鍵を手首ごとひねり、跳ね上がった左右の金具を外して押し上げるようにふたを開いた。無数の傷にまみれ、複雑な構造をまとい付かせたU字の管は、横たわって姿を表す。
『すごいや……』
 目にしたデミが大きく息を飲んでいた。
『これって、地球のアナログ楽器でしょっ?』
 振り返ったその目は、隠しきれない好奇心に輝いている。
 ネオンは微笑みでもってしてイエスと答え、首元からネックレスよろしくかけっぱなしにしていたストラップにそれをつないだ。立ち上がり、さらにケースの中から「L」字型の小さい管を掴み出す。「U」字の片側へ差し込み、つなぎ目のネジを締め上げた。
『ぼく、初めて見たよ! 本物? だったらなんて名前? ホントにミルトで演奏するの? それともレプリカ? 約束があるって……、会うって言ったのは、もしかして演奏のため? そんなの頼めるなんて聞いたことないよ!』
 一挙一動を食い入るように見つめ、すっかり興奮したようすで鼻溜を振る。
 聞きながらネオンはケースの傍ら、クッションへ突き刺さるように埋めこまれていた手のひらサイズのパーツもまた、つまみ出していた。L字の先端へねじ込みつなげ、デミへ一言、告げる。
『サキソフォン。本物。分からない』
 ねじ込んだその先には、至極薄い板切れが固定されていた。これこそが、震えて音を作り出す要、リードと呼ばれるもので、外してネオンは唇で軽くくわえ、湿らせる。
『ふーん。でも、本物じゃなくてもいいや! 現存するアナログ楽器を見たなんて、帰ったらみんなに自慢できるもん!』
 言われれば、どこか照れくさかった。はにかんで、湿って程よく弾力の戻ったリードを元の位置へ固定しなおした。組上がりを確かめるべく、そうして管を両手で包み込むように掴む。とたん複雑な構造は整然とネオンの手の内におさまり、指先に丸い小さなキーはあてがわれていった。
 それを下から順に弾き上げてゆく。てことバネの応用だ。そのたび管まわりで穴を塞いでいたフタは開くと、カタカタ軽い音を立てた。動きで、そのどこにも不具合がないことをネオンは知る。
 見届け、ケースから予備のリードもまた拾い上げた。もしものためと、パンツのポケットへ落と込む。
『少しだけ聞かせて!』
 と声を張り上げたのはデミだ。
『ちょっとだけ、いいでしょ?』
 言い分に、本当のところ困ったな、と思ってみる。何しろおねだりされているその音は、大事な商品なのだ。そうやすやすと振舞えはしなかった。しかし依頼主と向かい合う前、ひと鳴らししておかなければならないのも事実なら、昇降台をメンテナンスしてくれたお礼でいいだろう。ネオンは目配せでオーケーと返してやった。
『やった!』
 跳ね上がるデミを見たなら、悪い気こそしない。
 立ち上がり、抱きかかえるような具合で、ストラップと握った両手で管を固定しながら、管を軽く体にひきつけた。這わせた舌で己が唇もまた湿らせ、最後に差し込んだパーツを浅くくわえる。
 それだけだ。
 それだけでいつも集中力は、がぜんネオンの中で高まっていった。そしてそこから先、ルールは消え去り、あるとすればネオン自身とすり替わる。
 任せて、立ち消えとなった通路の鼻歌へ、ネオンは再び意識を集中させていった。ダミ声にかき消されたイメージを捕らえなおすべく、静かにまぶたを閉じる。
 だがうまく思い出せない。
 待って得られるものがあるなら待ってもみるが、当てがないならええい、と諦めていた。意を決し、ため気味のワン・ツーを細いヒールで打ち鳴らす。切れると同時だ。ネオンは腹の底まで深く鋭く吸い込んだ息を、一気に管へ送り込んだ。
 とたん音へ変換されたネオンの息が、空間を裂いてビリリ、空気を震わせる。なら呼応して不鮮明だったメロディーは、あるべき姿を示してそのとき見上げたあの空からどっか、とネオンへ降った。
 ならもう出し惜しみなどありえない。爆発的スピードで、ネオンはキーを弾き上げる。つむぎだされた音はあたかも一音であるかのようにうねり連なり、先を争い絡まり響いた。その縦横無尽さは、まるでついえることのない空中戦だ。
 圧倒されて、デミが全身を硬直させていた。
 それほどまでに音は、聞いたというよりも触れたというにふさわしいものだった。見えざる感触で、そこに確かと何かがあることを叫び続ける。だからといってこれが何であるのかを位置づけようと言葉を手繰れば、その正体は遠ざかっていった。放棄すればするほどに、輪郭はくっきり浮かびあがって耳にした者を翻弄する。
 つまりは感動。
 それともただの暴動か。
 わずか八小節。ネオンはそこで管から唇を離していた。
『ありがと』
 本日最初の客に軽く会釈する。
 軽い身震いと共に、デミが我を取り戻していた。
『……びっくりした。びりびりくるよ。すごく、不思議な音だね』
『続き、上』
 ストラップの長さを調節し直しつつ、ネオンは目でフロアを指し示す。
『そうしたいけど』
 初めてデミが口ごもった。一呼吸おき、その顔を上げる。
『ぼく、次の船でうちへ帰らなきゃいけないんだ。まだ荷物もまとめてないし。だから、今、聞きたかったの。遅れると困るもんね』
 なら仕方ないと、ネオンは肩をすくめていた。そうして潰れたバツ印へ向きなおる。
「時間です」
 傍らにうずくまっていたモバイロも、ちょうどと知らせネオンを促していた。
『帰ってみんなに自慢しなきゃ!』
 ほどけるように通路へ向かい、デミが駆け出してゆく。
『修理。ありがと』
 呼びかけネオンも、バツ印へ向かっていた。
『バイバイ、おねえちゃん!』
 ひとまたぎ、飛び乗れば、千切れんばかりに手を振ったデミの姿は、通路の奥へ消えて行くところだった。
『バイバイ!』
 つられて手を振り返す。誰かを見送るなど、久方ぶりが贅沢だと思えてならなかった。おかげで緩んだ頬をネオンは今一度、引き締めなおす。
「さてと、行きますか」
 ジャケットからバーを取り出し、せり上がるべく、そのボタンへ指をかける。
 だが押すか押すまいか、その時だ。
 ネオンの頭上で破裂音は鳴り響いていた。


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