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ACTion 30 『戻らないで行こう』



 匂いが通路にまで漂っていた。辿りアルトは、居住モジュールのドア前に立つ。妙に鈍い感知器が、間を空けドアをスライドさせていた。気付いて調理台の前、平行感覚の危ういテーブルの向こうでネオンは振り返る。
「用は済んだ?」
 重なり、傍らでチンと電子レンジが音を立てていた。電熱コイルのコンロの焦げたような熱臭さもまた、鼻について止まない。
「二十八番か」
 かぎ分けアルトは、選択を任せたミールパックのナンバーを口にしていた。
 なら唐突に歌い出したのはネオンだ。
「夜の街にガオー、ビルのハイウェイにガオー」
 調子はいいのだが、いかんせん脈絡がない。
「なん、だ? それは」
 不気味さばかりが際立ち、アルトは眉をひそめる。なら電子レンジのドアを開けたネオンは、歌いながらおおよそ食べ物が入っているとは思えない工業的なデザインのパックを中から取り出し言った。
「鉄人28号のテーマソング」
 先ほどまで首から提げられていた楽器は、陣取っていたアルトに代わり壁際のマットレスに寝かされている。ひっくり返したハズの砂塵もすでに片付けられ、砂塵に埋もれたオレンジ色の花が枕元で、何事もなかったかのように四枚の花びらを広げていた。
「答えになってない」
 アルトは突き返す。
「地球ローカルの、二次元まんが。古いのよ、すっごく。あなた、何番でもいいっていったじゃない。だからあやかって、鉄のヒトの二十八番にしてみました」
 手を休めることないネオンは得意げだ。
 『アーツェ』への道中、仮死ポッドで眠っていたライオンをのぞくそれぞれは、コクピットやマットレスで代わる代わる食事を済ませていた。だが楽器が占拠しているそこに代わって、いい加減、腰掛けられそうなモノを探す時がきたらしい。そぞろにアルトはモジュールの片隅にうず高く積まれた備品の山と対峙する。
「中身はご存知の通り、ボルシチとロシアパンだから安心でしょ」
 背でネオンが、パックの口を切り取りながら声を高くしていた。言った通りのロシアパンを、湯気もろとも引っ張り出す。
「そんな歌、一体、どこで覚えたんだ?」
 備品の山をガラガラ、かき分けながらアルトは問うた。電熱コンロから片手ナベもまた引き上げたネオンは、手際よく中身を皿へ移し変えつつ肩をすくめてみせる。
「あのね、ログジャンキーなんて前世紀のマニアを相手にしてると、とんでもない骨董品と出会うことだってあるの。あたしが月へ演奏に行った時、そのヒト、磁気テープのメディアなんて持ってたのよ。信じられる? その中に鉄人28号があったわけ。演奏が終わった後は、延々とその講義、受けちゃったんだから。おかげで歌を覚えたわ。お付き合いするの、ものすごく大変だったんだから」
 聞きながら、不精で捨て損ねた紙媒体と、絡んだ寝具の間からアルトはスツールを引っ張り出す。つられて『フェイオン』を脱出して以降、どこへやったのかと探し続けていた地球基準の二十四時間時計は転がり出し、それもまた拾い上げてテーブルへ戻った。
 据え置き、またぐようにしてスツールへ腰を下ろす。絶妙のタイミングでその前に、皿は出されていた。盛られたボルシチがテーブルの傾きを如実に表し、見事に楕円の喫水線を引いている。見下ろし、邪魔にならない位置へアルトは二十四時間時計を置いた。時刻に狂いがないことを確かめたなら、遮りパンの皿は視界へ差し込まれてくる。
 意識していたよりも腹の減り具合は、深刻だったらしい。そんな皿がテーブルへ触れるより先、アルトは時計を置いたその手でひとつ、掴み上げていた。
「いつからそんなことを?」
 勢いよくかぶりつき、残りをボルシチに浸して視線を上げる。フォークを差し出したネオンはそこで、困ったような顔を向けていた。
「サスのお店で言ったわよね。放置船から見つけ出されて蘇生されたって。その直後のことは時間の感覚があいまいなの。そうね、はっきり覚えているのは、ここ二年くらいってとこかしら?」
 フォークを受け取る。
「それ以前は、なにを?」
 ネオンの表情は明らかに、そこでくもった。
「それが、全然……、思い出せないのよね」
 呟き、失敗が見つかった時のように舌を出す。
「名前はその時、入っていた仮死ポッドに刻まれてたものよ。本当は覚えてないわ。靴にこだわるのも、その時から履いていたわたしの証拠だから。楽器だってそう。わたしの持ち物ってちょっと変わってるじゃない。コレ、自分を探す目印なんじゃないかって思ってるの。変えなければ絶対、誰かがあたしのことを見つけてくれるハズだって」
 だが、ネオンの声が弾んでいたのもそこまでだった。不意にうつむき離れてゆく。目で追えば、崩したばかりの備品の山の前に立った。やおら屈み込み、手持無沙汰を紛らせ勝手とより分け始める。だからして作業は始まったばかりだ。だがその後に続く声はひどく疲れて、アルトの耳へ届いていた。
「……って、この間まで考えてたのよね」
 聞きながらアルトは、フォークで刺したイモを口へ放り込む。
「けど、死人に呼び出されるなんて、こういうの、年貢の納め時っていうのよね。もう諦めなきゃいけないのかなって思ってる」
「死人?」
 噛み潰して繰り返した。
「フェイオンの仕事、依頼人はドクターイルサリを名乗ってた」
 備品の山を丁寧に整理してゆくネオン手は、止まらない。拾った紙媒体をめくっては傍らに積み上げ、反対側へてんでバラバラなデザインの雑貨や食器を並べてゆく。
「そいつはつまらねぇイタズラだ」
 一蹴してアルトは、口の中へパンを詰め込んだ。
「十分よ」
 言い切ったネオンの手は、そこで止まる。
「だから決めたの。延々、誰も見つけてくれないってことは、本当は誰も探してないってことだって。何をしたのかはわからない。けど、きっとあたしは追い出されたんだと思うわ。ギルドの下で演奏をしていたら、いつか誰かが見つけてくれると信じていたけど、そんな過去にしがみつくのはもうやめようって。そろそろ帰らないで、行くべきだって決めたの」
 思い出したように、寝具を引っ張り出す。見えない場所で引っかかるそれとしばらく格闘し、立ち上がってネオンは適当な大きさにたたんでいった。と、その間からもバサリ、紙媒体は落ちてくる。ページを広げてうつぶせとなったそれをネオンは拾い上げた。
 パラパラとめくる。
「忘れた時間に、さようならしようって」
 呟きははっきりアルトの耳に響いていた。
「あたしは、新しいあたしになる」
 ボルシチをすくい上げていたアルトはその手を、思わず止める。
 なら見えていたかのようにネオンは声を跳ね上げ、振り返っていた。
「……で、さっ!」
 不意を突かれてついぞアルトはその目を瞬かせる。
「さっきから思ってたんだけれど。率直に聞いていいかしら?」
 そんなネオンに先ほどまでの雰囲気は微塵もない。とどまった動きを再開させてアルトは最後のイモを押しこみ、先を促した。なら問うネオンに屈託はない。
「あなたってさ、胸の大きな女の人が好みなわけ? さっきから出て来るの、そんなのばっかなんだけど」
 思わず口の中のものを噴き出しそうになって、アルトはどうにか踏みとどまる。
「あッ、あのなッ、それ以上勝手に人の持ち物、触るなッ」
 唸るしかない。
 気にすることなくただネオンは、傍らに完成された雑誌の山へ手元のそれも積み上げ、呟いていた。
「よし。だったら同じ船でも安全か、わたし」

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