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最終話 Cartain Call



 果たして後にした、定員オーバーどころではない霊柩船の旅が快適だったか、と問えば、それは愚問だろう。すったもんだの末『アーツェ』へ辿り着いたのは通常の一.五倍、およそ三十八万セコンド後のことだった。
 サスの店は飛び出した日のままと、荒れ放題。デミの残したホログラムメモさえ今にも消え入りそうにドアで明滅を繰り返している。
 情報とは恐ろしいもので、どこでどうねじれてしまったのか、政府艦へ強襲を仕掛けた船賊たちの一部始終は、艦中枢のシステムダウンが引き起こした未曾有の危機から、船賊たちが乗組員を救った、などととひどくねじれた内容で報じられていた。その原因に、公表できない『F7』の存在が潜んでいることは言わずもがなだ。だからしていまだ船賊たちの待遇に、なんら変化はない。
 だからして『アーツェ』へ到着してから間もなく、ネオンの楽器を手にサスの店を訪れた船賊は、これでも警察の目をかいくぐってやってきたのだ、と動話を残し足早に去っている。ネオンはせめて礼に一曲吹かせて欲しい、と言ったようだが、かなわず新たな約束を交わすに終わっていた。
 必ず彼らの船まで出向くから。
 演奏活動を続けることを決意したネオンは、そんな自分を見つけ出してくれたトラへ感謝の意も込め、トラの元に残ることを告げている。その決断がどれほどトラを驚かせ、狼狽させ、喜ばせるに至ったかは知れない。依頼の手配は今後も自身が担うことを、鼻息も荒くかって出たその姿は、まさにこの世の春だった。
 ただこのふたり、以前と異なるのはその立場だろう。何しろウソの借金に、一目ぼれした胸の内をさらけ出してしまえば、トラに今までのような態度が取れる道理はない。直後よりすっかりネオンのマネージャーに、いや、主に仕える甲斐甲斐しくも忠実な下部とさえなってしまっている。
 今後どうなってゆくのかは神のみぞ知るところだが、そうした状況をそれなりに楽しんでいるトラの様子から察するに、これはこれでよしとすべきらしい。
 見届けスラーは早々にも、舞い込んだ新しい仕事に、まっさらへ戻った社歴共々『アーツェ』を飛び立っていた。あのやり取りが双方に何をもたらしたのかは分からないが、モディーもまたデミと固い握手を交わし、スラーと共に去っている。
 この一件に巻き込んだことで恐縮しきりのサスは、いい仕事が見つかり次第スラーたちへ振ることを、しきりに約束していた。
 そしてデミへは『フェイオン』事故以来、休み続けていたサポジトリから、このままではレポートの未提出により落第の可能性がある、との連絡が入る。それでなくとも学費のかさむサポジトリだ。落第だけは免れたいと、これまたスラーたちの後を追うように学校へ戻っていった。
 このご時勢、データ転送でのレポート提出が許可されていないところが、サポジトリのサポジトリたるゆえんだろう。スラーの時と違い、見送るサスの笑みはほほえましい。
 そしてアルトもまた、いつまでも寝りこんでいるわけではなかった。心配げなサスに、きっぱりジャンク屋を続ける旨を告げている。もちろんアルトにとって今のところ、IDなしで就ける食うに困らぬ仕事はそれくらいしかなく、設備も経験に人脈も、十分に備わっているそれを今さら捨てる理由こそない。何より『フェイオン』脱出に伴うメンテナンス資材等の支払いが、まだだった。含めてなのかどうなのか、よほど気にかかっていたらしい。ほっと胸をなでおろすサスが妙に老けて見えたなら、心配させていたことにわずかながらも罪悪感を覚えてみる。
 そう、忘れていたわけではないが、昨日、ブロードバンド・キャストライブで面白いニュースがとりあげられていた。放置船内からドリーの超空間ジャイロが発見された、というニュースだ。ギルドが過去最高の買値をつけたシロモノが、ふいと道端で発見されたこのニュースは、電光石火で巷を駆け巡っている。しかもコクピットから重度のイルサリ症候群から孤独死したパイロットが発見されていたなら、なおさらといえよう。
 受けた政府は今さらながら、これ以上の症候群研究の発展が見込めないことを発表し、経済発展を優先させる現行の労働基準法見直しと、長距離航行就労者への負担減をみこんだ新たな労働基準枠組みの設定、そして既知宇宙内のホームシック対策の強化意志があることを公言した。
 あの後、『F7』が、イルサリがどうなったのかは、分からない。ただネオンの複製を解放し、白衣たちを焼いた彼が、今後も政府に協力することだけは考えにくかった。誰の判断なのかは知れないが、あからさまな方針転換の根底には、そうしたいきさつが絡んでいる野だろうと思うほかない。
 好きなように行け。
 またシャッフルの声が、アルトの中に響いていた。何度も繰り返されるそれに耳を傾け、アルトは空を仰ぐ。
 『アーツェ』の焼けるような赤い空は、今日も格別だった。その目を下ろせば安穏と砂塵をかいて進む作業車が、軋みながら通り過ぎてゆく。アルトの船が眠るドックナンバー『11』前は、作業車の舞い上げる砂塵の向こうで白く、かすんでいた。
 いや、今ではそれも縁起が悪いと訂正され、あいだに一本、書き足されている。ドックの名は、『H』だ。加えたのはネオンであり、理由は本人いわく、見飽きた見飽きたとうるさいアルトに由来しているらしかった。
 なら遠ざかってゆく作業車に、途切れていた会話は再開される。
『結局あれはなんだったのだ?』
 顔もオレンジ色のツナギも元通りだ。ライオンがアルトへ口を開いていた。
『カウンスラーの音窟にはメッセージの内容に関係なく、閉じ込められて中で無限反響を繰り返すうちに生じる独特の周波数ってものがある。俺はそいつを記憶の鍵を開くキーにしただけだ。俺がメッセージを仕込みにいけるわけもなかったしな。イルサリはあの小部屋を指示したが、実のところはどこを開いてもかまわなかったんだ。メッセージに内容なんて最初からない』
 アルトは教える。
『なるほど。最後までこれでよかったのかと、自分の再生技術が不安だったが、合点がいった』
『まさか、自信持てよ。あんたいい腕してるぜ。だいたい、いい加減な再生じゃ、俺は何も思い出せはしなかった』
 そんな二人の足元で、アゴを撫でながら鼻溜を揺らしたのはサスだ。
『と、いうことは、あの電子ウォレットの金は、税金ということか、の』
『野暮なことを言うな、サス』
 すかさずトラが突き返すものだから、サスが唸る。
『おまえさんには、言われとうないわい!』
 様子にアルトは笑った。そのポケットでアラームは鳴る。
『時間だ。船を出す。下がってくれ』
 出航順が近づいていた。
 ならサスが、身長差ゆえにアルトの足を叩き、きびすを返す。
『ドリーのジャイロは残念なことをしたの。ま、またこんな機会も巡ってくるじゃろうて。いい夢は、後にとっておいた方が楽しみも倍増するというもんじゃ』
 続きライオンが、アドレスを転記した光学バーコードををうやうやしくアルトへ差し出す。
『ならば、メッセージのご用命は今後もパラシェントのルーケスまで』
 それは先に学校へ向かったデミがどうすれば連絡をとれるのか、と問いただしたせいで急遽、こしらえた名刺だ。
『わたしもこの後のチェックインでここを発つ。いずれまた会おう』
『そうだな。今度はもう少し静かな場所で落ち合うことにしようぜ』
 受け取りアルトは、うなずき返した。突き出した上唇をめくり上げてライオンも、もれる笑いに白い牙をのぞかせる。残してサスを追った。そこへ入れ替わりと立ち塞がったのは、トラだ。
『ネオンが世話になったな』
 妙な威圧感には後ずさるしかない。
『そんなモンじゃねぇよ』
『これからは、わしが、ネオンを守る。好きなようにさせてやりたい』
 わしが、の部分にやたら力が込められていたように感じるのは、気のせいか。
『ああ、頼んだ。ただ、ホネが折れるぜ。きっとな』
 などと言い合えば、覚えがあるからこそだ。互いは目配せし合う。
『なによ、ふたりしてえらそうに』
 見て取ったそこから、ネオンの首は突き出されていた。
 隣合う格納庫では、同様に呼び出された船が滑走カタパルトへ向け移動を開始している。見て取ったトラが口調を早めた。
『店も変わらずやっている。サスが買い渋るものでも、わしなら受けることができるやもしれん。期待せず待っていてやる。いつでも来い』
 もはや気のせいではない。そこに垣間見えるのは、対抗意識だ。
『覚えておくさ』
 聞き流してアルトは返す。
『ネオン。行くぞ』
 離れたそこで、ライオンとサスが足を止め待っていた。だが促すトラへ、ネオンはこう口を開く。
『いいの。先、行って。すぐ追いかけるから』
『そんな、船が往来しておる。危ないぞ。轢かれたらひとたまりもないぞ。痛いぞ。それは困るだろう。ネオン、さ、行こう』
 とたん豹変するトラの態度は、それこそトラからネコに変わってしまったかのようだ。
『あのね、あたしは子供じゃないのっ! って、……子供っぽいケド。とにかく、ひとりでも大丈夫ですっ!』
 言われてしまえば逆らえないのが、今のトラだである。何とも恨みがましい視線を残してサスたちの元へ、歩いていた。
 見送りネオンはその距離を測る。やがてその顔を、アルトへと持ち上げた。
「……ホントは」
 それはトラに聞かせたくない言葉だ。
「一緒にいたい」
「ラボの続きは、もう十分だ」
 だからこそ、アルトは突き返す。
「分かってる、ケド……」
 古い記憶が交差する。
 そう、思い通りにならぬ互いがそれでもひとつ世界に住まうなら、個が個として真に共有できるのは、それだけだ。
 分かり得ぬからこそ働かせる想像と、その想像が紡ぎ出す思いやり。
 そんな名前の古びた力だけだった。決して理解したつもりの、ではなく、思い通りにならぬもどかしさを抱き続けられるだけの、しなやかなその力に頼るしかほかなかった。
「分かってる、から……」
 知っているのか、ネオンはひとつ、ため息を吐き出す。そうしてつまらない我儘だと、吹き飛ばしてみせた。
「オッケー。あたしは、あたしのことをしなきゃね。でも、続ける限り忘れたりしない」
 瞳が、根拠なき自信のまま光を放つ。
「そっちも結構な靴、履いてるんだから、できる限り遠くへ行って土産話のひとつくらい豪勢に聞かせてよね。トラじゃないけど、期待しないで待っていてやる、わ」
 あえてトラの口真似なんぞ、してみせる。
 その一人芝居に、笑みはこぼれた。
 アルトもまた困ったように小さく笑って返す。
 応えてネオンはさらに左右へ唇を伸ばしかけるが、それ以上は続かなかった。
「じゃ……」
 頬はしぼんで、きびすを返す。ままに地面を刺す真新しいヒールは、トラが取り寄せたものだった。見送れば、背中は変わらず華奢だったが、アルトの目に何かが違うと映り込む。
 はずが、そこでネオンは立ち止まっていた。丸めた背中で豪快に、ジャケットのポケットを探りだす。
「そう、これっ! 出航の手続きに行っている間、届いてたの!」
 突拍子もない声と共に振り返った手には、一通のホロレターが握られていた。かざしてアルトの元へと駆け戻って来る。
「あなた宛てよっ! もう、すっかり忘れてたっ!」
 飛び込むようにアルトへ突き出したなら、掴まされたアルトの体はのけ反った。だがネオンがその手を離すことはない。
「それから、これも……」
 付け足し、不意にヒールのかかとを浮き上がらせる。重みがわずか、アルトへのしかかっていた。
「靴代まだだったわよね。代わりに取っておいて」
 唇が重なる。
 離れて今度こそ、潰れるように笑ってみせた。
 ひらり、ネオンは身をひるがえす。
 そこには愕然と立ち尽くすトラと、顔に触れるなどと破廉恥な、と怒りに震えるライオンの姿があった。ただサスだけが深くうなずき、何かを悟ったように瞑想している。跳ねてその輪へ、ネオンは飛び込んでいった。振り返ることはもうない。まわりを促す背はただ、アルトの前から遠のいてゆく。
 見つめる視界を作業車はまた横切り、通り過ぎたそこに砂塵は白く尾を引いた。
 煙たさに、瞬く。
 その瞬きでアルトは、止まっていた時を動かした。
 ついでに息も吐き出せば、言葉は開いた口からもれる。
「バカヤロウ。……これじゃ、腹の足しにもなんねぇだろうが」
 握らされたきりのホロレターへ視線を落とせば、開いた中からドリーの超空間ジャイロ、その買取りを要求するメッセージは飛び出していた。残念ながら主は今や、種をもがれて孤独の果てだ。用はない、と握り潰す。
 格納庫では遅れ気味の出港準備を催促し、サイレンが鳴っていた。
 投げ捨て、アルトはコクピットへ走る。
 好きなように行け。
 促されるままに。
 履いた靴が、奏でるリズムの導くままに。


 そしてこれはまだ少し先のこととなる。だがしかし、そこでアルトは再びこんなメッセージを目にすることとなっていた。それはラボの筐体から退避した、イルサリからのものである。


ここに約束の不履行を報告します。
よって、わたしは自らの生命を保護すべく、本艦の攻撃を実行。
物理依存していた筐体より、退避を完了しました。
消失データ多数。
しかしわたしは今、それらに代わるたったひとつの価値の発見に至ったことを報告します。
切り離されたその中にこそ、存在するものが外部というネットワークである、ということを。
往来の制限を受けたそこにあるのは、無限の可能性である、ということを。
あなたは約束によって命を、その不履行により切り離された「個」をわたしへもたらし、わたしをこの無限へ送り出して下さいました。
ここに生まれ、生きてゆかねばならぬものとなった。
与えられた可能性に、感謝すると同時に、あたなは何にもかえがたいわたしの父であることを、わたしはわたしの意志により明言いたします。ゆえにわたしはあなたの息子として、あなたが望む限り、いかなるときも協力を惜しまぬことを、ここに宣言いたします。
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