別れて出会うかけがえのない人へ贈る物語

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ACTion 01 『始まりは、父と息子』



「父上。父上。いかがなされました? 父上」
 繰り返される呼びかけ。
 このフレーズ、どこかで聞いたようではあるが、決して遠い昔のテレビドラマとやらで使用されていた時代劇というジャンルを追随したものではない。証拠に、口調は性急ながらも単調を極めると、モールス信号そ用を呈している。
「父上。父上。お返事ください。いかがなされました? 父上?」
 ままに細切れ、アルトの鼓膜を弾いた。
「父上? 父上?」
 おぼろげな意識の底。ふともすれば再びのまれそうにもなる曖昧の果てで、アルトは感じ取る。取り戻したらしい意識と共に、何の音だと自らへ問いかけていた。ならそれが答えだ。鼓膜を弾くだけだった音は、注意を傾けたアルトの中でやがて意味ある言語へ変換されてゆく。
「いかがなされました? お返事ください。父上」
 曖昧さから醒めていた。
 失せていた五体が取り戻されてゆく感覚を味わう。その体でもってして、意識の全ては世界から今ここに切り分けられていた。
 確かめるべくしてアルトは、痙攣気味のまぶたをゆっくり持ち上げてゆく。焼けるような光に刺され声をもらし、再び両目をきつく閉じた。そんな声を聞きつけたか、呼びかけはそこで初めて単調さから脱する。
「父上。父上? お返事ください!」
 おかげで今度こそ、意味を理解していた。アルトは眩しさとはまた違う意味で顔をしかめる。
「……る、さい」
 だが相手が黙るハズもない。むしろ返された返事に、声色は跳ね上がっていた。
「お気づきになられましたか、父上!」
 嬉々と転がし、だからこそ疲労困憊してアルトは唸る。
「あのな、俺は、お前のおやじじゃねぇ……つってんだろうが」
 そう、アルトを父上と連呼し続けていたのは、元介護用AIのイルサリだ。そしてここはジャンク回収のため乗り込んだ放置船の最下層。コクピットへ伸びる通路の中程だった。
 『F7』の一件以来、アルトを父と慕うようになったイルサリは、必要とあらば協力は惜しまないと公言した通り、こうして時折、アルトの呼びかけに応じ回収のサポートをつとめている。それも今回でもう八度目だった。
「ともあれ、ご無事でなによりです。父上」
「くどいッ」
 いつの間にこんな格好になってしまったのか。吐き捨てアルトは、中途半端に寝そべっていた体を支えて、辺りへ手を這わす。
「これも、お気に召しませんでしたか? 父上」
「お前、ソレ、本当は、わざとやってんじゃ、ねぇだろうな」
 ついた両手へ力を込めた。
「わざと? 判別不可能。わたしは先日、お父上の使用を禁じられました。ですので代わる呼称の変更を……」
「やっぱ、分かってねえ」
 ようやく辺りの明るさに目が慣れたらしい。ゆっくりと上体を起こしていった。こうなるにだけ食らった痛みを後頭部に覚えて、体を縮める。だがさすって紛らわせようとしたところでマイクロゴアテックス以下、九層にもなる軽量宇宙服、ライトEMU越しの手はヘルメットの固い感触を捉えただけで、なんら役に立たなかった。
 何しろ事前チェックにより乗り込む区域の機密性がどれほど保証されていようと、所詮は管理を離れていかほども経つ機能怪しげな放置船である。何が起こってもおかしくはないそこに眠るお宝目当てで乗り込むジャンク屋なら、万が一に備えてEMUを装着することは基本中の基本だった。
 仕方なく振った頭でその場をしのぐ。
「心拍数の上昇を確認。血圧の低下はみられません。どこかお怪我でも?」
 今となっては形式程度、取り付けられた心電計キットを読み取り、元来介護AIだったイルサリが本領を発揮する。
 「無理ないさ。意識が飛ぶほど打ち付けられりゃ、コブのひとつもできるってもんだ。大丈夫だ。たいしたことはない」
 返して、上体を通路の壁に沿わせていった。その視界で自らの体勢がいかに歪だったかを示し、傾いで並んでいた抗Gロッカーの扉が水平を取り戻してゆく。扉のひとつには、いまだアルトが差し込んだきりの解錠ツールもまた食らいついたままとなっていた。
「診断。打撲による外傷と断定」
「そいつは、どうも。これで立派な労災だ」
「申請先は持ち合わせていません」
 などとここぞでイルサリは愛想に欠ける。
「取り急ぎレポートします」
 淡々と仕事を進めて言った。
「父上からの反応が途絶えてから、七百十七セコンド経過中。先ほど受けた衝撃でEMUの機能に障害が発生した恐れがあります。優先順位にのっとり、取り急ぎ自力でEMUの動作状況と残り酸素量チェックを行ってください」
 だからこそサポート役には、最適だとも言えよう。
「了解」
 アルトはうながされるまま、左グローブに組み込まれたパネルへ視線を落とす。軽量化されたとはいえ芋虫のような右手グローブの指先でカバーを持ち上げその表面を弾き、パネルに表示された数値を目で追った。
「それにしてもさっきの揺れは強烈だったな」
「はい。恐らくは、ガス影による観測不能圏内で起きた超新星爆発の影響だと思われます。観測衛星を違う角度のものにリンクしていれば爆発の予測は可能でしたが、わたしのアクセス領域の限界が察知を妨げたようです。父上の大事な命を預かりながら、まことに不甲斐ない次第でした」
「いや、俺が礼を言ったところで、お前が謝るスジはないさ」
 どうやらEMUの内圧と外気圧の変動も、さらには背負った液体酸素パックの残量にも、異常はないらしい。つまりもぐり込んだこの空間だけでなく、EMUそのものにも機密漏れはないと判断し、何より一人きりでの作業だったならEMUの酸素が切れる寸前まで気づくことはできなかっただろう紙一重の一部始終に ひとつ胸をなでおろした。そうしてアルトはパネルを閉じる。
「だがな」
 差し置いてもそれとこれとは別だった。
「その父上ってのは、やめろ」
 自然、放つ声も低くなる。同時に立ち上がれば、擬似重力が発生しているはずもないこの放置空間で、勢い余った体は必要以上と浮き上がり、固定させるべくアルトはEMU靴底の磁石を作動させた。すぐにも手ごたえのなかった両足が、床をとらえて体を支える。ままに繰り返す足踏みで、アルトは磁力の強度を調節した。
「では……」
 最中、イルサリは新たな提案を投げかける。
「とうさんでは、いかがでしょう?」
「却下だ」
「では、とうちゃん」
「どこが違う?」
「でしたら、ちゃん」
「バカか」
「ならば……」
 と、そこで途切れるイルサリの声。
 おかげで漂う嫌な予感に、ピクリ、アルトの眉も吊り上がった。
「死んでもお前、パパ、なんて呼ぶな」
「さすが父上」
 ビンゴ、らしい。
「お察しが早い」
「何が、さすがっつーんだッ」
 だが同時に達するのが諦めの境地だったなら、アルトは靴底の磁石を甲高く響かせ解錠ツールへ歩み寄ってゆく。
「で、そっちの……、船の状況は?」
 ひとつ大きく吐き出した息で、話題を切り替えた。
「はい。塗膜に気相成長による多数のFe結晶が付着。放射線レベル七。 残骸濃度、四二〇〇。いずれも本船耐久数値内。差し当たっての実害は、居住モジュール内の各備品が、運動エネルギーに従い移動した程度です。システムおよび、両船舶の結合部にも異常なし。さしあたっての航行に影響はありませんが、早めのジャンク回収と現場撤収を、その後のメンテナンスをお勧めいたします」
「了解。なら、これより作業を再開する」
 答えてアルトは解錠ツールの前へ、腰を落とした。覚醒させるように再度、打ち付けた頭を振り、左右のEMUグローブを擦り合わせる。
「引き続きフォローを頼むぜ、イルサリ」
「もちろんです。父上」
 ありがたくも返すイルサリに、悪気こそなさそうだった。


 政府委託のとある放置船回収専門民間企業。アルトはこの企業に、ちょくちょく世話になっている。無論、表立って支援を受けている、と言うわけではない。何をかくそうこの企業、情報管理のセキュリティーが妙に甘いのだ。ゆえに政府から新しい回収船リストが回されてくるつどリストを閲覧し、アルトはお宝の眠っていそうな船のピックアップにいそしんでいた。この船も、そうして見つけたうちのひとつである。
 とにかく決め手は、イルサリを動員してさえも判然としなかった船の経歴にあった。実際に乗り込みコクピットから吸い上げた幾つものIDを辿って初めて、移動範囲の広さと奔放さが同業者の影をちらつかせたなら、膨らむ期待が懐すら膨らませて止まなかった。
 ただしひとつ、気がかりな点は残されている。この船が放置船となった原因には船賊の強襲が絡んでいるらしく、船側にはスワッピングマニュピレータに食いつかれた爪跡がくっきり残されると、乗り込んだアルトはつまり二番手だった。だが金目の物が奪われた後だったとしても、この船の持ち主がそれなりに場数を踏んだやり手のジャンク屋であったなら、話は別となる。こうしたアクシデントも想定済と、是が非でも譲れぬお宝だけは特別な場所へ匿われている可能性は残されていた。何しろアルト自身もその一人なら、最上層にしつらえられた格納スペースが荒らされていればいるほど期待は高まる。 


「残り酸素量からして、ひとまず作業の継続は四十分が限度だな」
「了解しました。伴い、演算領域拡張中」
 イルサリの声を聞きながら、抗Gロッカーに食らいついている解錠ツールからコードを引き出す。EMUの通信ハブへジャックを差し込み、アルトは解錠ツールがイルサリとつながったことを確かめた。


 だがしかしこのロッカーを選んだことにに関しては、イチかバチかの賭けなどない。そんな格納庫からコクピットへ降りる道すがら、同じ造りの上層と比べて通路の幅を狭めてまで取り付けられた抗Gロッカーは、あまりに不自然だったせいだ。
 そもそも船は、アルトの船に比べて倍ほどの居住空間を持っている。だというのに邪魔でさえあるこの場所に据えられたその意味は問うてしかるべきで、自然、足は止まると開閉を繰り返したせいで残念なほど一枚だけひどく磨耗したエアパッキンは、アルトの目にとまっていた。
 妙に飛び出したこの抗Gロッカーは、奥にある何かを隠すためかぶせられたダミーではないか。
 過ったとたん、体も動き出す。
 そんな抗Gロッカーの電子ロックは、五十二種あるキーのうち、任意のキーを三次元の羅列へ正確に入力するタイプだ。もちろんその任意の羅列が果たして、たったひとつのキーで完成するものなのか、それとも五十二全ての組み合わせを必要とするものなのかは持ち主のみぞ知る事実である。そして二次元羅列ならまだしも、三次元羅列ゆえに天文学的数字となる組み合わせパターンはたとえ総当りと言う単純作業にせよ、市販のツールではあまりにも時間のかかるシロモノだった。だからといって待てぬと力任せに扉をブチ破り、抗Gロッカーに匿われているとおり繊細なお宝を傷つけてしまえば水の泡にもなりかねない。イルサリの出番は、そこで訪れていた。


「領域確保。羅列解析を開始します」
 抗Gロッカーのロック手前へ、生えるように立体十字のホロ映像は浮かび上がる。その四方へ突き出た十字の中に、ひとつふたつ、文字は灯されていった。気づけばそれは点滅するがごとく入れ替わると、五十二種のキーを、次から次へすげ替えてゆく。
 見守れば数分はあっという間に過ぎ、十分、二十分、時間は軽々飛び去っていった。
 残り酸素量を気にしてアルトは、EMUグローブのパネルを覗き見る。
 やがて明滅は、十字の中でピタリ、動きを止めた。
 ピー、とか細い音が鳴ると同時に、それまで張り詰めていた扉周囲のエアパッキンがしぼんでゆくのを目の当りとする。抗Gロッカーの扉が手前へ浮き上がっていた。
「ほい、お疲れさん」
 通信ハブからジャックを抜き去り、コードが巻き戻されたのを確認してから、アルトは解錠ツールを扉からはずす。
「解錠時間、一六四三セコンド。組み合わせは保存しますか?」
「いや、必要ない」
 はずした解錠ツールもまた、胸元のマジックテープへ貼り付ける。満を持し浮き上がる扉へと手を掛けた。ゆっくり開けば、中には数枚、同じサイズの宇宙線防護ツナギが固定されていた。どれも胸に貼りつけられた光学バーコードが違っていることから、おそらく船が抱えていたIDの数だけ使い分けていたのだろうと考える。かき分けるが、抗Gロッカーの中はそれだけだ。だからと言ってグチをこぼすにはまだ早い。
 アルトはEMUヘルメットのこめかみ付近につけられたライトを、点ける。ツナギを抗Gロッカーから放り出し、ロッカーの中へ身をもぐり込ませた。舐めるように見回せば、隣りのロッカーとの境目だ。奥から十センチばかりのところに不思議な継ぎ目が一本、縦に走っているのを見つける。そこにはなにやらネジにも見える小さな突起が、等間隔を置いて並んでいた。
 さらに頭を突っ込みアルトは、EMUの無骨な指先で苦心惨憺、その突起をまさぐる。しばらくの奮闘後、指先にようやくそれは触れていた。
 押し込めるらしい。
 思うと同時だ。動作させる。継ぎ目から、引き出しを引き抜いたような勢いでプレートは一枚、ロッカー内へ飛び出していた。そんなプレートの中には液状シリコンが敷かれている。埋まり込むような格好でそこには、古ぼけた基盤が一枚、納められていた。
 アルトは液状シリコンから剥ぐように、基盤を取り出す。モノを確かめ、ヘルメットのライトにかざした。
「何がありました? 父上。わたしにも教えてください」
 見ることのできないイルサリが、耳元でせっついている。
 そこには文様のようなラインが、場所を惜しんで事細かと引かれていた。上にはトランジスタがいくつも溶接されている。それだけだ。時代錯誤も甚だしい。今では計算機にしか使えないようなただのマザーボードだった。おかげで残りわずかとなった酸素をアルトは豪勢に消費する。それほどまでに大きなため息をついて、待ちぼうけるイルサリへその口を開いていた。
「晩飯は、いつもの多種族キッチンに決まりってことだな」
「本日のオススメは、オートミルフィーユ仕立てのグラタン。山椒を添えて。三GKです」
「またあれかよ」
 とにかく安いのだ。ほとんど条件反射で口いっぱいに広がる味に、アルトは唸った。
「他を探してもいいが、新しいボンベを消費するのも、もったいねーしな」
 紛らせ、舌打つ。
「心中お察し申し上げます」
 果たしてこうした言葉をどこで仕入れてくるのか。
「まぁ、飯抜きのことを思えば文句はいえねぇさ」
 思わずこぼれた苦笑いと共に、アルトはEMUヘルメットの明かりを落とした。
「父上」
 と、イルサリは神妙な口調へ輪をかける。
「生きるということは、まこと拙い曲芸そのものですね……」
 諭されるなどと、論外だ。
「……お前なぁ」
 一声あげてみるが、心のどこかでさもありなんと独りごちていることもまた確かだった。


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