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ACTion 03 『ゆゆしきは、恋と貧乏』



 その後のデミの話によれば、こうだった。
 生まれた当初、『ヒト』に例えるところの子供、幼体期にあたるデミたち『デフ6』種族が性別を持たないことは、知ってのとおりだ。だが成体期と呼ばれる大人へは、成長過程で訪れるある出来事をきっかけに性差は生じると、自らの望む性別へ変化を遂げてなる、ということらしかった。
 そうして一度、固定された性別が覆されることは生涯を通してない。つまり性別の選択は『デフ6』にとって、今後の生き方を大きく左右する、最初にして最大の決断だということだった。
 もちろん学業こそ駆け足で修得し、こうして店を構えるまでとなったデミだったが、その実、サスの店の近隣にある花屋『ポップス フラワー』の女主、ポップに憧れ、将来女性になることを今だ夢見る無性別の幼体だ。その時期ももう終盤に差し掛かっているはずだ、とデミ自身は自らを分析しているが、まだ性差が生じる気配はなく、すなわち分け隔てるべくして起きるはずの出来事もまだ訪れていない、とのことだった。この遅れが、どうやらデミを苛立たせる原因だと知らされる。
『で? 何なんだ。その、出来事ってのは? それさえなんとかすりゃ、すむ話なんだろうが』
 ひとしきり聞いたアルトは、問いかけた。
 それまで熱弁をふるっていたデミはとたん、物憂げとカウンターへヒジをつく。
『それって、誰かを好きになることなんだ』
 なるほど。
 アルトは素直に、うなずきかけた。
『あ?』
 切り上げ、アゴをしゃくる。同時に放った一文字で、言わんとしている事の意訳もまた催促してみせた。
『は! つ! こ! い!』
 応えて鼻溜を振るデミは、これでもかといわんばかりだ。
『この時期に誰かを好きになると、それを合図にぼくらの体の中で特殊なホルモンの分泌が促されるんだ。それがぼくらの性差を決める受容体に引っかかれば、それぞれにそれぞれが望んだ性別へと変わってゆくの。それが最後の成長段階。でも誰かを好きならないと、それはまーったく、起こらない。ぼくら『デフ6』種族は、いつまでたっても子供のままなんだ』
『ほ、ほぉ』
 気ぬけていようがなんだろうが、アルトはともかくひとつうなずいた。おかげで少しは落ち着きを取り戻せたのか、もたせ掛けていたアゴを持ち上げ、デミは声のトーンを上げる。
『この間、スラーおじさんの霊柩船で政府船から出航する時、ぼく、全然、船の操縦ができなくって、モディーさんにすごく怒鳴られちゃったんだ。で、悔しかったし、そのうち買い付けにも必要になるから、学校も卒業して時間もあるうちに船舶免許を取ろうと思って申請にいったんだよ』
『そりゃ、いい案だな』
『そしたらぼく、なんて言われたと思う?』
 尋ねるその目には、怒りがこめられていた。
『未成年には、取得資格はありませんだって!』
 吠える。
『だからって今度は店にいたらいたでジャンク屋がくるたびに、ぼくのことを子供のクセにってなじるんだよ!』
 受けた屈辱はよほどらしい。握りしめた拳は今にもカウンターを叩き割りそうに、暴れていた。
『どうして? 仕方ないよ! だってぼく好きになるってどんなだかまだ全然、分からないんだもん。学校にはちゃんと仲良くしてた友達が、好きな同級生がいたよ。けど、いつまでたってもぼくはぼくのままで、何にも変わらないんだ。好きって、そういうのとは違うの? そんなじゃないなら一体どんななの? ぼく、学校で二番だったよ。分からないハズないんだ。教えてくれれば分かるハズなんだ。分かって早く大人になりたいんだ。だって、ただそれだけのことなのに、そのせいで子供だからって、バカにされるなんて……』
 やおら語尾を濁らせる。
『悔しくて仕方ないもん』
 吐き出した。
 どうやら不躾だと思われたデミの質問も、ただの冷やかしではなかったらしい。分かればアルトは、鼻を鳴らす。
『ふむ……』
 仕方なしだ。教えて言うことにしていた。
『悪いがな、そいつは教えられて習得するモンじゃないってことさ』
 などとまじめくさって諭せば諭すほど、己がひどく道化街道を突っ走っているような気がしてならなかったが、ここはひとつ悩める青少年を救うべく精一杯につとめるほか手はなさそうで、目をつむる。
『じゃ、みんなどうしてるの?』
 知らずデミが、食い入るような瞳でアルトへ投げかけていた。
『習うより、慣れろ。案ずるより、産むが安し。その時が来れば分かるってことさ』
 すくめた肩でアルトは突き返す。
『アルトも、おねえちゃんと同じこと言ってるよ』
 言われて、またもや後頭部へ一撃を食らったような気がしたのは錯覚か。思わず背後を確かめていた。
『それまで、お店、続けられたらいいけど』
 デミの声に呼び戻されて、眉をひそめる。
『野郎に、ガキだからってクズを押し付けられたか?』
 視線にデミは、おねしょのばれた幼子よろしく小さくうつむいていった。やがて相手がアルトだから話す気になったのだろう。
『うん。損はしてないけど、まだ儲けてもない』
 辛うじて聞き取れる声に鼻溜を揺らした。
 アルトの舌打ちの方が、はるかに大きく部屋に響く。
 とたんデミが弾かれたように顔を上げていた。
『これ、絶対おじいちゃんには言わないで! ぼく、ちゃんとやってるって、おじいちゃんには信じていてほしいんだ。おじいちゃんだけには心配かけたくないし、がっかりもさせたくないんだ』
 情けなさに歪んだ顔が、アルトを見つめていた。眺めたならサスも酷なことをしたもんだ、と思わずにはおれなくなる。同時に、見守る側へ回った自身の罪悪感もまた感じ取らずにはおれなくなっていた。
『つったって、このままじゃ、いずれ赤が出るんじゃないのか?』
 心配するのは当然だとして、少々露骨が過ぎたらしい。
『だったらアルト。がんばってよ』
 デミはぷう、と頬を膨らませ、それきりカウンターへ突っ伏す。
『あのな、こっちも棺桶に半分足、突っ込んでやってんだぜ。だいたい無理してお抱えのジャンク屋が死んじまったら、それこそギルドは一銭にもならねーだろうが……』
 それこそお門違いだと突っぱねかけるが、どうにも覇気がないのは先ほど感じた罪悪感のせいだ。輪をかけデミの調子もまた、なまくら鈍った。
『分かってるよ。だから今日の分、めいっぱい勉強したんじゃないか』
 言われてしまえば、ここでガキが気を使うなとは言えなくなる。吐き出し損ねたアルトの口はモゴモゴ動き、持て余すまま、再び前へ向きなおっていった。
 そこで会話は、切れるべくして途切れる。
 見計らい、沈黙はふてぶてしくも居座り続けた。ままに疲弊した双方の醸し出す空気が、有機体の吐き出す生活感にぬるめられてよりいっそうどんより辺りを濁らせてゆく。
『なんだ……、お前も、タイヘンだな』
 ついぞ呟いていた。
『だって、お店は学校と違うんだもん』
 突っ伏したままでデミもまた、くぐもり返す。
『……早く好きに、ならなきゃ』
 呪文のように自分へ言い聞かせた。
『つーか、そんなに急いでどうすんだよ』
 それが優等生、というものだからなのか。
『こっちは知らねー間にガキができちまって参ってるってのによ。んなもん、急に現れられても、どうしろっつーんだ』
 半ば独り言と、自らの身の上もまた嘆く。
『ふーん……』
 鼻溜を揺らすデミは、それこそ他人事だ。
『アルト、子供できたんだ』
 かつてないほど華麗に話を聞き流してみせた。
 が、それも束の間のとなる。
 瞬間、生き返ったかのごとく、デミは突っ伏していたカウンターから頭を跳ね上げていた。
『子供?』
 目を皿のように伸ばして広げる。
『急に?』
 繰り返して聞いたばかりの言葉を光の速さで焼き直し、脳内で反芻させた。ままに言葉を映像として組みなおしてゆく。
『ええっ?!』
 叫び声はもれていた。
 いぶかしげと振り返ったアルトへ、もう一発、食らわせる。
『ええっー!』
 仕方ない。年の割りに古臭い脳裏で構成されたその映像には、生活に疲れた港の女が 父親を知らない哀れな子供と手をつなぎ、恨めしい目つきで立ち尽くしていたのだ。だからしてアルトを見つめたデミの目は、やおら軽蔑にくぼみんでゆく。
『ん、だと?』
 様子にアルトが気づくとすれば、自分の言葉が足りなかったという事実だ。
『いや、違う、違う。そうじゃ、ねーっつうのッ』
 火がついたように連呼する。
 だがしかし、こうした思い込みほど拭い去り難いものはなく、
『アルトがそんな奴だったなんて、ぼく、知らなかったよ。サイテー』
 一本調子にデミは鼻溜を振ってみせていた。
『おねえちゃんが聞いたら、ひっくりかえっちゃうね』
 皿のように開いていた目も、もう白々としたものである。
『バカ、余計なこと言うんじゃねー。って、そんなワケないだろ。お前、今、すごい勘違いしてるぞッ』
 ワケのわからぬ汗にまみれてアルトは、まくし立てていた。
『ガキってのはな、実はッ』
 AIなのだと言いかけたその時だ。
 運命はこの店のドアを選ぶ。
 開いた音に、ふたりははそこでピタリ、動きに会話を止めていた。止めてデミが、覆いかぶさるようにカウンターへ身を乗り出していたアルトの脇からひょこり、顔をのぞかせる。続けさまアルトもなぜかしら、身に覚えのない妄想の妻が現れたような恐怖に駆られ、振り返った。
 客だ。
 まるで『アーツェ』の空のようなエンジ色のドアを押し開けてそこに、それがすでに地に伸びた影かとひとり、スラリとした手足を見せつけ『レンデム』種族の女は立っていた。ねじれた髪が爆発している。薄い皮膚に切れ目を入れような鋭い目も特徴的だ。振って素早く店内を見回している。
『取引が長引くようなら、出直すわ』
 ハスキーだがよく通る声を放ってみせた。
 さて、神様が彼女にこの店を選ばせたとしたなら、それは不公平というよりも恐らく悪質なイジメだ。しかしアルトとデミがそれを知るのは、まだだいぶ先のこととなる。


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