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ACTion 06 『夜のあいせき』



 互いが豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
 あの妙に冷ややかだった彼女の雰囲気さえ、その時ばかりは、切り取られると浮き上がって傾く。
 無煙タバコがなければ、アルトも舌打ちしていたろう。ともかく体を引き抜いていた。言葉もないままきびすを返す。この心境を一言で語るなら、本日の締めくくりにはふさわし過ぎる「よりによって」、が相当だ。
 さらなる悪態が宙に放たれるのを迎撃しつつ、通路を後戻った。L字に曲がったその向うは、別世界のように騒々しさに包まれている。中へアルトは、首を突き出した。
「何が空いてる、だよ・・・」
 言い切らぬうちにその鼻先へ、恐ろしいほどの手早さで調理された日替わり定食のプレートは突き出される。
「気が利くね、さすが! 忙しいからって、取りに来てくれたんでしょ?」
 すかさずそこへ、オーナーの笑みは重ねられていた。
 どうやら本日のメニューは、鳥のスパイシーキラー揚と、ルナ製落花生サラダに、一粒一粒の輝きが違うところから推し量るに、混合ライスらしい。いわずともガス入りのクォークトップまでもが、グラスサイズで付けられていた。
 このクォークトップ、加工惑星をここまでに仕上げた先駆者たちが過酷な労働をねぎらうべく、苦心惨憺、満足な資源のない惑星で作り上げた地酒だ。その製法が環境を問うことはなく、今では宇宙一親しまれる酒ともなっていた。もちろんそこに高級感を求めるのは、無理難題というものだろう。だが不思議なことにオーナーがシェイカーを振って作るクォークトップに限っては、その範疇になかった。特に何か特殊な手法が加えられている、というわけでもないのに雑味のない喉越しはすっきりと、それでいて残る深みある味わいが、一度、口にした者を虜にするのだ。
例外なくアルトもまた、この店を訪れれば必ず注文する、それは1杯ともなっていた。
 だからして握らされてしまえば、否が応でも体は心から分離してゆく。まるでしつけのなっていない腹のムシが歓喜の声ともろ手を上げ、押さえ込んでアルトはしばしトレーと睨みあった。
「相席の客をだな……」
 得た、僅差の勝利に顔を上げる。だが会話というコミュニケーションにおける最悪のタイミングがあるとするなら、それは今らしい。額に汗を浮かべたオーナーはすでに、別の客の注文に耳を傾けていた。
 いまだカウンターのどこにも、空席はない。食い散らかされた皿が花を咲かせると、ところ狭しと並んで過ごした時の深さを競い合っていた。
 認めても、腹のムシはどこまでも貪欲だ。
 つまり選択の余地はなくなる。
 アルトは諦めた。
 茶運びロボットよろしく、そこで百八十度度、向きを変える。背後から覆いかぶさる喧騒に「敗北」の二文字を深く胸へ刻み込みながら、抜け出してきたばかりの個室に戻った。憮然と遮幕を払いのける。
『ここはテイクアウト、してねぇんだよ』
 だとして二度目ともなれば、レンデムの女に驚きはなかった。
『店では、悪かったわね』
 果たしてそれは何なのか、皿に乗った緑色の平たい固形物を二本の棒切れでつまみあげて、お愛想も枯れ果てた口調で返してくる。同様に注文していたクォークトップのグラスを、つまらなさそうに傾けてみせた。
 よもや隣を陣取るわけにもゆかない。アルトは向かいへトレーを置く。負けず劣らずのトーンを放った。
『今さら』
 『ヒト』なら四人ほどが座れそうな空間の天井は丸い。それ自体、鎌倉に似た造りをしており、天井にはめ込まれたライトだけが、そうして塞がれた空間へ溶けるような光を投げかけていた。しかしながらその演出に居心地の良さを感じ取れるかどうかは、この状況では判別不能だ。
 閉口しながらアルトは引き寄せた灰皿へ、くわえていた無煙タバコを避難させる。
『あんたのせいで、傷つきやすいお年頃をなだめるのに、苦労させられたぜ』
 深いため息を食事の挨拶に代えて、まだ湯気を上げている鳥へフォークを突き刺した。
 遠慮無用で頬張る。とたんこのいただけない空気に反して、口中にたまらぬ旨味の肉汁は広がっていった。追いかけ程よく効いたスパイスが、鼻へ抜け出してゆく。思わず顔がほころぶのは、自然の摂理というものだろう。なら堰を切ったがごとくだ。アルトは立て続け、口の中へライスを押し込んだ。
『じゃあ、あのぼうやにも、わたしがそう言っていたって伝えておいてくれればいいわ』
 そんなアルトを前にして、レンデムの女はデミが聞けば、また地団駄を踏んで悔しがるだろうセリフを吐く。
『何で、俺が』
 短く答えてアルトはひたすら、鳥とライスの間でがむしゃらな往復を繰り返した。やがて胃の腑で待ち受けるムシたちの泣いて喜ぶ様を確認したなら、初めてその手をグラスへ伸ばす。
『あの時は時間がないとか言ってたクセに、まだこんな所をフラついてるとはな。間違ってもあの店には、もう二度と顔を出さないでくれ』
 一口、あおり、その美味さに舌鼓を打ったところで、無煙タバコへも口をつける。
 呆れたように眺めて女が、何か言いたげに眉をひそめていた。どうにか堪えて話のスジを貫き返す。
『事情が、変わっただけよ』
 聞きながら、アルトはもうひと息、吸い込んでいた。その先端で赤を通り越した青白い火花は飛び散り 無煙タバコは一気に短く燃え尽きてゆく。
『あえて、聞きやしないよ』
 改めてつまみとばかり、フォークへルナ落花生サラダを絡めた。
 地球の六分の一の重力で栽培されたルナ落花生は、その実の付き方が独特で地上の物に比べてひょろ長く柔らかいのが特徴だ。しかしながら栄養価は高く、味に至っては本来の落花生となんら代わりがないところから、地球では重宝される食品となっていた。これはそんなルナ落花生と、シャキシャキのチンゲンサイを特性のオーロラソースであえたものらしい。
 噛みつぶす。
 と不意に手元を止めた女が、強張った顔をアルトへ持ち上げ口を開いた。
『本当に何か知らないかしら?』
 積乱雲チェイサーのことだ。
『しつけ-な』
 アルトは指先の無煙タバコを灰皿へ戻す。さらうように再びグラスを掴みあげ、口をつけた。
『親切心で言ってやるとだな』
 そのグラスごと女へ指を突きつける。
『そんな闇雲な手がかりじゃ、この広い宇宙であんたの探し物を見つけることなんて、到底無理だ』
 語尾へこめた力のままにグラスをテーブルへ押し付け戻せば、中で踊る液体が騒然とガスを弾けさせた。同時にレンデムの女の顔にも、店で見た時のような敵意の色はありありと浮かび上がる。
『そんなこと、ないわ』
 細い両目が刃のように光ってアルトを睨んでいた。
 一瞥して、アルトは皿に盛られた料理との格闘に戻る。
『その根性は認めるが、現実はそれっぽっちの情念で曲がるほど、熱くないね』
 残り少ない鳥肉を味わいつつ、とっちらかったライスを集めて口の中へ放り込んだ。
 冷ややかに眺めていたレンデムの女が答えるまでしばらく。やおら腹立ちを紛らわせるように残り半分ほどのクォークトップをあおると、吐き出した息と共に言い放つ。
『それは、あなたの世界の話でしょ?』
『だったらあんたは、特別か?』
 逃げるルナ落花生サラダを追いかけつつ、アルトは切り返していた。
『そいつはたいそうなご身分て、ワケだ』
 こぼれそうになるのを舌先で受け止め、グラスを取る。打って返すような悪態を予測して、傾けたグラスの縁から女の様子をうかがった。だが矢継ぎばやだった会話は、そこで切れる。
 女はそこで、飲み干したクォークトップのグラスをぼんやり眺めていた。厚いまぶたに覆われた瞳は、まるで別の誰かのように敵意を潜めると、その表情を一変させている。ただグラスに反射した頭上の光だけが、そんな女のウロコ模様をさらに玉虫色に光り輝かせ、頬に涙のような帯を作っていた。
『……わたしひとりなら、そうだったかもしれない』
 こぼす。
 それきり、そっとテーブルへ戻したグラスを押しやった。あいたスペースへ彼女はまだ料理の残る皿を引き寄せなおす。縁に乗せていた2本の棒切れを再び手に、緑色の固形物をつまみ上げようと伸ばした。が、触れることなくその棒切れは女の手元から放り出される。まるきり食欲を失ったかのように、女は口元を覆って浅く頬杖をついていた。
『彼が……、彼がわたしの世界を変えてしまったのよ』
 壁へ向かって吐き捨てたのは、それが本音だったからだろう。そして言葉には、どこかで覚えがあった。 その記憶はまだアルトの中で新しく、やがてそうだ、と思い出す。
 デミの店だ。
『彼、って……』
 遮り、燃え尽きようとしていた無煙タバコが、灰皿の縁から落ちていた。 慌てて横目につまみ上げたなら、くわえついでにこれが最後と、アルトは吸い込む。
 フィルターに近くなった炎がブスブスと鈍い音を立て、ひときわ黒い灰に変わっていた。
 とらえて、女のスリットのようなまぶたの奥で瞳は動く。
 伏せ、一度、アルトから視線を切った。
 頬杖を解くと振り向きざま、静かにこう答えて返す。
『わたしが、生涯を共にすると誓ったひと』
 ハスキーな声のせいなのか、それはあまりにも鎮痛で、それゆえ深い思いの滲む言葉だった。
『わたしにとって、かけがえのない存在よ』
 デミの店先で感じた冷気はつまり、そうして思いつめたがゆえの副産物だったのだと、今さらながらアルトは気づく。


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