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ACTion 07 『彼女と彼と鉱石と』



 だがしかし、たいした話ではないといわんばかり、レンデムの女は再び皿と向かい合う。思い出したように2本の棒切れを指の間に挟み込み、そうすることで横たわった重い時間をこの空間から切り落とすべく、緑色した固形物へ視線を落とした。
 その強引な一部始終はひたすらに空々しく、これまで放ち続けてきた彼女の暴言が単なる強気であることを痛々しいほどに露呈してゆく。
 させたいようにさせておいて、しばしアルトは黙り込んだ。
 過ぎたか、指先が焼け焦げかける。
 灰皿へと無煙タバコを押し付けた。
 鬱積した思いと共に潰して火を消す。
 何しろそれは初対面に等しい相手なのだ。
 だが塞ぐものを失った口は、実に不躾な言葉を吐き出したがっているらしい。
 ためらって、アルトは顔をしかめた。
 しかしながら取り繕えば取り繕うほど深く影を刺す彼女の影は、そんなアルトへこれが先だってのイヤミに近い忠告とはワケが違うことを知らしめる。だからこそ情念などで曲がらないこれこそが現実だと、冷たすぎる理性はそこに顔を覗かせた。
 おぼつかない手元が幾度かのトライを経てつまみ上げた緑の固形物は、そんな彼女の口元へ今まさに導かれてゆこうとしている。入ってしまえば彼女の望む通り、つかのま横たわった重い時間は切り取られ、全ては彼女のペースに取り込まれてしまうに違いなかった。
 だこらこそ、押してアルトは口を開く。彼女の紡ぐシナリオを、まるで無関係な他人だからこそ遮って言った。
『悪いが・・・』
 とたん予測していたように、彼女の動きは神経質なほどピタリ、止まる。何を意見されるというのか、怯えたような瞳でアルトを見据えた。
 このさい言い訳にいそしむなら、罪深きは現実の方なのだ。ぬらりと光るウロコの顔へ、アルトはきっぱり言い切ってやる。
『そいつにだまされてるね、あんたは』
 積乱雲チェイサーにまつわる話は、デミの店で説いた講釈通りだ。
『誓い? チェイサーに成り下がるような輩が堅実な未来? 考えられないな』
 デミに泣きつかれ、相当の耐性も昼間につけた心積もりでいた。
『そいつがどんな色男だったのかはしらねぇが、一山当てて一生遊んで暮らそうって企む輩だ。そんな約束を本気で口にするとは到底思えないね』
 吐き出せば、険悪の意を刻んで狭められてゆく彼女の眉間が、案の定の結末を引き出そうとする。
『過ぎた夢は夢のままが一番だってのは、賢人の言葉さ。悪いことは言わない。忘れてさっさとうちへ帰りな。これ以上やっても、あんたのためになるとは思えないな』
 それ以上言葉はつながらず、居心地の悪さを誤魔化すようにアルトは懐から無煙タバコのパックを引き抜いた。新たな1本をつまみ出し、あえて大きな音を立て火を点ける。
 しかしその音にかぶさり聞こえてきたのは、鼻であしらうような彼女の声だった。
『まさか』
 無煙タバコの先端にあてがったパックもそのまま、上目遣いでアルトは彼女をとらえる。
『彼はチェイサーなんかじゃない』
 ハスキーな声の凄みは、まるでこういう時のためにあるかのようだ。
『彼は・・・!』
 言って勢いをつけるように、その手がグラスを掴み上げた。傾てようやく中が空であることに気づくと、彼女の言葉はやおらそこで途切れる。燃料が切れていては話にならないと、苛立たしげに調子を切り替えた。
『新しいのをもらってくるわ。あなたも必要?』
 落ち着きを取り戻そうと、立ち上がる。
 見ればガスも抜けつつあるアルトのクォークトップは、底から指1本ほどだ。断る理由も思いつかなければ、返事はあまりにも曖昧となっていた。聞いてか聞かずか、空になった自分のグラスを片手に身を翻した彼女は、風のように遮幕を潜り抜けてゆく。
 やおら素っ頓狂なほど、広さを増す空間。不意に緊張感をそがれた時は、乾いた音を立てると不器用に流れて平静を装った。持て余し、アルトは目に付いた最後のルナ落花生サラダを綺麗にさらえる。
 話は長引きそうだと、深く無煙タバコを吸いこんだ。
 長々吐き出していれば、早くも舞い戻ってきた彼女は、その手には新しいグラスを2つ、握っている。ひとつをアルトへ差し出し、再び向かいへ腰をおろした。言葉も無いまま、先ほどの続きをやり直すように勢いよくグラスをあおってみせる。
『彼は、うちの社員だった』
 睨みつけ、唐突にアルトへ放った。決してアルコール度数の低くない2杯目のクォークトップに、そんな彼女の目元、寒色さざめくウロコ模様は、今や淡いピンクだ。
『ほお』
 軽く驚いてみせると、アルトも追随するかのようにグラスへ口をつけた。オーナーもよほど忙しいのだろう。先の1杯に比べて、それは少しばかり薄い。
『それも有能な、ね』
『なんだ、あんたは会社経営者様ってワケか』
 それきりグラスを遠ざけ、アルトは無煙タバコのフィルターをかむ。
『違う。社長は父よ。期待して、彼をよくうちへ遊びに来させていた。それがわたしたちの仲を深めた理由でもあるけれど』
『とはいえ、まじめな奴が突然キレるってことは、昔からよくある話だぜ』
 言えば、ぴしゃり、一撃。
『彼をそんな風にいわないで』
 アルコールのせいで幾分まどろんでいようとも、変わらず鋭い瞳は健在だ。
『こりゃ、失礼』
 刺されてアルトは肩をすくめた。
 彼女はそんなアルトから視線を剥がすと、自らの手元へ目を伏せる。そうして呟いたのは、実に懐かしい単語だった。
『なにもかも、ツーファイブメディカルの違法実験のせいだわ』
 よもやここでその社名を聞かされるなど、思いにもよらなかった。アルトは一瞬ながら息をのむと、同時に握られてゆく彼女の拳へ力が込められてゆく様を見て取る。
『あの事件以来、全てが変わってしまった』
 そうだ。
 当時、新進気鋭の創薬会社として幅を利かせていた『ツーファイブメディカル』の起こした違法実験の一件は、連邦内のラボ『F7』に追い掛け回された一部始終のきっかけを作った社名でもある。
 恐らくそれが一目置かれる理由でもあったのだろう。秘密裏に行っていた禁止生物実験に失敗した『ツーファイブメディカル』は、その処理に困り果てた挙句、ウィルスの蔓延したラボをマニア垂涎の骨董AIサーバーだと情報改ざん、ギルドを煽り、利用して現物を処理しようと企んだ企業でもあった。
 無論、意気込みお宝回収に乗り込んだアルトら4名は滅菌ゲル送りとなり、そこでID代わりに解析されたDNAが公安のリストと合致。長らくアルトの所在を捜し求めていた、ラボ『F7』に発見されることとなったのである。おかげで命からがら抜け出し、封印したそこでの時間を再び吐き出さなければならぬ事態に陥り、ネオンやデミ、サスたちをも巻き込んで、己の原初を奪われかねない目にまで会わされたことは、まだ記憶に生々しい。
 そのうえ彼女は大事なものを失ってしまったのだとしたら、『ツーファイブメディカル』とは全くもって罪な会社といえよう。
 そんな会社を引き合いに出した彼女へ、思わずアルトは聞いても分かりはしないだろうと思い込んでいた問いを口にしていた。
『あんたんちの、会社ってのは?』
 握った拳で、怒りを潰した彼女は顔を上げる。その声はさらに低くかすれていた。
『当時、業界では名前も知られていなかった、ハーモニック創薬よ』
 聞いたアルトの口から口笛は飛び出す。
『今じゃ、業界ナンバーワンじゃねーか』
 だが彼女に、おごるような気配は微塵もなかった。その表情は、だからこそ沈みこんでゆく。
『ええ、仮死強制に使用されるミストの成分の一部を作っていたのは、うちとツーファイブメディカルだけだった。だからツーファイブメディカルがあの件で業務停止、廃業になって以来、うちが100パーセント供給するようになって、本当に飛躍的な発展を遂げたわ。彼は、そんな製造ラインの大幅増設に主力メンバーとして加わって、今に落ち着くまで会社に多大な貢献をしたひとよ』
 どうやらその有能さは、ホンモノらしい。
 そんな華々しい思い出へ浸るように、そこで一息ついた彼女は、ゆっくりグラスへ唇を近づけていった。しかし喉を落ちるアルコールの刺激に、現実は舞い戻ったらしい。ピンク色のウロコを貼り付けた頬は不釣合いなほど強張り、こう吐き出す。
『だけど、いいことばかりじゃない・・・』
 それは言われなくとも、世渡りを知っていれば察しのつく話だった。
 アルトは余計な口を挟みそうになって、慌てて無煙タバコをきつく吸う。
『そんなうちに対する世間の目も、扱いも、何もかもが短い間のうちに、一斉に変わっていった。手のひらを返したようにね。中小企業のワンマン経営者だった父は、おかげで心を病んだように猜疑心の強いひとへと変わっていったわ』
 これは彼女に言わせて正解だったろう。
 ようやく自分の番が回ってきたと、アルトは無煙タバコを口から離す。
『金の集まるところに、ひとも集まるもんさ。確かに、チェイサーよりも安全に一攫千金狙えるからな』
 無煙タバコの味を消し去るようにクォークトップを舐めた。薄いはずの酒が、やけに苦く感じられたのは気のせいか。
 見つめ、呆れたようではあったが、彼女はようやく力ない笑みを浮かべてみせた。
『その最中よ。彼がわたしにプロポーズしてくれたのは』
 答えるように、アルトは無言でおめでとうと頷き返す。
『彼だって社長の娘と結婚するのだから、それなりの生活の見通しが立ってからと思っていたのね。確かに頃合だった。万が一にも、今後うちが倒れることは考えられなかったし、それ以上の発展と安定も約束された時期だった。今なら、と思ったんだわ』
 しかし彼女の笑みは長続きしない。小さく肩をすくめ、それが忘れ去りたい過去であるかのように首を振った。
『だのに父は、彼が野心づいたと・・・』
 その先は、握るグラスの中へ沈んで消える。彼女はそのまま、抱え込むようにもう片方の手を額へあてがった。
『娘と結婚して、ゆくゆくは会社をのっとろうだなんて、どうしてそんな風にしか考えられなかったのかしら・・・』
 跳ね除け、持ち上げたグラスの中身を一気にあおる。叩きつけるようにおろされたグラスの底が、テーブルの上で固い音を立てた。
『彼は自分のポジションに満足していたし、そんなことをしなくとも、それなりに将来は開けていた! おかしいのは父よ!』
 アルコール臭残る息で、早口にまくし立てる。
『だから妙な条件をつけて、彼を遠ざけようなんてバカなマネばかり!』
 落ち着かせるべく、アルトはそんな彼女を覗き込んだ。
『それが積乱雲チェイサーってことなのか?』
『最初は仕事だった。無能な奴に娘は渡せないと言って。でもクリアする彼にどんどん要求はエスカレートして、積乱雲鉱石を用意しろと言い出した。それがわたしたちの婚約指輪に。それとも新薬のための礎にと。指輪なら、なんだってかまわない! 会社のためだとしても、そこまで早急に何の開発をする方向性すら定まっていなかった!』
 吹き荒れる不満も通り過ぎれば、ため息だけが名残のように彼女の唇を割ってもれる。
 聞きながら、アルトは前のめりだった体を背もたれへと引き戻していった。面倒臭げに無煙タバコのフィルターを噛む。
『どうもあんたの彼ってのは、クソ真面目な奴そうだからな。それこそ頭の使いどころだってぇのに』
 侮辱されたところで、今の彼女にはただのたわ言としか聞こえなかったらしい。
『もちろん単独でゆけるわけがない。だから彼は見つけた積乱雲チェイサーと手を組むことにしたの。航行費用は自分が持つ。回収に成功したときは、謝礼も弾むってことを条件に』
 その先を綴ることはなかった。
 それこそ、いわずもがなの展開だ。
 体言して、彼女もすでに唇を噛んでいる。
 アルトは無煙タバコを手に取ると、控え目にグラスの中の液体へ舌を浸した。だいぶんの間を置いて、仕方なくその言葉を口に出す。
『そいつは、ご愁傷様だ』
『後で積乱雲鉱石の価値を知って分かったわ。だからすぐに気づいた。彼はそのチェイサーに利用されたんだって』
『まこと、奴らにしちゃ、素敵なパトロンだったろうよ』
 彼女は目を合わさない。
『しばらくのうちは連絡があった。けれどそれも途絶えて・・・』
 いつしか2本目の無煙タバコも、アルトの指先で燃え尽きようとしていた。
『いてもたってもいられなくなった』
 彼女の言葉を引き継ぎ綴って、今度は指を焦がす前に灰皿へ無煙タバコを押し付ける。
 うなずきはしなかったが、そんなアルトの手元を眺めて空いた会話の空白が、肯定の証拠だった。
 次の瞬間、彼女はハスキーボイスに磨きをかけて、毅然さを取り戻す。
『石が見つかれば彼は用なしのハズよ。チェイサーがわたしにプレゼントするようなマネはしない。換金するに決まっているわ』
『だから、今日のようなマネを?』
 矢継ぎ早、切り返すアルト。
『大企業のご令嬢様がするようなマネじゃないね』
 眉をひそめれば、彼女も睨んで返した。
『そのチェイサーを探し出せば、きっと彼の行方も分かる』
『ご名答だ』
『だからって積乱雲鉱石だけが手掛かりってワケじゃないわ。ほかに、ふたり連れのチェィサーがいたって話をいくつか聞いている。でも船の名前がバラバラで、どれが彼の船なのかまるで見当がつかない』
『ふたり連れ? 珍しいな』
 意外な展開にまんざらでもない気配を感じ取る。
『だから、ガセかも。確かなことは・・・』
 確かに、ふたり連れの積乱雲チェイサーがいるなどとは、アルトもついぞ聞いたことがなかった。もちろん、それが後々トラブルにつながる元だからにほかならない。
『言ってみろよ』
 ものはためしと、アルトは促す。
 よほど何度も口にしたのだろう。彼女は酔いが回っているにもかかわらず、詰まることなく複雑な船名を次々と並べ始めた。
 と、聞けば聞くほどに珍妙にひん曲がっていったのはアルトの顔だ。
 なぜなら覚えがあったのだ。
 そう、その船名の全てに。


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