「……に変化なし」
居住モジュール手前の階段を駆け下りながら危うい手つきで片耳へ通信機をかければ、すでに始められていたイルサリの報告は、その冒頭部が切れていた。
作業着の背裏へスタンエアを貼り付け、アルトは通信機本体からワイヤーの先に取り付けられたマイク部を引き出す。
「前回と状況に変化はないんだなッ？」
何ら罪もないイルサリへ噛み付いた。
「ありません」
気にするハズもないイルサリは、それが役目と答えてくれる。
幸か不幸か、よほど頑丈な船だったらしい。勝手に結合されて、こちらまで気密漏れのおこぼれを食らう心配だけはないらしい。分かれば余計、細かく足元を刻む階段がじれったくなり、途中、数段を残して手すりを飛び越え、アルトは一気にハッチ前の踊り場へ身を躍らせる。階段裏へ回りこめば、まるで勝手知ったるヒトの船といわんばかり、ワソランの開け放った船外活動用ハッチを目の当りとしていた。すかさず胸の高さまでしかないそこへ体を折り曲げ、潜り込む。後ろ手に閉じればハッチは壁面へ沈み込み、すぐにも船内の気密を保持した。
しばし窮屈な姿勢を強要されつつ前進したなら、バスブースほどの空間はアルトの前に広がる。ライトＥＭＵの装着スペースだ。傍らに収納ボックス備え付けられると、そこにライトＥＭＵを納めていた。
いや、たとえワソランが着用しようとしたところで、その寸法は手足の長さだけでなく指の長さに至るまでアルトに合わせてしつらえてある。使えたものではない。
やり過ごし、連なるスペースへ向かうべく壁面のタッチパネルを拳で叩いた。これだけのドアを開くにしては大げさなほどの機械音は鳴り響き、やがて開いたそこに球形の減圧室は現れる。突き当たり正面に、ハスに構えて立つワソランの姿はあった。クルーザー船へ気密カーテンをつなげたところらしい。カーテン内の気圧ゲージをを、あの鋭い眼差しで睨みつけていた。
『何、勝手なことをしてやがるッ』
その横顔へ開口一番、アルトは怒鳴りつける。
なら鋭さもそのままに、ワソランの視線はアルトへ跳ね上がっていた。そこに悪びれた様子はない。それどころか邪魔する限りは跳ね除けて有り余る敵意さえもを、滲ませる。
『向うの状況も確かめずに乗り込むたぁ、バカかッ。事故にでも遭ってみろ、こんなところじゃ、それこそ誰も助けには来やしないぞッ。今度もまた、運よく助かるなんて思うなッ』
あおられたわけでもなく、アルトは吐きつけていた。そうして初めて、一言多かったことに気づく。だが飛び出した言葉はもう、引き戻せはしなかった。だとしてワソランが気にとめる様子はない。負うこととなった記憶にすら触れたくないのか、今、目の前にある展開にだけ噛み付き返す。
『ゲージの圧力変化で、予想はつくわ』
『素人が知ったようなこと言うんじゃねぇ』
『しろうと？ これでも、両手に余る数、放置船を調べてきたわ』
切り捨てたアルトへ、ワソランは眉をひそめた。だがそうして油断した頃合が、一番危ないのだ。
『それが素人、つうんだよッ』
意思と意識の縮小による孤独死、イルサリ症候群に続いてジャンク屋が最も命を落としやすい事故がそうしたおごりであることは、その筋の者にしか分らない。
と、チラリ動いてワソランの瞳が、傍らのゲージウインドを盗み見た。気密カーテン内の加圧が終了したらしい。ウインド内の目盛りから、繰り返されていた揺れは収まりつつある。
『開くわ』
ハスキーな声が地を這い告げた。
『丸裸でか？ そりゃ、ボンベも担がず海底へ潜るようなもんだろうが』
無論、地声ならアルトの方がよほど低い。
『わたしは、この船の船長を誰だか思いだしたつもりよ』
確認は、そのための許可申請ということらしかった。
『俺が行ってくる』
答えずアルトは、ただ遮った。
『何を探すの？ あなたは、彼を知らない！』
だが、その短い言葉さえ待たずワソランは言葉をかぶせてくる。
『ＥＭＵの映像を送りゃいいだろ。俺に指示しろ』
『じれったい』
吐き捨てられて、アルトは舌打った。
『あのな、その性格なんとかしねぇと、本人と会う前にお前がどうにかなるぞ』
痛いところを突いたのか、とたん千切れそうにワソランは唇を噛んでみせる。
『ついて来てとは、言ってない』
削げた頬で搾り出した。ならば今度は、アルトがその言葉尻へ声をかぶせる番となる。
『ならあんたは俺に、何かあったらさっさと切り離して手前勝手に逃げ出せと言うつもりか？』
それこそ、これ以上必要ない、一生モノの悪い思い出だ。瞬間、放たれたのは、あの憎たらしい切り返しだった。
『ギャラを取りっぱぐれるってワケね』
当然そういう話をしているつもりなど、これぽっちもない。
『ああ、時価の危険手当がおじゃんだぜ』
腹立たしさが、皮肉に皮肉を浴びせていた。
『九百セコンドだ』
すかさず本意でないことを示し、早口と付け足してやる。浴びせられてワソランが、何の事かと細い目を瞬かせていた。だからこそアルトは押し切る。
『それ以上は、何があっても認めないからな』
少なくとも向かう船内はイルサリが太鼓判を押した環境だった。ライトＥＭＵを着用していようとも、突発的な事故に対してはいずれも紙一重の対応しか残されていない以上、長居されるよりはよほどマシだと、勘にも等しい計算の末に弾き出した条件を突きつける。
『九百……』
ワソランが思案したように繰り返していた。
『タダ働きはしたくねぇんだよ。それ以内でも何か起これば、俺はあんたを引き剥がしてこっちへ連れ帰る』
丸呑みすることに分の悪さを感じたのか、渋ってしばしワソランは押し黙り、やがてゆっくりうなずき返してみせる。見て取りアルトは口先を、通信機のマイクへと歪めていた。
「聞いたな、イルサリ。船外ハッチ解放後、カウント開始だ」
「了解しました」
全く従順な息子は全てを引き受け、真っ直ぐに答えてくれる。
「もちろん、おまえ自身も含めて、周囲の監視を出来る限り頼むぞ」
「了解。ですが父上、現在三つの衛星から本船へ時間差アクセス実行中です。私自身の安定は確保されているものと思われます」
相変わらずの父上呼ばわりに納得できない部分もあるが、ぬかりない差配に思わずアルトは頬を緩めていた。
「信用してるぜ」
軽く引いたマイクを本体へ巻き上げる。いまだ残る昨日の酒を振り払うように頭を揺すって肩をほぐし、ワソランが寄り添う船外ハッチへ歩み寄った。再度、自分の目でゲージを確認する。ライトＥＭＵを着用せず、航行中にこのボタンへ手を掛けるのはこれが初めてのことだろう。グローブ越しのサイズに合わせて作られた大振りのボタンをアルトは、手ごたえのあるところまでめいっぱいに押し込んだ。
と、足元から地鳴りのように駆動音は鳴り響く。同時に、球状空間の一部を切り取り、船外ハッチは足元へとゆるゆる吸い込まれていった。その向うに伸びる気密カーテンが、白く光を反射させて二人の前から伸びゆくのを見る。ハッチが完全に吸い込まれてしまえば、向かうべく連結先の船側はそうして続く渡り廊下の果てに、青く立ち塞がっていた。
カーテンといえども、そのの素材は多層構造のカーボンだ。迷うことなくワソランが、靴音を響かせそこへ降り立った。この壁一枚を隔てた向うが宇宙空間などと考えればゾッとすることしかりだが、だからこそ深く考えるその前にアルトも足を下ろす。
船と船の間はわずか二メートル余り。
数歩も進めば二人の体は、アルトの船の擬似重力圏を抜け出すと、無重力と言うよりも浮力を得たような格好で浮かび上がった。その急激な感覚の変化を持て余しつつ、先をゆくワソランがクルーザー船の側面へ手のひらを押し付ける。
非常事態に備えたハッチの外部には、緊急搬出用に外からでも開閉可能な仕組みが取りつけられている。この船も例外ではない。最初、アルトが乗りこんだ時も、それを利用していた。
知っているらしいワソランもまた、一直線、浮き上がる体を制しながらその手順を追って、ハッチを解放し始める。窪みに据えられたハンドル状のそれを三回まわし、不安定な体制ながら腰を入れて力任せに押し込んだ。とたん短い音でハッチは鋭く内側から空気を放出し、取っ掛かりなく閉じられていた船側からパクリ、ひと所を浮き上がらせる。
それきり空気の流れに変化は起きなかった。
本格的に開くその前、ワソランがアルトへ振り返る。
答えず身を乗り出したアルトは、ワソランに代わり浮き上がったハッチへ手を掛けた。腕力だけで一気にスライドさせる。
ＥＭＵ越しなら一生気づく事などなかっただろう、とたんこの船の持ち主のすえた生活臭が、煙たさすら伴って鼻先にまとわりついていた。まだ予備電力は残っていたらしい。呼応する非常灯が踊り場を毒々しいほどの赤に照らし出す。果てに二人を出迎えたのは、どれほど低くとも動力の駆動音が絶えず聞こえていたアルトの船では決して感じることのなかった、寝静まっていた者さえ死に絶えたような静寂だった。外部一面を埋め尽くす絶対零度の気配もろとも、その静寂は不気味なまでに身体を覆うと、そこかしこを遠慮無用で撫で回してゆく。
たちどころにアルトを寒気が襲っていた。それはジャンク屋としての勘と言うよりも、もっと原始的で生理的なものとして警告だ。
にもかかわらず、もろともせずワソランは時間を惜み周囲を見回し始める。
その目が、反射した光にヌラリと尾を引き、揺らめいていたハズのウロコ模様が、ブラックライトを浴びたかのように張り付いたままでその横顔を覆った。
『コクピットはどっち？』
『こっちだ』
返したきびすでアルトは手招く。
基本的な構造に、この船もまたアルトのものと差はない。ただ居住空間が広いせいか、踊り場から数段だけ取り付けられた階段を上がったその先は、上層までをスロープがつないでいた。上層に出ればまたそこで非常灯は灯る。手招くように二人の行く手を照らし出した。
そうして連なる赤の底を目指してアルトは、浮き上がる体で通路を左へ折れる。
途中、例の抗Ｇロッカーを片側にやり過ごした。
突き当たりに、コクピットの扉は現れる。
これまた船の経歴を調べるためにこもったその後、きっちり閉めることなく上層カーゴへ向かったせだ。半開きのままで出迎えてくれていた。
『システム、稼動するかしら？』
アルトの背後で、ワソランが不意に呟く。
『非常灯が点くうちは、内部リンクくらいなら全てのぞけるさ』
言ってアルトは、視線を落とす。羽織った作業着の襟元が、そこで変色しているのを見て取った。
この激しい色合いの非常灯のせいで判別し辛かったが、それはわずかながら酸素濃度が低下していることを示している。退色仕切るまでなら酸欠による思考の維持に問題はない。無論、船の体積から察するに逼迫したものもはないと理解はしていたが、悪寒に追い討ちがかけられたことだけは間違いなかった。
そうしてたどり着く扉前。
半開きのそこへ体をねじ込んだ。
強引に残りを開く。
さらに際立つ生活臭は、目に沁みるほどだった。
コクピットへ再びアルトは、その足を踏み入れる。
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