長身ゆえの歩幅の広さに拍車がかかれば、その背を見て取ることは出来なかった。ただ足音という気配だけを耳にしながら、自船でアルトは気密カーテンが収納されてゆく様子を見守る。
戻った擬似重力圏に、引き出したままのマイクはもう垂れ下がっていた。巻き上げ、毟るように通信機を耳からはずす。
ワソランが通ったきり開け放たれたままとなっている減圧室のハッチを閉め、ＥＭＵの装着室を塞ぎ、またもや開放れていた搭乗ハッチへ続く踊り場の気密を保持した。そうして駆け足と階段を上がってゆけば、振り返った通路奥で、居住モジュールのドアが閉じて行くのを辛うじて目にする。
体が思わずそちらへ傾きかけていた。
力づくで押し返し、コクピットへどうにか切り返す。
何しろ、何ははさておきなすべきは、不安定な雲の中からの脱出に違いない。
「七十四セコンドのタイムオーバーです」
先方の船と違い、色鮮やかに計器類へ光を灯したコクピットへ上がれば早々、イルサリに突かれていた。しかしながらただそれだけで生きた心地を得るなどと、あまりにも殺伐とした状況が続きすぎたせいとしか言いようがない。
「着艦したのは船の持ち主だった。奴も丸裸でね。ゴツい船で助かったぜ」
告げる。
「必要な情報の入手には成功いたしましたか？」
返すイルサリは単刀直入だ。
体ちょうどに設えられた座席へ背中を沿わせ、アルトは四点ベルトを締め上げながら言ってやることにする。
「必要なものは手に入れたが、欲しいものは星の彼方さ」
その意味が、すぐには理解できなかったらしい。イルサリが、会話の調子を崩していた。返事は途切れ、だからこそ新たな質問を浴びぬよう、アルトもまた目下の課題へその演算領域を振り分けさせる。
「出るぞ。ナビ、頼むぜ」
「了解しました、父上」
それこそ我に返ったような間合いでイルサリは反応し、アルトは絞っていたスラスタの出力を上げると接続していたチェイサーのクルーザーから自船の引き離しにかかった。
数セコンド後、変わらぬイルサリの淡白なナビゲーションにに合わせて、両手足を操り雲の中を飛ぶ。唐突に放り込まれた時とは違い、帰りは揺れも最小限だ。カーゴに居住モジュールは相変わらず軋み続けていたが、気にするほどにはならなかった。唯一、不安があるとするなら、張替えの機会を逃した塗膜くらいのものだろう。プラズマ放電を食らう度に、跳ね上がる計器類が正常値を越えはしないかとアルトは始終、目を光らせ続ける。辛うじて正値内のうちに、船は突入した時の倍ほどの手数を踏んで雲の中から脱出していた。
砂粒がごとく星々がアクリルドームを覆って広がる。眺める暇を惜しんで復活したナビが、そこへ膜を張っていった。とはいえ近隣を航行する者は誰もおらず、ナビが他船の軌道をコクピットに横切らせることこそない。そんな宇宙の何と広大なことか。
アルトは再度、計器をチェックしなおす。
「Ｏｐ１へ航路を取りますか？」
気を回すイルサリに問われていた。
ならそれが答えと、アルトはオートパイロットを弾く。
しばらくはこのまま飛んでいたい気分だった、と言えば格好のつけすぎか。だがほかに見合う言葉が見つからない。
ほどなく安定した航行に四点ベルトを解いていった。その手は自然、作業着の内ポケットをまさぐりＪＰＳーＷのパックを抜き出す。
くわえ、点ける火。
おかげで、イルサリは途中放棄となっていた課題を思い出したらしい。
「父上、お聞きしてもよろしいでしょうか？」
「ん？」
うまそうに吹かすアルトへ、不意とこう尋ねてみせた。
指揮でもとるように白く燃えるタバコの先を上下させ、アルトは座席へ深く体をうずめる。 スロットル脇のメインコンピュータ上へ足を放り上げると頭の後ろで両手を組んだ。
「必要なものと欲しいものの違いとは、一体どういうことでしょうか？」
聞きながら、宙へ視線を放つ。
「望んだ通りにならなけりゃ、なんだってそういうこった」
言った。
「失望、されたのですか？」
聞いたイルサリは、寸分違わず言葉どおりを解釈してみせる。だからこそ、どうもかみ合わないのは毎度のことだろう。
「一言で片付けりゃ、な」
「ですが、必要なものを手に入れたのであれば、不足は補填されました。失望とはそもそも、その欠損からくるものではないかと」
それもまた価値観の違いというほかない。
「それで難なく動くお前なら、事足りるだろうよ」
切り分けながらアルトはその脳裏でもって、まったく違うことを考え始める。
「だが意志ってやつは、それだけじゃ未完成なのさ。いつもどこかに永遠の影踏みをする、夢や希望がなけりゃ動かないようにできてんだ」
考え始めたそれは、果たして事態をさらなる深みへ陥れるものなのかどうか、試してみなければわからない危うきセーフティーネットでもあった。
「それが失望、ですか」
イルサリがしみじみと繰り返している。
ぼんやり聞いて、どちらにも傾かぬそれら天秤の結末を、それこそ夢と希望でアルトは調節していった。そうして肺一杯に吸い込んだ、煙ともつかぬ息を吐き出す。
「ではさしずめ影を踏み続けるため、その夢と希望の座標を検索する必要があります」
などと、どこまで本気なのか、イルサリはやけにシャレたことを言ってのけている。毎秒ごとの成長ぶりに、アルトは思わず薄い笑みをこぼしていた。
「座標も何も、通信ラインを開けりゃ一発っては、ところだが……」
と、その時だ。開くその前からお呼びはかかる。
アルトは乗せていた足を慌てて下ろし、モニター画面を覗き込んだ。デミからだ。逆算するに『Ｏｐ１』の時刻はおおかた翌日の昼を回ったところだと思われる。躊躇なくアルトは通信をつないでいた。ならモニターには計算通り、店の一部を背景に、営業中の広告を画面下部にスクロールさせながらこちらを覗き込むデミの姿は映り込む。ただ予想外だったのは、昨夜の補習がたたったのか、それとも他に匹敵する理由があるのか、その目が妙にどんより曇っていることだった。
『仕事だからね』
鼻溜を揺らしデミは、藪から棒とそう放つ。
『そんなとこまで行かなくても、ボク、邪魔したりしないよ。通信まで切っちゃってさ』
不服そうに続けさえした。
『は？ 何の事だ？ 切ってたって、つながんねー所にいたらそりゃ、お前……』
『まだいるの？』
言いかけた言葉さえ遮りかぶせるデミの顔が、狭い画面を端から端まで見回すように近づく。
『誰が？』
こうなれば、聞き返す口も曲がらざるを得ない。
『女のヒト』
デミが軽く鼻溜を揺らしてみせた。
『ああ、居住モジュー……』
『でも、これ、急な仕事の話だから優先ね』
言われてようやく、アルトは気づく。
『またお前ッ、勘違いしてんのかッ』
それこそ中指を立てかねない勢いだ。画面のデミへ噛み付いた。
『もう。ヒゲくらい剃りなよ、みっともないなぁ』
もろともせず返すデミは、冷たさも極力の視線を放つ。かと思えばとたん一点を見つめて、瞬いた。
『あ、それが、キスマークなんだ』
などと視線の先は、アルトのアゴにある。無論、かくも生易しい痕跡であるはずはないなら、アルトは唸った。
『違う。殴られた跡だッ』
だが前後を知らぬデミに理解できる通りなどない。
『……って、アルトさ』
真摯に問うていた。
『一体、女のヒトと、どんなコトやってるの？』
とたんブッと吹き出すアルトの口。
『殴った相手が違うッ。あのな、俺にはお前の想像するようなガキもいなけりゃ、断じてそんな趣味もねぇッ。さっさと用件言えッ、用件をッ』
催促したところで歯切れの悪いデミの目は、じとっとしたままだ。それでも割り切り、ようやく本題にその鼻溜を揺らしてみせた。
『買い取り価格の変更だよ。昨日、置いて行った品物あるでしょ。あの中から鑑定してなかったモノが出てきたんだ』
『鑑定していなかった、モノ？』
それはアルトにとって、不手際であり想定外である。
『他の奴の商品と混ざってんじゃねぇのか？』
『残念でした。ぼくのお店に昨日来たのは、アルトとあの怖いお姉さんだけなの。混ざるほど商品がなくて悪かったね』
振られた鼻溜の皮肉加減は、もう閉口するほかなくなる。
『おま、商売すればするほど、性格悪くなってないか？』
アルトは座席へ座りなおした。
『ふん。どんどん悪くなるよ、ぼく。そのうち、ぎゃふんっていわせてやるんだから』
何のことだかと、肩をすくめる。
『とにかくさ、基盤の中だったんだよ』
冗談と、話の続きにデミがその身を乗り出していた。
『何が？』
『未鑑定のモノ。両面のプリントはダミーでさ、中から見たこともない石みたいなものが出てきたんだ。昨日の夜みつけて、すぐに鑑定にとりかかったけれど分からないから値段がつけられなくて。分かれば、すぐ追加で振り込みできたんだけれど、今朝も方法を変えて調べてみたのにダメだった。だって光に当てると、状態は変わらないのに性質だけが変化するんだ。そんなのあったかな？』
吸い込むように聞き入るアルトの呼吸はその時、止まる。
『とにかくおじいちゃんに助けてもらうよう連絡をいれたとこ。今、ギルド本部のデータベースを手繰りながら、鑑定用のフォームをダウンロードしてる。アルトには鑑定の見落としがたあったってことだけ伝えておきたくて……』
『保留だッ』
それこそ尻でも突かれたように、止まっていた息をアルトは吐き出した。
『へ？』
モニターの向うでデミも目をパチクリさせている。
『鑑定はいい。これ以上、その石のことは誰にも言うな。その石、お前が大事に持ってろ。誰にも渡すな。いいなッ、俺が帰るまで絶対だぞッ』
『な、何で？』
まくしたてられ、たじろぎデミは切れ切れに鼻溜を潰す。
『帰ったら、説明してやる』
吐き捨てアルトは、モニター前から立ち上がっていた。何しろそれは積乱雲鉱石で、今同乗している『レンデム』の女、ワソランの彼氏が見つけたモノだ、などといちいち説明してやる気分にないい。通信もそのままだった。足早にコクピットを後にする。
『ち、ちょっとどこいくの？ 待ってよ。アルトはいつ帰ってくるのさ！ ぼく、どうしたら……』
つまるところモニター前にぽつり、デミは取り残されていた。
『ねぇ、そんなことしたら、ぼく、買い取った基盤の分だけ赤字じゃないか』
途方にくれる。
『……アルトの、バカ』
振った鼻溜でしょげた。
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