『何をバカな事を言っておる！ お前が行くような場所ではないぞ！ テンの話も聞いたろう！』
トラの声が響いていた。身振り手振りに合わせて波打つシワもまた、言葉以上に乱れて散る。
すでにアルトとひと悶着を巻き起こし、その通信が切られれる前、ネオンは艦橋を後にしていた。足はいつもテンが楽屋代わりに用意してくれている船賊たちの個室、その一角へ向かっている。
『だって、何か掴めるかもしれないんだもの』
トラはその背を追いかけると、プラットボードを小脇にまたひとつ、声のトーンを上げていた。
『つ、掴めるだと？』
雑種ギャングの違法模擬コロニーなど、詳しく聞かずとも賭け事に色事三昧の場所であることくらい、トラにはすぐわかる。そこに並ぶいかがわしげな店こそ、どう考えてもネオンにはふさわしくなかった。
『冗談も休み休み言え』
何をどう勘違いすればそんな場所へ行こうという気になれるのか、トラは唖然と突き返す。
そんなトラを連れて歩くネオンの左手には、扉のない横穴のような部屋が船尾へ向かって並んでいた。
『冗談なんかじゃないわよ。そんなに心配なら、トラも一緒に来ればいじゃない』
ふともすれば、どれが自分の部屋だったのか分からなくなりそうになるその場所で、トラを振り切らんばかり言い放つ。
『わ、わしが、だと？ 一体、何をしに？』
食らってトラはシワをブルンと震わせていた。
『いいか、わしはそんな場所などへは行かん！ つまり、お前も行かん！ わしと一緒に次の依頼へ向かうんだ』
それこそ目が覚めたといわんばかりだ。口調を改める。
とたピタリ、動きを止めたのはネオンのヒールだ。いつしか辿り着いていた、あてがわれた部屋の前で、そうして厳しい面持ちをトラへと向けなおす。
『忘れたの？ トラ』
切り出していた。
『何を？』
『いい？ こうして活動が出来るのは、テンさんたちのおかげでもあるってことよ』
見上げるほどの身長差は自然、ネオンの眉間へ力を込めさせ、見下ろしトラはあごシワへ埋めて返す。
『分かっておる。だからお前は、無償でここでの演奏を……』
だがネオンが言い分を、最後まで聞くことはなかった。闇雲に振った頭で遮る。
『分かってないよ』
そうして見上げた瞳は変わらず澄んでいた。そこへネオンは、熱はこめてゆく。
『ねえ、気づいてるでしょ？ ここ数回、演奏会に船賊以外のお客さんが混じってるってことを。テンさんも言ってたじゃない。賊の船だっていうのに、金を払ってまでもこのイベントに参加したいってひとが現れだしたって。あたしの演奏だけが聞きただけなら、近づきたくもない場所に来るはずないの。つまりはテンさんの動話よ。いい？ もう自分たちが楽しむだけのレクリエーションじゃなくなってきてるってこと。テンさんの動話もショーとして、成立ししつつあるのよ』
逸らすことなくまくし立て、カーゴを指さす。その手を開き、腰へとあてがってみせた。だが的を射ないトラの顔は、酸っぱい物でも口に含んだようなままだ。
『もうっ！ これ、船賊活動以外で稼げるチャンスなの。それ以外で現金収入を得る機会なのよ』
『だから、それとお前が模擬コロニーへ向かうことと、どう関係があるのだ！』
もどかしさにネオンは腹を擦り付けんばかりトラへと身を乗り出し、押しやられ手のひらを頬へあてがったトラは重なるシワを撫でさすって声を荒げる。
前にしたネオンが、きゅっと唇を結んでいた。ともかく自分こそ落ち着かねばとでも思ったのか、身を引き汚れひとつない靴先に一度、視線を落とす。そうしてゆっくり、トラへと語った。
『だから、このまま話しが大きくなっちゃったら、またその影響力が問題視されて連邦から睨まれるに決まってるじゃない。それじゃ、ふりだしへ戻るだけ。あたしは、どうにか続ける方法を探したいの』
と、さすがにここまでくればトラも気づいてしかりだ。とたんさすっていたシワをこれでもか、とその手で引き伸ばしてゆく。
『……それが地下活動、非合法イベントだということか』
呟いていた。
声に、ネオンも靴先から視線を上げる。
『その下見』
真っ直ぐな瞳でうなずき返した。
『最良のサンプルじゃない。でもテンさんたちが出向いたら、騒ぎになるって言うし』
ようやく辻褄の合った話に、トラが安堵したといってもウソはないだろう。だからして引っ張り広げていたシワもまた、所定位置へたるんでゆく。
『ね、百聞は一見にしかず、でしょ』
前で、手の内を明かしたネオンの声が甘えたように響いていた。ウインクさえ放ったなら、トラは思わず首を盾に振りかける。なにしろオークション会場で臓器転売用ボディとして仮死強制のポッドに収められていたネオンを買い取り、トラが蘇生させたのは、こうして話し自らに笑いかけてくれることを夢見たからなのだ。そして今、それは現実となり、これほどまでに身近な存在として心の内までもをトラへ語ってくれているのである。突っぱねる道理などあるはずがない、とさえ思えていた。
『た、確かに……、そうだが……』
ところを、我に返って伸び上がる。
『いや、いかんッ』
己へ言い聞かせるがごとくシワをなびかせ、頭を振った。
『いかんと言ったら、いかん！ どんな理由があれ、わしは許さん！ お前がそこまでする必要はない！』
とたん一変したネオンの表情こそ、凄まじい。断固とした意思を触媒に、固めた意地で瞳の奥へ見る間に影を落としてゆく。その影へ、包み隠さぬ怒りを宿し吐き捨てた。
『なによ、トラの恩知らず！』
おそらくここまではっきりと対立したのは、これが初めてだ。だからしてトラも慣れぬままに、条件反射で譲れぬ位置へ己が眉間を据える。
『それこそわしのセリフではないか！ お前の身を案じてこそ言っておるのだぞ。恩知らずは、お前の方だ！』
勢い余ると口にしていた。
その変えられぬ事実が、たちまちネオンから返す言葉を奪い去る。まさに過去を人質に取られて、歯がゆさに噛んだ唇でなおさらトラを睨んで返した。その目で卑怯者、とトラへ語る。いや、聞こえたからこそトラはたちまち、後悔の二文字に胸の奥底を凍りつかせていた。だが今さら、譲れぬ位置に固まった眉間を解くことなどできはしない。それはなけなしのプライドでもあり、だからこそ真剣なトラの思いでもあった。
『ゆ、行きたいなら、か、勝手にしろ。わしはどうなってもしらんぞ！』
などと自らの言葉に追い詰められ、放つ。それは割り振ってしまった己が役柄を演じ切るためのセリフであり、だからしてその口調がうわすべりしないことをただ祈りもした。ならそれはまるでネオンとの関係を保つためだけに、架空の膨大な借金を負わせ、野に放ったあの頃の自虐的な自分とそっくりになる。思い起こし、のめり込めば、ついぞ飛び出すのは追い打ちをかけるような言葉の数々だった。
『そうとも、またジャンク屋にでも助けてもらうがいい！』
瞬間、両肩を持ち上げたネオンが大きく息を吸い込む。放つべく声をその腹に蓄え、沈した。
前にしてトラは、どんな罵声を浴びせらるのかと内心、尻をすぼめて身構える。だがネオンは無言で片手を差し出しただけだった。
ワケがわからず、トラはしばらくその手を見つめる。
『……楽器』
ネオンが漏らす。
『？』
対処しかねていたなら、さらにもう一度繰り返していた。
『楽器』
瞬きしている間にダメ押しでもう一度だ。トラは食らう。
『がっきっ、ちょうだいっ！』
三度目でようやく片手に提げたままの楽器ケースをネオンへ、差し出していた。
ネオンの細い指が、毟り取るように奪っていゆく。引っかくほどの荒っぽさにトラは我を、いや、役割を、そこでようやく取り戻していた。
『はなから言えばいいのだ！』
なら、剥がしようのない過去を下絵にしたシナリオは加速する。
『何が、地下活動だ。わしに気などつかわず、ジャンク屋が気なるなら、会いにゆけばいいのだ！』
てきめん、ネオンの目じりが吊り上がっていった。
悲しいハズも、その達成感は不思議とトラを納得させて止まない。ならば締めくくるのは、かつてネオンを監視させていたモバイルロボット、モバイロのモニター越しに幾度も繰り返した捨て台詞となっていた。
『さすがのわしも、あ、愛想が尽きた！』
強引に捨て置いて、エスパをやけ食いしたくなる。だが先に背を向けたのは他でもない、ネオンだった。部屋へ向かい、細いかかとが床を蹴り出す。がすぐにもその足は止まっていた。わずかトラへと振り返った細いあごは、トラへとこう動く。
『誰にも……』
それは最初、誰に言わんとしているのか判然としない切り出し方だった。
『誰にも、助けてもらうつもりなんてない。あたしはただ、助けたいだけよ』
本意を推し量りかねてトラは目を、たるんだシワの奥でぎこちなく瞬かせる。
『会いたいなんて……、最低』
断ち切り、ネオンは部屋へと消えていった。
突き放したはずが取り残される。そして何事もなかったように立ち去るに、これほど間の悪いこてゃなかった。ならプライドの欠片さえかなぐり捨て、今すぐにもネオンを追いかけ詫びることもひとつ手だったが、つま先立ったその足はすぐにもかける言葉に行き詰まり、床へ貼りつき動かなくなる。果てに脳裏へ浮かんでいたのは、たとえそうしたとしても棒読みなセリフがあまりに哀れな己の姿だった。
『い、今さら何ともないわ』
代わりと吐き出せば、その響きに己の影こそ縮み上がる。うろたえ、だからこそ闇雲に大股歩きを決め込んだ。風景のひとつも目に入らぬまま、トラはカーゴへその身を翻す。ならばこのまま独りで『Ｏｐ１』へ帰るのかと冷えた胸の底が、トラへこっそり問いかけていた。だが答えたのは、顔中を覆うシワ同様、歪に潰れたトラの心だ。
当然だ、と毒を吐く。
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