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ACTion 20 『破るべきは対称性』



 恐らくこれが動話でのやり取りなら、テンの手にも負えただろう。だが悲しいかな、やり取りの中心は、まったくもって理解不能の音声言語に終始していた。艦橋で、あいつをなんとかしろと喚くアルトとの通信を取りまとめ、ようやくネオンたちの元へ駆けつける。
 しかし成す術はなかった。テンはただ、派手な音声でのやり取りと、向かい合った表情と調子だけでそれが和やかならざる結末を迎えつつあることだけを感じ取る。どうしたものかと遠巻きに見守れば、やがてネオンは部屋へ、トラと名乗った『テラタン』はカーゴへ行く先を別けていた。
 さて、どちらを追うべきか。頭をかいて思案する。果てに選び出したのは、通路脇に並ぶ部屋の入り口だった。覗きこんんだそこに、無重力対応のベルト付ハンモックの下に、ひたすら広げていた荷物をトランクの中へ押し込んでいるネオンの背中をみつける。テンはその背へ指を折っていった。
(どないしたんや?)
 無論どちらを追うのか迷ったのは、『テラタン』がプラットボードを持っていたせいだ。だからして折った指もネオンには一切、通じないと知ってのことである。
 と、動くテンの気配を感じ取ったネオンが、トランクから顔を上げていた。
『……テンさん』
 その顔には、先ほどの深刻さがまだ色濃く残っている。
 感じ取れば感じ取るほどに、テンは小さく笑って動話を綴っていた。
(なんや、派手にやりおうてたみたいやな)
 読み取れるハズもなく、ネオンは慌てて音声言語をっている。
『ごめん、せっかくの演奏の後に、こんな事になっちゃって』
 その表情から、何か詫びていることだけは読み取れていた。テンは心配無用、と動話に加えて首を振って返す。
(せやけど、あんたも変わっとんで。あんな場所へ行く言うなんて。そら誰でも止めるわ)
『これじゃ、迷惑かけにきたみたい』
(さっきジャンク屋が連れて来るな、言うとったで。どないする?)
『だって、そうでしょ? トラが酷すぎるんだものっ!』
 とたんネオンはトランクのフタを、力一杯叩きつけて閉じた。
 剣幕にテンは驚く。
 気遣う様子のないネオンは、叩き付けたままの腕をつっかえにトランクへのし掛かると、堪えたばかりの言葉を吐き出していた。
『そうよ、確かにあたしはトラに命を助けられた。今だって、こうして好きにさせてくれてる。感謝しても感謝しきれない。けれどアルトの事だって、どんな形でも心の中に残って離れやしないもの。なくなるわけなんて、ないもの。でもそれはいけないこと? あたしの過去は、いけないこと?』
 それきり押し黙る。
 そうして見えなくなった表情を探ってテンは、思わずネオンの顔を覗き込んでいた。とたん入ってくるなといわんばかり、顔を上げたネオンに遮られる。
『それはいけないことっ?』
 テンへと繰り返した。
(お、びっくりした)
『どちらもわたしの中じゃ、当然だもの。テンさんに大事な楽器を取り戻してもらったことだってそう。だから応えたいの。そのどれにも応えたいの。あたしはすごく大事にされてる。だから感謝するだけじゃ、足りないんだもの。わたしも同じくらい、返したいの』
(なんや、やっぱり何が何でも行く、いうことなんか?)
『だのに、トラは自分のことばっかり。怖がりで、だからあたしのこと、これっぽっちも信じてくれない。何も変わらないのに。トラが変えようとばかりする。そうよ、信じてもらえないのに、これ以上あたしがトラを信じるなんて、できないよ』
 と、部屋前の通路を駆けて行くクロマの姿が、わずかテンの視界をかすめていった。行き過ぎかけたところで気づいたらしい。後戻ってくる。やおら動話を綴った。それはいつになく忙しい。
(アニキ、こんなとこにおったんかいな)
 瞬間、非常事態の気配を感じ取ったテンの手元に、キレは舞い戻っていた。
(どないした?)
 空を切る音が聞こえるほど、双方の動話は静かに、しかしながら素早く繰り出されてゆく。
(あのテラタンが今すぐ帰るから、カウンスラーまでおくれ言うてるんや)
(ちょっと待て、こっちが片付いてへん)
(いや、それが違ってて)
(なんやねん、さっさと言わんかい)
(テラタンの奴が、ネオンさんは置いていく言うてるんや……)
 そこで会話は切れていた。クロマの腕は空を撫でると、テンの返事を待ってあやふやな動きに消えてゆく。見届けテンは、真一文字に口元を結んでいた。狭い室内を見回しその表情を曇らせてゆく。
 しばしの沈黙。
 やおらその腕は宙を裂いていた。
(帰せ。ネオンさんは後からでも、俺らがOp1へ送ったらええ)
 目にしたクロマに動話はない。ただうなずく。それきりきびすを返すと、矢のごとくカーゴ方向へ走り去っていった。見送り、テンは再びネオンへ表情を緩める。
(とりあえずは、その方がええやろ)
 だが知る術もないネオンは、避けるように視線を逸らしてゆく。
『……みんなに、お返ししちゃ、ダメなんだって』
 慌てて問い返していた。
(あ? どないした? あかんかったんか?)
 もちろんこのやり取りにハナから噛み合う要素など、ありはしない。ネオンはただ自分へ向けて、言葉を並べ続けていた。
『トラにとって、あたしはお人形さんでしかないのよ。トラだけに微笑む都合のいいお人形さん。そうじゃなきゃ、ダメなのよ。トラのモノでいなきゃ……』
 そうして消えた言葉尻に連なり吐き出されるのは、ため息となる。放っておけば果てなく続きそうなその余韻には、鈍い痛みすら含まれていた。だからこそ無理やり終止符を打つと、ネオンは閉じたきり押さえつけていたトランクから手を浮かせる。ひと思いと上体を持ち上げていった。
 次に何が起こるというのか、そんなネオンの一挙手一投足を目を皿のようにしてテンは見守り続ける。
 気づいてネオンはようやく取り繕うような満面の笑みを、テンへ向けていた。身を翻し、トランクへ腰を降ろす。だからといって、その笑みが具体的な何かをテンへ伝えたワケではなかった。テンはあまりに無力な四本の腕を持て余すと、自らの額を打ちつけ唸る。
(ああ、やっぱ、音声言語はわからんわ。クロマにこっちのプラットボード、持ってくるよう頼んどけばよかったな)
 それはまれに見る投げやりな振りだった。おかげでよほどネオンの気持ちをくすぐったのだろう。今度はそんなテンの一挙手一投足をつぶさに観察していたネオンの瞳が、丸くなってゆく。
『テンさん、それ、なんだか面白い』
 笑った。細められたまぶたの奥で、透き通る瞳がテンを捉えてきらきら輝く。
 前にしたなら言語などを諦めるに、十分だった。代わりにハンモックを引き寄せると、テンはそこへ体を預ける。動話を封じて体の前で四本の腕を組み、ネオンへ同様の笑みを浮かべて返した。その傍ら、ひとしきり笑い終えたネオンが、正面へと向き直ってゆく。
『あたしも、いけないのかな』
 ボソリ、呟いた。
 それはどんなリズムなのか、そうしてテンが背中で揺するハンモックは、どこか子守唄を思い起こさせるスウィングだ。
『みんなにいい顔しようなんて、それが甘えてる証拠なのかな。そんなこと、最初からできるわけないのかも。だから、あたしがそんな均衡を崩さないと、誰も本当に笑ってはくれないのかも』
 それきりネオンは黙りこむ。
 ハンモックを揺らす以外、テンは動話を綴らず、沈黙はひたすらそんなネオンを深く包み込んでいった。その沈黙に促されネオンは、ゆっくり瞬く。
『怖がりは、あたしだって同じなのかも』
 見上げた。
 そこに、まるで飲み込めていないテンの顔はある。
『どう思う? テンさん』
 だからこそ問うていた。
 その顔を、テンは素っ頓狂と何の含みもない面持で見つめ返す。
 中に自分を探して、ネオンは待った。
 と、やおら耐え切れなくなった間をつないで、組んでいた一組の腕を、テンは解く。人差し指でもってして頬を掻くと少し照れたように宙を見上げ、それもまたわざとらしいと、泳いでいた視線を再びネオンへ戻してみせた。やがてひらめいたように、動話は綴られてゆく。
(あんたは綺麗やな)
 他意などなかった。
(整っとるのとは違う、だから、そう思えるわ)
 ネオンは唇を動かす代わり、その腕を持ち上げ振る。テンの動話を真似てなぞった。無論、その手つきが最悪だった事はいうまでもない。あまりに無様な手振りは、テンを噴き出させるほどだった。
(なんや、そら。なっとらへんな。ジャンク屋に教わった方がええで)
 振り返す。
 それもまた、ネオンはなぞった。
 輪をかけテンは笑いに笑う。
(ちゃう、ちゃう。こうや、こう! ジ、ャ、ン、ク、屋!)
 しばしそんなやり取りが双方の間で続いた。
 やがて教えているはずのテンの動話も千々に乱れて原型を失くせば、二人の間に笑いだけが取り残される。
『何? こう? こっち? これ? わかんないよ』
(センス、なしなしやな)
 けたたましいネオンの笑い声だけが通路に響いていた。
『もう、こんなのどうやってアルト、覚えたんだろ』
(あかん、あかん。そんなんやったらウチでは雇えんで)
 ひとしきり笑えば、息も切れる。
『やっぱりだめ。口で喋る。あたしは、あたしだもん』
(ホンマ、おもろいな。今期はこれで笑いおさめや)
 と、ネオンは立ち上がった。
『ごめんなさい。やっぱり迷惑かけることにする』
 唐突に、まだ馬鹿笑いの残るテンの顔へ告げる。その間合いが真摯だった事はいうまでもなく、テンもまた慌てて真顔へ戻っていた。
『何かヒントがつかめるかもしれないもの。テンさんたちの未来が、もしかすれば極Yのこれからが。だから手前まで連れてって。そこでアルトの船に乗り換えることにする。それ以外、考えたって今はムダだわ』
 そしてこうも付け加える。
『トラはきっと、大丈夫よ。だって、トラだもの』
 その結論に根拠があるのかと問われれば、それは単なる妄想だ。いや、そもそも信じるということは、そういう類のものなのかもしれないとさえ考えてみる。そう、信じるという行為が妄想と現実を混ぜ合わせことなら、だからこそ、その存在を維持するには力が必要であり、ゆえに尊くもいられるのだ。だからといって夢をかなえるということは、さして特異な未来でもない。無論、この造語をテンが理解する事となったのは、その後メジャーが持ち出したプラットボードを介してからである。
 そしてすでにその頃、トラを乗せた船賊の小型船は本船を離れ『カウンスラー』へ向かっていた。
 道を分けたテンたちは、アルトの船との合流点を探り通信をつなげなおすと、舳先を傾ける。


(了解)
 並んだアルトのスクータ船を貧弱な小船に変え、テンたちの船はその傍らに立ち塞がっていた。
 事情が事情なだけに長居は無用だ。無事納まったテン側の格納庫から、外へ出る予定はない。格納庫のハッチは閉じられてもだからして、アルトはスクータ船の動力を切らずにおいた。
 コクピットを飛び出し階段を下りる。
 『ヒト』二人分ほどしか幅のない船のハッチを、押し開けるために二手間。とたんに外気は、船内へと吹き込んでいた。
 スパークショットの感電防止に着込むラバースーツの臭いなのかどうなのか、妙な煙たさがアルトの鼻先を掠める。だが段取りを考慮したテンたちは、そこに見当たらない。ただ楽器の入ったケースを片手にさげたネオンだけが立っていた。
「ったく何、考えてんだ。お前、ホントのバカだな」
 開口一番、アルトは吐き捨てる。
「だからバカって言う方がバカなの」
 おそらくこれは二人の間の常套句なのだろう。ネオンは繰り返し、そこにイマイチ力がこもっていなかったなら、紛らし早々、アルトの船へ乗り込んだ。
「そっちはそっちで済ませてくれ。俺は相手してられねぇぞ」
 背に、アルトはハッチから頭を突き出す。定員が明らかに一体、足りないと辺りを見回した。だが、そこにあるべき姿は見当たらない。
「おい、トラはどうした?」
 問えばネオンは、それこそモゴモゴ、口ごもり言った。
「先に帰ったの」
 弾かれアルトは振り返る。
「なんだとッ……」
 絶句という言葉はこの瞬間のために用意されていたのだと、思い知る。


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