「ちょっと待ってよ」
離れるなと言っておいてそれはないはずだった。背後でネオンが声を上げている。
何しろすれ違うその度に投げかけられる視線の圧力は凄まじく、気づけば逃れるように群衆をかき分け、アルトは通路を先へ先へ急いでいた。やがてお望み通りと、セキュリティーチェックは現れる。順番を待つ利用者に、アルトの足もついには止まっていた。
「それにしても周り、男のひとばかりね」
追いつき背後で、ワソランが口を開いている。
「こんな小さなところなのに。あんな大雑把な誘導でこれだけの数、さばいてるなんてそれだけでもびっくりしちゃう」
答えるネオンもまた、どうにも論点のズレた返事を返していた。
「同じようにテンさんたちの船でも模擬コロニーを運営するなら、格納庫の確保って問題になってくるわよね。 新しい船とか買わなきゃならないのかしら。それとも、どこか陸上でやっちゃう方が安上がりなのかな。でもそっちの方がきっと見つかりやすいわよね」
独り言と並べ立てて、見回していたその顔をアルトへと持ち上げる。
「ねえねえ、あたしは船の操縦ができないから、よく分からないんだけれど、 あの誘導でここまでうまく行くものなの?」
だとして、返事をすれば周囲の注目へ油を注ぐようなものなのだから、アルトが答えて返すワケこそなかった。
「何か、コツとか、技みたいなものがあるの?」
ひたすらだんまりを押し通す。
「それって、テンさんたちも知ってるような事?」
だがネオンはしつこい。
「参考にさせてよ」
尖らせた口で突っついた。
「ね、ねねねね」
「黙ってろ」
くどさがアルトの口を開かせる。
「ヒント、ヒント」
「しゃべるな」
渾身のシャットアウトだ。突っぱねた。
やおらむすっとしたネオンが、口元以上にへの字と眉間を歪ませる。ようやくそれきり黙るのかと思いきや、その目をワソランへと向けた。話しかけた口はいっとき、大きく吸った息に開かれる。だが勢いはすぐにも削がれていた。一点を見つめたワソランの横顔には、容易く声をかけることをためらわせる何かがある。思い出せばワソランは、ごまんと訪れるこの利用者の中にいるかもしれないたった一人を探し出すため、ここを訪れていたはずだった。
『心配よね、この数じゃ』
ネオンの声にもう、先ほどまでの高さはない。その視線の先でワソランもまた、我に返ったようにネオン振り返っていた。浮かべる笑みはネオンの目に、形ばかりと映る。
『ええ。何か手がかりが掴めるかも知れないって言っても、こんなに大きいところだったなんて……』
だからして隠さず吐いて、すぐにもワソランは表情を引き締めなおした。
『でも大丈夫』
遠くへと、その視線を投げる。
『わたしは必ず見つけ出す』
鋭いからこそ美しい光を、そこに宿した。たたえた切実さには、同性だろうと異性だろうと惹き付けて止まない危うさがある。見せつけられてネオンも息をのみ、それほどまでに誰かを思う気持ちとは一体どんなものだろう、とも思わされていた。
『直接、聞くわ』
やおらワソランは言ってみせる。
『直接?』
意味がつかめず、ネオンは繰り返していた。
『そうよ。ここを牛耳っているって誰かに』
言われてなるほど、それほど確かな情報筋はない、と思ってみる。だがそれがとんでもないことである、と気づいたのは、あまりにも間抜けた間合いを挟んでからのことだった。
『……って、うそ』
すぐ前にいたはずのアルトは、この会話におろそかとなった足元のせいで、いつのまにか先へと進んでしまっている。互いの間へは数体の利用者が、すでに割り込んでいた。
『それとも、ここを通る全員に尋ねて回れっていうの? それこそ無茶だわ。ボディーガードについてくるなんて言ったんだから、それこそ彼の出番よ』
豪語するワソランに容赦はない。
『でも、それって……』
ネオオンは言わずにはおれなくなる。何しろどう考えてもそのつもりなら、事態は穏便にはすまされそうにないのだ。むしろこのことを了解しているのかと、先行くアルトの背を盗み見る。気づくことなく徐々に迫るボディーチェックの順番を待つアルトには、振り返る様子こそなかった。なら代弁して言うべきだと思う。
『その……』
ネオンは口を開きかけた。
『わたしったら……』
とたん大きくうなだれたのはワソランだ。肩を落として吐き出したため息には、自分へうんざりするような響きさえもがあった。
『ごめんなさい』
言ってひと思いと、頭を持ち上げる。
『何が? どういうこと?』
ネオンは聞き返していた。
にじり寄るようにゲートへ進んでいた利用者の流れはそこで、完全に止まってしまっていた。ただ中でワソランは、まるで自らへ言い聞かせるかのように言葉を並べ始める。
『そうよ、だいたい社会見学だなんて、本気であなたがこんな場所へ来るハズがないもの。わたしが彼の船に同乗していたのを見たから、心配になってここまできた』
そうして確かめるようにネオンの顔を、のぞきこんだ。
『つまり彼は、あなたにとって大事なひと。そんなひとを危険な目に遭わせたくないっていうことは、自分がよく知っているハズなのに』
とたんネオンは、爪先立っていた。
『ち、違うわよ。そ、そんなんじゃない。あたしは本当に、ショーのためだけに来たんだから。そんな、ワソランが思っているようなことじゃない』
まくし立てて襲われるのは、延々と理由を並べ立てたい衝動だ。だが先が続かない。そもそもネオンにはワソランの思っているようなことも、それとは違うハズのこの思いも、まるで見当がつかないでいた。
『ワソランの思いとは、違うから……』
ただ覚えた衝動のままに繰り返したなら、力なく消えゆく語尾に自らが一番言い切れない何かを持て余す。取り繕ってワソランへ微笑んだ。その脳裏へふいと、今朝『カウンスラー』で交わしたトラとのやり取りは蘇ってくる。
恐らく『Op1』へ戻ったなら、トラはワソランと同じような誤解をぶつけ、何らかの結論をネオンへ突きつけようとするだろう。のむものまないも、そのすべてがこうして繰り返される誤解の産物だったなら、全ては今、説明に詰まったソコにゆだねられているのではないか、と思う。
ならこれはチャンスだった。気づけた今、そのチャンスを掴んだのだ、と気づかされる。
『ね、だったら少し教えてほしいんだ』
両の瞳をまっすぐワソランへ向け直していった。
周囲で、セキュリティーチェックを待つ群衆が、ようやく少し前へ進み始めている。
『ワソランがそこまで彼を思う気持ちって、どんなのものなの? あたしには、それがどんなものかも分からないし見当がつかない。だから誤解されても解けないなら……、教えて欲しいんだ』
近づいた分、セキュリティーチェックの向こうから、色とりどりと重なり光が刺し込んできているのが見えた。腹の底に響く重低音もまた鼓動に似たリズムで鼓膜を揺るがし始める。
『おかしなこと、聞くのね』
だとして、ネオンには馬鹿にされたとは思えなかった。けだるいワソランのほほ笑みは、むしろネオンの目にさえひどく艶っぽく映り込む。
『やっぱりそう思う?』
かなわない。思うからこそ、ペロリ舌を出していた。
『そんな、特別なものなんて何もないわ』
しかしそうして誤魔化そうとしたからこそ、ワソランは真摯と答えて口を開く。
『……けれど、何もないからこそ、特別だった』
数体の利用者を挟んだ向こうではちょうどと、アルトがセキュリティーチェックのゲートをまたごうとしているところだった。傍らには仁王立ちの警備員らしき手合いが、岩のような拳骨と肩で周囲へ存分に威圧感を放ち、様子を見守っている。
『空気のように当然で穏やかで、飾る必要もなくて、いつも自然でいられた。 だから言い争うことを気遣うこともなかったし、それが明日もあさっても、永遠に続くものだとすら思っていた。思う気持ちなんて、常に何かを意識していたわけじゃないわ。彼にプロポーズされた時も、だから素直に受け取ることができてる。それがごく自然な流れだとさえ感じていたから』
『そっか……』
期待していた決定打はどこにもなかった。教えられてネオンはただうつむく。しかしワソランの話は決してそこで終わっては、いなかった。
『けれど痛いほどそのことを思い知ったのは』
声へそのとき固さは宿る。
『彼を失ってからよ』
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