『オジき!』
呼ぶ声に引き止められる。しかもそれがオジきとくれば、その相手もまた限られていた。
髪は長い方がウケるものだが、そんなものは後からどうにでもなるハナシである。むしろこの辺りでは珍しい艶やかな肌は、良質の食事と整えられた環境が作り出した上モノで間違いなく、流浪の果てにたどり着いた体とはまるで違っていた。思い返すほどにツクリモノかと思うほど、あの『ヒト』は上デキだったと振り返る。だというのにまったくもって口惜しいばかりだった。マグミットの元へ行くつもりだなどと、後は運を天に任せるしかなくなる。
だからして渋々、店へ戻っていた『ヘモナーゼ』は呼び止められたその声に、辺りを見回していた。
『オジき。来たでやんすよ』
聞き覚えのある声にようやく振り返る。そこにいたのは甥っ子のモデラートこと、モディーだった。とたん口惜しい気持ちも懐かしさに蹴散らされてゆく。
『おおっ、モディー来たか。久しぶりじゃないか』
こんな場所だ。身内が訪ねてくることなど、そうそうあるものでなかったなら、その顔もほころぶ。声もまた弾んでいた。
『オジきこそ、元気そうでなによりでやんす』
『いやいや、よく来たな。どうだ、儲けてきたか?』
しかしながら互いの目は互い捉えることなく回転していたなら、ハタから見る限りどうにも妙な光景だ。それでもオジきはモディーの肩を叩き、モディーも照れくさそうに体を揺すってみせる。回転する片眼でチラリ、隣に立つスラーを見上げた。
『社長はモディーの社長でやんす。損はしないでやんすよ、オジき』
『それは、そうだった』
答えたオジ気の手が、スラーへ伸びる。
『モディーが世話になってますな』
つまるところワイヤースリーブマッチが始まるまでの間、一息入れるためにスラーがライオンを誘った小マシな店こそ、このオジきが仕切る店だった。スラーはその手を握り返す。幾度となく交わした握手にもかかわらず、これが初めてであるかのように今日もまたそこへ力を込めて振った。
『俺様は死んだ体で、オジきは生きた体で、機嫌よく稼いでるってぇ皮肉だ』
そうしてすかさず観察力もまた、発揮してみせる。
『ただ、うまく行かない時もあるってことだな』
それは見事、成立しなかった先程の交渉を言い当てていた。
『それはこちとら同じだが、その分、少しは貢献させてもらうつもりで、ひとり余分に連れてきてやったぞ』
振ったアゴでライオンを指し示す。
『……こ、これは、初めてお会いする。パラシェントのルーケス・ナイマクッニ・トータンペだ』
などとぎこちないその挨拶は、納得できぬままここまでやってきてしまった証だ。ついでにこの『ヘモナーゼ』はここで何をやっている者なのかと、疑いの眼で見回しもする。
ちなみに舌を噛みそうなうえ、やたらと長いこの名前こそ、装い気に入った義顔から呼び名となってしまったライオンの本名だ。
『相変わらず耳が早い。いや、目が利くというわけですか』
ともあれその不躾な態度がどうモディーのオジきの目に映ったかは定かでないが、会釈で返すと感服した面持ちで、その口をスラーへ開いた。
『いやいや、オジきなら目くじら立てることもないだろうと、口にしたつもりだぜ?』
『今日は勝つ予定で? それとも負ける算段で?」
聞き返してさえみせる。
『もし勝つ予定なら、ちょうどわたしも予算が必要なところなんですよ。一口乗せてもらいたいですな』
言ってのけた。とたんスラーの眉は、これ見よがしと吊り上がってゆく。
『冗談いうなよ、オジき。テナント関係者の船内賭博は即刻退去だろうが。今度から立ち寄る店がなくなっちゃ、こっちが困るってもんよ』
『またまた融通が利きませんな。冗談をいってるんですから』
笑って話を切り上げるオジきは、そこではた、と声のトーンを落とした。
『まったく、わたしはそれほど目が利かないですから、聞かせてもらいますがね。腹の具合は? それとも今日こそ、飛び切りを紹介する方が先で?』
スラーのそれを真似て探ると、その顔をのぞきこむ。とたんライオンの挙動が不審を極め凧とは言うまでもなく、なだめてスラーはオジきへ続けた。
『オジきがそれほど惜しむコがいるなら、顔くらいは拝見しておきたいところだが、いないんなら用なしだ。ここに来るまでで腹一杯になった』
『いや、これがまったく華奢なヒトで……。瞳はブルー、髪は短かったがブロンドの、そりゃ色艶のいい肌で。あれはきっと……』
よほど悔しかったらしい。呟いたその後、振った首で言葉を濁す。ままに店のドアの真横、それが勝手口だったのかと思うほどの小さなドアへ足を向けた。わずかなくぼみへ手をかけ、読み取られた生体認証がロックを解除すると同時に頭の上へ押し開ける。
『どうぞ小汚いところですが』
そこに小柄な『ヘモナーゼ』ならちょうどの細い通路は現れていた。どうやらかなり奥へ長く続いているらしい。そこに灯りは転々と灯されているが、果ては見えず闇の彼方へ消え去っている。
思い出したように店から客が出てきたなら、オジきが会釈で見送っていた。そうして改め、スラーたちを促す。
『オジきの料理はうまいでやんす。ここは色んな種族が生活しているでやんすから、ライオンさんも口に合うものがあるはずでやんす。もちろん値段はモディーの友達価格でやんす』
案内して潜り込んだオジきに続き、言ったモディーが足を踏み入れる。
『ちぃーす、邪魔するぞ』
スラーもまた、そんな料理を目前にしてか、屈めた身でさっさとその後を追いかけて行く。かと思えば一向についてくる気配のないライオンへ、身をよじってみせた。その目が、やおら穴が開きそうなほどとライオンを凝視する。挙句吐き出された言葉はこうだった。
『ったく、そっちこそ何、考えてやがる。脳内、お見通しだぜ。このムッツリすけべが。 こちとら事務所で食わせてもらってるだけだ。それ以外、何もねーよ』
『な、なななな、なっ、何を!』
などと慌てれば慌てるほど、ライオンの義顔は次から次に変わってゆく。
『違うなら黙ってついてこい。余計な妄想が多すぎるってんだ。めんどくせー』
ならば証明して乗り込むほか、なくなっていた。
『……っぽっちも、し、してはおらん!』
丸めた背でライオンもまた通路へと飛び込む。
待っていたかのように扉はそんなライオンの背で閉じられた。
壁一枚を挟んだすぐ隣は店らしい。鳴り響く音楽がやけにはっきり聞こえていた。微かにうごめく人の気配も感じ取れてならない。
傍らに、辿り着いたのはほどよい狭さが親近感を抱かせる部屋だった。だとしてそれ以上、ライオンの目にその部屋は予想外と映る。なにしろあまりにありふれていた。大量生産のひとつ足テーブルに、磨り減ったモスグリーンのソファ。奥まったところには電熱調理器らしきものが詰め込まれ、窓のないこの場所にはうってつけとホロウィンドが壁に視界を広げてもいる。そこには故郷の風景か大地が広がり、それら光景を控えめなローズピンクの壁紙が包み込んでいた。売り上げ記録と、従業員たちのシフトを記したホロ映像こそ壁でスクロールしていたが、それ以外、ここに外の様子を思い起こさせるものは何ひとつない。
『まあ、時間までゆっくりしていってくださいな。すぐにでも何か用意しますよ』
言うオジきの顔を、そうして初めてまじまじとライオンは見つめて返す。
『気分、悪いわね』
しかしながらこちらはそうも、穏便には済みそうになかった。
『何が、確認……』
ワソランのハスキーボイスはさらに凄みを増すと、口出しかけた言葉をそこでどうにか
飲み込んでみせる。
『不愉快だわ、まったく』
まとめてあさっての方向へ吐き捨てた。
『ウソも方便っつーだろ』
返すアルトにこそ淀みはない。
『だからってね、何でもいいってわけないでしょ。あなたって前っからデリカシーがなさすぎるのよ』
たまらず口を挟むネオンの声は高い。
『なら、納得ね』
真逆とワソランの低い相槌が、アルトを挟んで飛んだ。おかげでアルトの身に沁みるのは、どうにも不利な展開だ。
『だから最初に言っておいたろ。どんな顔でいようと、ここではそういう扱いなんだってな。それでもかまわないっつーから、俺が一肌、脱いだんだろうが』
『だから脱がなくていいわけ』
すかさずネオンが噛みついたところで、客の流れは鈍りだした。
『そういう意味でいってんじゃ、ねぇ』
どうやらエレベータホールが近いらしい。立ち止まらずにおれず、ならばなおさら手持無沙汰とネオンの口こそすべらか動き始める。
『だいたいひとの裸、見飽きた見飽きたってね。それだって一度だって謝ったことないじゃない』
不意打ちに、アルトの目も丸くなっていた。
『そりゃお前、一体いつの話、持ち出してんだ。ってだいたいほとんど毎日だったんだから、見飽きたって仕方ねぇだろ』
だからして聞こえてきたのは、ワソランのため息だ。
『わたしには関係ないことだけれど』
『あ?』
あえて入れる断りが、すでになにをやほのめかしていた。
『その話、今ここでわたしに聞かせないでもらえるかしら?』
瞬間、引きつる顔のまま、ネオンとアルトが目を合わせたことは言うまでもなくなる。
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