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ACTion 41 『水槽のある場所』



 見つけるが早いか駆け寄ってくる黒服たちは、たとえそれが単なる服従のポーズだったとしても、だからこそ手の抜けない儀式として開いたドアの両側へ、すぐにも整列してみせる。
『お疲れさまでした、ボス』
 中でも先頭に立つ『ホグス』が、浅く下げた頭で口を開いていた。
『迎えの者を行かせたハズでしたが、出会われませんでしたか?』
 上げた顔で確かめる。
『言ったでしょ。ワイヤースリーブマッチの対戦相手がいないのよ。釣りに降りたっていうのに、アレが一緒じゃ目立って話しになりゃしない』
 放つマグミットは目もやらず、その傍らを通り抜けて行った。
 すかさず『ホグス』が、恐縮した面持ちでその背につく。
 先頭にして黒服の列は、やがてその場から剥がれマグミットに連なっていった。
 そうして心おきなくフロアを闊歩すれば利用者たちが、見てはならぬものを見てしまったように視線を背けてゆく。
『申し訳ありませんでした。ボスの体調が心配でしたので』
 『ホグス』はそこで一呼吸おくと、その視線をワソランへ向けた。
『……で?』
 これがマグミットの釣り上げた対戦相手かと、問いかける。とたんマグミットは破顔していた。
『それは思いつかなかったね』
 しかしそれもつかの間のことと、造作は元の醜悪を象る。
『違うよ』
 ピシャリ、はねつけた。
『こうなれば試合は延期に決定だ。秒殺が続けばチャンピオンの強さだけがイメージに残るからね。ますます賭けにならなくなるじゃないの。強すぎるのも迷惑だよ。全く。捨てられるものなら捨ててやりたいくらいさ』
 そうして一点を睨みつけたなら、お世辞にもスムーズとは言い難かった歩調は早まる。思い出したように傍らのワソランへと振り返ってみせた。
『結局いたのは、つまらないイヌだけ』
 その顔へただ首をかしげて返したワソランに、それ以上の意味はない。
『フン、あいつらも仕事ができてよかったろうよ。つまみ出しておくよう言っておいた』
 そうしてたどり着いたのは、フロアの壁寄りに設置された装置、その裏側だ。そこでマグミットは壁に設えられた生体認証鍵へ、持ち上げた手首の静脈をすりつけた。セキュリティーはその程度とノブ代わりにも思えたが、間違っても潜り込もうなどと考える輩が皆無に等しいのだから十分、役目は果たせているらしい。
 すぐにも軽い電子音が鳴り、ドアがスライドしていた。先頭を切ってマグミットは足を踏み入れ、従いワソランも潜り抜ける。後から『ホグス』もまたついてきたが、連なる黒服たちはそこまでと見送っていた。隠してドアは閉じられてゆく。
 辺りを静寂が包み込んでいた。
 印象付けるような藍の灯りが、視界を満たして黙りこむ。
『だがね』
 マグミットの声だけが、そこに響いていた。
『呼び戻してちょうだい』
 不可解とばかり、指示された『ホグス』の表情は変わる。
『そういう話だったからね。手遅れでなければいいけれど』
 背にして付け加えるマグミットの目が、ワソランの顔色をうかがっていた。
 だとして余計な一言は聞き流すに限り、ワソランはただ微笑み返す。その笑みに、マグミットの声もまたほころんでいた。
『これは手付けよ。肝心の情報は後だからね』
 やり取りから察したか、立ち止まったホグスが通路のただ中、絵に描いたような深い一礼を繰り出していた。やがて返したきびすでその場を離れる靴音が響く。
『そうね』
 ほかに何者の気配もありはしない。
 紛らせ答えてワソランは、口を開いた。
『なら、とっておきの場所へ案内してあげる』
 促すマグミットの足は止まり、やおら壁へと手を突き出した。 驚いたように開く扉が暗がりをのぞかせ、迷うことなくマグミットはその中へと足を踏み出してゆく。
『こっち。真っ直ぐ行っても、ブリッジがあるだけだからね。今のわたしとおねぇちゃんには、用はないでしょ』
 今さら拒んだところで、掴むマグミットの腕はそれを許さない。
 どうやら天上はマグミット側を頂点に、ワソランの方へと傾いているようだった。低さに頭をぶつけかけてワソランは身を屈め、気づいたマグミットが教えて言う。
『上は観客席だからね』
『観客、席?』
 なるほど、賭け試合がどうのと言っていた『ホグス』との会話を思い出してみる。
 その目に光りは差し込み始めていた。出口だ。扉がないせいで、外から差し込む光に白くハレーションを起こしていた。
『ウチのお勧め。おねぇちゃんだって応援せずにはおれなくなる』
『残念だけれど、そんな野蛮な遊びに興味はないわ』
 向かって進むほどに、開けていられない目頭へ力はこもってゆく。果てに現れた空間は、思った以上の広さを持っていた。水を張ったようにつやめく床と、その右手に窓とはめ込まれたアクリル。アクリルからは、数百体は詰めることができそうな階段状の客席が見下ろせ、囲うその底にはドーム型のゲージをかぶされたリングが息をひそめたように置かれているのが見えた。
 照明を絞られたそこに物影はない。
 だが確かと耳にしたのは試合の息遣いで、その激しさにいっときワソランは息をのむ。
『いい眺めでしょ』
 話しかけられ視線を剥いでいた。
 自慢げなマグミットとその向こう、うず高く積み上げられた装置に今度は目を奪われる。後付けと運び込まれたらしいそれはどうにもおさまり悪く傾くと、ワイヤーで無骨とひとつに縛り上げられていた。対照的とその向こうに、まっすぐと伸びる柱はある。いや、目を凝らせばその中には、半透明の液体が入っていることがうかがえる。つまり水槽とでも呼ぶべきなのか。満たすそれは高さも太さもまばらと、幾本もがこの空間に反り立っていた。
 見上げたならワソランのアゴは、持ち上がってゆく。
 追いかけるように足が自然と、水槽へ動いていた。
 拒んでその腕をマグミットが掴む。
『そっちじゃないよ』
 腰を下ろした。
『ここで観戦するのが、わたしの一番の楽しみなの』
 引き戻されてワソランもまた、同じ場所へ座っていた。反動で揺れ動くのはそれが劣化したフレキシブルシートだかららしい。でなければ無重力化での弾力など御法度に違いなく、任せてマグミットは思い出したように言いなおしてみせるす。
『おっと違った。観戦は二番目の楽しみ。一番はこれから始まるんだったよ』
 背で、水槽の中を駆け上がってゆく気泡の音が、重くくぐもり響いていた。ワケもなく気をとられてワソランは振り返り、なぞるマグミットもまた潰れて縮んだ背をよじらせる。
『気になる?』
 ワソランへとその身を寄せた。
 後じされば動きはぎこちなく、座りなおして隠すためにもワソランは急ぎその口を開く。
『あれは、何?』
『全部、後で教えてあげる』
 同時に伸びた手が、ワソランをシートへ押し倒していた。
『待って』
『大丈夫。彼らはよく知ってるの。誰もきやしないから』
 聞き入れて諭すマグミットの背中が、わずか浮き上がる。
『違うわ』
 見上げてワソランは、口をすぼめてみせいた。
『これじゃ、フェアじゃない』
 などと繰り出す駆け引きが、ワソランを饒舌にさせる。
『わたしには満点が必要よ。少しはあなたのことを知る時間をくれても、いいんじゃないかしら?』
 面白い。言わんばかりだ。マグミットの口元が開きかけていた。だが半ばで元へと絞られてゆく。
『たとえば?』
 代りと静かに吐き出していた。
『たとえば……』
 つないでワソランは、懸命に言葉を手繰り寄せる。
『クラウナートへ行くことになった理由を。あなたは一体、何をしたっていうの?』
 だとしてそれがこの事態を眠らせるだけの子守唄になるとは、思えない。しかし浮かんだそれが唯一、話の糸口だった。
 だが次の瞬間、マグミットの手がワソランのアゴを掴み上げる。
『わたしにそんな事を聞いたのは、おねえちゃんが初めてだよ。時に勇気は身を滅ぼす事を覚えておきな』
 ねじ回して吐きつける瞳は、憎悪と怒りを宿らせていた。間近に捉えて冷静になどおれないなら、跳ねのけてワソランは手足を振り上げる。だが叩きつけたところでマグミットは微動だにせず、むしろそんなワソランへゆうと覆いかぶさってゆく。
『まぁ、安心おしよ。そのユニークさではもう、十分満点だからね』
 最後、振り下ろした拳を受け止められていた。
 振りほどくべくして力むが、叶うことなく押さえつけられる。
 ままに近づくマグミットの姿が、見上げたワソランの視界からも見えなくなろうとしていた。


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