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背で、交わされ続けるアルトとマグミットの声を聞く。 消え入る頃には傾いた天井の、狭い通路へ潜り込んでいた。 通り抜ければネオンの前に、やがて通路は現れる。 黒服は、通路を奥へただ歩いた。 その壁面へときおり出現する造語表記から、ネオンは船首へ向かい進んでいる事だけを理解する。方向を見失わぬよう、ひたすら意識し続けていた。 そんな自分がどこへ向かっているのか以上、どこにも見当たらないワソランが気にかかる。あの物騒な面子の中に残されたアルトもまただったが、比ではなかった。 と、黒服が足を止める。その手が通路右壁面、バーの取り付けられた鉄扉をやおら引き開けてみせた。その向こうに下層へ伸びる螺旋らしき階段はのぞく。同時に機械の重たげな駆動音もまた吹き上がった。 説明を求めずにはおれない。ネオンは黒服を見上げる。だが集積所へゴミでも放り込みにきたかのようなその顔に、なんら返事をよこす気配はなかった。 『降りろ』 などと、ようやく聞けた言葉はそれだけだ。 無論、そんなものなども止めてないなら素直になど従えず、ネオンは態度で示してみせる。頭を、黒服に力任せと押さえつけられていた。それきり鉄扉の向こうへ押し込まれる。 「わっ!」 勢い余った足が螺旋を踏み外しかけていた。手すりにしがみついてふみとどまったなら、一言もなく鉄扉は閉じられてゆく。 「ちょっとっ!」 慌てて駆け寄るがもう遅かった。鉄扉はびくともせず、向こう側から施錠される音だけが鳴り響く。 惜しむようにネオンは貼りついていた鉄扉から身をはがしていった。留まっていても仕方がないなら、残された選択肢の中から次なる行動を選ぶ。螺旋の底へと視線を投げた。薄闇ではっきりしない視界の中に、オレンジ色の光は点々と幾つも灯り散らばっている。 その光にただ想像以上の深さと広がりを感じ取ると、だからこそ確かめんとして階段を下方へ向かった。何度か回転したところで楽器ケースを担ぎ直し、掴まった手すり越しに再度、眼下をのぞき込む。 感じ取っていた通りの広がりに、思わず息を飲んでいた。点々と灯っていたオレンジ色の光は下りた分だけ輪郭をあらわとすると、そこで揺れる計器の針を照らし出している。繋いで伸びる装置はまるで巨木に巻きつくツタのようでもあり、いやそれそのものと天井さえもを貫いて並ぶ幾本もの柱に絡んでいた。その柱が実は筒なのかさえ分からない。だが聞こえていた駆動音はどうやらここから発せられているらしく、どう見ても動力系でないないそれがこれ程までの大きさで船の中に据え置かれているなど、ネオンにとって初めて見る光景でもあった。 『な、に?』 食い入るように見つめて我に返る。残る螺旋を、少しばかり大胆となった足取りで下って行った。果てに、この無骨な装置の隙間を間借りしたような空間を見出す。 広さをたとえるなら、アルトの船の居住モジュールをさらに一回り小さくしたほどだろうか。木製らしきアンティーク調のサイドテーブルに、紙媒体の分厚い本。そこに挟まれたブックマーカーの点滅が、先ほどまで読んでいた誰かの気配を宿して止まない。証拠に、幾つものクッションが乗ったカウチは誰かの形に窪んで温もりを漂わせ、背後の書棚ではスリープ状態の端末が立ち上げるホロアイコンが、ゆったり回転していた。その向かいの壁際には保冷庫がある。何やら見当のつかぬコレクションを収めた棚も並ぶと、迎え入れて入口らしき位置には、衣服を留め置ける無重力対応のクリップハンガーが、毛足の長いラグと共に置かれていた。 「どういう、こと?」 こんな場所で誰か生活しているのだろうか。 ネオンは瞬きを繰り返す。 とその時だった。 視界の端で影は動いた。保冷庫の向こうだ。そしてその影は、ネオンの記憶をくすぐり誘う。気づけば一足飛びで残る階段を駆け下りていた。なに遠慮することなくラグを踏みつけ空間へあがりこみ、息せき切ってネオンは保冷庫を回り込む。 間違いない。 そこにヒザを抱えてワソランはうずくまっていた。壁に身を擦り付けたその様子は、あれほど凛と冴えていた面影は微塵もなく、駆け込んだネオンの足音にさえ縮み上がっていた。 感じ取ったからこそ一呼吸おく。ネオンは何より自らを落ち着けるべくして、ゆっくり息を吐き出していった。ヒールゆえ甲高くなる足音にさえ気を遣うと、改めワソランへ歩み寄ってゆく。 『ワソラン。あたし、ネオン』 ささやくように呼びかけた。 ぎこちない間をおいて探るような眼差しが、伏せたワソランの腕の間からのぞいたなら、そうっと楽器ケースを床へ下ろす。 『あたし』 呼び寄せ前へ、ヒザをついた。 『来たよ。もう大丈夫だから』 開いた両手でワソランを包み込む。そうして撫で下ろしたワソランの背は、震えることも出来ぬほどに強張りネオンを驚かせた。 『もう。大丈夫だから』 繰り返して唱え、そのつっかえを拭い去る。 瞬間、喘ぐようにワソランが大きく息を吐き出していた。重みはようやくネオンへ預けられ、受け止めてネオンはようやく安堵する。 『……とん、でもない、事に』 切れ切れと吐き出すワソランが言わんとしていることは、それだけでもう十分だ。 『ワソランのせいじゃないよ』 『間違ってた。こんなの、謝りきれない……』 かと思えば、うずめていたその顔をネオンへ力一杯、持ち上げる。 『これじゃ、まるで同じだもの!』 受けた暴力にか、裂けた唇の渇いて枯れた傷跡は、痛々しかった。 『ひどい。こんなことするなんて』 『こんなもの、どうだってかまわない』 払いのけるワソランの目は、厳しい。 『あなたたちこそ関係なかったはずだわ。こんな目に合う必要なんてなかった。ただわたしはダオを取り戻したかっただけなのに。やっと掴めた手がかりに、それが出来ると思っていただけなのに……』 傷口ごと唇を噛みしめる。 『なんだ、そんなこと?』 だからこそネオンは肩をすくめてみせていた。 『だったらアルトは大丈夫。あの人、しょっちゅうあんな具合なんだもの。あたしは見てきてる。だから心配なんてしなくても大丈夫なの。だいたいボディーガードだ、なんて言いだした時から、それなりに考えはあったハズよ。本当に無謀だと判断したら必ず叱る人なんだから。悲観が過ぎたら、こっちの身がもたなくなるだけ。ね、今は自分たちのコトだけを考えよう。足を引っ張る方がウルサイんだもの』 『嘘よ』 突き返されて持て余す。 『あなただって同じに事になれば、そんなことは言ってられなくなる。分かっているから、わたしは言うの』 持て余して、余った分だけ慌てもした。 『ちょ、ちょっと待ってよ。あの話はその、わたしはアルトの患者みたいなものだったから色々検査が立て込んでて、仕方なくて。その、だから見飽きたって。 同じだなんて。わたしたちはワソランと彼みたいな、ワソランが思っているような、そんなじゃないよ』 言わずにはおれず、まくし立てる。 様子にワソランは、なおさらやりきれなさをにじませていた。 『面白いことを、聞くのね』 投げたそれは、ここへ足を踏み入れた時、 教えてほしいと乞うたその返事だ。 『失ってから気づくなんて、愚かなことよ』 告げるワソランの目はもう怯えてなどいない。揺らぐことなくまっすぐにネオンをのぞき込んでいる。 分からず屋。 対峙したからこそ、ネオンの脳裏に言葉は過っていた。それはトラと繰り返してきた口論そのものだろう。そんなじゃない。いてもたってもおれなくなったなら、譲れない思いはついにネオンの口火を切る。 『違うっ! あたしのことは、あたしにしか分からないのっ! うまく説明できないだけで決めつけないでっ!』 声は自分にさえヒステリックと響いていた。 叩きつけられてワソランへ怯えは舞い戻る。 目にしてネオンがしまった、と我に返ろうとも、もう手遅れで間違いなかった。 どうしてこうも過剰反応してしまうのか。笑って聞き流せないほどこだわる自分を、そのとき初めて自覚する。それが「認めてはいけない」という呪文のせいだと気づいたところで、先回りして拒む自身こそ「認めてはいけない」ものの正体を知っていることに思い当たっていた。 そうして唖然とさせられる。 そしてトラはずっと前から、このカラクリに気づいていたのだと思っていた。いや、気づかない方がどうかしていて、それほどまでに行いは幼く、単純だった。 トラは正しい。 初めてネオンはトラを認める。 とたん抜けて落ちたのは見えもしない留め金か。ネオンの中で曖昧と中庸を維持し続けていたエネルギーは、後戻れない崖っぷちへ一気に流れ込んでゆく。ならその重みに世界も、この宇宙さえもが傾いたようだ。崩れて流され弾け散り、破片を舞い上げ、再びとてつもない速度でそこに新しい世界を精製してゆく。 見たこともない景色がネオンを囲み、嬉々と回転を始めていた。 そこに無駄な力はもう、ありはしない。 だからしてほう、っと息を吐き出すかのようだった。言葉はあっけないほど簡単に漏れてネオンにこう言わしめる。 ずっと昔からそうだったのだ。 それともこれもまた、志向にかけられた矯正のひとつだったのか。 当然過ぎて空気のようだと言えば、全くもって近かった。 それくらい、自分はアルトのことが好きなのだと思う。 いや、好きだった。 だからこそ、初めて不安を覚えてみる。 失って恐怖を覚えるもの。 信じていたのに、とたん信じ切れなくなるのは酷い皮肉だ。 『大丈夫だよ』 呟かずにおれなかった。 『何が何でも、大丈夫なんだから』 己へ繰り返して、再びワソランへその焦点を合わせてゆく。 |