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ACTion 46 『2-5 Virus』



 やおらその背を黒服が押し出した。
 反射的に払いのけて、アルトは舌打つ。
 光景を満足げに眺めるマグミットは、擦り減ったフレキシブルシートの上だ。
 睨み付けたならせかす黒服に、足を蹴りつけられいていた。水槽へ繰り出したのはだからして、否応なくとなる。向かうそこで『ホグス』は、ゆっくりと回転する水槽のどれか一つを選ぶべく吟味しているらしい。軋むギアの音にちょうどと三本目は奥へ押し出されてゆき、連なる四本目が前へせり出してきているところだった。
 中にはうっすら、色のついた液体が満たされている。粘土があるのか、中を気泡が楕円とたわんでゆるゆる、駆け上がってもいた。逸れもまた見送られて行ったなら、詰め込まれた何かのせいで、まるで向こうの見えない五本目はせり出してくる。
 連れられるまま歩み寄って、アルトは目を細める。
 瞬間、それはモソリと動いた。拍動したかのように詰め込まれた全体へ、揺らめきが走るのを目にする。
 何だ、と思えば身は乗り出していた。
 押し止めて黒服が、たちまちその場に押さえつける。もみ合ううちにも五本目は遠ざかり、次の水槽は現れていた。
 お目当てはそれだったらしい。重量感たっぷりに続けられていた回転は、ようやく『ホグス』の手により押し止められる。ちょうどとアルトの胸の高さ辺りに貼り付けられた、一メートル四方のシールを『ホグス』は剥がしてみせた。音に、黒服ともみ合っていたアルトは動きを止める。振り返ればシールの下から、赤黒い縁取りのある直径六十センチ足らずのサークルが二つ、現れていた。しかも注視するほどに艶めいて見えるサークルの内側には、中心から縁取りへ向かって放射線状と無数に細かい線が引かれている。それが糸だと知れたなら、なぞるほどに糸は水槽全体を包み込んでいることが見て取れた。
 傍らにおいて、剥がしたシートの粘着面を持て余す『ホグス』が、指先に絡むそれを丸めている。つまり用意は整ったと言うのか、マグミットが潰れた背中も億劫そうにフレキシブルシートから立ち上がっていた。
『ちゃんとデキ上がってるの?』
 どうにかシートを捨てた『ホグス』が、踏み込んで跳ね上がったままとなっているフットペダルへ再びかかとを振り下ろしている。抜けた床は元へと戻り、水槽はそこに固定されて、アルトを囲っていた黒服がアルトを水槽の前へ立つよう促した。
 横切り『ホグス』の元へ、また別の黒服は駆け寄って行く。どこから持ち出したのか、何かしらのプレートを『ホグス』へ手渡した。受け取った『ホグス』はすぐにも返したきびすで光源を探し、そこへプレートをかざしてみせる。それはまるでずいぶん前、ユニバーサルデリカから取り寄せたスルメイカにそっくりだった。まさにパウチ加工をほどこされると、干からび筋張った雰囲気もそのままの形を模している。『ホグス』はその隅から隅へ、注意深く視線を走らせていた。
『ヒトはしばらく完装していませんでしたので、幾分古い素材にはなりますが』
 マグミットへ答えて返す。
 と黒服が、アルトの腕を取った。藪から棒にその腕をサークルへと引く。
『いてぇぞ、コノヤロウッ』
『おとなしくしろ!』
 唸れば怒鳴り返されていた。
『足を開いて、両手を円につけ!』
 矢継ぎ早や、両足の間へ黒服の靴はねじ込まれる。有無も言わさず開かされ、及び腰となったならそれきり前屈みでサークルへ両手をあてがわれていた。
『そうね、ちょっと古いかも。でも今から培養してちゃ、間に合わないでしょ。これで行くよ。使えないってわけでもないからね』
 抵抗したとたん手加減なく拳を食らう。大人しくなったところをみはからい、あてがっていただけの手を強く、サークルへと押し付けられていた。手のひらに何かを潰した感触は微かと走り、勢いに頭から水槽へつんのめりそうになって視線を上げる。なら手のひらの周囲から、潰れた何かに白く泡は吹き上がっていた。上がるほどに固かった水槽の表面は柔らかく溶け始め、押し付けられたアルトの両手を中へと飲み込んでゆく。糸がギシリ、音を立てて切れそうに張りつめた。やがて軟化した水槽の表面に包まれ両手は、手首を埋めた辺りで動きを止める。
 引き抜くべくして、すぐさま身を揺さぶっていた。だが抜けそうとなったのは己の肩で、水槽の向こうに掴んで離さぬ何者がいるのかと思うほど両手はびくともしない。むしろ
刻一刻と様子を変えてゆく軟化した水槽表面は、生ぬるく溶けながら皮膚の一部となってしまったかのような親和性でもってして、アルトの手へ吸い付いていった。
 これは何だと思えばこそだ。過去となってしまったにせよ、政府のラボ『F7』で生体管理をこなしていたアルトである。その脳裏に、何かしらのバイオ素材である可能性は過っていった。そもそも自律性すら感じられる素早い変化に、生き物の動きさえ感じずにはおれなくなる。ならば拒むことのできないサイズと勢いで汚染されつつあるこの状況に、 冗談じゃないと水槽を蹴りつけるべく足を踏み変えた。 が制して、シャツの裾が鷲づかみにされる。
 差し込まれた冷たい金具がわずかと肌に触れて、身を縮ませた。
 その恐怖が攻撃性へ火を点けたなら、アルトはそこにぱっくり開いた傷口でもあるかのような勢いで振り返る。
『貴様ッ……』
 視界を塞ぐ黒服の手に、正面へ向けなおされていた。その手は続けさま襟足もまたまさぐると、伸び気味となっていた髪をかきあげアルトの首筋を露とする。アゴが胸へとめり込むほどに、深くアルトをうつむかせて固定した。
 息さえ詰まるほどだったなら、大人しく従うほかなくなる。重なり耳元へ、迷うことなくシャツを裂く金物の冷ややかな感触と音は駆け上がってきた。どうやらたいして興味もないくせに、ヒトを裸とひん剥く気らしい。そのまま左右、洗い立ての一張羅は袖までが開かれてゆく。 
『用意できたなら、あんたたちはあの無能共を、ここから綺麗に拭き取っておいてちょうだい』
 実弾銃で砕かれたあの四体だ。アルトへ近づくマグミットの声が指示を出していた。
 機嫌を損ね、同様にミンチと吹き飛ばされてはかなわないと思った黒服が、一張羅を剥ぎ終えるや否や離れて行く。
『確か……』
 遠い記憶をひねり出すように呟くマグミットが、そんな黒服を見送っている様子はなかった。
『三十だね。ヒトの脊椎は』
 アルトの真上で吐き出す。だからして感じる視線は気のせいでもなんでもないだろう。 マグミットの靴先もまた、うつむくアルトの視界へ割り込んでくる。
『よく知らないでしょ? ヒトは久しぶりだしね。いいから。確保はわたしがする。あなたは手伝ってちょうだい』
 応じて間もなくのぞいた靴は、ゆえに『ホグス』のもので間違いなかった。そうして逸れた視線を引き戻すように、やおらマグミットのものらしき指先が、アルトの首根っこを押さえつける。薄い皮膚を雑にこねると、そこに骨の形を探り始めた。すぐにも見つけた脊椎を上から順に確かめて行く。最後、開いた肩甲骨の上、乗った筋肉へもついでのように触れていった。
『ま、リアルでも出力は、まあまあってところだね。ヒトだから所詮この程度だろうさ』
 居心地の悪さにゾッとしてしまうのは本能か。
 顔を歪めたアルトの耳元へ屈み込む。
『お兄さんは、きれい好きってタイプかな?』
 やたら楽しげと問いかけた。
 だとして詰まった喉に答えられるはずもない。アルトはただ裏返した目で、マグミットを睨み返す。
『そうは見えないからね』
 気にも留めないマグミットは、それきり折った膝を伸ばしていった。
『カーテン』
 頭上で『ホグス』を促している。
アルトの頭上を気配はまたぎ、何かがマグミットへ手渡されていた。
『二回、滅菌するよ。その後ね』
 電圧のかかる鈍い音が、ヴンと鳴っている。どうやらハンディータイプのウィルスカーテンらしい。証明して、すぐにも首筋にチリチリと焼かれる感触はあてがわれていた。粗暴だったマグミットの手つきはそこで初めて、慎重極まる動きにすりかわる。
『何しろ時間がないからね。滅菌している間に、聞きいておきな』
 アルトへ投げた。
『ウチの賭け試合は大金の動く、メインイベントなの。そうなったワケは簡単、どちらが勝つのか、かいもく見当がつかないから。お兄さんがそのままリングへ上がったりなんかしたら、賭けようって奴らには種族スペックも何もかも見通しでしょ。賭けは成立しない。つまり試合には、その辺りを一切、伏せて参加してもらってるのよ』
 と、マグミットの口調はガラリ、そこで様子を変える。
『お兄さん、あんたどこのウマの骨だから知らないけれど、あの有名なツーファイブ社の違法実験事件を知ってる?』
 言葉にアルトが驚かぬはずはなかった。その名は知っているどころの騒ぎではない。騙され踊りこみ、汚染された自分こそが被害者の一人だった。そしてワソランをこうまで駆り立てることになったきっかけにも違いない。
『知らないならこれから先の話も分かりはしないだろうけど、そこで行われていた違法実験っていうのは、帰属ips細胞の自律移植技術の確立だったの。この世界、ひとつのルールを共有した生き物、その種族発現前の大元遺伝子。これを導入培養しただけでも世の中、驚かされたっていうのに、それら分化全能性細胞遺伝子を今度はウィルスのプラスミドへ導入することにあのラボは成功してたってわけ』
 そこで腰まで降りたウィルスカーテンはフワリ浮き上がっていた。再び首へと据えなおされる。
『これが生体に感染すれば、特定組織の発現を促す酵素を外部から注入するだけで感染した生体の中、いかようにも新たな組織が発現できるようになるのね。そう、それも種族を超えて。すごいよこれは。お兄さんの中でバナールの臓器をこさえたり、手振りでしか離せない極Yに声帯を付加してやることだってできることになる。これは応用よ』
 言うマグミットに冗談だろう、とアルトは己が耳を疑う。だとすればそれは、連邦が独占しているはずの塩基付加に似た技術を、民間のツーファイブ社が獲得しかけていたということでもあった。
『お兄さんには、その帰属ipsで全身を作った無種族完体を使って、試合に出てもらうの。その体で勝負してもらうってこと。そのためにもやらなきゃならいのが、脊椎神経にちょっと枝をつけさせてもらうこの作業ってわけ。だってつながなきゃ、二人羽折りってワケにもゆかないでしょ』
 輪をかけて教えるマグミットが、他人ごとと気軽に笑い飛ばしていた。


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