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ACTion 51 『見える所と、見えぬ時』



 パドックに二つ並んだ檻の左側には、青いホロ映像が回転していた。そこに造語文字は『養生接続中』と浮かんでいる。さらにその下には相対時刻が二種、表示されるとカウントダウンを続け、ワイヤースリーブマッチ開催までを告げていた。
 いわずもがな相対時刻のひとつはパドック内に対戦者が姿を現す時刻であり、もうひとつはワイヤースリーブマッチそのものの開始時刻だ。そこにはチケットの購入締切が、試合開始の三百セコンド前までであることも添えられていた。
 それにしても閉鎖空間を巡る噂というものは、羽が生えているのかと思うほど軽やかで速い。それら告知が出されたことを知った利用者は、次々、ここ最上層のパドック前へ集まると、回転するホロ映像を見上げ、待ってましたと手を打つやら、してやったりとほくそ笑むやら、スケジュールを擦り合わせるものやら、それぞれの反応を繰り出している。招かれざる客に起きたひと騒動の後、モディーの叔父の店で腹ごしらえを済ませたスラーたちもまた、その中に紛れていた。
『なんだ、デキ上がっているのかと思って来てみれば、今から接続かよ』
 腰に手をあてがってスラーは吐く。
 並んだそこが定位置らしい、
『まだ接続中でやんす。段取りが悪いでやんす』
 モディーも両眼を回転させた。
『仕方ねーな。お役所仕事じゃあるまいし、予定通りにいくはずもねーか』
 言ってスラーは両手を頭上へ振り上げる。これはもうしばらくかかりそうだ、と背のびをしてみせた。
『ったく、うるさい面ばかりだぜ』
 好奇と興奮でギラつく周りの顔に、思わずこぼず。読み取れて仕方のないそんな全ての胸の内から目を逸らすと、我関せずと棒立ちの黒服へと向けなおした。容姿の良し悪しにさえ目をつむれば、おうおうにして考え事が苦手な彼らの面構えは読み取れるものが希薄でありがたい。
 と、そんな黒服の様子が変わる。耳に掛けていた通信機だ。読み取れる心の動きから、何か連絡が入ったことをスラーは察する。だが何を耳にしているのか、具体的な内容までは分かるはずもなかった。
『次の仕事はどうなってる? モディー』
 ただモディーへ口を開く。
『確かめるでやんす』
 返すモディーが喪服の内ポケットから、モバイル端末を取り出していた。唯一の社員らしく秘書さながら手早く端末を手繰ると、スケジュールを確認する。
『紛争地の定期搬送が二十五万セコンド後に控えてるでや……』
 言いかけて、そのくだりを訂正した。
『その前に飛び込みの依頼が一件入ったでやんすよ。定期搬送に間に合わせるんでやんしたら、今から飛び込みを拾って、そのアシで定期搬送へ回らないと間に合わなくなったでやんす』
 間違いがないことを確認しながら、左目だけでスラーを見る。
『やっとここを抜け出せるのか』
 耳にしたライオンが、他人のふりをしていたそこでほうっ、と肩を落としてみせた。
『なら飛び込みは、キャンセルだ』
 だがスラーは言い放つ。それきりパドック前から踵を返した。靴先をエレベータへ向ける。いつものモディーならここでなぜ、と聞き返し、挙句、スラーの張り手に倒れるのがお決まりだったが、この時ばかりは違っていた。
『了解でやんす』
 話は実にスムーズと進む。
 それほどまでにワイヤースリーブマッチは重要なのか。
『とんだヤクザ葬儀社だ』
 安堵したのも束の間、せっかくの機会を奪われライオンがげんなりヒゲを、萎えさせた。
 目もくれずスラーはその目を、相も変わらず黒服たちへ向けている。そうして渋々、ライオンが後について歩き出したなら、振り返っていた。
『聞こえの悪い事を言ってもらっちゃ困るぜ。いったん仕事になれば、誠心誠意は変わらねぇ。一緒に仕事したからこそ、よくわかったろ。こいつは優先順位の問題だ』
 言う目でまた、黒服たちを舐めてゆく。
『今回は何か起きる気がする。黒服の奴らの様子がどうも、落ちつかねぇ』
『それは……』
 気づくはずなどないのだから、ライオンもまた確かめ視線を投げていた。思い当たるフシにその口を開く。
『それは、ジャンク屋がひと暴れしたせいであろう』
 前では、到着したエレベータがドアを開いていた。噂を聞きつけ駆けつけた利用者はそこからどっとあふれ出し、入れ替わりとそれぞれは乗り込んでゆく。
『まあ、ゆっくりして行こうぜ』
 降下を始めたカゴの中は、ガランとしたものだ。
『どういうことだ? ジャンク屋に何かあったのか?』
 そのせいでもなんでもなく、スラーの横顔にゆっくりできそうもない何かを感じ取ったなら、ライオンは確かめていた。
 だとして問いにスラーは答えない。
 ただモディーが、目を瞬かせる。
『ネオンさんの風邪が心配でやんす』
 こぼした。
 ならやがて『残念ながら』と断りを入れて、スラーも低くこう教える。
『顔はよめても未来はよめねぇ。俺様は預言者じゃねぇからな』
『う、む』
 早くも減速を始めたエレベータが、下層に到着しようとしていた。
『ま、黒服のやつらが落ち着きゃ、それまでのことよ。なんて心配したところで、あれが専売特許のジャンク屋だ。うまくやってやがるとは思うがな』
 肩をすくめる。
 同時に、乗った利用者を揺すってエレベータは停止した。
『だいたい何かあるってのなら大事な姫さんが一緒だ。テラタンが放っておくはずもねぇ。ヤボなこともしたくねーしな。俺様のしゃしゃり出る幕がねーってのが本来だ』
『さすが社長! お見通しでやんす!』
『当然だろ。なんてったって、俺はスラー葬儀社の社長だからな』
 絶妙なモディーの声とほぼ同時に、正面で扉が開く。
『 てー、ワケで!』
 そこには相も変わらず猥雑な風景がひろがると、放った勢いのままスラーはライオンへ腕を回した。
『時間はたっぷりある。今度こそ、きれいどころを拝みにいくぞ!』
 性懲りもなくその声を高くする。おかげで会話はふりだしへ戻り、ライオンの叫び声は上がっていた。
『待て。だから、わたしを一緒にするな!』 


 そうして開くまぶた。
 眠った感覚が、ひどく頭の芯をぼやけさせている。
 四肢がどこにあるのかを確かめるまでしばらく。
 ネオンは五感がリロードされてゆく目覚めの儀式に、しばしまどろんだ。
 繰り返す呼吸が心地よい。だが体は妙に重くてだるく、補って仰向けと寝かされていることに気づかされる。
 装置から落ちたことは、そのあと思い出せていた。
 ありえないほどの間を置いて助かったのだ、とネオンは理解する。
 無条件にほっと胸をなでおろしていた。だからして開いていったまぶたの向こうには、刺さるほども眩しい世界がある。
 安堵したからこそだ。悪態のひとつでもついてやらなければ気がおさまらなかった。吐き出しかけたそのとき、視界へ影はもぐりこんでくる。
 遮られた光に黒く穴があいたかのようだった。手掛かりに焦点を合わせてゆけば、やがて視界は本来の明るさへと絞れてゆく。
『目が、覚めたかい?』
 のぞき込むマグミットの顔はそこにあった。


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