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ACTion 53 『Platinum flow』



 着替えなければ会わせてやらない。言うマグミットは明らかに楽しんでいた。だからして生涯の敵と出くわしたような膠着状態の後、マグミットの手から布切れをもぎ取ったネオンは、そうして手の中、申し訳なさげに縮こまったそれを睨みつける。
『わ、分かったわよ。着ればいいんでしょ、着ればっ! だったらどこ? さっさと着替える場所に案内してっ!』
 声を張れば、やおらマグミットは背を向けていた。
『待っててあげるから、ここで済ませてちょうだい』
 言う。
『見てないんだからいいでしょ。それともあたしが手伝った方がはかどるなら、そうしてあげるけれど』
『なっ……』
 それきり手持無沙汰と後ろ手を組む姿に、遠慮は欠片もない。
『けっ、け、結構ですっ!』
 ぶん、と音が聞こえてきそうなほどだった。それこそいただけないなら、ネオンもまたそんなマグミットへ背を向ける。一体どちらが前でどこに足を通せばいいのかさえ分からないそれを、えい、と目の前へ広げてみた。どうやらホルダーネックのワンピース水着のような形らしいが、とにかく布の面積がないに等しい。有様にげんなりするも奮い立ち、ええい、ままよでネオンはブラウスのボウタイをほどいた。はいていたパンツの前を開く。さなか脳内で繰り出される罵詈雑言は、テクノにディスコにトランスだ。そのめくるめくビートを推力に変えて、この穴かと布切れの中へ足を突っ込んだ。
『ここはあなたの部屋なんでしょ?』
 黙ってなどいれず、問いかける。
『お兄さんとの約束を守るなら、決着がつくまではお客さんだからね。招待してあげたの』
 互いに背を向けているせいか、機械の音も相まって話すマグミットの声は聞き取りにくい。
『こんなうるさいところ、よく居れる』
『あそこはもっと、うるさかったさ』
『あそこ?』
 おかげで聞き違えたのかと、繰り返す。だがマグミットが教えて話しだす事はなかった。そして知りたいともあえて思わぬ相手なら、ネオンはなかったことにする。両足を通し終えた布きれをえい、と肩まで引き上げた。最後、輪になった部分へ頭を潜らせる。瞬間、その目を白黒させる。果たして着ているんだか、いないんだか。体にぴたりはりつくそれは、布というよりヒモの勢いでネオンの体を輪切りにしているだけだった。あまりに心もとなく引っ張り伸ばすが、右を引き寄せれば左が開き、前を寄せれば後ろが開くという攻防戦が繰り返されるばかりで、どうにもならない。
『嘘でしょ。これ』
『で、どう? 着替えられた?』
 声にマグミットが振り返る。
『ちょっ……』
 慌ててネオンは、己が両手を体へ巻きつけた。
『コレ、結構、寒いんですけど』
 待ちかねたマグミットの頬がじんわり、持ち上がってゆく。しかしながらピークを迎えることなく、吐きつけたネオンの前で萎んでいった。
『貧弱だね、あんた。もうちょっと太りな』
『な、なんっ……!』
 乙女心は複雑だ。おかげでネオンの拳も宙で震える。
『仕方ない。それでも約束は約束だからね。連れてってあげるよ。ついといで』
 それにすらめもくれないマグミットが、靴先を螺旋階段へ向けていた。
 湿布が効いてきたとはいえ、やはり違和感は否めない。鈍く痛む体を叱咤し、ネオンも慌ててその後を追う。駆け下りた時とはまるで比べものにならない労力を費やし、螺旋階段を上っていった。表へ出たなら廊下を経て、天井の傾いだ通路の間前で『ホグス』と出会う。
 そこで『ホグス』はマグミットへ腰を折ると、通路奥を指し示してみせていた。
『通常よりも早いって?』
 すかさず投げるマグミットが、まぶたのハレモノを跳ね上げる。
『はい。キャリアとしか……』
 答える『ホグス』は神妙だ。
『ふん。どこまで盛り上げてくれるんだろうね。あのお兄さんは』
『このことは、まだ公にしていません』
 言った。
『それでいいよ。知ってる輩なら、ちょいと調べれば感染者を特定できるかもしれないからね。衛星放置に関わった者以外の感染はあり得ないんだから、詰まるところお兄さんはジャンク屋ってのが相場かな』
 耳にしたネオンに緊張は走る。
『恐らく』
 とマグミットは、そこで声のトーンを上げていた。
『で、告知は間に合ってるんだろうね?』
『レート設定完了。対戦者公開時刻と試合開始時刻もパドック前に公開済みです。伴いチャンピオンの覚醒投与も現在、順を追って進行中です』
 聞き入れ、うなずき、歩き出したマグミットは指し込む光の向こうへ抜け出す。
 短い間に模様替えでもしたかのようだった。柱のような水槽は巨大な二本と、その両脇に低い二本が立つのみとなり、傍らの装置が盛んに動いている。
『けど、キャリアなら時間が読めないね。パドックもなにもデキ開けだよ。急告の準備だけはしときな』
 ネオンは何がどうなったのかと装置を見回し、そこにアルトの姿もまた探す。見当たらないならすぐにも反対へとひねっていた。アクリル窓の向こう側では焚かれた照明にリングが白く浮き上がっている。周囲を観客席は取り囲むと、幻聴でもなんでもなく、飛び交うだろう歓声をネオンに響かせた。浴びて立つアルトは、そこに重なる。
『何してるの、こっちだよ』
 マグミットに呼びつけられていた。見ればマグミットは、水槽の前でネオンを待っていた。ともかくそこへとヒールを鳴らす。ならマグミットはこれを見ろ、と言わんばかり水槽へとアゴを振った。促されるままネオンは視線を持ち上げる。水槽の中にはコバルトブルーの液体が満たされていた。裸に近い格好のせいだ。その液体がほんのり温かい事もまた感じ取れる。
 と、ついておいで、と言わんばかりゆう、とマグミットが水槽をなぞり歩き始めた。その鼻歌でも口ずさみそうな足取りに、ネオンも続く。
 青い水槽は静かだ。
 静けさに引き込まれるまま、ネオンは水槽を眺めていた。
 瞬間、中で何かは揺れ動く。
 見間違いかと、思っていた。
 だからして確かめようと、しばし一点を凝視する。そうして合わせ直した焦点に、始めてそこにひどく細い糸が、青い液体の中でプラチナがごとく銀色に光り輝く繊維が、束となって無数に揺れていることに気づかされていた。
 その優雅な動きに、まるで地球の環境ホロビジョンに使用される清流に遊ぶ川藻のようだと思ってみる。単純に綺麗だと感じてネオンは、生暖かい水槽へなお顔を近づけていった。揺れる曲線を目で追いかけ、その端が水槽の下部、ちょうどネオンの靴先辺りから生え出していることを知る。その反対側もまた辿ったなら、漂うプラチナはひときわ大きく揺れて隙間から見覚えのある形をのぞかせた。
 錯覚でもなんでもない。
 そこにあるのは『ヒト』の肩だ。
 揺れる糸のもう一方の端は、はそこに束なり食らいついていた。
 混じり黒い髪は揺れている。
 とたん鼓動は、ネオンの中でひとつ大きく脈打っていた。
 アルトだ。
 言葉が胸を刺していた。


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