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ACTion 54 『保因者 ~CARRIER~』



 気づけば歩調が早くなっている。
 揺らめき漂う糸の束の、前へネオンは回り込んでいった。
 隙間にのぞいていた肩がつながり、力なく開いた手のひらがあらわとなる。一度だろうとじっつり見た覚えなどなくとも、ネオンにはそれもまたアルトのものだと言い切れた。おかげで釘付けとなり、足はそれきり止まる。
 ワソランの言ったとおりだと思っていた。どれほどアルトを信じようが、そんなことは何の役にも立ちはしない。そのとき確かとネオンの前で「死」は瞬くと、取り返しのつかない事態をちらつかせる。
 と、薬指だ。やおら痙攣したように、かすかに動いて跳ね上がった。
 弾かれネオンは、視線を上げる。
 残りを手繰ると床を蹴り出した。
 見上げるほどの高さだ。
 揺れてたなびく糸の束を翼のように背負ってアルトは、水槽の中に浮かんでいた。薄く開いた目で、ネオンを見下ろしている。
「アルトっ!」
 思わず声を上げたなら、勢い余ってぶつかったヒザが水槽でごうん、と音をたてていた。かまわずネオンは両手を貼り付けのぞき込む。
「アルトってばっ!」 
 だがアルトがいつものように、その失態を鼻で笑うことはない。それどころかネオンを追って、その目が動くことすらなかった。
「あたしよ。見えてるんでしょっ?」
 不安が不安を呼び寄せる。
「ねえっ! あたしがこんな格好してるのに、何か言うことはないのっ?」
 払いのけて、ネオンはせっついた。なんら返してこないなら、握った拳で水槽を叩きつける。
「ねぇってばっ!」
 だが続く沈黙だけが、会話は成立していないのだ、とネオンへ事実を突きつけた。なだめて糸の束は青い液体の中を涼しげに揺れ、恨めしく睨んでネオンは眉間へ力をこめてゆく。意を決するというのなら、これほどまでぴったりくる言葉はないだろう。次の瞬間にも、力いっぱいマグミットへ振り返っていた。
『よかったじゃないの、干からびてなくてね』
 顔へマグミットが、気ぬけた声を投げかける。
『当然よっ。ここから出してっ!』
 叫べばネオンの脇腹へ、思い出したように痛みは噛み付いた。堪えてネオンは頬を青白く歪ませる。
『こんなこと聞いてないわ! 今すぐ出してっ!』
 叫び、示して水槽を叩いたなら、自分にすら声は割れてささくれ立ったように聞こえていた。だがマグミットには、その欠片も伝わってはいない。
『忘れたのかい、それは試合の結果次第と決めたところじゃないの』
 あっけらかんと返してみせる。
『……そんなの、インチキよ』
 叩きつけたきりの拳を水槽へこすり付け、ネオンは絞り出していた。
 食らったマグミットの口調はそのとき、変わる。
『ウチのチャンピオンは強いよ』
 そうしてそびえ立つ、もう一本の水槽へと振り返った。
『こいつは、手加減ってものを知らないからね。戦歴はチャレンジャーの戦闘不能による四十一戦、連勝』
 だがアルトのそれと違い、水槽の中はまるきり見通せない。
『こうなるとチャンピオンの強さには、もう手がつけられないね。賭けすら成立しない有様だ』
 そのわけこそ、アルトの水槽に揺れていた糸の束が隙間なく詰め込まれているせいなのだ、と気づいた瞬間、ネオンは眉を跳ね上げていた。
 そんなネオンをちらり、マグミットは肩越しに盗み見る。
『そのとおりさ。おかげで中が見えないくらい枝が、神経線維が、成長しちまったってわけ』
 言ってチャンピオンの水槽へと、足を繰り出して行った。
『試合用なんだから筋力はもとより、操作性の違和感をなくすべく五感の感度を上げているからね。試合を経るたび、使い込まれた体へ枝は事細かと接続されて、チャンピオンはチャンピオンらしく、これまでにないほどの使い手に成長したってわけよ。対抗できるチャレンジャーなんて、即席に用意できやしないほどにだ。あたしはね、そんなこいつに一泡吹かせてやりたいのよ』
 ならば見るからに薄いアルトの接続は、操作性に格段の差を生み出すと、それこそ分のないインチキだとネオンへ言わしめる。
『けれど残念がるには早いのよ』
 遮りマグミットは、つけ足して。チャンピオンの水槽の前で、体ごとネオンへ振り返ってみせる。
『ジャンク屋なんでしょ? お兄さん』
 問いかけた。
 だとしてネオンが答えるはずもない。
『だいたい酵素の分解速度が違うからね。キャリアだってことには間違いないのよ。なら、あの事件に絡んでいたとしか考えられない。つまり通常より枝の成長が早いってこと。わかるでしょ? それがどういうことか』
 かしげた首は、今にももげ落ちそうな角度をとっていた。
『完装直後でもお兄さんの反応スピードは、他のプレイヤーと格段に違うハズだってこと。もしかすると、もしかするかもね』
 ままに浮かべた笑みでネオンを見据える。
『それに、おねぇちゃんだって、ここにいる』
 息を呑めば、ネオンの喉は鳴っていた。 
『……迎えなんて、来やしないんだよ。ここはわたしの船なのさ……。絶対に、こさせやしないんだよ』
 言葉が我を取り戻させる。
『言っている意味が、分からないわ』
 そこへ『ホグス』は戻ってきていた。
『どう?』
 笑みおさめたマグミットが、すぐにも何事もなかったかのように投げかける。
『レベル三十までの覚醒を確認しています』
 返した『ホグス』は傍らに積み上げられた装置へと、歩み寄っていった。
 見送りうなずくマグミットの仕草はまさに、満足げだ。
 様子にネオンは、事態が刻一刻と進んでいることだけを感じ取る。証明して、箱は運び込まれていた。数名の黒服に囲われると、最初、ここへ上がって来た時ネオンも使ったエレベータ側から、フロートのついたそれは床を滑るようにして押し出されてくる。その表面はホロ映像の遮幕だ。張り巡らされて組み上げられている格子こそ、あの檻がごとくエレベータのカゴで間違いなかった。
『考えてみれば、これでここまで上がってきたなんて、最初からこうなる運命だったって言ってたようなものだね』
 マグミットはこぼし、黒服たちはアクリル窓の前に箱を据えるとフロートを切って着地させる。向かってマグミットが繰り出す指示は、ネオンにまるきり理解できない。ただ周囲は慌ただしさを増してゆき、取り残されたようなネオンを焦らせた。
 何とかやめさせなければ、と思う。だが手立ては何ひとつ浮かんでこず、己の無力さだけを突きつけられる。今までアルトはこんなことを続けてきたたのか。考えていた。ならせめてもだ。ネオンはアルトのおさまる水槽へ身を沿わせる。かばって、浮かぶアルトへ振り返った。
 その目を細める。
 いや確かにその時、アルトの唇が動いたように見えたのだ。
 見間違えたのか、と思う。
 思い切れないなら、食い入るようにただ見つめた。
 すると唇は、そこで再び小刻みと動いてみせる。
 いてもたってもいられなかった。
「何?」
 水槽へすがりつく。
「何か言いたいの?」
 だが水の中から、もとより聞こえるはずもない。だからしてネオンは、再び動いたその形を読む。
 おれは、おまえのうしろだ、と。


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