聞きながら、丸めた体で一回転していた。背中へすりおろされたような痛みは走ったが、おかげで着地の衝撃は許容内と分散される。
めがけてチャンピオンが、格子から手を離していた。たちどころに大きく鳴る姿に一回転、アルトはさらにマットの上を転がる。
チャンピオンのヒザが、元いた場所へ突き立っていた。
真横に捉え、アルトはついた腕を支えに体を起こす。またもやかわされ、マットへヒザを立てたままチャンピオンもその顔を上げていったなら、奇しくもその時、互いの呼吸はピタリ、あっていた。
お返事ください 父上
上へ、またもやイルサリの声は割り込んで来る。
とうとうイカレちまったか。
アルトは苦笑いしていた。
前でチャンピオンは、突き立てていたヒザ膝をマットから持ち上げてゆく。あれほどの衝撃を食らったはずも、そこにふらつく素振りは微塵もなく、固く握りしめた拳で二の腕の筋線維を浮き上がらせると、そのバケモノぶりをみせつけてさえくれる。
一撃の予感に、自虐の笑みも消え失せていた。
見透かしてチャンピオンが、マットを蹴り出す。
逃れると、アルトは突いていた手でマットを押しのけた。
瞬間、体は宙へ跳ね上がる。
かすめてチャンピオンの拳は空を叩いていた。
眼下に捉え、繰り出した伸身の後転は自らでさえ思いがけず、ままにアルトの両足は再びマットをとらえる。
めがけ、チャンピオンの拳は再び放たれるが、すぐさま同様の後転は放物線を描くと、ヴン、と空を切る拳の音だけを響かせていた。
背後に聞きながら、アルトはマットの代わりに格子へと食らいつく。大きく踏み込んだチャンピオンがすかさず蹴りを繰り出したなら、衝撃に揺れる格子の反動さえ味方につけると、アルトは逃れてその体を矢のように放出させた。
背で、耳障りな金属音が激しく鳴り響いている。チャンピオンの足はことごとく格子を叩きつけると、目の当たりにした観客から歓声と怒号をこれまで以上、引き出させていた。
耳に、マットへ着地する。振り返れば叩きつけたゲージに弾き返されると、チャンピオンは巨体をマットへ投げ出していた。チャンスだ、と思えばこそだ。すかさず息を吸い込んでいた。拳を握り、感じた痛みに咄嗟とヒジ打ちへすりかえアルトは、踊りかかる。放てばチャンピオンが受けるダメージもさることながら、己もそれなりに衝撃を食らうだけに、沸き起こる恐怖さえ跳ねのけその手を振り上げた。どうにか起き上がろうとしているチャンピオンの首筋めがけ、叩きつける。
案の定、伝播してきたのは砕け、千切れたのではないかと思えるほどの衝撃だ。
父上、お返事ください
にもかかわらず、声は止まない。
たくッ、幻聴が、黙ってろッ。
吐き捨てていた。
ヒジが砕けも千切れもしていないことを視覚でただ、確認する。上げる唸り声で、それきり動きの止まったチャンピオンの横面へ、ヒザを振り上げた。
見舞った蹴りに、チャンピオンの頭が吹き飛びそっぽうを向く。
勢いにアルトの完体さえ半回転し、凍りついたように歓声がピタリ、止んでいた。
それきりだ。
チャンピオンは微動だにしなくなる。
見守れる観客の間に、息を呑むような静寂は張りつめ、背にしてアルトは再びマットへ両足をつけていた。
ブローカー野 活動補足
幻聴などとは甚だ失礼な見解だと訂正していただきたいところですね
聴覚神経にアクセス
音声データ 送信中
だがイルサリの声だけは止まない。そして受け答えに会話さえ成立していたなら、アルトにはもうこう言わざるを得なくなっていた。
な、んだと?
この音声は あなたの息子イルサリを発信源としたものです
思わず目を泳がせる。そもそも姿がなかろうと、探して辺りを見回していた。
その背後でにじり、動き始めたチャンピオンのヒザが、マットへと突き立てられてゆく。
『忘れな。おねえちゃんには関係のないことだよ』
マグミットが頑なと吐きつけていた。
『そう、なのね?』
『その話を、わたしにするんじゃないと言ってるんだよ!』
突き返すネオンにためらいはなく、とたんマグミットの声は大きくなっていた。
『……クラウナート』
尋ねて食らった怒りがまるで同じだ。光景には覚えがあり、だからして自らを重ねあわせてワソランは呟く。なら聞き逃さなかったマグミットもまた、あの時と同様、拒むことでそこに執着していた。怒りに焼けた眼差しがワソランを射抜く。見て取るほどにネオンは確信を深めていった。
『そこなの?』
『だめよネオン!』
だとして、そのあと強か打ちつけられたのはワソラン本人だ。今度は打たれるだけではすまないかもしれない。思えば押し止めて声は上がり、目も合わせぬネオンの甲高い声を浴びせられる。
『いやよっ! わたしが助けに行かなきゃならないのっ!』
ようやく捕らえた、それが尻尾なのだ。
『そこに諦めたものがあるのね?』
渦巻く中からンネオンは手繰り寄せにかかる。
『あなたがこんなことをしなきゃならない何かが、そこにあるの、ね?』
固く両手を握り締めると、その目をマグミットへと向けなおしていった。
『送信完了』
イルサリの声がサスの船、そのコクピットに弾ける。
そんなわけがあるハズもない、と呟いたスラーが、通信ウインドを閉じることなく霊柩船を飛び出していったその後のことだ。
『父上とのコンタクトに成功。ただいま交信中です』
『アルト!』
呼び掛けデミが、これでもかと鼻溜を揺すっていた。
船はタイミングも絶妙と、光速を降りるべくインターへの侵入にアクリラへ手続きのためのウインドを開き続けている。
勝手と済まされてゆくその傍らで、サスもまた急ぎトラを呼び出すと『バンプ』へ通信をつなげていた。
『無事でおるのか?』
あいだにも光のシャワーは降り注ぎ、やがてそれは雨粒へ切り刻まれると、インターの出口が行く手に顔をのぞかせる。やがてアクリラへ星々の光は滲んだように浮かびあがり、そこへ重なりサスのつなげた通信ウインドは開いた。だが音声のみのそれに、内部はグレーと塗りつぶされている。
穴と残して光速を降りたアクリラへ、豪華絢爛と星は散りばめられていた。その最果てに。模擬コロニーもまた黒く穴を開けて浮かび上がる。
お前、一体ッ。
何をしてくれるんだと言って当然だろう。
しかし時を惜しむイルサリは、ビジネスライクだ。話を進める。
父上 ご説明を願います 皆があなたを探しています
重なり観客が、再びどよめきを発していた。
これまでにないその音圧に、アルトの感覚の中で世界は揺れ、耳をふさいでアルトはイルサリへがなり立てる。
冗談だろッ。なら、俺は今、外部ともつながってるっ、てのかよッ。
しかしそこは優秀な我が息子である。
ご安心を わたしがファイアーウォールです
父上の情報は わたしを経て
が、そこで声は切れていた。
いや、立ち切られる。
襲う衝撃に仰け反っただけでなく、吹き飛ばされたアルトの体はマットを転がっていた。
何が起きたのかなど理解するヒマがない。完全に振り切れた感覚のゲージだけが、アルトをいっとき無へ貶める。
父上? 父上! 父上!
性急と、イルサリの呼びかけだけがその中で繰り返されていた。
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