……ステム ダウン
フォロー困難
その頭蓋内では感情的な呼びかけがルーティンを終えると、単なるプログラムへと戻ったイルサリがきわめて合理的な判断を下している。
ブローカー野 反応微弱
三セコンド後 離脱
クールを通り越したその響きに思い出すのは、息子となるそれ以前のイルサリだ。だとしてどうあろうと、アルトにとって頼みの綱に変わりなければ離脱などさせるわけには行かない。
待ち、やがれッ。
たとえそれが頭の中のことだとしても、もはやそれは異常なほどの労力を要してならなかった。チャンピオンが動き出すその前にだ。アルトは残り全てを費やす勢いで、イルサリへ向けたった一言を絞り出す。
『だっ、うるさいっ!』
トラの罵声がコクピットに響き渡っていた。
何しろ光速を降りる間際、サスは咄嗟にトラへ通信をつなげようとしていたが、最初、やり取りをかわして以来、デミが開いたウインドはそのままとなっていたのだから、光速出口の不安定な通信状況も重なり幾らかのノイズを送り込んでしまったらしい。
『すまん。オンラインのままじゃったかっ』
サスは慌ててコンソールから手を離す。
『おじいちゃん見て。模擬コロニーから接近船への警告が来てる!』
その隣でデミが鼻溜を振った。
『警告じゃと?』
確かにアクリラの隅で、到着したばかりのメールファイルは点滅している。
『ジャンク屋がネオンのことを言ってきたのか?』
『まだあやつとは話しておらん』
開くことを確認したデミが、サスへと振り返っていた。うなずき返してサスはトラへ鼻溜を振り返す。
『わしはもう最上階へ到着したぞ。ネオンは一体、どこにいるのだ? ネオンの無事を確かめるまでわしは帰らん……』
ならトラの口調はそこで鈍る。
『あれ、か?』
独り言のように呟くなり、遠くへ向けて声を張った。
『おい、スラー! スラー! こっちだ!』
かたやウィルスチェックの済まされたファイルが、デミの手により開かれてゆく。
『本コロニーへの着艦警告。本コロニーは運営の都合上、オンラインによる自動誘導を行っておりません。着艦はマニュアルを施行ください。なお、本船は関係する事故に一切の責任を負いかねます』
並ぶ造語文字を読み上げたデミの声に、甘えた響きは欠片もなかった。
『ええい! この年寄りにマニュアルか!』
唸るサスへと振り返る。
父上! ご無事でしたか!
感情を取り戻した声が、アルトの頭蓋内で響き渡っていた。
バカヤ、ロウッ。
だとして甚だ場違いだと感じていたなら、アルトはすかさず怒鳴り返しもする。
そうして立ち上がれば言葉は咆哮となり、息の続く限り辺りへ響いていた。
振り返ったチャンピオンの拳が、突き上げたそこで行き場を失っている。
観客もまたかつてない領域へ足を踏み入れたこの展開へ、かたずを飲むと押し固まった。
光景を、目だけを動かしアルトは見回す。
バカヤロウ。
そのたびに危うい体が幾度となく前後に揺れて倒れかけ、ままにもう一度、イルサリへ繰り返す。
俺じゃない。助け出すならネオンを、先にふたりを助けだぜッ。
『ばっかもんが、隠居ジジイに無茶を要求しおってからに』
でなくとも、すでにマニュアル操作で家を一軒、押し潰した経歴のあるサスだ。ここでも罵声は飛んでしかりとなる。
『だってぼく、免許ないんだもん』
しかしながら状況に、ああだこうだと、言ってはおれない。小さくなるデミを差し置きサスは、両腕をまくり上げると操縦席の座りを確認するように体を揺すった。手元に並ぶ計器にコンソールをくまなく見回し、やおら深い息を吐き出す。
『マニュアル着艦シークエンスじゃ! いいか、わしひとりでは目が足らんからの。デミ、お前さんにも頼むぞ! 切り抜けたなら、免許なんぞ明日にも取れるわい』
尖らせた鼻溜をこれでもかと振り、たたえた微笑みでデミへと振り返った。ならすぼんでいた頬をこれでもかと膨らませていったデミこそ、満面の笑みでうなずき返す。
『うん。任せて!』
『父上より要請あり』
そこへイルサリの声は飛び込んできていた。
『ネオン、ワソラン両者の救出を至急、要請』
ふたりの視線はスピーカーへと落とされる。
いつのまにか完体は、荒い呼吸を繰り返していた。それは上下する視界に、動作の精度そのものが危うくなるほども激しい。
これまでの運動量から推し量るに、一度たりとも乱れる事がなかった原因はすぐにも限定されていた。完体へかけられた負荷が原因ではない。先ほど受けた一撃による出力側の、アルト自身にかけられた負荷が完体に反映されているのだ、とよむ。
救出のリクエスト完了
尽きるまであとどれほどか。
探るうちにも、イルサリが告げていた。
対峙したチャンピオンもまた、素っ頓狂だった顔をようやくかつてへ引き締めつつある。
残念ながら肉体のないわたしに物理的介入は不可能です
事態を サス トラ 両船舶へ報告
援護を要請しました
サスだ? スラーはどうした。
デミならともかく、知る由もないアルトは問い返す。
行き場をなくしたチャンピオンの拳は下ろされてゆき、そうしてゆっくりと、実にゆっくりとした間合いでアルトへと上体を倒してゆくと、戦闘体制を取り戻していった。
双方に事態の詳細を求められ 情報を開示
サスは現在 模擬コロニー海域内 マニュアル着艦シークエンス実行中
トラ船舶は着艦済です
そうして思い当たる。優等生のデミなら、誰にも言わず持っていろ、と押し付けたあの石が積乱雲鉱石やもしれないことなど、一晩もあれば気づくだろうという事実に、それをサスに相談せぬはずもない成り行きだ。なら受けたサスがこの一件をチェイサー絡みと気づくに時間は必要なく、それきり連絡を絶った己を探し始めたのだろうと考える。果てに早くもこの船へ着艦しようとしているなど、さすがだとしか言いようがなかった。
加えてスラーが変わり果てたこの姿に気づいていたなら、サスへ話が入らぬわけもなく、つまりここにネオンが同行していたことも伝わっていると考えて妥当だった。だからしてトラもまた着艦済なのだろうと、目の色を変えたその姿を想像してみる。全てはまだ胸を撫で下ろすには至らない。だがそれは最高のバックアップで間違いはなさそうだった。
父上 あなたこそ、今 一体どこにいるのです?
問うイルサリの声を聞きながら、アルトも辛うじてチャンピオンを見据えてゆく。
ここが賭け試合なのですか?
などと確かめるものだから、全くもって仕事のできる息子だと満足していた。
その話はスラーか、らか?
かなり危険なデキレースの駒だ、と記録されています
力を溜め込み重心を下げたチャンピオンは、いまだ静止し続けている。ならばタフなパートナーに、繰り広げられるこれからもさらに過激を極めて当然となり、アルトも備えてがむしゃらと乱れた息を整えにかかった。
そうとも。ネオンは、気まぐれに付き合うような玩具じゃ、ねぇ。
おふたりは人質なのですね
ああ、救出まで、時間が必要だ。
要請から 四一セコンド経過
ぶっ倒れるまで、暴れるぞッ。
唸れば、背中の痛みが己がものとリアルさを増す。
了解 父上は わたくしがフォローいたします
しかしながらイルサリは、それをも吹き飛ばすほどクールと答えて返していた。
どうしてこうも、たまらなく頼もしいのか。
とそこへ、あろうことかさらなる声は乱入してくる。
な なんだとっ! ネオンを助け出せと、助け出せなどと、ジャンク屋は言うのか!
音質こそ悪いものの、そのダミ声を聞き違えるハズがない。トラだ。
なッ、なんだッ。
思わずアルトはうろたえていた。輪をかけそこへしわがれた声もまた重なる。おっつけ甲高い物言いも響いたなら、それはあの『デフ6』親子だった。
申し訳ありませんシステムエラーです
原因は光速離脱時の通信バグと思われます
わたしの音声ラインに 船とイヤホンの通信音声が混線している模様です
たとえ原因が『バンプ』へ二重アクセスを試みたサスの単純ミスにより誘発されたものだとして、アルトに知る由はない。
冗談だろ。どいつもこいつも、ヒトの頭ン中、勝手に上がりこみやがってッ。
知らぬチャンピオンの足がじわり、マットを踏みなおす。
しかし混線は止まない。
先についていたか、テラタン!
ついにスラーの声さえ聞こえていた。
呼びつけておいて遅いぞ 葬儀屋!
言ってる場合じゃねぇ ジャンク屋だ! ヤツを探せ! すぐにでも引き剥がさねーとヤバイってんだ!
トラの通信機を通して聞こえているのだろう。スラーの声は遠く、トラの声だけが先程からバカがつくほど大きい。
知ったことか! そのジャンク屋の要請だ。
わしはネオンとワソランの救出を優先する!
ああッ デカイのは図体だけにしろっていうんだよッ。
無意味と知りつつも、思わず耳をふさいでアルトは悶える。
賭け試合の勝敗に、おふたりの安否がかかっている模様です
すかさず取得したばかりの情報を、イルサリが外部へ向け発信していた。
ふたりはこの裏にいると言ってやれッ。
アルトは付け足し、ならば頭蓋内はその騒がしさをさらに増す。
ふたりとも モメるのであれば後回しにしろ
妙に堅苦しい言い回しは、ライオンだ。下層の店で居合わせていたのだから、もう驚く気にもなれない。
マップ取得中
この細いラインを駆使して、イルサリが裏へ通じる道を探索していた。もうどちらがどちらなのか、分からなかったが、外部へ向けアナウンスを続けるイルサリはイルサリで、早くもトラたちの誘導に取り掛っている。
父上が時間を稼ぎます
マップ取得 本船へ転送
おふたりは会場裏と、判明
これが見取り図かの
早急に救出を願います
おいちゃん! ぼくがナビゲートするよ
どっちだデミ?
ならばわしひとりでマニュアル着艦をせいということか
いいのか ジャンク屋の方はそれで?
わしとて そうするわ!
けどロック解除のツールがいるよ おいちゃん ある?
心配いらん わしの拳があればそれで十分だ
まともじゃ帰ってこれねーかもしれねーんだぞ おい!
うるさい 葬儀屋!
だから モメるのは後にしろと!
余すところなく耳にしていた。
全くお前ら、頼んだぜ。
だからして呟くほかなくなる。頭を振ってアルトは小さく微笑んだ。
刹那、前傾姿勢とチャンピオンが、アルトめがけてその身を躍らせる。
ランキング参加中です
|