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ACTion 75 『DEAD OR... 8』



『やめて、ダオ! 今すぐよ、今すぐにやめて!』
 ワソランが水槽へ身をひるがえす。上げた声はもう、待ちかねた再会とは一線を画していた。
『聞こえているなら、今すぐこの試合をやめて!』
 貼り付けた手で、何度も水槽を叩きつける。
 笑い納めて眺めるマグミットが、フンと鼻を鳴らしていた。
 傍らでこめかみへ手をあてがった『ホグス』が、不意その視線を逸らす。通信が飛び込んできたらしい。短く言葉を突き返す口元が動き、そのこめかみへシワを立てた。
『通用口のアラートが動作したと、艦橋からの連絡です』
 マグミットへと視線を投げる。
『一体、どこの馬鹿だい!』
 返すマグミットは険悪だ。
『妙な茶々が入るなら、この試合も強制終了だよ』
 水槽を見比べ、引き戻したその目をネオンへ容赦なく差し向けた。
『おねえちゃん。あんたの負けだ。いや、あんたたちの負けだ』
 水槽へ訴え続けるワソランへも振り返る。
『ここはあたしの船なんだよ。いつだって、あたしのひとり勝ちってことに決まっているのさ』
 言葉にワソランの動きは止まっていた。
『詳細の把握に向かいます』
 告げた『ホグス』がマグミットの背後をすり抜け、天井の傾ぐ通路へ駆け出す。見送るマグミットが装置へきびすを返したなら、ネオンの中で予感は大きく脈打った。
『何するのっ!』
『邪魔が入ったのさ。強制終了だといったろう。お兄さんの接続をシャットダウンするのよ』
 安穏と振り返ったマグミットが、教える。
『そんなコトしたら』
 ネオンは瞳を張り詰めた。
 見つめ返すマグミットはただそこで、芝居がかった哀れみの表情を浮かべている。続かず途切れさせたなら、そんな芝居さえ見る間にしぼませていった。
『……どちらにせよ、結果は同じだと思うけれどね』
 視線はそこで着られる。装置へと向きなおったなら、背中で可愛そうに、とネオンへ語った。
 なら、やめてしまえばいいのに。
 目にしたネオンの内に、そのとき言葉はもれ出す。そもそも下層でマグミットを助けたわけこそ、そんな後ろめたさから己を守るためでもあった。省みず押し切るマグミットは、あえて自らを汚し、装う残酷さで己自身さえ痛めつけようとしているのだと思う。痛めつけることで自身へ、認めてはいけないモノがあることを刻みつけようとしているのだと、感じ取らずにはおれなくなっていた。つまりそうしなければならないほどに信じ、今だ迎えを待ち続けている者こそ、マグミット自身だ。
 確信したなら、息も絶え絶えに浮かべたマグミットの笑みはネオンの中に蘇る。自虐的だったそのわけを、見捨てられて当然だと、誰より己が納得するため全は回り続けていたことを思い知る。
 そんなのダメだ。
 思うままが叶ってしまえば、誰もかれもが、何もかもが、ダメになる。
 焦りがネオンの頬を歪ませた。
 翻弄して会場から、かすれて枯れた咆哮は上がる。
 弾かれ見下ろしたそこで、投げだされたチャレンジャーの完体は転がっていた。その様子がどこか奇妙だと感じたのは間違い探しにどこか似ており、明かしてチャンピオンがチャレンジャーの腕をぞんざいと蹴り上げる。皮一枚でつながった腕はあさっての方向へ転がり、引きずり、わずかともがいて起き上がったチャレンジャーの動きこそ弱々しかった。
 ネオンはただ息をのむ。
 試合はもう誰の目にも、一方的なものに成り下がっていることが明らかだ。
 直視できず、この成り行き全てさえ跳ね除けるようにして、ネオンは両のまぶたを固く閉じる。その目頭に熱はこもり、まつげの間へとめどなく涙はたまった。それでも耳へ格闘を続ける二体が放つ鈍い音は、絡みつく。
 それでも取り戻さなければならない。
 何を、誰を、ではなく、全てを、だった。
 でなければ全ては、たったひとりの絶望の果てに、尽きる運命にある。
 まつげにたまった涙がこぼれ落ちかけ、させまいとネオンは力任せに両手を押しつけた。こすり、拭い去ると同時に、マグミットへとその身を傾ける。それが真っ逆さま、と言う言葉を思い起こさせたとしても、ネオンはそのとき闇へ飛び込む覚悟を決める。
 気づくことなく装置へ手をかけたマグミットへ、両手を広げた。
 足音に振り返ったマグミットの顔は、驚いているともたじろいでいるとも区別がつかない。
 その体を、ネオンは抱きしめた。
『な、何のマネだい!』
 拒んでマグミットは身をよじったなら、ネオンはなおさらその腕へ力を込めた。その潰れた背中が、固くゴツゴツと手に触れる。けれど恐ろしさなんてものは、今のネオンに欠片もない。
『そうじゃないよ』
 言っていた。
『そんなのみんな、嘘よ』
 『ホグス』が走り去った入り口から、くぐもった罵声がもれ聞こえている。それが聞き覚えのある声だったとして、今、ネオンの耳には届かない。
『あなたはただ、長い間、待たされ続けただけだから』
 言って聞かせる新しい物語こそ、失い、絶望したマグミットの「つづき」だった。示し、分け与えることができるなら、何をもっても惜しむつもりはないと、ネオンは思う。
『聞こえないのかい! わたしは離しなと言ってるんだよ!』
 ぶつけられる罵声をかいくぐり、だから続けた。
『……捨てられたりなんか、してない』
 より強くその身を添わせたなら、凍りついたようにマグミットの動きは止まる。
『待ち過ぎて、ちょっと勘違いしただけなんだから。だから諦めるなんて、しなくていいよ。遠ざけて、自分を、周りの全てだって、傷つけることなんてしなくていいから』
『あ、あんた、一体、わたしになにをするつもりだい』
 間近と聞き入るマグミットの体が、覚えた予感を拒み怯えていた。
『何もしない』
 その揺れる瞳へネオンは告げる。
『分けてあげる』
 身を離して微笑み返し、ほどいた両手を歪み強張るマグミットの頬へ持ち上げた。
『その思いを手放す時がきたのかどうか、それはあなたが決めてくれればいいから』
 沿わせ、静かに瞳を閉じた。
 瞬間、ワイヤースリーブマッチの喧騒も、何もかもが聞こえなくなる。
 だからこそ、ためらいはなかった。
 それでも何かを言わんとするマグミットを、ネオンは遮る。
 当然だとさえ感じて口付けた。


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