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ACTion 80 『行こう』



『ネオン!』
 たとえ様子が変わっていようとも、その姿をトラが見失うことはない。
『な、何だここは?』
 広がる光景を前にライオンはあんぐり、口を開き、その顔へ向けてアルトは腹の底から怒鳴りつける。
『おせーぞッ、お前らッ』
 ネオンだけが、テンの船で別れたきりのトラに見とがめられたかのごとく、その表情をくもらせていた。
『ジャンク屋、あんたすげーぜ。無事なのか!』 
 スラーもまた興奮気味と投げる。
『お願いがあるの!』
 言って振り返ったのはワソランだ。長い戦いから解放されたダオ・ニールを支え、立ち上がっていた。そんなダオ・ニールの姿は、利用客の中、ワソランがマグミットと見間違えたように小柄だ。岩のようだったチャンピオンとは似ても似つかず、剥がれ落ちたことが奇跡のような接続痕を、その背に一直線と残してもいた。
 果たしてそんなダオ・ニールへ興奮剤が投与され続けていたかどうかは定かでない。たとえそうだっとして、その身を案じることこそワソランの役目だろうとアルトは考える。
『わたしの代わりに父に伝えて! あたしは……』
『待てッ』
 言いかけたワソランを遮った。
『仕事だ、聞いてやれッ』 
 ライオンへ振ったアゴで知らせる。
『こんな時に! 着払いが無理ならば請求にゆくぞ』
 などと憎まれ口を叩きながらも早々、動き出すライオンこそ良く分かっている。
『デミ坊、サス! ジャンク屋とネオンを見つけたぞ』
 任せてトラが通信機へ吹き込んでいた。  
 もちろんネオンを目にした時から、寄り添う二人がもうかつての二人でないことには気づいている。だからして『バンプ』で呟いた『もう駄目だ』というセリフは脳内でリフレインすると、こみ上げる侘しさにと共に止めようのない脱力感を覚え、開いたネオンとの恐ろしいほどの距離にしばし立ちすくんでもいた。
 だがそうしてついについた決着は、不思議とトラには心地がいい。
 何しろ気をもんだことなどとりこし苦労と、そこには力強くネオンを抱きしめる男がいる。委ねる価値はあると、その時が来たのだと、安堵がトラを言い含めていた。
『なにっ? 四三七セコンド?』
 そうして告げられた公安の到着予想時刻に、声を裏返す。あまりの早さに冗談だろうと、スラーと顔を見合わせた。
 無論、早々にご到着のそのワケは、最善を尽したサスにデミが救難信号の内容を、船舶トラブルから船賊の襲撃に書き換えたことで、取り締まる管轄が超法規的なものへすげかえられたせいにほかならない。おかげで通信ラインは剛健となったものの、船賊を前提とした公安船舶の機動力は桁外れとなり、六〇〇セコンド以内の到着などという離れ業を実現させたのだった。
『タッチアンドゴーどころか、タッチアンドキャッチではないか』
『うまい事いってやがる場合かよ』
 まさに。
 げんなりスラーがツッコめば、その背後で気配は揺れる。トラもまた感じ取ると、息を合わせて互いは通り抜けて来たばかりの通路へ振り返った。そこに黒服たちは、これでもかと駆け込んできている。
『まだいやがったのか』
 そらそうだ。この巨船に乗務員が十体そこいらのはずがない。
『なにを、今日のわしは、束になっても倒せんぞ!』
 スラーは身構え、狭い入口を塞いでトラもまた仁王立ちとなった。瞬間、わーっという声が聞こえてきそうな勢いだ。両者はそこでがっちり組み合う。
 押せや通せや、撃つだの撃たれるだの、もみ合いは始まり、背にしてライオンはワソランのメッセージを聞き終えていた。だからこそ言葉もなく眼差しだけをかわし合えば、そこに託し託される者同士の信頼はにじむ。
『ありがとう! 石はあなたたちが使って! ギャラよ!』
 断ち切ったワソランが、アルトとネオンへ声を上げていた。さらにその奥、もみ合う黒服と巨体の『テラタン』に『エブランチル』の後ろ姿をとらえたなら、引き締め直した頬で脱出口を探して首を振る。
『後で取りに来いッ。石はOp1のあの店で預かっているッ』
 アルトは返すが、あげるという前にすでに捨て去ったと思しきワソランは、見向きもしない。
『いいの!』
 水槽の影に通路を、最初、アルトとネオンがここへ足を踏み入ることとなった通路を見つけ出すが早いか、ダオ・ニールを引き連れ歩き出していた。
『ワソランっ!』
 ここで行く先を分かつ。
 知れたからこそネオンもまたその名を叫ぶ。そうして伝えたかったことは、ふたりの身を案じる以上の、ありがとうだ。
 なんてことはないとワソランが、振り返った口元を緩めていた。
『奥にエレベータがある。そいつを使えッ』
 アルトもその顔へ、声を張る。
 うなずいたワソランは、それきり正面へ向き直る。辛うじて足を繰り出すダオ・ニールを励ますと、やがて通路の向こうへ姿を消していった。
 が、そうして気づいたのは、あまりにひどい勘違いだ。
『おいッ』
 慌てて水槽から背を浮かせたのは、アルトだ。
『お前ら、帰りのアシはッ』
 そのとおり。ワソランはアルトの船でここまで来ている。
『何を言っている。ぼやぼやするな! 行くのはきさまらもだ!』
 横面を、駆けつけた黒服を入り口丁度の巨体で押さえつけるトラのダミ声に、叩かれていた。
『メッセンジャー! あんたも仕事が終わったなら、手ぇ、貸せっつーの!』
 隣でスラーもライオンへ唸る。
『ええい、ひと使いの荒い!』
 こぼしライオンが駆け戻ったところでネオンはおろかアルトさえ動かなければ、押せや撃てやのもみ合いを背にトラは、こうも口をひらいていた。
『早くしろ。わしはきさまらと言ったぞ、ジャンク屋!』
 そうしてその名を呼ぶ。
『ネオン!』
 どんな言葉を浴びせられるのか、耳にしたネオンの頬は張り詰めていた。
 だからこそトラは言う。
『いいか、その男には介抱してやる者が必要だ。わしのことなど気にするな。連れて今すぐ、ここを出てゆけ!』
『ここは俺たちにまかせておけってんだよ!』
 だからこれで一体、何度目なのか。一生分を使い切ったに違いないセリフを、スラーも吐いた。
『だが、あまり頼られても困る。少しは状況をみて、早急に協力してもらいたい!』
 ライオンもまた己の頭に触れようとする手を叩き落としつつ、まくし立てる。
 本当にそれでいいのか。確かめネオンはアルトを見上げていた。だがトラを見つめたきりのアルトに返事はなく、その視線を前へと戻す。
『トラ……』
 言う顔はごめんなさい、と言い出しそうで冴えない。
『それから今度は靴でなく、もう少しマシな服を買ってもらえ!』
 遮るトラの声は大きくならざるを得なかった。
 つまり、いつもの通り何かを言い返すべきだとネオンは思うが、今はその悪態すらさえ切な過ぎて何も出てこようとしない。
 きっともう、共には暮らせない。
 思いが罪とネオンの頬を歪める。
『なんて顔をしておる。心配するな』
 見せつけらたトラのそれは、己こそがネオンを手放す、そのためだ。
『ネオン。わしの店はいつでも開いている。お前が帰りたくなったなら、いつだろうと戻ってくればいい。わしはそれで十分だ。お前は人形でも、欲して止まない恋人でもない。それ以上、大事なわしのたった一人の娘だ』
 聞かされたネオンの目から、涙がこぼれて落ちそうになる。ひたすら繰り返す瞬きで堪えたなら、ネオンはただ大きく、そしてはっきりトラへうなずき返した。
『行こう』
 言って、抱きしめるアルトの手を取る。ワソランたちの消えたエレベータへ、自身もまた身をひるがえした。
 連れられるままきびすを返しアルトも、黒服を背にことさら満足げな笑みを浮かべるトラへ視線を投げる。だが思った以上、己の体は自由は利かないらしい。知って言葉を諦めた。せめてネオンの足手まといにならぬようにと、トラから視線を剥ぐ。向かう先へ据え直した。
 そんなアルトを支えて歩くネオンの後ろ姿はもう、すねて憎まれ口ばかりを叩いていたあの頃とまるで違っている。
『それでいいのだ』
 達成感がトラの胸をすいていた。
『お前はいつも、美しい』
 その背で押し寄せるだろう公安に、黒服たちはひとり、またひとりとこの場を後にし始める。
『沈む船からネズミが逃げ出すとは、このことだな』
 その尻を蹴って送り出したライオンが吐いた。
『とにかく俺たちもそろそろトンズラこかなきゃ、連行されちまうぞ』
 残る数体へ拳を振り上げ、スラーも言い放つ。
 ならこれ以上争ったところで意味はない、と残っていた黒服たちも、ついに全てがバラバラと逃げ出してゆく。おかげでトラも入り口の栓という役目から解放され、そこから身を引き剥がした。
『ようし、わしらもとっとと退散するぞ!』


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