『それでいいのか?』
『ネオンが幸せでおれば、それでいい』
言い分に、驚くスラーの目が満足げなトラの顔をのぞき込む。
『さしずめわたしは仕事を取りに来たようなものだな。ジャンク屋とどういう関係かは知らないが、あの依頼主、ハーモニック創薬の娘だった。取りっぱぐれはなしだ』
違う意味で満足げなライオンの獣面の鼻息は荒い。
『なるほど、男でも女でもなくなれば、あんたの愛は永遠だ。いい選択じゃねーのか、まったくよ』
見抜いたスラーの細い目がたわんでゆく。
そうだろう、と思えばトラこそ、最初、ネオンを目にしたとき感じたあの衝動がなんだったのかを理解できたような気分になっていた。
『家族、か』
呟けば、切れることのない絆が、確かと紡ぎ出されてゆく未来を予感させる。
その未来には、いつも暖かな風が吹いていた。
そして忘れてはならない者がここにはひとり、いる。
モディーは中腰と立ち上がっていた。
釘付けとなっていたワイヤースリーブマッチは、佳境も佳境。凄惨を極めたリングに千切れた腕を転がして、二体を対峙させている。
誰もが、これで最後だと、息も絶え絶えのチャレンジャーに息をのんでいた。
だがその時、動けるはずもないと思われたチャレンジャーがマットを蹴りつける。舞い上がったそこでゲージに食らいくと、チャンピオンの頭上を奪った。チャンピオンもまた負けじと頭上を取り返せば、無重力下とみまごう攻防は再び始められ、何の前触れもなく試合は終わりを告げる。
ゲージを蹴りつけたチャレンジャーの完体が、不意にマットへ墜落していた。
決定打のないままついた勝敗に観客たちは不可解を極め、追い打ちをかけチャンピオンの体もその傍らにボトリ、音を立てて落ちる。あれほど好戦を続けた二体は、まるで遊び疲れたかのようだった。寄り添い並ぶとそれきり深い眠りを分けて黙する。
何が起きたのか、理解できる者はおらず、会場は水を打ったような静けさに包み込まれる。主催者から何のアナウンスもなく、会場がザワつき始めたところで公安の到着を知らせて艦内放送は流れる。
『なっ、なんでやんすか?』
ネオンとアルトがエレベータ前に辿り着いた時、ワソランとダオ・ニールの影はもうそこになかった。だがカゴは目の前にあり、覚えた違和感に二人は首をかしげる。別の経路をたどったのか。想像するほかなく、再び中へ身を潜り込ませた。
滑るような勢いで降下してゆくエレベータの中を、風は勢いよく吹き抜けてゆく。たっぷり濡れた体だったが、冷える間すらなく最下層へ辿り着いていた。
そこでどんな顔をされても弁解の余地はない。事務所へと抜け出す。公安ご訪問の一方は、すでにいきわたっていたらしい。しかしながらそこはもぬけのカラだった。
誰もいない店内を、アルトとネオンは不慣れな二人三脚よろしく通り抜ける。薄いカーテンを潜って店のドアを開け放った。
通路を利用者たちが、急ぎ格納庫へと向かっている。
ホロ広告は全て落とされると、退避を知らせて非常灯が通路の端々で点滅していた。あおってついに到着を果たした公安の勧告文が、アナウンスされる。恐らく公安は公安で、キャッチした信号とまるで違う現場に、段取りの組み変えもてんやわんやの最中だろう。
模擬コロニーは模擬コロニーで、連なり作り上げていたこの空間をそれぞれの船に解き放つと、一刻も早く離脱するべく警告を放っている。
「急がなきゃ」
肩に回したアルトの腕を担ぎなおす。見据えるままにネオンはその中へと紛れ込んだ。
果たして逃げ惑うこの中に、ワイヤースリーブマッチを観戦していた者がいたとして、誰がそのリングで闘っていた者もまたここにいると気づくだろうか。エントランスをやり過ごし、トラやスラーにライオンはおろか、ワソランたちともすれ違うことなく、ボディーチェックのゲートを、切り離される寸前でやり過ごした。
辿り着いた格納庫の扉を、立てつけの悪さもそのまま引き開ける。
すでに次々、とこの場を離脱してゆく他船の発進音が、まるで爆撃がごとく辺りに鳴り響いていた。肌で感じながら、積乱雲へ突っ込んだきりと傷だらけのスクータ船へ乗り込む。 「大丈夫だ。船くらい飛ばせる」
その操縦席へ、腰掛けるというより身を投げ出してアルトは言った。イルサリが居残っていたため残していた電源のせいだ。手順も半分以下となったシステムを、立ち上げにかかる。
おいてきびすを返したネオンは、仮死強制のポッドへ楽器を放り込みに向かった。
確かにこれからを考えたならその方が幾らも安全というもので、任せてアルトはシートベルトをその身に巻きつける。両足でフットペダルを交互に踏み込み、動作を確認しながら残る計器のスイッチを弾いきコンソールへデータを叩き込んでいった。
最後、ヒザの高さに据えられたスターターをワンプッシュすれば、唸り声を上げて動力は高速回転を始める。
「ねえ、いい加減、助手席、設けない?」
コックピットへ駆け上がってきたネオンが、身構え辺りへ手を突っ張りながら投げていた。
「よく言うぜ。乗せちまえば、補助させられるのはこっちだろ」
マニュアル必至のこの場所でゲートも手動解放となれば、自ら作動させつつアルトも切り返す。
前でゆるゆると、絞りを解いてゆくゲートが、そこに外界をのぞかせていった。
ドーム状のコクピットへナビゲーションは膜を張り、他船の軌道が光の尾を引き二人の周囲を取り囲んでゆく。その様子は混み合いこそすれ、かつて崩壊寸前のコロニー『フェイオン』から脱出した事を思えば、大通りの真ん中を行くすがすがしさだ。
アルトはスロットルを開放する。
浮かび上がった船体が、小さく左右に滑って揺れ動いた。
制御してフットペダルを小刻みに踏み込んだなら、操縦桿を引き上げる。
前方へ滑り出した船体が、おずおずと格納庫から舳先をのぞかせていった。
ネオンがドームに貼り付けられたナビの向こうを、千切れそうなほど頭を振って見回している。その目が三百六十度、広がった視界の一角に、模擬コロニーへ横付けしようとしている政府艦三艘を見上げた。
恐らく逃げ遅れた者はこのあと乗り込む公安に身柄を拘束され、IDの差し止めを食らうだろう。それも前代未聞の規模と数でだ。
「みんな、大丈夫かしら」
心配げとネオンが呟く。
応えてアルトはギルド親子にトラ、葬儀屋両人の船へ通信をつなげてみるが、政府艦によってかけられた通信規制のせいだ。呼べど叫べどいずれの船にもコンタクトは取れない。
「妨害されてやがる」
あいだにも、互いを避け合いながら船は、模擬コロニー周辺海域から離れていった。やがてナビに張られた軌道の網目はほどけ、網そのものがドームから消え去ってゆく。二人の周りに漆黒の宇宙だけを広げていった。
闇雲に飛ぶくらいなら、落ち着き先を求め早々にも光速で帰路を急ぐが然りだろう。だがそれだけの作業をこなすべく集中力が、どうしても今のアルトには沸いてこなかった。ここはひとつオートパイロット代わりにイルサリを呼び出すか、と 慣れた指先は『ハッピーバースデイアルト 獅子の口は真実を語る』のアクセスコードをメインコンピュータへ叩き込みかけ、気づいてアルトはその指を浮かせた。
一息、挟む。
同じ指で、自前のオートパイロットを弾き上げた。
動作したことを証明して、船内に擬似重力はかかる。天井に手をついていたネオンのヒールが床で音を立て、ふう、と漏らす息の音が聞こえていた。
アルトもまた、喘ぐように四点式のシートベルトを解く。念のため追っ手がかかっていないことを確認するが、あれだけの規模の、あれだけの数の船が一斉に飛び出したせいだ。追跡船の影はおろか、船種をロックされた形跡すら見つけ出すことはできなかった。
分かれば張り詰めていたなけなしの気力が、一気と緩んでゆくのを無抵抗で受け入れる。
「ワソラン……」
呟くネオンの声を、背に聞いていた。
「あん?」
「ワソラン、ちゃんと逃げ出せたのかしら」
問えば、ネオンの声は芯を取り戻す。
「あいつは……」
それはもう、想像するほかない話だろう。だからしてアルトはしばし口をつぐむと、考えを巡らせた。もたれかかったヘッドレストに頬杖を突くネオンの気配が過ったなら、言うことにする。
「あいつなら、うまくやるさ」
そうして手繰り寄せた結末には自身があった。
「そう……、よね!」
迷ったように言葉を詰まらせたネオンも、思い当たるままにその声を明るくする。
「マグミットのヤツ、最初から知って組みやがったんだ」
「ええ。あのひとは寂しいひとだった」
むくんだような目頭を揉みほぐしてつくづくこぼせば、ネオンもまた言った。
「どうりで手加減してくれてたぜ」
「ん、誰が?」
ジンワリ熱を帯びてきた両眼に、アルトは手を下ろす。閉じていたまぶたを持ち上げていった。
「チャンピオンさ」
イルサリと入れ替わる直後、詰め寄るまでの間合いは果たして何だったのか。
「だってワソランがずっと呼びかけてたもの。届いてたのよ、きっと」
教えるネオンの指が、そうして自らの唇をそっと確かめる。
「でさっ!」
やおら声を跳ね上げた。
「ねえ、どうして最初、ワソランに手を貸そうと思ったわけ?」
真上からのぞきこんでくるような、あけすけな問いかけが、ついぞアルトを振り返らせる。そこでいたずらっ子そのものと、笑みを浮かべて見下ろすネオンこそ確信犯だった。
「ただの偶然? それとも彼女がグラマーだったから? それとももっと他のこと考えてた? ねぇ、ねぇ、白状しなさいよ」
ゆえにアルトが仏頂面を決めこんだなら、突き立てていたヒジでアルトの頭を小突いてみせる。されるがままだ。アルトはそれきり、むっと結んだ口で前へ向きなおった。だからこそ食い下がるネオンは、止まるところを知らない。
「こら。わたしが来るまで、ふたりだけだったんでしょ? ねぇったら。ねぇ、ねぇ」
「……そっくりだ」
止まないのならと、アルトは言った。
「え?」
その声が、低くくぐもっていたなら、目を瞬かせてネオンは問い返す。
「あいつは、あの頃の俺にそっくりだった」
聞こえて、戸惑う。
「トチ狂って何をしでかすか、あぶなっかしくて放っておけやしない」
無論、言わんとする「あの頃」が『F7』であるということを疑えはしなかった。そして断片だとしても光景は、短い記録映像と保存された部屋の様子で知っている。つまりワソランがあの頃のアルト、いやセフポドだというのなら、ネオン自身はダオ・ニールだとでも言うつもりか。いや、アルトはそう言わんとしているのだと分かれば、放漫だったネオンの動きはそこで止まっていた。
塞ぎようのない沈黙は訪れ、動揺だけが満ちてゆく。
抱えきれずあふれ出せば、もう誤魔化すことはできなくなっていた。
見抜いてアルトが振り返る。
その瞳はもう欠片も笑っていない。ただネオンを射すくめる。むしろ言わせたのはお前だ。いわんばかり睨みつけると、操縦席を押しやった。そうして立ち上がった姿は、いつも以上に大きくネオンの目へ映り込む。
こんなだったろうか。
見上げて後ずされば、埋めるアルトが押し迫った。
伸びたその手がネオンの肩を掴む。
否や、噛み付くように口づけられていた。
勢い余ってもつれ込み、狭い コクピットのドームに背を押しつける。
息は詰まり、詰まるままに、ただネオンもアルトの腕を掴み返していた。
嫌ってアルトが身をよじる。
記憶の中で痛むのか、力を抜けば些細な現実に水を差され、唇は離れていた。
「すまん」
などと謝る理由こそ定かではない。
いや繊細すぎて、むしろないくらいだ。
「悪く、ないよ」
答えて返せばまだ熱を帯びた互いの呼吸が、鼻先で触れ合う。感じたからこそ、はにかみ笑った。
「痛む?」
付け足して、ネオンは爪を立てたばかりの腕を撫で下ろす。
「体じゃない、どうにも脳がそう記憶してやがる」
作り笑いの向こう側が、今なら透けて見えていた。
「記憶じゃ、どうにも手当てできないわね」
だからしてネオンは茶化す。
「てことで、この先はお預けだな。でないと、体がばらばらになっちまう」
聞かされ、クスリと笑っていた。
隠して額を、アルトの胸へ押しつける。
「バカ」
「バカって言うやつが、バカだ」
その体を抱き寄せたアルトが繰り返していた。
「わたしたちは、どこへゆくの?」
ゆだねてネオンは問いかける。
「そうだな」
そう、この靴がある限り、どこへでも行けるはずだった。だがだがお宝を求め定住を捨てたその身に、相当のより所はない。それでもしぼり出した記憶の底にぽつねんと、いまだアルトの帰りを待ち続ける場所はあった。
「地球に、F7でかくまった俺の家がある」
「ほんと? あたし、まだちゃんと地球に行ってみたことがなかった」
目を輝かせるネオンは無邪気だ。
「ただし。半分潰れて、見る影もないけどな」
今度はアルトがいたずらっ子の笑みを浮かべる番となる。それもこれも文句があるならサスに言うしかなく、だがその偶然もなければこうして抱き合う今もありはしなかっただろう。
「いいよ」
知っているかのようにネオンが静かに、切り出す。
「残りの半分は、あたしと作ろう」
そのために、こうも世界は不完全なのだ。
だからこそ貫き束ねた思いが、完全とある世界を目指し動かす靴となり、そしていまだ誰も解き明かすことの出来ない生命を紡ぎ続ける。
「いい提案だ」
呟き、アルトはそっとまぶたを閉じた。
消えた景色に代って、そこには確かと見えるものがある。
決して触れられぬ生と死の狭間で、
誰も及ばぬ世界の果てで、
最後の秘密を匿いながら、
最初の秘密を永遠と孕みながら、
確かに揺れて、それは影踏み続ける世界へ希望を与えていた。
そこに愛は確かと息づいて、二人を遠く未来へ運んでいた。
ランキング参加中です
|