日はまた昇る/アーネスト・ヘミングウェイ
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面白く感じなければ、ディケンズへ行くつもりだった。 どうにも琴線に触れる映画『ヒア アフター』で主役、 マット・デイモンの演じる超能力者が、大好きな作家である。 そこにも映画の秘密が隠されているような気がして、読んだことがなければ手をつけよう、と思っていたのだ。 けれど、『武器よさらば』は面白かった。 もう少しヘミングウェイと遊んでみたかった。 カップリング収録されていた『日はまた昇る』、 『The sun also rises』へ突入スル。 こっちは、どんなにヒデー毎日でも、ケロッとした顔で朝日は昇っちまうのさ、 と訳したい。 そんな話。 時代は終戦直後。 社会がまだ戦争の名残を引きずっていて、そうした雰囲気の中で若者は行き場を失い、 自暴自棄といおうか、退廃的といおうか、 目的を失いエネルギーを持て余す 主人公とヒロインとその友人たち、5人の色恋沙汰がコレ。 誰が誰を求めているのか。 うまくいきそうでいかないすれ違いは、 奔放なヒロイン、ブレッドのせいのようであり、うつろう彼女の虚しさは理解でき、 本命のハズながら見守るジェイクの葛藤は、痛々しい。 その三角関係のような、さらに複雑なような、 友情と愛情とが鬱屈したまま、爆発寸前で渾然一体と絡み合う。 クライマックスはスペインの祭りとシンクロ。 闘牛と、あれは牛追い祭りか? この演出が憎い。 その乱痴気騒ぎと、これまで辛うじてバランスを取っていた5人、いつの間にか+1との関係に決着がつく。 退廃的なのにある、むせるような熱気が、登場人物を紙の中から浮き上がらせる。 理性保ってやせ我慢、ブチ切れて戻れない地獄道。 手放して、堕ち行くままにまかせる、ヤケクソの美学。 どうすりゃだれもが、納得行くのか。 見つけ出せそうにない閉塞感は、小説が当時、理解された大きな要因だとして 誰もがどこかでそう、感じていたのだとすれば、相当に病的である。 最後の最後、祭りが終わった後の侘しさそのものな幕切れは、 元のさやに納まったにもかかわらず、残るしこりがまったくもって切ない。 そう、それでもまた日は昇るのである。 読み終えて振り返れば、時代を違えたトレンディードラマのようでもあり、 古いのか新しいのかよく分からないほど。 その後の進展も気になるが、知るのがこわいあたり、 ここにもヘミングウェイ独特の、「厳しさ」が潜んでいるような気がする。 救われないのは『武器よさらば』と同じだとして、『武器よさらば』のラストには風が吹いていたが、 こちらはなんとも、そぼ降る雨が似合うと思った。 本を閉じて涙目で、しばしうーん、と唸る。 唸りながら、これをはずしてなるものか。 N.riverはまた昇った日のもと、懲りず『老人と海』を求めて動きだすのであった。 ★色恋沙汰が気になる方にお勧め ただし、少々鬱屈しているため、純情には終わらない 深読みすればするほど、大人向けであることウケアイの一冊です |