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血と骨/梁石日


さてこの『血と骨』、北野武主演ということで
彼のファンであるN.riverは劇場へ向かった。
分かっていて見たつもりだったが、
スクリーンは壮絶だった。
濃い。
原作は小説だ。
一体、本家本元はどうなってんだ?
読んだところ、文字になろうとパワーダウンはしていなかった。

描かれているのは、
朝鮮から移民してきた主人公家族と、その周辺の人々の生きざまだ。
日本人もまた米国へ移住し、苦労した話はいくらもあるなら、
その逆もしかりである。
物語は主人公の父の生きざまを中心に、展開してゆく。

これが映画以上、鬼かと恐ろしい。
中庸がなく、ギャーといいたくなるほど激しい。
これでもかと残酷で、哀れで、
だからこそ逆境になど決して屈服せず、
つまりたくましい、といえばそうだが、
譲らないそれは、いやらしいほどにがめつい。

並べ立てれば悪行三昧のようであるが、どれも誰もが無縁といえぬ欲だ。
剥き出しにして、ブルドーザーのように周りをなぎ倒し生き抜く様は、
でなければ、やるかやられるかの中をくぐり抜けてきた凄まじさを、
読む者へ焼き付ける。
その気の抜けなかった人生を思えばこそN.riverは
一概に彼を責めることは出来ようか、と思ってやまのいのである。
むしろ哀しいものだなぁ、と本を閉じると喉を詰まらせ、
枕へヘッドロックをかませるのであった。

物語に出てくる悪役は、倒されてそれで終わりというけれど、
悪役には悪に染まらざるを得なかった理由がある、
とN.riverは、己が悪人だから弁護すべくいつも想像を巡らせる。
なら善人は常に、悪役に依存しているアンチにならざるを得ず、
むしろドラマは『血と骨』の彼のように、悪役の中に潜んでいるのではないか
と思うのだった。
だから枕へ、ヘッドロックをかます。
おらおら、俺はワルだぜ命がおしけりゃ、金出しな、と。


★書かれている主人公の父は
 著者、梁石日氏の実父が
 モデルになっているというリアルさです
 あまり知る機会のない朝鮮移民の生活は
 史実としても耐えうるのでは?
 と思います
 半ドキュメンタリーとして
 どうぞ覚悟してお読みください