夢を与える/綿矢りさ
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これからという年齢でありながら、熟練の証を授けるのは酷である。 フィギュアスケートの彼女も、ゴルフの彼も、 だからしてN.riverは手放しに喜べず、 むしろ応援なんかしてやらない、と思うのだった。 本書、綿矢りさ女史もその一人だとN.riverは心得る。 十代での文学賞は話題になれども、 話題になればなるほど後、これから大変だぜ、 と失礼ながらも痛々しく感じてならなかったのだった。 だからして『蹴りたい背中』も『インストール』も読んでいない。 唯一、本書だけがタイトルに惹かれ手をつけた、女史の著書である。 (ブックオフで『プリンセストヨトミ』と一緒に買った! なんという抱き合わせ) 懸念とおり、5年のスランプを経て出版されたという本書。 内容は、一人の女の子、ゆうちゃんがアイドルとなり、 売れっ子として活躍する中での出来事と心の風景と、 囲う人々を丹念に描いたものである。 だがこれはただ単に、ゆうちゃんの物語では終わらない。 N.riverはそう感じる。 同時に、ここへ至るまでの女史の5年間が詰め込まれていると、 思えてならないのだ。 些細なきっかけから、スターダムにのし上がり、 自分の力では動かし難い人気商売、芸能界の中、 翻弄されつつ、視聴者の期待に応えようと頑張るゆうちゃんと、 文学賞を受賞して注目を浴び、一気に時の人となった女史の、 受賞歴を裏切らない結果をだすべく悪戦苦闘を続ける姿は、重なる。 少なくともそうした毎日から得たものを糧に、 女史の感性そのままに素直とつづられた物語ではないか、と読んだ。 むしろ文字からそれがにじみ出ている。 ゆえの、ツクリモノという逃げ場を欠いた本書は、 息づく現実感がむしろグロテスクでさえある。 どの口が言う、だが、 女史はまだ作家として発展途上だと、N.riverは思っている。 なぜなら本書を読み終えたとき、 何とかまとめなければ、と無理矢理持ち込んだナニカが、 テーマを安易に都合よくすり替えているようで釈然とせず、 ちぐはぐな印象が残ってならないからだ。 それこそが悪戦苦闘の爪痕であって、 女史がまだ書こうとしているものの、 自分の中にある芯を掴み切れていないためではなかろうか、 と感じられてならない。 しかしながらその段階ですでに商業小説として成立するあたり、 まだまだある「伸びしろ」に、凡庸に終わらない本物の証はひそむ。 なら、目指して苦悩する女史の姿はN.riverの中で、 村上春樹氏の『ねじまき鳥クロニクル』で紹介した、 「辿り着くためにこもる井戸の中の僕」と重なってならない。 ガンバレ、ガンバレ。妥協なんてしちゃいけない。 大事なソレを間違いなく掴んで返って来てくれ、と。 我がことのようにN.riverは応援してしまうのだった。 作家として『夢を与える』ことを女史が考えたのかどうか、 N.riverには不明だ。 だがそんな小さなことよりも、 ひたすら女史の感じる所を研ぎ澄ましていってほしい、と願う。 見たいのは、読み手の喜ぶ姿ではなく、書き手の中にあるものだ。 そして知りたい、と思わせてやまない才能があるからこそ、 それをいかにそのまま表現できるか、勝負してほしいのである。 小説の中のゆうちゃんのようには、ならないように、 おせっかいながら思って止まないN.riverなのだった。 ★純文学です ですがこむずかしい内容はいっさい ありません 主人公のゆうちゃんが 子供モデルから 大学受験までの期間を追っています 同じ年代の方ならなおさら色々 思い巡ることあり と思われます 暗い終わり方が後を引きます 落ち込んでいる時は読書を お控えください |