www.central-fx-hyouban.com
沈黙/遠藤周作


我が家は仏教である。
学校はキリスト教系へも通ったことがあった。
そして古事記完成1300年記念の本年、
わけあって神道をちょっとだけ調べたことがあるN.riverだ。

神、仏、ともかく畏れ多いなにかが気にかかる時期
というものはあるようで、
その最初はやはり「キリスト教」だったように思い出す。

本書を読んだのは、十代半ば、
夏休みの時間の多さをもてあまし
闇雲に読み始めた新潮文庫シリーズのひとつに、入っていた。

いつもながら細かいことは思い出せない。
ただ強く残っている点があるとすれば、
夢もへったくそれもないN.riverにとって
神はどうあがいても妄想の産物でしかなく、
物語の中で救いを求め、
救われると信じて神についてゆく民衆の姿が、
ひたすら不憫でならなかった、ところだろう。
そしてついに神は、踏み絵を強要された民へ
「踏みなさい」と囁くのだ。
「わたしはその痛みと共にある」と。

現実に神が囁くことはない。
追い詰められた民の
踏まずにおれない行為への「言い訳」だとして、
「踏む」ことへの動機づけだとして、
この問題を解決するに肝心なのはそこじゃない。
と、若きN.riverは小鼻を広げたわけである。
だのにある意味、弱味へ付け入るそのさまは、
カミさん卑怯だぜ、と感じずにはおれなかったのだった。

しかしおそらく遠藤氏の描く神は
そう思いさげすむN.riverの傲慢さとも
共にあるのだろう。
見捨てないこと。
それがどんな対象であろうとも。

次回、『死海のほとり』にて、
N.riverはだからこその衝撃を受けるのだった。


★幼い頃
 親の影響でクリスチャンだった遠藤氏の
 生の葛藤がこめられているのかな
 と読みました
 宗教を媒体とした人のありようは
 補いきれない弱さを鋭くえぐる問題作だ
 と思います