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脳と仮想/茂木健一郎


仮想と対になるものは現実である、ヴァーチャルに対してはリアルが設定される、
と、一般的にはとらる。
だが本書は、そんな住み分けをしない。
むしろ我々が認識するものはごっそりヴァーチャル、仮想なのだ。

なぜなら、どれほど周りに街が広がろうとも、
わたしが認識しているのは街そのものではなく、
目や耳という感覚器を通した電気信号が再構築する、擬似的『街』でしかない。
わたしたちが知っている『街』とはそうして脳内に立ち上げられた、仮想の『街』なのだ。
そしていかなる認識も、この範疇をでない。

くわえてかくいう「わたし」と呼ばれるこの意識もまた、
脳内に立ち上げられた電気信号によるひとつの「仮想」だ。
証拠に、1リットルほどのタンパク質の塊から、
「わたし」は出ることができないでいる。

そこから感じざるを得ないのは、「わたし」とその外部との決定的な断絶である。
と、科学者である茂木氏は語る。

(漫画『火の鳥』でロビタの登場する話があるが、
その中で主人公が交通事故に遭い、生死の縁をさ迷って生還すると、
『人が土くれに見え、ロボットが人に見える』という認識齟齬が起きる。
つまり断絶しているからだよね)

どれほど語り尽くしても、その人を「知った」ことにはならず、
あると信じているものは触るまで、不確定要素の塊だ。
そんな世界だからこそ、どうしようもなく追い詰められた時、
そうした状況に我々へ助け船を出すのもまた、仮想ではないのか、と茂木氏は言う。

死んだおっかさんは、どこへいったのか。
マジシャンの決死の大脱出に、ハラハラするあの心持ち。
おっかさんはお星さまになって、マジシャンはテクニックを駆使すると、大脱出。
みんなの願いを具現しました。
祈りや願いや夢想。
仮想の力はそこに炸裂する。
我々は仮想によって成り立ち、時に仮想によって導かれる存在なのだ。
茂木氏はそう、考える。

氏の公演を無料でダウンロードできるサイトがあり、N.riverは何本か聞いたのだが、
科学者としての見極めと分析、しかしながら漂う圧倒的ヒューマニズムに、毎回、おそろしく泣かされる。
「サンタクロースは本当にいると思う?」
と尋ねる少女の、考えずにはおれない切実さ。
それを茂木氏が声を耳にしたところから始まる本書もまた、ヒューマニズムと、科学者の冷静な目に貫かれ、
良質の文学を読んだ後のような気分に浸れる一冊なのだった。

しかしだよ。
茂木氏の著書は雑多だ。
だからして選ぶなら最新刊をと、思っていた。
この夏、書店に並んだ『挑戦する脳』を早々、手に取った、それがN.riverの理由である。
いや、だからいい加減、学習しなさいよ。
いきあたりばったり、さん、てば。


★脳科学者というレッテルは
 あまり信用ならないと思います
 専門用語が出ることもなく、言葉は平易な方で
 エピソードも身近と気を配って書かれています。
 案外、漱石や村上春樹(?)がお好みなら相性がよいかも
 だまされたと思って、どうぞ!