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ラカンはこう読め/スラヴォイ・ジュジェク


さて必要だから、これは欲求であれ、欲望であれ、だけど(詳細は前回コラムにて!)、
読むわけだが、
相変らずのN.riverは、
飛べない崖に駆け込み踏み切るクセさえ、いまだ抜けないしまつなのである。

ぜひとも、と勧められた作家、スラヴォイ・ジュジェク。
ラカン絡みで数多、著書を残している。
中でもこれを選んだのは、タイトルがいかにも解説書っぽかったから、と
一つの対象を例に挙げ、ラカン所説を当てはめることで説明がなされている、という
とっつきやすさからだった。

もちろん読む前の印象で。

そしてN.riverには羽どころか跳躍力もなく、奈落の底へまっさかさまに落ちてゆハメにあうのである。

まあ、分かりにくいたら難しいやら。
ここへ書くに当たってもう一度めくり直してみたものの、うまくまとめるきっかけさえ見つけられない。
そんな一冊をおすすめするのは忍びないどころかインチキなわけだが、
前の一冊も含めてただひとつはっきりわかったことを挙げるとすると、
言葉こそ認知の氷山の一角にすぎず、
それを発するに当たって前提となっているあれやこれやは、まったくもって意識にのぼらず
のぼらないその前提にこそ、おどろおどろしい本音が隠されていたり、
まったくもって理解できなかったアレとコレをすんなりつなげる方程式が潜んでいたりするのだ、ということ。

膨大な言語が構成する物語、その一語一語にはすなわち
自分が認知できていない、しかしながら自分の本当の姿が刻まれている、
ということを知っておくだけでもいいんじゃないか、と
そっと表紙を閉じる秋の空の下なのであった。