13. ものすごくふるくさくて
ありえないほど遠い |
オイラが小説らしきものを書き始めたのは、中学生の頃から。ハタチ過ぎ頃の4、5年をのぞいて、以来ずっと書いてて、ネット公開に踏み切って今年でちょうど10年目にあたる。というわけでオイラの感覚は、ものすごく古臭い。ここが場違いだと分かってるから積極的に活動しないくらい、とてつもなく古臭い。もう、際立つ古臭さに、震えてる。 それが「いい」か「悪い」かなんて趣味の問題だけど、書き続けることでつい出てしまうお得意パターンや、「想像できる」「知っている」という想定内のマンネリ感は放置し難い。 いや確かに時々、物語が勝手に動いて、自分さえ驚く展開や気づきが降ってくることはあるけれど、それは本当に時々もらえるだけの「ご褒美」だから、ここから先へ進むには、つくづく自分の頭の外に出たいなぁ、と願っていたり。 そんなわけで持て余した気分を転換。お部屋の窓を開けて風通し。何と形容していいのかわからないものを引っ張り出して、陰干ししてみた。 単にグロの羅列だな。 とはいえ、公開を前提にしたなら発言と思考にはそれなりの責任を負うことになるからちゃんととらえなおすし、そうすることである意味お別れすることができてよかった、とは感じてる。 そうもこだわるのは、どうしても書きたいから、と言ったらいいか。 たとえばどんなものでも書き終えるたびに、今のベストは尽くした、なんて達成感を覚えはするけど、しばらくするとそうでもなくなって、陳腐に見えるアレが悔しくて、ガッカリで、勘違いの、オツムの足りなさに、自己嫌悪するやら腹立たしいやら、ほんとうにもどかしい。 だからいつかもうこれ以上はない、ってやつを、自分にこれ以上は無理、ってやつを書き切ってみたいと切望してる。それくらい白熱できる作業期間の、自分さえ裏切る想定外に翻弄されるままギリギリの追及ができたなら、果てに一枚、自分の殻を破れて、だからこそ古臭かろうと堂々人前へ出せて、ご縁のあった読み手さんの人生に、は大袈裟だとしても、心のどこかに置かせてもらえたら最高、なんて夢想してる。自分にとって価値あるものを、そういう深い部分で分かち合えたなら生きて書いて来た甲斐あり、なんて大袈裟にも思ってる。 けれどぜんぜんアテがない。 だのに遥か彼方から理想だけがオイラをニンマリ、見下ろしてる。向かうために時々こんなこともするけれど、なおさらバカねぇ、おほほ、と笑ってらっしゃる。 ならこっちも苦笑い、身の程知らずだねぇ、やめちゃうか、とこぼすけれど「ものすごくふるくさくて、ありえないほど遠い」その瞬間は諦めきれないほど眩しくて、マンネリだろうと続ければ辿り着けそうだから、アウアウ、手を伸ばし続けてる。 今回ももれなく不細工で稚拙なその片鱗というわけで、だのにお付き合いいただけていたなら物好きね、いや感謝。そんなこんなで並べたものに何か興味を持っていただけたなら、恥も多少は薄れていきそうな気がしてきたり。 うん、さてと。 見ればいい具合に日も傾いてきたようなので、このあたりで店じまいか。広げたあれやこれやをしまわなくては、夜露に濡れそう。 というわけで読んで下さったみなさんへ、上から下にもかかわらず、ひとまずここらで左様なら、左様なら。 |