だから映像表現においての語りではあったのだけど、「表現する」という意味ではオハナシ書きにも共通していると思うので、大事だと意識してることがある。
たとえば、
りんごを表現するために
りんご畑でりんごを撮影し、
並木路子の「赤いリンゴ」という音楽を流しちゃうのは、
表現じゃないです、と。
たとえばりんごを表現するために、
公園で学生服のカップルを撮影し、
しとしと雨なんか降ってきたら、ノクターンの流れる中、
そうっとさして相手をかばった傘に辛うじてりんご模様とか
(ベタなNR仕立てですが)
が表現なのです、と。
つまり、
A =表現したいもの
B~=その他の素材
としたとき表現とは A=A+A ではなくて A=B+C を行うことだということなのです、とおっしゃていたことがとても腑に落ちて、印象的だった。
もちろん素材の組み合わせが、対象への表現者のアプローチと直結してる。
理解や解釈の仕方によって異なるそれらが、表現に個性や深みを生み出してる。
すでに古今東西の名作で体験しているはずだけど、
言われて初めて、オイラは意識して使う事を覚えた。
だから作品中では全力、ここぞのメッセージやテーマの直接的表現は避けてる。
ハズ。
チョンボの帝王だからな。勢い余ってやってそうだけど。
それでいてシンプルにってのがまた、難題なのだ。
それが必要だと思ってる理由は次回で。
|