case1# SHAKE HANDS -2/9







「バッファロー、次の上映を二名様ですね」
 確認して発券を済ませる社員の効率は、抜群だ。及ばないならその列からこぼれてくる客の対応に、百々はつとめる。
「あいにくただいま中央に、並んでお座りいただけるお席はございません。なるべくご希望に近いところでお取りいたします。通路側、前より後ろより、ご希望はございますか?」
 その耳へ、田所が開けたシアターAの防音扉の音は聞こえていた。おっつけ響く「ありがとうございました」の声にモニターを盗み見れば、上がり切ったスタッフロールにシアター内へ明かりは灯されようとしている。つまり順路はこのために作っておいたようなもので、ポールを挟んだ向こうを帰りゆく客が、手前をこれから映画に興ずる客が、身を擦り合うように行き交った。
 と、「このへんで」と妥協した客が、百々へ希望の座席を告げる。発券の手順はようやく慣れたものの一つで、終えたところで社員の声は飛んでいた。
「パンフレット、お願いしまァーす」 
 振り向けば「あかウサ」上映中のシアターB側カウンター前だ。求めて客がずらり、列を作っていた。その物欲しげな目にぎょっとしたところで顔には出せない。百々はすみやかに身をひるがえす。
「はい、大変お待たせいたしました」
 パンフレットへ手を伸ばした。
 そんなシアターB前ロビーの壁際では、支配人が「あかウサ」グッズの販売に精を出している。
 気にとめつつ百々は、シアターBを映し出すモニターもまた横目でのぞいた。映り込むシーンから察するに、「あかウサ」上映終了まで、あと十分足らずと弾き出す。ならシアターAを出て行く客の後ろについて、田所がフロアへと姿を現した。
 互いの視線がいっとき絡む。
 見逃すことなく社員がフロアへ、こう声を張った。
「次回、バッファローはただいま入れ替え準備中です。ご覧のお客様は、チケットをお手元にご用意の上、向かって右、シアターA通路前へ詰めてお待ち下さい」
 耳にしてベンチシートから数人が立ち上がってゆく。
 そこで「あかウサ」パンフレットの客も一段落が、ついていた。田所の元へと百々は急ぐ。
 そこで田所は、集まり始めた客を前に、ヘッドマイクの先を叩いて音量を確かめていた。電源がしっかり入っているそれを手に、辿り着いた百々へと合図を送る。
「じゃ」
 そうして始まる田所の開場アナウンスは、研修時に教わったものへ独自のフレーズをくわえた田所バージョンだ。
「大変長らくお待たせいたしました。ただいまよりシアターA、バッファロー、開場いたします。お手元のチケットをご確認のうえ、二列に並んでゆっくり前へお進みください。また外出の際は、半券のご提示をお願いしております。ご入場後も、なくさないようお手元にお持ち下さい」
 同時にそぞろと客は動き出し、通りすがりざま無言で百々へとチケットを差し出してゆく。ロビーに腰を下ろしていたリュックの中年男性に、サラリーマンの、バルーンパンツのお兄さんに、御夫人の、カバンや財布、尻ポケットから取り出したチケットを百々は、「いらっしゃいませ」に笑顔を添えてもぎっていった。ヘッドマイクの電源を切った田所も加われば、たちどころにロビーは閑散として行く。
 あいだも社員は一人でカウンターを守り続けている。「あかウサ」ショーケース前も、帰りに買い求めようと狙いすますファンたちに取り囲まれるばかりと、フロアへ落ち着きは取り戻されてゆく。
 つまり、と百々は腕時計へ目を落とした。案の定、「あかウサ」の入れ替え時間はもうすぐそこだ。
「じゃ、あとよろしく」
 田所へと声をかけた。
「ほい、コレ」
 その手へ、ヘッドマイクは投げよこされる。
 受け取り百々は社員の背後をすり抜けると、反対側のシアターBへと飛び出した。
 そのさい百々が社員から受けた指示は、田所が嫌ったとおり扉を解放後、支配人とグッズ販売を代わってくださいというものだったが、予期していたなら異存はない。「はい」と答えてフロア奥、シアターBの防音扉前に立った。そうっと二重になっている扉の中へもぐりこむ。
 その耳へ、エンドロールのBGMが微かに聞こえた。「バッファロー」とは違い、途中で席を立つ客はいないらしい。むしろこれまでから察するに、この回も満足の極みと客は座席を占領し続け、次回上映準備の時間が削られることが予想された。
 だからしてエンディングテーマが途切れると同時である。百々は遠慮無用で防音扉を引き開けていた。場内に満ちるため息とふわり灯った室内灯に、満足のコラボレーションを見せつけられようがかまわない。時間厳守で声を張る。
「本日はご来場、まことにありがとうございました。当館は全席入れ替え制となっております。お忘れ物にご注意の上、お足元にお気をつけてお帰り下さい。ありがとうございました。ありがとうございましたっ!」
 「そうだった」といわんばかり動きだす客は、まだどこか夢の世界を引きずっていた。しかしながらそのせいで、右にならって動く人の流れは素直でもある。さらに追い立て牧羊犬となり、百々は忘れ物をチェックしながらゴミを拾い集めて、前から順に座席の間を駆けた。
 その前方、スクリーンでは、次の上映に備えて数秒の試写が繰り返されている。たどり着いた最上段の客席から、百々はそんなスクリーンの左右に灯る非常灯の確認もまたすませた。
 拾ったごみを手にシアターの外へ出たなら、「あかウサ」グッズを求める客の長い列に行く手を阻まれてみる。とぐろを巻くそこから抜け出し、手元のゴミを始末した。
「交代しまーす」
 指示とおり、グッズ販売に悪戦苦闘している支配人の隣へもぐりこむ。
「えっと、これとこれ。在庫が切れそうだから、あとで持ってこさせますね」
 まくし立てた支配人の撤収こそ早い。いくらか奮闘していれば、やがて長蛇の列をかき分け段ボール箱を抱え、社員はショーケースへ現れていた。
「このまま販売、続けて下さい」
 確かにグッズ購入者の列はまだ切れそうにない。そして時間はもう「あかウサ」の開場時間になろうとしていた。
「分かりました。お願いします」
 先ほど田所がこなした開場のアナウンスが無理だったなら、百々は言って社員へヘッドマイクを託す。
 田所は、予告編が始まったシアターAの防音扉を閉めに向かったらしい。ロビーに姿はない。そうして閑散としたそこに残る人影に、百々は思わず「へぇ」と見入ってもいた。
 それはベンチシートだ。清楚な女性と外を眺める茶髪の男性だけは、まだそこに残っている。「バッファロー」目当てでないとしても、「あかウサ」こそ見に来たように見えなかったなら、意外でしかなかった。
 やがてシアターAを片付けた田所が、百々の前を横切り、「あかウサ」の応援へと向かう。きっかけにして社員は開場アナウンスを始め、もぎりの始まったフロアから客は次々、シアター内へと消えて行った。見ればグッズ販売の列も残るところ数人か。支配人の守るカウンターも休憩がちになると、怒涛の入れ替えも終了まで、あとわずかだといわしめる。
 だがそのとき彼は、現れていた。バルーンパンツのお兄さんだ。シアターAからひょっこりフロアへ舞い戻ると、カウンター前を横切ってゆく。

いまさら聞けない経済