case1# SHAKE HANDS -6/9







 言われて黙っておれるほど達観できれば、むしろ死さえ受け入れられそうだ。
「わぁっ。って、ちょっと待ってぇっ!」
 百々は喚いて押し止める。
「回収って、防護服つけたり、ヘルメットかぶったり、液体窒素、窒素、使ったりしないんですかっ? というより必要でしょ。だって失敗したら……、む、剥き出しなんですけどっ!」
「それはテレビの見過ぎだ。だいたいそんなものを用意している時間がない。そんな現場には報道も間に合わん。疑うのは、そうして報道されなかった現場を知らないからだ」
「じゃ、じゃ、じゃぁっ!」
 連呼するが、もうマッチョの動きは止まらない。整えなおした集中力で、百々の手へとスポイトをつまみ上げる。
「なっ、何なんですか、ソレ?」
「いちいち、うるさいヤツだな」
 こぼすマッチョがごつい体をくるり丸め、広げた百々の手の中へスポイトの先を差し込んだ。
「強アルカリ剤だ。接着面の皮膚を薄く溶かす。痛いとか、手が荒れただとか、それで命が助かるなら文句は受け付けないぞ」
 液体が垂らされさたらしい。百々の手のひらにぴりり、痛みが走る。
「そ、それで本当に、取れるんですか?」
「うるさい……。間に合わないなら切り落とすまでだ」
 なるほど。思い、百々は辺りを見回す。
「ここなら、ありそうですもんね……」
 吐いて目を剥く。
「って今、冗談は受け付けませんっ!」
「少しは黙っていろ。悪いようにはしない」
「これ以上、悪くしたら、ホントに死にますっ!」
 男にたしなめられたなら、そちらへも百々は噛みついた。
 と、ワンボックスカーが右折を繰り出す。S字コナーを抜けるがごとくだ。続けさま左折した。ならフロントガラスに「20世紀世CINEMA」裏、東西に伸びる国道は、片道三車線で現れる。とたんそこに並ぶ信号機が一斉に、奥へ向かって青へ色を変えていった。見据えたワンボックスカーは、ここぞで速度を上げてゆく。
 うらはらに控えめと、マッチョはスポイトからさらに二滴、三滴と、百々の手元へ液体を垂らした。
 そのたびに伝わる刺激が心もとない。やがてヌルリとした感触は広がると、わずかながらも百々の右手は浮き上がり動き始める。
 どうやら手のひら全面が貼りついているわけではないらしい。中央部分、窪んだ箇所は接着を免れているようだった。そんな剥離面積の縮小に伴い大幅と短縮されるのは、作業時間にほかならない。がぜん回収作業のピッチは上がり、後押しして運転席からも声は上がった。
「ハモ公園、視界にキャッチ!」
「取れたっ!」
 ついに剥がれた右手を百々は、振り上げる。
「うかれるのはまだ早い」
 拍子に浮いたヒジを、押さえつけられていた。
 そうしてまじまじ眺めた箱は、ネジ穴さえ見当たらぬ姿がまさにブラックボックスだ。ついぞ百々はその表面で明滅する緋文字を読みそうになり、必死の思いで空を仰ぐ。
「東門へまわれ。奥が袋小路で、人通りが少ない」
 運転手へ、男が指示を出していた。
「言われずとも、そのつもりです」
 ご安心ください、と運転手は投げ返し、続けさま蹴散らすようにクラクションを鳴らす。
 石畳の上でも走っているのか、車体の揺れが止まらない。合わせて周囲に吊るされた工具が大合唱を繰り広げ、ただなかでマッチョは箱の周りへ液体を垂らし続けた。
「こっちの方が、がっちり張り付いてやがるな」
 呟く額には、いつからか玉のような汗がびっしり浮かんでいる。
「ま、間に合いますか?」
 尋ねて百々が緋文字を読めば、頭二つをゼロで固定したそれは、残る二文字で五十を表示していた。
 と、ワンボックスカーが、穏やか極まるブレーキングを披露する。
「東門、到着!」
「ちょうどで三分か。でかしたぞ、ストラヴィンスキー」
 エンジンが切られた車内は、手のひらを返したように静かだった。
 ただ中で、カウントが四十を切る。
 もう間に合わない。
 これまでからこれからを予測することは案外、容易く、
 思いが百々の脳裏を埋め尽くした。伴い吹き出す焦りは尋常にない。勢いでもってして、百々の思考を空転させる。
「もう……、いいです」
 気づけばこぼした後だった。
「爆発、しちゃうっ!」
 作業も半ばの腕を引き寄せる。
「何をする、動くな!」
 マッチョの怒鳴り声に、細面にかけた瓶底眼鏡が特徴的な運転手が振り返っていた。
「だって無駄です。みんな離れてっ!」
 見ず知らずだからこそ、何人もを巻き添えにしたくないと思う。
「あたしにかまわず、逃げてくださぁいっ!」
 ありったけの声だ。百々は叫んでいた。
「……い?」
 はずが、その後味がなんだか悪い。悪くて叫び切れなかった。そう、このセリフには覚えがある。それは何度も目にして、時間さえ言い当てられるほどまでだった。紛れもない。「バッファロー」のクライマックスシーン、そこに己は重なり合う。
「あ……、れ?」
 とたん蘇る結末に、気持ちが冷めてゆくのはドラマチックとはほど遠かったB級映画ゆえか。
「あ……、れ?」
 締まり切らない。
 首も傾く。
「無駄な時間をッ」
 その手を男に掴まれていた。
「ああっ!」
「いいぞ、レフ。ここへ戻せ」
「わぁ、バカバカ。それじゃみんな、死んじゃうってばっ!」
 マッチョは促し、百々は訴える。
「心配するな」
 なら男は言った。
「相手が誰だろうと、心中するつもりはない。逃げる時はとっとと逃げる」
 いや、それはそれで聞きたくない類だろう。
「だぁっ。それはそれで、はっきり言い過ぎっ!」
 だが言葉には続きがあった。
「仕掛けた相手を野放しにすることこそ、できないからな」 
 あっけないほど簡単に、手はテーブルへ押さえ込まれてしまっている。けれどそれほどまでに、その時、百々は動きを失っていた。
 目の前で見知った風景が、裏返ってゆく。男の言葉に臆病と逃げ出した主人公は、冷徹極まる復讐者へと姿を変えていた。
 そうだ。映画「バッファロー」の主人公が彼女を置いて逃げたのは、何も恐ろしかったからではない。必ず復讐を果たす。誓ったがゆえ共倒れを避けた、冷徹極まる決断だったなら。だのに舞い戻った主人公は、徹することができなかった人間臭さを漂わせていた。だからといって都合よく助かることのないくだりにリアリティを感じ取る。比べて無力と知って留まるヒーローの弱々しく、それでいて助かるご都合主義はどうなのか。
 いつからか刷り込まれていた王道は、百々を思考停止にさせていた。気づかず交わした会話はだからして、今となってはなんだか気恥ずかしくさえある。知らしめた「バッファロー」は、誰もが知ったる定番へメスを入れた反逆ムービーで間違いなかった。
 そんな作品をどこで見つけ出したのか。さすが支配人。心の底から唸ってみる。そんな場合じゃなかった、と百々は我に返った。
「は! だからこそ手がかりとして遺留品は必ず回収する。間に合わないなら左手だ。日本人なら利き手じゃないだろ。切り落とす!」
「え? ちょ、ちょっ、とぉっ!」
「そのまま押さえてろ、レフ!」
「人聞き悪いが、やぶさかなしだ」
「わ、わわっ! それ、本気っ? やだっ! 助けてんの、殺してんのっ! 切るなんてやだっ! 助けてっ! て、だいたい、なんでやぶさかなしなんて小難しい日本語、知ってんのよぉっ!」
 修羅場とばかり、泣いて喚く。
 押さえつけて作業にいそしむマッチョは、無駄にした時間のせいだといわんばかり乱暴だ。液体が十分に浸透するその前に、百々の手をもぎ取ろうとする。
「いた、ただだだだだっ!」
「うるさい、黙れッ!」
 表面で、カウントダウンが二十秒台へと表示を切り替えていた。
 瞬間、黒い箱は振り上げられる。
「回収!」
 それぞれのガッツポーズが、車内に交錯していた。
 が、歓喜はそこで行く先を見失う。
「解除ッ!」
 男の声が鋭く飛んだ。
「お、そうだった」
 受けたマッチョは工具箱へ屈み込み、一本のスプレー缶を手に立ち上がってみせる。
「お待ちかねの液体窒素だぞ」
 突き出たノズルが蚊やゴキブリを退治するアレ、そっくりのそれをかざす。拍手喝采、赤目を向いた手で百々は迎え入れ、前においてマッチョはノズルを箱へ向けるとその頭を強く押し込んだ。
 が、続く無音。
 いや聞こえるのは、気抜けたガス音のみか。ノズルの先から煙ひとつ、出てこない。見かねてモシモシ。マッチョが缶を振ってみせた。なら中はどういう構造なのか。答えて缶はカランカラン、と乾いた音を響かせる。
「カラ……、だ」
 呟いた。
「クソッ!」
 吐いた男がデジタル表示へ視線を飛ばす。
 そこで緋文字は、七を灯していた。
 どうやら薄情の、それがタイムリミットらしい。
 覆って男の手が箱を掴む。
 テーブル下へと投げ込んだ。
 目にしたマッチョが缶を投げ捨てている。
 運転席で瓶底眼鏡の彼も、喘ぎシートベルトを外しにかかった。
 百々だけが、安穏、箱を眺め続ける。
「ぼーっとするなッ」
 その腕を男が掴んだ。
 ワンボックスカーのドアは三方、次の瞬間、開け放たれる。運転席から瓶底眼鏡の男が、スライドさせた車体側面のドアからマッチョが、同じく対面のドアから男が、百々を掴んで身を躍らせた。その頭でカウントするのが七ならば、ソラで読んでも誤差が生じるほどもない。
 ゼロで地面へ身を投げ出していた。
 男に引かれて百々もどうっ、と倒れ込む。
 耳へ、爆音はねじ込まれていた。
 閉じているのに目から火が出そうだ。
 ワンテンポ遅れて吹き抜ける熱風が、百々の髪を巻き上げていた。
 果てに無は訪れる。
 カラだったあの缶が、内装の数々が、やがて頭上へ降り注いでいた。
「わう。何。あ、イタ」
 幾つか食らって、その衝撃に百々は我を取り戻す。傍らでじわり、体を起こしてゆく男の気配もまた感じ取った。
「くそッ……」
 押し殺した声が生々しい。
 そんな男の手は頭にあった。押しのけて百々も、身を起こしてゆく。
 振り返ったそこでワンボックスカーは、車体を台形に歪ませると黒黒煙立ち上げ、過激な放熱後の急速冷却にシュウ、とか細い音を立てていた。その傍ら、覆いかぶさるように枝を広げていた木立など、爆発にすっかりもがれて丸坊主となった枝をくすぶらせている。
 目の当たりにしたなら百々には、それが自分でなくてよかった、とは思えなかった。むしろ自分のことのように感じてひたすら言葉を失う。
 この一大事に飛んで来る者は、不思議なほど誰もいない。これもまた思考停止とすりこまれた黄金法則なのか。何が起きたのかと人が集まり始めたのは想像よりも、いや、それこそ眺め続けたテレビドラマよりも、ずいぶん時間が経ってからのことだった。