case1# SHAKE HANDS -8/9







「ご足労いただき、恐縮です」
 言ってゆらり、立ち上がったその人物は、年齢こそ水谷と同じか。しかしながら身にまとった濃紺のスーツが醸し出す雰囲気は、まるで違う。それもこれも「チーフ」と呼ばれるわけを体現しているようで、否応なく百々を緊張は襲っていた。
「百々君、ここじゃ話ができないから」
 大胆にも、その背を水谷が押す。
「ちょ、支配人。話って、何を話すんですか? ここフツーじゃない……」
 だが水谷は、知らぬ存ぜぬでそんな百々の傍らをすり抜けて行く。
「水谷さん、このたびは多大なるご協力、ありがとうございました」
「いえいえ。わたくしどもにとっては、スケジュールとおりがお客様に迷惑をかけない一番ですから。それにしても外で見張ってらっしゃるものだとばかり。いやぁ、あれには驚かされました」
 挙句、チーフと呼ばれたその人物と握手してみせた。
「お知らせしていないだけで、捜査員は客席の監視にまだ数人、張り込んでいました」
「そうでしたか。なら後で、チケット代を清算しなおさなければいけませんね」
「どうぞお気遣いなく。対テロ経費としては、微々たるものですので」
 それどころかはっ、はっ、は、と笑いさえする。
 様子に百々の目が、丸、四角、三角と変わっていたことは言うまでもない。何はさておき聞き逃せない言葉に、むしろその目を白黒させていた。
「……った? てっ、て、ろ?」
 顔は、ずいぶんと間抜けたものだったろう。だがチーフと呼ばれたその人物はおくびにも出さず、そんな百々へも向きなおってみせる。
「このたびは大変、ご迷惑をおかけいたしました」
 軽く一礼して名乗った。
「わたくしは特定テロリストに対する予防、先制、被害管理を目的とするセクション・カウンターテロリズム、当部署チーフの 百合草敬一(ユリクサケイイチ)と申します」
 様子には、テロップでも入りそうなスゴ味がある。いやこの際、入れてもらった方が百々にはスムーズに理解できそうで、でないなら伸ばされた握手の手にさえ気づけず棒立ちとなっていた。
「びょ、病院じゃ。おまわりさんじゃ……?」
「厳密には、警察とは異なります」 
「せくしょん……、かうんたー。てろ、りずむ……。せくしょん……」
 諦めたらしい百合はうなずき返し、百々はひたすら繰り返す。やがて辿り着いた結論に伸び上がっていた。
「C、C、T!」
 そう、清楚だった女性が水谷へ放った言葉だ。
「そ、そんな。カウンターテロって対テロ組織、って意味じゃっ?」
「よくご存知です。なら説明のいくつかは省けそうでなによりだ」
 などと褒められたなら言わずにおれないだろう。
「いえ、その、今年の新春映画に二十四時間駆け回る対テロ集団のアクションものがあって、そこで……」
 危うく映画の解説まで披露しかけて、踏みとどまる。
「じゃなくてテロっ!」
 水谷へと振り返った。そこで水谷は、はにかんでいる。実に淀みない口調で説明してみせた。
「いやね。今朝早く爆破予告が届いててね。それでこちらさんとお知り合いになったってわけ」
「へー」
 だからして百々も納得しかける。
「……って、獏っ、縛っ、博っ……、爆破予告ってっ! どうしてそんな大変なこと、今まで黙ってたんですかぁっ!」
 出来るわけないなら、正しい変換を探り当てるまでしばらく、吠えた。
「だって、知って君たち、いつもとおり仕事ができるの?」
「そ、そんなのムリですけど……」
 言い分は、鋭いのか図太いのかがわからない。
「って、それより前に、今日、上映しちゃだめじゃないですかっ! あたし、吹き飛ばされかけたんですよっ! 爆弾でっ、死ぬところだったんですよっ!」
 抗議しても文句など言われる筋合いのない数々だった。
「その点については、わたしからご説明申し上げましょう」
 絶妙のタイミングだ。間へ百合草は割って入る。
「当該テログループが本庁へ犯行予告を送信してきたのは、およそ二十時間前。内容は、特定エリア内における劇場の爆破予告、というものでした」
 その足は、一歩二歩とデスクの前へ回り込んいた。
「うちのほかに、五十芸さんと、駅前の宝MOVIXさんがそのエリアの中に入っててね」
 口添える水谷にうなずき先を続ける。
「ただちに、各劇場内の爆発物検知を実施」
「大変だったよ。もう、上を下への大騒ぎ」
 話す水谷の目は丸い。
「しかし爆発物の発見には至らず、我々は当日の客に紛れて持ち込まれる可能性が高いと判断しました」
「だのにだよ、百々君」
 と、またもやしゃしゃり出る水谷は、もう個々の職員課何かと勘違いしているに違いない。
「やっぱり大手さんは大手さんだよ。宝さん、当日の営業をやめるっていいだしたわけ。理由を映写機械の故障にするなんてのは、本当に恥ずかしいハナシだよ」
 ひそめた眉で残念気に首を振る。
「あぁ、それは……」
 同意しかけて、百々は全力で回避した。
「って、それが当然なんですってばっ!」
「その場合、我々が懸念するのはテロリストが標的を変更することです」
 百合草に諭される。
「そうそう。ウチも閉めたら五十芸さんだって閉めるでしょ。的をなくして無差別に爆弾なんて仕掛けられちゃあ、ねぇ」
「そうした意味で、今回のご協力に感謝しているのです」
 しめくくられたなら、百々はひたすら絶句していた。
「いやぁ、いつもとおり上映することくらい、特別でもなんでもないでからねぇ」
 知らぬ存ぜぬと後頭部をなでつける水谷は、ヒーロー気取りだ。
「ほら、百々君。テロに爆弾騒ぎなんて、だいたい映画みたいじゃない」
 キラキラした目で語り始める。
「わくわくしちゃってさ。そんなこんなで五十芸さんのところにも確認したら、向こうの支配人もノリノリになっちゃってね。じゃ、お互い営業しちゃおうか、ってことになって」
 などと、そんな口調でこそ明かしてほしくない、それは経緯でもあった。
「あそこで銃撃戦になってたら、スゴかったのにね」
「はぁぁっ?」
 百々の声は裏返る。残念、残念、言う水谷へ語尾を跳ね上げた。
「ともかくごめんね、百々君」
 とどめと投げかけられた言葉が、百々の中で何かを切る。
「ごめんね。じゃ、なぁーいっ!」
 飛びかかり百々は拳を振り上げていた。打ち付けたそれが猫パンチだろうと、百々はポカスカ腕を振り回す。
「あいた。あ、痛いよ、百々君」
「落ち着け」
 そのコントみまごう乱闘シーンを制したのは、うんざりした面持ちの男だ。
「落ち着けるわけ、なぁいっ!」
 喚く百々の背へ回り込むと、軽々、羽交い絞めにして水谷から引き剥がしてゆく。
「本題はこれからだ」
 聞かされ百々は、目を見張っていた。振り返ればそこで、拘束を解いた男は、アゴを振って指し示している。
「ふまえて申し上げます」
 促されたそこで百合草が切り出していた。
 つまり一難去ってまた一難か。百々に乱れた着衣をなおす余裕はもうない。
「本テログループの手口は、爆発物による工作が常套です。テログループの存在はテロ行為によって確認されるのみ。これまで直接、他者へそれらを預けるという手段を取ることはありませんでした。実行犯への接触も、いまだもってなされておりません」
「俺も今日、初めて目にした」
 男が呟く。
「つまり本件でテロリストから直接、爆発物を受け取ったあなたは現地点で、唯一の濃厚接触者となりました。またテロ対象の関係者でもあることから、今後、ご自身の安全も懸念すべき点ととらえています」
 そこでいったん百合草は口を閉ざした。
「と同時にテロリストの詳細を刻み込んだ、貴重な証言者ともなった」
 付け足すその目が、百々を睨む。
「そこで我々は今後、可能な限り捜査へのご協力を願いたいと考えています。それはご自身の身を守ることにもつながるものだ、とご理解いただいてかまいません。このことを申し上げたく、今日はおいでいただきました」
「……へ」
 言うだけが精一杯だ。
 ほどに申し出は、冗談だとしか思えなかった。
 しかし笑い出す者はおらず、むしろ漂う雰囲気こそ笑えたものではなくなっていく。
 おそらく全ては本気で狂気の沙汰だったのだ。
 だからして百々は集まった顔をぐるり、見回す。
 ひとつ大きく瞬きしていた。