case2#
Highter than Highter -9/10







 何の変哲もない民間汎用機。そのベル社とお思しき機影がきらびやかな街の灯に穴空け、飛んでいた。
「速度、最高二百強、いや、この気象条件じゃ前後がせいぜいか。連続飛行距離六百少々。このまま直進すれば……、十五分ほどで海へ出る、か。さて目の前のバーディはどう始末する?」
 見下ろす位置で乙部は一度、言葉を切る。もちろん上空を取っているのは、この追跡を気取られないためだ。
「言葉通りと行きたいところだが、貴重な情報源を公費でもってして抹消するわけにはいかない。なるべく穏便にこちらの意図へ沿ってもらったうえで、しかるべき責任を負ってもらう」
 自室を離れたガラス張りの部屋の一画、オペレーティングルーム傍らに据えられた丸テーブルより、ヘッドセット越しに百合草は返して言った。
 都合よくも夜間勤務者が交代にと現れた今、オペレーターは通常の倍、六人体制となっている。そんな彼、彼女らは互いに連携を取ると、必要とあれば百合草の判断を仰ぎ、滞ることなく膨大な仕事量をこなしていた。百合草もまた刻々と変化する状況に即し持ちうる権限を行使すると、各機関との調整のみならず、こうして現場のコントロールにつとめている。おかげでオペレーティングルーム内には容疑者追跡の通信をはじめ、消防に救急の無線、 明日にも発表しなければならない本件のファンタジックなシナリオ作成のため奔走する警察のやり取りが飛び交っていた。加えてヘリもまた緊急出動中なら、フライトプランの提出などないこの飛行に、上空確保の騒がしさを重ねる。
「なら、六百キロ追い回して、羽を休めたところでそっとすくい上げてやろうとでも?」
 それら気忙しさとは無縁とばかり、とぼけた口調で乙部が投げかけてみせた。
「天然記念物なら、それもいい」
 返し、モニターの三分の二を埋めて展開された航空レーダー図を、百合草は見上げる。
「が、貴重と言ってもそこまでじゃない、ってね」
 乙部が言うのを聞いて再び、テーブルへ視線を落とした。そこには先ほどから地図が、乗り切らず端を床へ垂らした状態で広げられている。
「どこへ向かうのかは気になるところだが、本末転倒だけは避けたい。そして彼らを押さえることが出きれば、その疑問に答えさせることも可能となる」
 漠然と眺めて百合草は言い切り、赤いスーツはその時、オペレーターの間から持ち上がった。百合草へとまっすぐに繰り出される足取りはいささか早く、辿り着くなり彼女はこう告げる。
「チーフ、許可が下りました。全面協力の同意も得ています」
 ようやくか、と百合草は唸っていた。
「書類があるなら任せる。どうせ借りを作ったという記録だ」
 だが肩をすくめる彼女は、笑みさえ浮かべてこう明かす。
「いえ、書面は全て後日でいいそうです。向こうもこれから、それどころではなくなるそうなので」
 などと生じた例外こそ、頭を突っ込んでいた彼女の手腕なら、時に有能さは正攻法に頼らないことのいい例えだ。呆れるに及ばず、百合草もまた小さく笑い、緩めた口元を引き締めなおした。
「カゴの準備は整った。今から小鳥の捕獲に取り掛かる」
「了解」
 返して乙部はヘリ、シコルスキーのピッチを上げる。
 気象条件の悪い夜間飛行とくれば陽気に飛べる道理はなかったが、元来ヘリはVFR、有視界飛行がもっぱらときている。日が暮れたなら布団へもぐりこみ、雨が降る日は表へ出ないが信条で、なおさら災害救助などとんでもないと公言しない限りこれは、たいして特異な条件だと言えなかった。
 そもそも相手のパイロットは強風の中、クレーンから人間を回収した輩でもある。度胸もあればそれなりに経験を積んだ人物だとしか考えられず、ゆえに闇にバーディゴ、何をどうする間もなく空間失調の果てにストール、というお粗末な結果こそ心配する必要もなさそうだ。
 だからして墜落するか否かの瀬戸際まで追い詰めたとき、パイロットは必ず正しい判断を下す。機は必ず着陸を試みるはずだと、乙部はよむ。そして百合草の言う「穏便に」もまた、その辺りを言わんとしているに違いないと確信していた。
 右足ラダーの辺り。のぞき込まなければ見えにくい場所で、街の明かりを切り抜き穴は、相変わらず一直線と飛び続けている。視界前方、用意されたカゴもまた機影同様、街明かりに黒くくぼむと、広大な空間を開けていた。
 知る由もなくベル機は近しい上空へ、侵入しようとしている。
 逃走経路にフライトプランの提出もないだろうが、下調べは念入りに、が肝心だ、と乙部は胸の内でひとりごちた。
 そうして視界の端にとらえたまま、わずかレバーを引き上げる。
 上がるピッチに、ヘリ、シコルシキーの機首もまた浮き上がった。
「開始する」
「了解しました」
 オペレーターの声に抑揚はなく、同時に眼下のベル機めがけ、乙部はスティックを倒す。
 やおら夜景が壁と立ち上がっていた。
 つまるところ機首が下がったのかテールが持ち上がったのか。それきり蓄えたエネルギーをぶつけてシコルスキー機は、急降下の体勢を取る。
 気づいたらしい。眼下でベル機が、、やらおら機体を傾けていた。流れるようなラインを描いて左旋回、尻尾を巻いてが相当と逃げ出し始める。推進エネルギーはそのさい、水平と垂直に二分されるのだから伴い機体は高度を下げるが物理の法則で、知っているからこそ乙部は、ここでベル機にローターのピッチを上げさせるつもりはなかった。
 なぞるような旋回で追跡。
 視界、斜め下にベル機影を置き続ける。
 上空制圧に集中した。
 なら嫌って逃げ続けるベル機の向こうで、街の灯りはグルリ、一回転する。
 さらにもう一回転したなら、ヘリは元来それほど高い空を飛ばない乗り物であるといわんばかり、見る間に黒く塗り潰されていた地上へ道路と町並はくっきり浮かんだ。
 だからこそなお、上空は譲ってやらない。もつれ合うような螺旋降下はすなわち、ことさらその場所を安全地帯と認識させるためのチキンレースだ。
 と、以心伝心。押さえ込まれた頭を嫌い、チッピアップを伺い続けていたベル機の旋廻が素直な降下の体勢へ移行した。そんなパイロットの目には明かりに空いた黒い穴、そこに規則正しく並ぶ平たい屋根が、工場の敷地か何かに見えたことだろう。吸い寄せられるようにして、迷うことなく降下してゆく。
 果てに地上すれすれとホバリング。
 その上空を、乙部はとどめとローパスした。
 押されてベル機は、ついにスキッドを地面へつける。
 タッチアンドゴーで舞い上がる気配はなかった。代わりとばかりにローターの回転も止まらぬヘリから男は三人、転がり出してくる。
 刹那、焼け付くような光は焚かれていた。目指し、ジープにハンヴィが、猛然と敷地の隅から走ってくる。三人を取り囲んでブレーキを踏んだなら、後部からこれでもかと自衛隊員は吐き出されていた。
 果たして逃亡者の情報は、どんな形で伝えられていたのか。取り囲んでかまえる銃器が、巷ではめったにお目にかかれぬ光景を作り上げ、促されて男らは唖然と両手を上げてゆく。いや、正確に伝えるならそれはパイロットだけが、というべきだろう。慣れないアクロバット飛行に残る二人はヘリから這い出すと、それきり嘔吐し続けていた。


 まだ現場では、消防と警察が全ての後始末に追われているらしい。
 あの爆発に巻き込まれたのは、保全作業に追われていた作業員が四名、当の爆発物を捜索していた警官が二名、そして周辺にいた七名の計十三名だということだった。それぞれは市内五ヵ所の病院へ搬送。重度の火傷を負った者もいたが、とにもかくにも死亡者は出なかった、とだけ伝えられている。全ては保全作業が間に合わず起きた事故であり、倒れたクレーンも含め全ては想定外の天災によるものだ、というのが明日、発表される表向きのシナリオらしい。
 果たして因果関係にどれほど説得力があるのは不明だが、あえて突き詰め利を得る輩も少なければ、巻き込まれた当の作業員たちにも、団体としての会社にも、このシナリオをくつ返すことは不可能だろう。それだけ現場は混乱していたし、またそれだけの力も背後には働いている、とのことだった。
 いつも仕込まれていたメッセージ入りの玉は、爆発の規模が規模なうえ真夜中のため、見つけ出すにはだいぶ時間がかるという。ゆえに現場検証も始まっていない現状、それはまだ手元に届いておらず、いや、頼らずとももう事実は明らかとなったも同然なのだから、捜索は後回しにもされていた。
 引き起こした容疑者たちは、不時着した自衛隊基地にて拘束。猛烈な勢いで駆けつけたパトカーに乗せられ今では、警察の監視の元、運び込まれた病院で三半規管と過剰な二酸化炭素排出からの回復に努めているらしい。詳しい取調べは明日、というよりも眠っていないだけですでに零時を回ってしまった今日、日が昇った頃にも始められるとのことだった。
 次いで礼状が出次第、俳優似の男の部屋を捜査することも知らされる。ただし部屋といっても会社の寮で、入社して一ヵ月ほどのそこに期待するのはよした方がいいと聞かされていた。
 しかしながらそれら調査を待たずして明らかとなった事も、いくつかある。俳優似の彼の名がその一つだ。
 会社の名簿や所持品から名前は春山武史、と判明。指紋もまた「20世紀CINEMA」のショーケースや、最初の犯行予告へ添付されていたものとの一致が確認済となっていた。
 つまりそこで明らかとなったのは、入国管理局のデータベースが改竄された、という顛末だ。
 だというのに春山は送り付けられていた犯行予告の存在を知らず、迎えに来た二人もまた、こう証言しているという。身元確認もすんなり片付く民間エアポート会社のヘリパイロットは、同乗していたヤクザ者と金で結託しただけで、ヤクザ者のほ方はといえば、自分はハルヤマと名乗る男から金で依頼を受けただけだ、と。
 双方とも自分が何に加担していたのかを知らず、知ったのは逮捕されてからのことで、これら体調をおしてまで訴えられた一部始終も、加担していた事の大さに身の潔白を証明すべく懸命となっているかららしい。裏は後で取るが、すなわち証言の信憑性は高い、というのが渡会からの報告だった。
 おかげで明らかとなったのは、誰もヘリの行く先を知る者がいない、という事実だ。重要な手掛かりのひとつはそこであっけなくも、失われていた。
 果ての午前五時。
 それら腑に落ちぬ状況がまとまりを見せ始めたのは、百合草の部屋で順にすまされてゆく報告の最後、レフがビッグアンプル屋上でのやり取りを明かしてからのことだった。