case3# バスボム  -4/8







 一体どんな蹴破り方をしたのか、そっとフタをし直すことが出来ないらしいドアと、昼にも下りるという令状に家宅捜査の続きも控えたストラヴィンスキーとは、それを最後に通信を終えていた。
 泣き続けているらしい春山の相手に、取り調べの交代を願い出ているだろうハナが交信へ混じることはなく、辛うじて拾い上げることのできた手作り爆弾の位置は曽我から、車内床下であるとだけを聞かされる。
 一通りを頭へ詰め込んだ百々に加速し続けるワゴンの速度を確かめる気など、さらさら起きなかった。交信を終えたそのあと、ひたすら蒜山バス探しに集中する。
 そんなこんなでオペレーターからバスの位置を聞いてもう、十分は経とうとしていた。レフの逆算もそれほど間違っていなければ、時刻はらしき影が見えてきてもいい頃合に迫りる。
「そろそろ、見えてもいいのに」
 あまりにも周囲と速度が合わないワゴンがまた、繰り返した車線変更の果てにヨーロッパ産の黄色い外車を追い越していった。
「もしかして、もう追い抜いてたりして?」
 カラ笑いが止まらない。
「俺も見ている。そんなハズはない」
 よく考えてみれば、それは痛烈な皮肉だ。
 瞬間、四角いテールは目に飛び込んでいた。ピンクのラインに金の蒔絵。おそらく併走、側面へ回ったならローマ字でもってして書かれた「HIRUZEN」の文字も読めるだろう。端末へ送信されていた外観そっくりのバスは、前方に現れた。
「レフ、あれっ! ほら、左車線四台向こう」
 百々は指を突きつけ。視線を投げたレフが奥まった両眼をひときわ細める。否やウインカーを出した。
「ソガ、バスを発見した」
 滑るようにワゴンは左車線へ移動し、さらなる加速を続けると、追い越し車線を走っていた前二台を抜き去る。続けて右へ戻ったなら、左車線を走っていたトラックの前に出た。
「運転手と話はすんだところよ。ただし爆発物のくだりは言っていない。走行に支障をきたす恐れがあるため、赤いワゴンの指示に従うようとだけ知らせてある」
 聞いたレフの目が、サイドミラーをのぞく。
「集団でパニックを起こされても困る」
 付け足し、再度、車線変更を行った。ならついに目の前へ、バスのテールはそびえ立つ。
「うん、ナンバーも間違いない」
 壁と切り立つその下方を百々は確認し、聞いたレフが右へハンドルを切った。添付資料とうり二つだ。側面の文字を舐めてじわじわ、ワゴンはバスを追い抜き始める。続けさま元の車線へ乗り換えたなら、ついにワゴンはバスの前へ出ていた。
 リアウインドからうかがった運転手は、嫌でも気づく赤いワゴンの出現に、案の定、表情をこわばらせている。
「警察車両は?」
 サイドミラーでそんなバスを確認したレフが確かめた。
「次のインターでパトカーと移送用のバスが合流予定よ。今、事故車両による交通制限がかけられたことをラジオで流してる。次のインターまで一般車両の通行は減るわ」
「それって爆弾が確認できたなら、走りながら、お客さんには移送用のバスに乗り移ってもらう、ってことですか?」
 想像したくはないが、勘違いできない段取りだろう。百々も割り込む。
「爆発物が設計通りに作動するなら、制限速度は四十キロ。乗り換えるに不可能ってわけでもない速度だわ。乗せたままでこそ解除はできない」
 素人の手作り、という前提のせいで、言う曽我の言い回しの厳密さに、不測の事態は連想させれて止まない。
「設計通り、か」
 レフも呟く。
「構造の把握は?」
 切り替え、すぐにもせっついた。
「何かを参照して作ったらしいことは分かっているのだけれど、具体的なことは春山に確認中よ。ハートも遠隔でスタンバってる」
「お兄さん、泣いてる場合じゃないんだけどなぁ」
 どうしたものかとはにかむ百々の頭上を、「インターまで三キロ」の看板は飛び去っていった。
「俺たちの手に負えない場合は?」
 問いかけるレフは、頭の中でいく通りにも事態をシミュレートしている様子だ。
「処理班の応援も要請している。けれど彼らこそ出前じゃない。それに走行中の車から爆発物を除去することは、彼らにとっても慣れた作業じゃないわ。事態が特殊なら、合流するのはまだ先だと思って」
「なら……」
 と、ワゴンの速度はそこで落とされた。すぐにも後方、バスとの車間は詰まり、おかげでブレーキを踏んだバスはワゴンを嫌って追い越し車線へ逃げてゆく。そうして空いたスペースへ、ワゴンは下がっていった。中央ラインを踏み越え逃げたバスへ、すり寄ってゆく。
 気づけばドアツードアだった。ワゴンの鼻先はバスのそれに並び、だからだろう、レフの手もまた自分の体へ巻きつけていたシートベルトをはずし始める。
「ち、ちょっとっ?」
 目の当たりにした百々は、どもっていた。だがかまわずレフは運転席のパワーウインドを下ろし、バリバリ音を立てて吹き込む風を受けながら、マイクへこう言い放つ。
「ソガ、ドアを開かせるよう指示してくれ」
 その顔を、ようやく百々へ向けた。
「あとは任せたぞ」
「へ?」
 いや、何を、と問うている暇がない。なにしろにわかに信じられないという顔を向けつつも、バスの運転手はもう三つ折りの扉を開いてしまっている。
「移る間だけだ。速度は保て」
 レフは平然とアドバイスをよこし、おかげで百々の涙がちょちょぎれたとして、それはレフの心遣いに感動したせいでこそなかった。とたんハンドルから手を離し、窓の外へ体を出したレフに、至極単純に涙目になっただけだ。
「ぎゃぁぁぁぁっ!」
 時速八十八キロ。
 百々の脳裏を手放し、クラッシュ、即死、の三段論法は駆け抜けてゆく。とにもかくにも握っていた端末を放り出し、シートベルトを弾き上げるが早いか、全身全霊、目の前で空を切るハンドルへ食らいついた。
「何、考えてるのよぉっ! 自分がっ、自分が運転手でしょうがぁっ!」
 などとわめいたせいで勢い余る。握ったハンドルを揺すったらしい。ワゴンは小刻みに蛇行した。
「やたらに切るなッ」
 振り回されたレフが、窓枠を掴み声を荒げる。そら、もっともな反応だが、そもそもやろうとしていることが無茶苦茶なのだ。だからして百々もハンドルにすがったまま、死に物狂いで連呼した。
「ムリムリムリ、無理っ」
 ものの、受付拒否。レフは残した足で辛うじてアクセルを踏むと、まっとう過ぎて役に立たないアドバイスを投げよこす。
「ハンドルは切るな。バスに合わせてまっすぐ走らせろッ」
「あたしはそこまで、バカじゃ、なーいっ!」
「ないなら、やれッ」
 言うレフの体は、さらに窓の外へ出ていた。ならハンドルなど放って、その腕でも腹でも掴んで引き戻したい衝動に駆られるが、百々にもうそんな余裕はない。うちにも箱乗り寸前とレフは、完全に上体を外へ出す。風音のせいで聞こえづらさが増した声を、そこからなお張り上げた。
「いいかッ、アクセル離すぞ。しっかり踏めッ」
「うそうそうそうそっ!」
 わめく百々の前で、風を受けたレフのニットがこれでもかと膨れ上がる。飛ばされまいと屋根へ手はかけられ、もう後戻る気配がないことを百々へ知らせた。おかげで百々も腹をくくるほかなくなる。
「わ、分かりましたってばっ! やればいいんでしょぉがっ! やればぁっ!」
 とはいえ、こんな大役を泣く泣く引き受ていいものなのか。百々は運転席へ移るべく、しがみついていただけの姿勢を起こした。そうして最後、これだけは外せないとレフへ確かめる。
「そ、それで、お戻りは、いつですかぁっ?」
 レフはそこで、ついに窓枠へ尻をかけていた。曲げた体でどうにかワゴンの中のぞきこんでみせる。一言、言った。
「予定はないッ」
 ごもっともだ。ゆえに百々も訴える。
「だってあたし、めっ、免許、持ってなぁいっ!」
 なら、それは電源でも切れたかのような間合いだった。レフの動きは止まる。沈黙が、互いの間をドンブラ、流れた。しかもやたらめったら、長い。あまりの長さに、まだそこにレフはしがみついているのか、と百々は思わず振り返った。よかったと思う。レフはまだそこにいた。
「ホントだってば」
 浮かべる、情けない笑み。
 目もくれず、レフが体を運転席へ戻していった。無言のままハンドルを奪い取る。フロントガラスの向こうを睨むと、シートベルトをかけなおしていった。
 手元は、先ほどまでの大声が嘘のように落ち着いている。おかげで定位置へ押し戻され、百々もあらぬ方向へ飛んでいた端末を拾い上げた。自身の体へもシートベルトを巻きつけなおす。
「い、言って、なかったっけ?」
「聞いていない」
「げ、原付なら、あるんだけどねっ」
 憮然と返され、歌うように返していた。だが正直、それこそいらない情報である。
 肝心のところで引っ込んだレフの挙動に、バスの運転手もどうしたものかと、扉の開閉を考えあぐねている様子だ。詰まるところ全ては、百々の無能のもとに台無しとなっていた。当の本人であればこそ、空気は嫌というほど感じてならない。
「なんのためについてきたのか、とか考えてるでしょ?」
 言わずにおれなくなっていた。
「ついでに使えないやつだ、とも思ってる」
 もちろんそれこそが百々自身、自らに覚えたもどかしさである。だが被害妄想でないからこそ、レフから返事は返ってこなかった。インターチェンジまで一キロと記した看板がただ、沈黙した二人の頭上を通り過ぎてゆく。
「別の方法を考えるだけだ」
 運転席の窓を閉め、レフは至極冷静と締めくくっていた。
 その有難いほど前向きな発言を真に受けることができたなら、目出度さ倍増のフォローだが、決して百々のふがいなさをかばってのものではないと知れるだけに、百々の耳はことさら痛む。
 何しろひとところに捕らわれているようでは、この仕事が務まるはずもなかった。そして任務はそれが遂行するにあたって可能、不可能のいずれであろうとも、人命と抱き合わせの超個人的課題の連続ときている。途中で放り出せるわけなどなく、無理を通す理由も前向きな理由も、そこに帰結していた。つまるところこの単純な鉄則に水を差す輩こそ、爆発物に、しこたま課せられたレポート同様、排除すべき邪魔な存在なのだ。そしてそれが自分なのだと突きつけられたなら、百々は身の置き場のうえに気持ちの置き場さえなくしていた。
 閉まった窓に、先ほどまでが嘘のように車内は静けさを取り戻している。なくした体と気持ちの置き場を探すに、絶好の触媒だとしか思えなくなっていた。
 ままに百々は耳を澄ませる。
 状況は理解しているつもりでいる。と己の声を聞いていた。だからしてなんとしても、足を引っ張ることだけは避けたいとも思う。いやこのままでいたなら勢い任せと握ったハンドルのように、果てに誰かを振り落すやもしれない、と危機感さえ覚えていた。
 だからと言って偶然に巻き込まれた、ただの目撃者に過ぎない自分が同じ責務を担うなど無理だろう。ぶつかる正論に思いは千々と乱れ飛び、まとまらぬ考えのまま百々は己の阿呆を恨みかけたところでふと、我に返る。
 「同じ」だと思っていることとは、何なのか。
 「違う」と感じていたこととは、何だったのか。
 ワゴンで座席を並べるレフへ、百々はやがてその顔を持ち上げていった。
 無愛想極まりない横顔は変わらずそこにあり、だが片時だろうと疑うことなく百々へハンドルを預けたのがその顔なら、そうじゃない、とそれは百々の中で外れて飛ぶ。
 やおらふわり、単純な結論は浮かび上がっていた。それが勢いに誤魔化されたものでないなら再度、辿りなおしたところで実に理にかなっているとさえ百々はうなずく。
 そこが居場所だ。
 目覚めた思いで百々は瞬いていた。
 弾かれたように、シートベルトを払いのける。
「どうした?」
 何事かとチラリ、レフが視線を投げていた。かまわず百々は後部座席へ身を乗り出し、シートへ尻を投げ出す。運転席の後ろへ移動していった。
 そこでパワーウインドを下げたならもう片方の手で端末をジーンズの尻ポケットへねじ込む。見上げたバスは、変わらずワゴンと併走していおり、機会を失ったきりの扉もまだ前方でい開いていた。
「外の空気が吸いたくなったかも」
 言って百々は、これからプールへでも飛び込むかのようにぐるり、首を回す。両手首も振ってポキポキ鳴らした。
「外?」
 繰り返すレフの口調は明らかに怪訝だ。
「車酔いとかじゃないってば」
 慌ててつけ足し、百々は右に左に履いたスニーカーのひもを締めなおした。そうして軽く息を吐き、足先から頭のてっぺんまで確認してゆく。だがこれ以上、思い当たるところがないのだからつまり準備は整ったに違いなかった。百々は満を持して、その口をレフへと開く。
「あたしがバスへ行ってくる。もう一度、近づけてっ!」