case3# バスボム  -5/8







「待ちなさい!」
 すぐにも曽我が引き止めていた。ならば反省文は違う意味で効果てきめん。百々は慌ててその先を封じる。
「あーっ! 指示はダメです。また命令違反になっちゃうからっ!」
 不意を突かれたか、笑うレフの鼻息がイヤホンからもれた。
「だったらはっきり言わせてもらうわ。あなたが行ってもリスクが増えるだけで、何の役にもたたない」
 それは遠慮の欠片もない、曽我らしい引き止め方だった。だが同時に百々も重々承知していたなら、互いの認識は一致してもいるとも安心する。
「分かってます。何も爆弾を解除しようなんて思ってません」
 きっぱり返していた。そうしてやっほーと言わんばかり、窓から顔を出す。
「車内、床下ですよね。あるかどうか見てきます。もしお兄さんの言う通りだったなら、お客さんの避難誘導、任せてください。あたしに知恵がないなら、指示、お願いします。少しでも早く爆弾を処理しなきゃ」
 思った以上の風圧だ。喋る自分の声が、後ろから追いかけてくるように聞こえてならなかった。それは吹き飛ばされて紙屑のようにアスファルトを転がる姿を過らせ、百々は間違いを起こさぬよう、速度へ身を馴染ませる。叩きつける風を味方につけて大きく開いた口で風を飲みこむと、閉じて曽我へこう放った。
「高速だって、いつ何が起こるか分からないと思うんです」
 言葉に曽我は、打ち返してこない。おそらく路面の全てを延々コントロールし続けることなど不可能だ、と知っているせだった。だからして百々もまた、ここぞでたたみ掛ける。
「だいたい拳銃をさげたごつい人が転がり込んできて、何でもありませんって言っても誰も信じないと思いますっ! 心配しないでください。あたし、落っこちたりしませんからっ!」
 誰より自分へ言い聞かせた。
「だってバスの運転手さんは大型車のプロだし、こっちの運転手だって優秀なハズだからっ!」
 言い切る。
 そう、一時だろうと信じてレフは百々へハンドルを預けたのだ。百々の方こそ信じぬ道理はない。
「そう言うコトだよねっ!」
 ワゴンの窓枠を掴んだ。否定されようが止められようが、ここから先はつい先ほど目にしたばかりだ。窓へと前のめりになる。瞬間、レフの声はその耳へ届いていた。
「……そういう、ことだッ」
 心地よさに笑みはもれ、糧に百々は、一気に胸まで窓の外へ出る。
「だったら、脇道からサポートできる一般道へ出てからにして」
 それでも食い下がる曽我の口調は、キレと重さを兼ね備えたボクサーパンチそのものだ。
「歩行者がいる。信号のない交差点も厄介だ。高速なら障害物はない。いいなッ。このままで行くぞッ」
 かわしてレフが応戦し、矢継ぎばや百々へ声を張り上げた。
 バスの運転手は頭を突き出した交代選手の頼りない様子に、さらにうろたえている様子だ。さすがに笑って返す余裕はなく、百々はそれを返事と、拳でワゴンの屋根を叩いて合図した。
「近づけてっ!」
 一理あると見たのか、それとも押しとどめることは無理だと悟ったのか、はたまたまくし立てて手を滑らせたなら一大事と自粛したのか、曽我の反論はそこで途絶える。
 沈黙の中、ワゴンはバスへ、さらに近づいていった。
 なおさら気を遣わなければと思ったに違いない。一段後ろへ下がった窓枠から身を乗り出す百々へ、バスもまた扉の位置を合わせ速度を調節し始める。
 最中、下ろされたのはワゴン運転席側の窓だ。レフの腕はそこから百々へ、突き出された。
「持って行けッ」
 その手は何かを握っている。
 何だろう、と窓枠へ腰を乗せ、百々は外からそれを受け取った。
「バスを掴んだら、迷うなッ」
 イヤホン越し、初めてレフが有効なアドバイスを投げてよこす。黙して百々は脳のシワへ刻み込み、乾く瞳を数度の瞬きで濡らしてどうにか受け取った物へ目をやった。
 記号が混じったローマ字のようなものはロシア語か。側面に印刷したそれは、木製の持ち手が馴染みよい十徳ナイフだ。使い込まれたことを示して握り手はだいぶ変色していたが、百々の手にもちょうどと違和感がない。
 確かに何かの役に立つかもしれないと、百々は端末と同じジーンズのポケットへねじ込んだ。窓枠へ腰かけたせいだ。視点は高く、状況を確かめ周囲を見回す。
 ならワゴンはいつしか、インターの合流地点を走り去っていた。迷彩色とも取れる警察の深緑色したバスが二台、さらに前方をパトカーが三台、走っているのが目にとまる。振り返ったなら後方からは高速機動隊と思しき白バイも二台、滑るように追い上げて来ていた。一般車両の影はそんな両者の前後からきれいさっぱりなくなると、ラジオに乗せられたエセ情報が効いていることを知らせている。
 お礼代わりだ。百々は屋根を二度、レフへノックして返した。親指を立てたレフの手はそれきり車内へ引っ込んでゆき、さらに間を詰めるべく、ワゴンはバスへ近づいてゆく。
 開いたままの扉の中が、初めて百々の目に映っていた。
 百々はそこに掴むべき場所を探す。
 見つけたのは近年増えたお年寄りにも優しく、そもそもの用途を度外視して百々にすら優しい乗降口脇の手すりだ。手を伸ばせば幾度か、そんな百々を試してバスとワゴンはすれ違った。接近しては微妙に離れるを繰り返したのち、唯一無二のチャンスは訪れる。
 声をかけられたわけでもないというのに、乗り移るなら今だ、と言って確かに誰かが百々の背を叩いていた。
 従い、百々はワゴンの屋根を押し出す。
 両手で、バスの手すりをしっかと掴んだ。
 とたん、異なる二台の振動がふるい落とさんばかりに百々を襲い、またいだ路面が猛烈な勢いで後方へ流れていった。光景にレフの言葉は脳裏を過り、追い立てられるまま百々はワゴンの後部座席を蹴りつける。ヘッドレストも蹴って渾身の力で掴んだ手すりを引き寄せた。ならワゴンの窓枠から尻までが出、迷うなの言葉を実践すべく、へこむほどとワゴン車体を蹴って百々はバスへその身を躍らせる。
 まさにもんどりうつような具合だった。
 バスの昇降口、ステップ最下段へ這いつくばった。
 その平衡感覚こそ、現実のものとは思えなかったなら、開いたままの扉から転がり落ちそうに思えてならず、息も絶え絶え辺りへ手を伸ばす。そうして掴んだものが何だったのかなど、今さらどうでもいいことだ。恐怖と緊張に強張る体を必死の思いで車内へ押し上げ、とにかくステップを這い上がった。途切れたところで、乗客の前へ転がり出る。
 そこに左右二列、並ぶ四十余りの座席はあった。どうやら満席というわけではないらしい。一人二席のそれはまさに優雅なゆったり旅だ。そうしてなぜゆえにか、そこに腰かけているのは白髪にシワの年寄りばかりでもあった。
 そのあっけにとられた目と目は、合う。
 何か言わなければならない。
 思うが、こんな時にうまく言葉が出てくるはずもなかった。ゆえにレフならどう言い逃れるか考え、すぐにもレフなら言い逃れこそしないだろう、と百々は思い至る。だがわかったところで同じ真似こそ無理だった。何しろもう苦し紛れとその顔から笑みはもれている。今さらひっこみなどつきそうもなく、ええいままよで百々は大きく息を吸い込んだ。次の瞬間、腹の底からそれを吐き出す。
「おっ、お待たせいたしましたっ。バスガイドの百々でぇすっ!」
 いや、いったいどこにこんな乗車の仕方をする添乗員がいる。
「あんた、何しとるよ」
 案の定、最前列で恰幅のいい老人が言っていた。
「え、いや? あ?」
 口ごもればその背後から、今度はふくよかな老婆の顔はのぞく。
「佐藤さん、どうしはったん?」
「不審者だ。転がり込んできおった」
 佐藤と呼ばれた老人の解釈は見事いい当てながらも、極端でいただけない。おかげできっかけに、何だ誰だと車内はざわつき始めた。
「いや、あ、ちっ、違いま。こっ、このバスはっ……!」
 あれよあれよで。バスと言う名の密室に不穏な空気は漂い始める。
 とりなして百々は、バスの不備を口にしかけた。だがたとえそれが建前の嘘八百だろうと、さらに波風を立てるだろう雰囲気を感じ取る。
 集団でパニックを起こされてもかなわない。
 過るレフの言葉にのみ込むと、間際での大幅なシナリオ変更を試みた。
「バ、バスについて、お知らせいたしますっ! 車内に緊急の忘れ物があると、お客様からのご連絡をいただきました。すぐにもお届けに上がらなければ参りません。皆様、ただいまより、お足もとを確認させていただきます。ご自分のお荷物を全て膝の上へ、お願いいたしますっ!」
 絶妙ながら、果たして「緊急の忘れ物」なる物が存在するのかどうか。しかしながらしくじれない苦肉の策に、愛想笑いこそ消えていた。そんな百々の気迫が事態の深刻さとして伝わったのか。集団のざわめきはそこでピタリ、止む。年寄りたちの顔に驚きと不可思議の表情は入り混じり、やがてそぞろと従いだした。
「ええ? そんなに急ぐんモンなんか?」
「こんなところまで、一大事じゃないの? どんなもの?」
 などとシナリオに乗ってくれるのなら、ぼうっとなんぞしておれない。
「お足もと、失礼しまーすっ!」
 見回し百々は、這いつくばる。確かに忘れ物と言えば忘れ物の爆発物を探すべく、床へと目を這わせていった。
「ハナが春山から、爆発物の設計図と位置を聞き出したわ」
 どうやらようやく泣き止んでくれたらしい。その耳に曽我の声は響いた。
「非常口手前、通路に床下へのハッチがある。その中を見て」
 中ほどまでを調べたところで、百々は指示された場所めがけて視線を飛ばした。張られたカーペットを区切り、はめ込まれているハッチを見つける。
「あった」
 と、割り込むレフの声。
「待て、開けさせるのか?」
 聞きながら百々がハッチへ滑り寄れば、その声は百々へと向けられていた。
「そこまでだ。触るな」
 が、さらに割り込んできたのはハートだ。
「かまわん、今すぐ開けろ」
 ビッグアンプルの現場で端末越し、ハナが入手したという設計図を繰りながらの参戦らしい。
「解除コードを残す腰抜けだ。そこに細工はない」
 確かに、解除しようとして自分が吹き飛ぶ。しかしレフはかぶせていた。
「それも手口なら?」
「どっちっ?」
 翻弄されて百々はかみつく。
「ないようだけどなぁ」
 傍らで忘れ物を探す年寄りが、両足を上げていた。
「おじいちゃんっ、ちょっと黙ってっ」
 振り返った百々の唾が飛ぶ。
 そこでハートの語気は強くなった。
「開けろ」
 信じなければやっていられない。
「わかったっ」
 踏みつけられたせいで油の上に埃を塗りつけたそこへ、百々は指を押し込んだ。床に収納された握り手を回転させ、左右そろったところで気合いもろとも引き開ける。
「何をしよるんじゃ? そんなところに忘れモンが、入っとろうかの?」
 つまり、ご名答。爆発も何も、起きはしなかった。ただ背後から、声はかかる。聞き流して百々は、脇目もふらず中へ目を凝らした。
 半分は観光バス特有の荷物室のせいでふさがれている。残り半分は油臭さを漂わせ、何が何やら駆動部分と思しき構造を遥か下までのぞかせていた。どこに何が、と百々はただただ目をしばたたかせる。
 挙句、訴えた。
「く、暗くてよくわかりませんぅっ!」
 思い出して尻ポケットをまさぐる。
「レフ、これ、ライトはないの?」
 借り受けたナイフを引き抜き、見回した。というか、見るまでもない構造なら、レフの答えもまたシンプルを極める。
「ない」
「そ、ありがとっ!」
 最速で着いた決着に礼を言い、百々は再び穴へ頭を突っ込んだ。
 百々のまわりで年寄り連中は、いつからかそんな百々を心配そうに見下ろしている。
「どないしたんや。あったんかいな?」
 その優しげな声は、涙もののねぎらいだ。
「わかんないよぉ」
「それ、お嬢ちゃん。そこになんかついとるけど、それは違うんか?」
 と、一人の年寄りが、引き開けたハッチの裏を指さした。
「へっ? は? なんて? おじいちゃん」
 もぐり込み過ぎて、頭がひっかかりそうだ。声に百々は背を丸めながら身を起こした。指された場所へ目を向ける。
 いや、それが必要な部品なら、ビニールテープで張り付けられているハズなどない。そしてそれは、黒い箱でもなければ、赤い文字も貼りついていなかった。どこにでもありそうな基盤と電池ボックスは、色とりどりのコードを穴の奥へ垂らし、ハッチの裏に張り付けられている。
 目にした百々に声はなかった。
 ただ見なかったことにするかのように、ハッチを閉めなおす。止めていたビニールテープのフチが剥がれそうに浮き上がって、おっかなびっくりハッチから手を離した。
「し、仕事、雑いってば」
 ままに、抜けそうな腰でバスの先頭まで後戻る。ステップを無言で下へ駆け降りた。運転手には背を向けておくべきだろう。そこで百々は屈み込む。現状を報告すべく、めいっぱい声をひそめて、いや、ひそめたつもりで報告した。
「まっ、また爆弾みたいなの、見つけちゃいましたぁっ!」
 これで三度目だ。
「よほど好かれているなら天職だ。戻った時は、俺が解除のイロハを教えてやる。楽しみにしてろ」
 ハートの声が不敵と響く。
 無論、這ってでも戻りたかったがこれ以上お近づきになる気こそなく、それだけは結構だと百々はひたすら涙目をしばたたかせる。