case3# バスボム  -7/8







「えっと、最後の方いらっしゃいますか?」
 座席の合間に人影を探す。
 気配は、最後尾、向かって左の窓際で揺れた。
 百々は時間を惜んでそこへと向かう。覗き込めば、小枝がごとく華奢で小柄な老婆が一人、座っていた。
「あら、迎えに来てくださったのね」
 その髪は真っ白い。しかし手入れが行き届いていることを示して艶やかな光を放つと、緩いウェーブがかけられていた。控えめながらもほどこされた化粧に、ほのかと香る香水が今でも女性であることを、強調して止まない。しかしながら甘えることなく、百々へ向けられた笑みは凛と引き締まってもいた。
「はい、あなたで最後です」
 面持ちに、百々の態度も改まる。
「でもわたくし、足が悪いの」
 言う彼女のヒザには確かに、淡い藤色のひざ掛けが掛けられていた。
「ここに残るわ」
「……はひ?」
 などとあっさり言われて百々の声は、裏返る。いや、だからあの老人、佐藤は彼女を一番最初だ、と言ったのか。思い返すがもう遅かった。それきり彼女は百々から顔を背ける。旅の続きを再開すると、ゆう、と窓の外へ視線を投げた。その仕草はもう外の景色がヨーロッパの田園風景か、きらめく地中海か、と疑うほどに優雅でならない。
「だめだめだめですっ。そんなの理由になりませんっ」
 ついぞ見とれかけて我に返る。百々は肩を突き出し言った。
「お貸ししますっ。つかまってください」
 だがそこへかけられたのは、手でない。そっけない言葉だ。
「いつもは車椅子なの」
「じゃ、おんぶっ!」
 すかさず振り返って、「ほれほれ」、手招く。
「ごめんなさい。わたくしがお願いするのは殿方だけと決めてるの」
 言われて百々は、伸び上がった。
「なんですかっ、それはっ?」
「誤解しないでちょうだい。あなたの力量が信用ならないからです」
 失礼な、といわんばかり彼女はピシャリ、言い放つと、「結構」と声の調子を固くする。
「たとえ歩けたとして、わたくしにここを動く気はありません。あなた、警察の方でいらっしゃるんでしょ。お気遣いは無用よ。お仕事、かまわずお進めになって」
 また、つん、と窓へ向きなおった。
 様子に、百々はひたすら唖然とする。その耳へ、聞き覚えのない声は飛び込んできていた。
「なんとか連れて来ていただけませんか。こちらが手を割くと、受け取り側が不安定になります。足の不自由な方なら、なおさら危険だ」
 レスキュー隊員だ。同じミッションにかかわる者として、無線はオープンにされていたらしかった。つまり頼りにされているのは百々の方で、泣き言を言う立場でないことを知らされる。いや、それもこれも承知の上の車間移動のはずだった。思い起こせば「責任感」は蘇る。百々は鼻からフン、とその時、息を吐き出した。
「わっかりました。やってみます」
 なんのこれでも「20世紀CINEMA」で日々、カラー刷りパンフレットにチラシを何十部、何百部と持ち運んでいる身だ。見た目で三十キロそこそこしかなさそうな彼女なら、持ち上がるやもしれない。いや、持ち上げてみせると、座席と彼女の間へ両腕を滑り込ませる。
「しっつれい、しまぁっすっ!」
 ありったけの気合いをぶつけ、踏ん張った。
「ふっ、た、かっ、ごおぉっ!」
 意味不明の擬音がもれるも致し方なし。だが彼女の体は微動だにせず、わずか数秒で百々の息だけが上がる。
「ふむ、むぅ、むりらぁ」
 彼女が、そんな百々を一瞥していた。わずか勝ち誇ったような笑みを浮かべる。顔へ、笑いごとじゃない、と百々は噛みつきかけ、再びレスキュー隊員の声に呼び止められていた。
「分かりました、健常者収容後そちらへ向かいます」
 結末にはもう、「そんな」と嘆くしかない。ままにバス前方へ振り返った。ちょうどと佐藤が、移送車へ引っ張り込まれようとしている。
 結局、役に立たなかった。
「わかりましたぁっ! お願い、しまぁっすっ!」
 百々は泣く泣く決断する。
 とその視界の隅を、何かはふい、と横切っていた。
 距離は近く、近さに驚き百々はなにか、と振り返る。
 ならそこで目は、合っていた。
 バスのリアウインド越しだ。ノーヘルのまま白バイにまたがり猛然と、レフがバスを追い上げてきている。
「は?」
 釘づけで繰り返す瞬きは、必要以上にが鉄則だろう。
「な、んでっ?」
 放ってフワリ、バイクは傾いだ。流れるような動きでもってしてバスの左側へ回ってゆく。吸い寄せられて百々も駆け出し、そのまま窓へ両手をついた。
「の、乗ってる物が、違ってますけどぉっ?」
 しかしながら叩きつける風に、レフのマイクはただの飾りだ。百々の声は届いても、何事かを叫び返すレフの声こそ聞こえてこない。
「何っ?」
 張りつけていた手で百々は、急ぎ窓を開く。
「開けろッ」
 言うレフの声を辛うじて聞き取っていた。そのアゴ先は、バス側面の非常口を指示している。ならその先に連なるシナリオなど、もうたかがしれたものだった。乗り移る気だ。悟って百々は確かめる。
「本気っ?」
 果てに愚問だったと、思い知らされていた。
「……の、顔だっ!」
 急ぎ、こちらへ来るというレスキュー隊員を押し止める。窓を押しやり、百々は座席の間をすり抜けた。常口と一体になっている座席へ走る。
 非常事態に遭遇するのがここ最近なら非常口など開けたことなどあるはずもないが、車体側面に貼られた解放手順はどのバスも同じと、すぐに目についた。読んで、じれったくなり途中で投げ出し、非常口自体にも貼られた記号を目で追い、座席脇、鉄製のレバーを跳ね上げる。それがややこしいなら逃げ遅れるに違いない。次に壁際のハンドルを全力で回した。動かなくなったところでドアレバーを握りしめる。
「ココ、出口専用なんですけどっ!」
 言い放つや否や、レバーを押し込んだ。
 思った以上、簡単に非常口は浮き上がる。
 隙間から風はどうっ、と吹き込み、押し開けるまでもなく煽られ全開となった。
 引っぱれて百々は危うく外へ放り出されそうになり、慌てて車体へしがみつく。
 バイクはそんな百々めがけ、急接近していた。
「邪魔だ。どけッ」
 怒鳴ったレフはもう、バイクから片足を抜いている。
 目にして百々は飛びのいた。
 とたんニットをはらませ、レフはバイクを蹴りつける。ちょいと狭くはないか。そんな場所へ、勢いのまま身を躍らせた。
 向かいの座席まで、デカイ図体が転がってゆく。ぶつけた音は生々しく、目の当りにして百々は叫び声を上げ、浴びて一呼吸置いたのちだ。やがて座席の間からレフは体を持ち上げていた。揺れる車内にしばしフラつく足を持て余し、その場で軽く頭を振って踏ん張りなおす。
「バイクの交渉に手間取った」
 気になるらしい、吐いて歪んだニットの襟を整えなおした。
 というか、イタイ、とかなんとかないものか。
「あは、は、は。だって、バイク、あれだもん、ね」
 百々は引きつり笑うほかなく、言って教えたバイクも主を失うと蛇行の果てに、はるか後方で行き倒れ中ときている。
「それどころじゃないっ! あのおばあちゃん、歩けないし、ここから出たくないって我がまま言ってます。扉前までお願いしますっ!」
 思い出して彼女を指さした。
「聞いていた」
 言ったレフの目が、すぐにも彼女をとらえてみせる。狭い車内、百々の体を押しのけると、こうも付け加えながら彼女へと歩み寄っていった。
「知り合いにロシア空軍がいて、助かった」
「あのバイク、一体、何と交換したんですかっ?」
 だとしか思えないのだから、言うしかない。
「まあ、驚いたことをなさる方なのね。その要領で力づくというわけかしら? 屈辱的だこと」
 向けて彼女も、皮肉たっぷりと投げよこす。だとしてこの場合、やむなしだろう。何しろ命がなければ人権もないのだ。つまりさっ、とかっさらって、とっととすませる。その成り行きに百々の期待も高まった。
 ハズが、立ち止まったレフはそこで姿勢を正してみせる。
「マダム、ご協力願います」
 頭を下げるどころか、乞うてひざまづきさえした。
「ちょっとぉっ、そんなことしてる場合じゃぁ、ないっ!」
「いいえ、わたくしは間違えていません。動く必要はないと考えています」
「では理由をうかがいたい。これは我々の義務であり、わたしの仕事だ。引き下がるなら理由が必要となる」
 百々は叫んで、彼女は返し、レフもまた聞こえていないかのごとく淡々、述べる。
 もう白黒反転を続ける目の動きが、止められない。百々は絶句し、真逆と落ち着き払った彼女の背筋はそのときぴんと伸びていった。
「この旅を言い出したのは、わたくしです」
 義に報いてか、やおら切り出す。
「二人だけでなくともかまわない。大事な人と巡り合えた。その思い出を残したいと思いました。それをいい年をして、と世間体を振りかざす。全くもってつまらない言い分です。その言い分であたしが間違っていると、あたしの生き方は恥ずべきものだと、思い知らせたいわけなのです。分かっていましてよ。それがこの騒ぎの正体なのでしょう?」
 最後、鋭い眼差しをレフへと投げて確かめた。
 なるほどだからタケシは分からず屋なのか、分かれば百々のへこんでいた眉も、持ち上がらざるを得なくなる。
「なおさら屈するつもりは、ありません」
 前で彼女は、断言した。
「そもそも偽りない思いを恥じて一体、何が恥でないというのですか。従わせるべくこのような行為こそ、恥ずべく下劣で愚かな行いです。応じて自らを貶め、名誉を傷つけてまで生きてゆくなど、わたくしはまっぴらごめんです。信ずるところは曲げません。ここへ残る。これがわたくしの理由です」
 おわかり? いわんばかりだ。傾げられた首の上、のあの笑みはまた浮かぶ。
 だからといってレフが、安易な相槌を返すことこそなかった。百々もまた聞くうちにいつからか、まっすぐな彼女の生き様に何かを思い出しかけて釘付けとなる。
「人などしょせん、泡のようなものです」
 低い声だった。教える彼女はさらに言う。
「この身はいずれ弾けて消える。老いたなら、なおさらわかるそれが現実です。ならば大切なのは、守るべきは、弾けた後に残るものではありませんか?」
 とたんそれは鮮烈と蘇っていた。
「バス、ボム……」
 百々は呟く。
 年齢規制などかかる余地もない現状の、天と地ほどの差もある年齢差だったが、彼女は己に正直だからこそ奔放だったあの主人公と百々の中でピタリ、重なっていた。おかげで映像に引きずられることなく映画は百々の中へすとんと落ち、「偽ることのない思い」というくだりだけが激しく明滅する。
 その片隅でまた田所が、がっかりしたと百々へこぼした。
 あの時即座に誤解を正せなかったのは、動揺したせいで間違いない。だからといってただせぬまま、居心地悪さに逃げ出せば、彼女が嫌ってやまないように百々もまた、自らの名誉を汚したまま生きることになるはずだろう。それは互いが顔を会わさなくなればなるほど拭い難く、そして正す者のいなくなった記憶はやがて真実と、田所の中で息づいてゆく。
「弾けた後に漂う香りが、魂という香りが大切なのです」
 言葉をまるで、自らへ向けられたもののように聞いていた。おかげで百々は、その名を聞き逃しそうにもなる。
「タケシは、春山タケシはあたしの孫です。仕掛けたのは、その子ではなくて?」
 まさに二度見だ。彼女の顔をとらえなおしていた。果てに突きつけられたのは、やはりモザイクが欲しいと思えるだけの過激なセリフとなる。
「ええ、吹き飛ばしたいなら吹き飛ばせばいいのです。引き下がるつもりはありません。ここにはあたしの生き方が、これまでの人生が、かかっているのです」
「ならば貫くことで我々を危険にさらすこともまた、あなたの生き方の一部だと言うわけですか?」
 言うレフは鋭い。
「早くしてください! 前方に車が見え始めてます!」
 運転手がおっつけ悲鳴を上げる。
「間に合わん。ドド、手順を説明するぞ」
 見限ったハートの声が、イヤホンから飛んでいた。
「あっ、あたしが解除するんですかっ?」
 どもって当然。だがハートに二言はない。
「そうだ。そこの白騎士は役に立たん」
 言われように、百々はついぞレフを見上げる。なるほど確かに白馬ならぬ白バイにまたがり現れた、それは白いニットの白人だった。そして生粋の姫はとてつもなくテオオンバときていて、手が離せそうもない。何より断った地点で百々自身、吹き飛ぶパーセンテージは各段と跳ね上がっていた。
「だ、が、わっ、わっ、かりました」
 返すしかない。そして言ったからこそ、肩をいからせきびすを返した。百々は開きっぱなしのハッチへ向かい、屈み込む。
「これって危険手当とかつくんですよね」
「そうだ。期待して張り切れ」
 などとハートの返事はもう、安請け合いにしか聞こえない。
 混じり、絞り出すような声で彼女が言うのもまた、耳にしていた。
「……それは、違います」
「それもまたあなたの生き方であれば、あなたが守りたいものは結論のみにあるものではない。その姿勢を崩さない限り、たとえここで引き下がったとして損なわれるものなどないはずだ」
 こうも切羽詰まった時にする、それは話か。理屈を追えば頭は混乱しそうになり、百々は心の中でぎゃー、と叫び振り払った。
「でっ、どうすればいいんですかっ?」
 ハートの声にのみ、意識を集中させる。
「電池ボックスには触れず、基盤脇のテンキーパネルを確認しろ」
「あった」
 二つ三つ、よけいにキーを一押してしまいそうな、それは小さなパネルだった。
「解除番号を放り込め」
 百々はイエスサーで尻ポケットから端末を引っぱり出す。確認しかけてそれきりだ。送信済みの解除番号へ目を通した。
「長っ!」
 この期に及んでそれは、四桁づつで区切られた悪意さえ感じる二十桁もあるランダムな数字だ。
「わたくしを理解している。あなたはそう、おっしゃりたいわけなの?」
 別世界と、背で彼女が問い返している。
「侮辱するつもりはない。それが証明だ。だからこうしてあなたの協力を待っている」
 なら自分にも援護を。百々は心の中で毒づき、かなわぬなら奥歯を噛んだ。
 意を決して、テンキーパネルへ指を伸ばす。触れかけて震えていることに気づき、引っ込め、かじかむ手を温めるように胸元でこすり合わせた。
「まだですかっ! 早く、早くして下さいっ!」
 頭上を、運転手の金切り声が飛び去ってゆく。
 きっかけに、ついに背後の会話は途切れた。おかげで気が散らないなら今しかない。百々は基盤へかじりつく。間違えたならゲームオーバーだ。区切られた四桁づつを、ありえぬ慎重さで入力していった。
 そうして覚えた緊張は瞬き厳禁の極限か。だというのに邪魔してそのとき、影はふい、と手元へ落ちる。憤るあまり百々はアゴを持ち上げていた。そこに 「むしろお前こそ邪魔だ」と言わんばかり、頭上をまたぐレフの尻をとらえる。
「ちょ、ったっ!」
 喚けば通路は狭すぎ、後頭部なんぞ蹴られていた。
「なっ、なんなのよぉっ!」
 悪態も出てしかり。
 が光景に、百々の戦意はことごとく萎えもしていた。
「……し、下々は蹴られます、です。はい」
 ほどに、かなわない。
 のぞいた横顔は幾つになっても (ケガ)れなき姫そのものだった。レフに抱え上げられた彼女はそこで、ひざ掛けをドレスとなびかせ移送車へ向っている。
 やがて待ちくたびれたレスキュー隊員の手に、その小さな体は預けられていった。そんな彼女が消えたとたん、世界に世俗は舞い戻ったようだ。だからして運転手の声も上がる。
「ぼっ、僕はどうなるんですかっ?」
「解除、できるのかッ」
 レフの罵声が百々へと飛んだ。その態度の差は何だと言いたいが、現状、噛みついているその暇がない。
「しかないでしょっ! あたしは運転できないんだってばっ!」
 否や、レフの手が運転手へ伸びた。言葉を省き、運転手の体をシートから引きずり下ろす。代わって自分が運転席へ腰を落とすと、緩んだアクセルを踏みつけ、抱え込むほどの大きさのハンドルを握りしめた。
 そうしてシートから放り出された運転手の逃げっぷりは、とにかく早い。格納した移送車もすぐさまブレーキを踏むと、隣り合う車線から後退していった。ついに車内から一般民間人の姿は、一人残らず消え去る。
「番号、入った」
 押し殺した百々の声だけが、やけにはっきり響いていた。
「上出来だ。これで止まると理論上は言うが、念のために物理遮断もするぞ。見えるコードの両端から三本づつを手繰れ」
 間違いないだろうな、などと素人相手にネガティブなことを口にしないハートはやはりプロだ。淡々と次を促し、聞いてうなずき百々も基盤から下がるコードを手に取る。
 瞬間、レフの声は上がった。
「揺れるぞッ」
 運転手の言ったとおりだ。一般車両は辺りへ姿を現し始めている。バスは車線変更を余儀なくされ、前方、車間の詰まったセダンを追い越すべく反対車線へ飛び出した。
「だひゃっ!」
 振り回されてつんのめり、こらえてどうにか手のひらに並べたコードを右から左から三本、百々は手繰る。
「これで最後だ」
 言うハートの声はもう、お守りに近い。
「ドド、中央に残った一本を切れ」
 だのにあろうことか、百々の指先にコードは二本、よじれて残る。