case3# バスボム  -8/8







 よもやと確かめる本数。
 だが三と言う数を数え間違え、見間違えることこそ、困難だった。
 百々はあえて落ち着き払う。
「あ、あの、二本残った時の方法って、ちゃんとありますよね?」
 なぜかしら、問う口調は遠まわしだ。それでも十分、伝わっていたなら、やおらハートにこう問い返されていた。
「なんだと?」
 しばし空いた間は、それこそ絶句の証だろう。
「図面にそんな記載はないぞ」
「じ、じゃっ! 両方切っちゃえって、ことかなっ?」
 言ってみるが、それこそ無謀を極める。
「バカヤロウ、不用意にいじるな。どれを切るかは作った本人にしか分からん」
「悪いが、本人に聞いているヒマはありそうもないッ」
 ハートの怒鳴り声が飛び、間髪入れずそこへレフの声も割り込んだ。
 同時にバスが、また車線を変える。
 揺れに今度こそ、百々は床へ突っ伏していた。荒いハンドルさばきに文句は出かけ、ならざるを得ない現状に、どうにか飲み込んだ顔を持ち上げてゆく。それはもう、目が覚めたような気分だ。建設現場へ向かう途中か。荷台に多量の鉄骨を積んだトラックの側面が、窓の向こうを流れていた。のみならず、いつからかバスは前後、左右を一般車両に囲われ走っている。光景には、まずい、の一言しかでてこなかった。
 もしこの中で爆発させてしまったなら。
 想像は想像するほどに現実味を帯び、つまり止まるなら、いやこのさい言ってしまうならバスを爆発させるならこの辺りが限界だ、とそのとき誰かは百々へ囁く。
 気づけば、伏せた体を押し上げていた。その手を尻ポケットへと突っ込む。
「だったら、決めた」
「何を言っている」
 極度の緊張に、言う声はやたらと高い。おかげで不穏な何かを察したハートが、たたみかけていた。
「あ、あたし、ちょうどいい道具、持ってるんだよね」
 つまりポケットから引き抜くのは、借り受けたナイフだ。適当な刃を起こして百々は、片手に運転席へ振り返った。
「レフっ! 怖すぎて判断つかないよっ! あたしが切るから任せる。青か黄、好きな方、選んでっ!」
「バカヤロウ、焦るなッ!」
 怒鳴るハートの声はことのほか大きいが、物理的には手出し不能と誰より遠い。
「だって早くしないと、周りが車だらけの中で爆発なんてさせられないよっ!」
 百々は噛みつき、握りしめたコードへナイフの刃をあてがう。
「それはお前の妄想だ。爆発はさせん。引きずられて判断を誤るなッ!」
 ハートはうめき、レフの舌打ちが無線越しに重なり、聞こえていた。
「青と黄、か。赤か白なら決めていたが、そうじゃないなら残念だ」
「白は品切れだよ」
 百々は返し、答えてレフは言う。
「勘違いするな」
 その続きに、やおら力はこもった。
「俺のラッキーカラーは、赤だッ」
 否や、バスのタイヤがこれまでにないほどと軋む。それはまさに横っ飛びだ。詰まった車間をぬってバスは、とたん隣の車線へ飛び込んでゆく。勢いに網棚の荷物が投げ出され、こらえきれなかった百々の体も通路から吹き飛んだ。上へ、網棚にあったカバンや何やらは降り注ぎ、まみれて百々は座席の足へ頭をぶつける。そのさい百々が手元に覚えた鈍くも頼りない感覚は何だったのか。
「だからどちらも切らないッ」
 かまわず切り返されるハンドル。
「バスを止めるぞ。前へ来いッ」
 レフが呼んでいた。
「従え、ドドッ! 切れば確実に黙らせることができるとしても、現状は二分の一の賭けだ。切る、切らない、同じ賭けるなら解除番号をかくまった春山に賭ける。ヤツこそ正真正銘のチキンだ。解除動作は作動する。信じて切らない方が、妙な配線に手を出すより安全だッ!」
 その選択にハートもかぶせる。
 確かに、配線異なる素人の手作り爆発物に正常な動作の保証はなかったが、取り調べの一部始終が物語る、それは筋の通った優先順位のつけ方だった。
「りょ、かい」
 痛む頭を持ち上げ、百々はうなずく。さらにもうひとシェイクされた体を起こして、床へ手をついた。視線が落ちたのはその時で、とたんこれでもかと悲鳴を上げる。
「ぎゃぁぁぁっ!」
「どうしたッ?」
 さすがのレフも焦っていた。
 その後方で、答えて百々は、わなわなその手を持ち上げてゆく。
「にっ、二本とも……、引っこ抜いちゃいましたぁっ!」
 どうやら爆発物の素人仕様は、どこまでも大雑把が味らしい。今しがたの衝撃で引き千切ったと思しき二本のコードは、しっかとその手に握られていた。しかしバスは平穏と走り続け、この失態を責める者こそ現れる様子にない。ただあっけにとられたような沈黙だけが、車内を、つながった無線の隅から隅までを埋め尽くしていった。やがてその果てから、ハートの声だけが絞り出される。
「……グッジョブ、だ」
 詰まった車間に、バスが速度を落としていた。
 山肌が、そこに刳り貫いて作られたトンネルの入り口が、フロントガラスの向こうにのぞく。それこそが曽我の手腕なのだろう。通行止めだと思いこんでいたにもかかわらず、トンネルの片側車線には抜かれた覚えのない緊急車両によって、徐行の措置が取られていた。これがなければ彼女と話していられなかったに違いない。そこで淡々と、警官の振る白い旗は空を切っていた。
 前にして、激走に疲れたバスのタイヤが粘るような余韻を残して止まる。
 気づけば午後だ。
 アイドリングを続けるエンジンの振動が、心地よかった。
 渋滞に一服するバスの中で百々は、一人、どっかと床へ座り込む。虚脱感に格があるのかどうか定かではないが、それはまさに格別の瞬間だろう。なにしろ車窓から覗く空はどこまでも高く青かった。見上げたなら、今頃、年寄りたちはどうしているだろう、と思いがふいと、百々の中に浮かび上がる。きっとあのパワーで車内を制圧しているに違いなく、否応なく広がる想像は警察車両でディズニースタジオへ向かったハズだと思っていた。いや、違ったとして疑うことなどナンセンスだと、そこに残り香は漂う。そう、形をいとわず思いは記憶へ、そうしてそっと刻み込まれていった。
 だが百々の現実はといえば、弾ける前とまだそこにくっきり、浮遊している様子だ。
「で、今度は全然、進まないんだよね。あは、いつ抜けられるんだろ、渋滞」
 問いかけたなら答える代わりと、レフがラジオをひねって流す。


 高速からバスを退避させ終えたのは、それから二時間余り後のことだ。
 インター出口には準備万端の爆発物処理班が駆けつけ、爆発物は前もって確保されていた取り壊し前の浄水場跡地で撤去される。まさか持って帰るわけにもゆかないそれは、処理班管理だ。
 もちろんワゴンはレフが勝手と交換したため、帰路は借りたパトカーだった。飛ばしてオフィスにたどり着いたのは、それからさらに二時間ほど経ってからとなる。
 果たして高速機動隊の白バイ警官が律儀なのか、それとも交換したモノがよほどレアだったのか。ワゴンはそんな百々たちより先に、地下駐車場で休んでいた。
 驚かされつつオフィスへ降りたものの、結局、交換景品が何だったのかについて百々はレフには聞けていない。何しろ時刻はもう午後四時をまわろうとしていたうえに仮眠室から飛び出して以来、呑気と飯など食んでいる時間もなかった腹は今や限界を超え、余分な労力をことごとく嫌っていた。
 もちろん途中、何かしらをかきこむ機会はあった。だが相方はむき出しの銃を下げたままで、そもそも店へ入ることができない。そしてコンビニでパンの一つも買い求めるくらいなら、軽い報告を終えたあと、晴れて解放されたそのときにしっかり味わった方がいいに決まっていると我慢は続いていたからだ。思うところはレフも同じらしい。だからして確認するまでもなく、こうして曽我への報告はすまされていた。
 が世の中、そうも思った通りにはいかない様子だ。無情にもシーンは朝のそれへ巻き戻されると、百々は仮眠室のテーブルへかじりつき、銃をおろしたレフは隣で漢字検定の問題集を読みふけっている。
 そう、レポートはまだ提出できていなかった。非人道的だと、労働基準法に反すると訴えてもよかったが、もともと基準にかなう職場でないなら義務を果たして権利を得るしかない。
 もうテレビはつけていなかった。黙りこんではいるが、レフは組んだ足を小刻みに揺らしている。おかげで揺れるテーブルを百々は用紙へ突き立てたペンで押さえつけ、残りを書きなぐり続けていた。
 その飢餓に満ちたレポートは恐ろしく悪い雰囲気の中、完成すると、書けた、とペンを振り上げる百々からレフはレポート用紙をかっさらい、中身へ次々、目を通してゆく。その目は実に真剣で、しかしながら最後三枚目に達したところでモノ言いたげと、口元だけが動いた。再び結びなおされたなら、顔を紙面から持ち上げる。
「ソガへ渡す」
 オペレーティングルームへ向かった。
「なかなか気持ちがこもっている」
 などとそれが曽我へレポートを手渡したさい、添えたレフの言葉だ。内容を確認する曽我の言葉もそこそこに、それきり追いかけてきた百々さえ押し出し、オペレーティングルームを抜け出してゆく。
 だからしてやられた、と曽我が顔を上げた時にはもう、二人はそこにいなかった。呼び止めようにも応じるつもりがないのだから、後ろ姿もまた通路を逃げるように走っている。
「ちょっと、これをチーフに見せろっていうの?」
 その通りだ。レフが物言いたげと口元をうごめかせた最後三枚には、「ごめんなさい」の文字だけがびっしり並んで書かれていた。


「食堂?」
 百々は目を輝かせる。確かに上は入院患者ひしめく病院であり、夜勤もあるうえ気安く出入りすることのはばかられるここなら、そうした設備があってもおかしくなかった。
 目指すレフは、こうも説明を続ける。
「病院食のアレンジだが食えなくはない。メニューは限られているが無料ときている」
「うっそ、もっと早く言ってよ。食べにだけ来てたのに」
「だから言っていない」
「なんでっ!」
 抗議の声と共に、仮眠室へ続く脇道をやり過ごした。
 チーフの部屋前で、仮眠室と逆方向へ伸びる通路を折れる。
 直前、貼られていたプレートには、この先にヘリの格納庫と重火器の保管庫があることが示されていた。だが今、それら物騒な場所になど用はない。薄暗い通路の先、オアシスかと光を漏らす食堂の入口をひたすら目指す。
 辿り着けばレフもろともなだれ込んだ百々の目に、長机とパイプ椅子が典型的な食堂は映り込んでいた。少々疲れた観葉植物もこういう場所にありがちで、メニューを記載したホワイトボードもまた、入ってすぐの壁に掛けられているのを見つける。
 時間が中途半端なためか厨房に人影は見当たらないが、呼べば顔を出すに違いなかった。百々はレフもろともホワイトボードへ駆け寄る。つけられたバツ印の中から残る唯一の品目へ目を走らせた。果てに、読み上げるまでかかった時間は、心理的抵抗のあらわれだ。だからして吐き出されたレフの声も、これ以上ないほどに地を這っている。
「……善哉(ゼンザイ)
 漢字検定、準一級。この期に及んで読み間違いなどなかった。
「このあんかけそばっ! こっちのコロッケカレーでもいいよっ! 交渉だよっ! ロシア軍のなんとかと交換しようよっ!」
 百々の訴えもまた、本気だ。ほどに腹具合が逼迫していたなら、レフのそれはなおさらで間違いなかった。その両眼はやおら宿敵に出会ったかのごとく窪み、極まったところで立て板に水と言葉は吐き出されてゆく。
「病院前。国道向かい。だが横断歩道がない。横切るには迂回が必至。信号の待ち時間込で所要時間、およそ十五分」
 何のことか、と百々が目を瞬かせたことはいうまでもなかった。
 向けてレフは振り返る。
「ついて来い。俺のおごりだ。うまいチャイナがある」
 果たしてすきっ腹の求めるまま、二人は再びオフィスの中を駆け抜けてゆく。


「飛行時間もベテランの域か」
 フライトプランの束は分厚かった。指で弾いて乙部は呟く。
 春山をさらいに現れたヘリのパイロット 榊大輔サカキダイスケの務める民間エアポート社、スカイエアライナーの応接室は、事務室の脇をパーテーションで仕切っただけの狭い空間だった。その片隅で有能な人材と機材を失ったオーナーは、先ほどから乙部の前でひどく疲れた様子でうつむいている。
 そんな逃走ヘリを検分したのは、昨日のことだ。ヘリなら一時間たらずで到着出来る地方空港に隣接したここへ、車で倍以上の時間をかけて訪れようと決めたのもまた、同じ昨日のことだった。
 理由は実に簡単だ。どうしても確かめておきたい事があったからにほかならない。それはデータには上がらない手ごたえ、にほかならなかった。
「まだ若いですが、アメリカで飛んでいたもんで飛行時間は多い方です。腕も確か。そのうえ超がつくほどの慎重派でしてね。どうかと迷った時は、奴に任せて間違いなかったくらいです」
 オーナーは榊についてを、そう語る。肩をすくめて返す乙部にも、異存はなかった。
「慎重派ってことは認めるね。それも驚くほどだったな」
 自衛隊駐屯地へ強制着陸させたあの時、逃げるにしてはあまりに素直と下された判断は、抵抗があってしかりと警戒していた乙部にとって、物足りないほどだったことが忘れられない。
「まぁ、危険に敏感なんでしょうな。要領よく、って言葉も似合わないほど理屈通りの奴でしたよ。だからテレビクルーを降ろしたあの夜、天候が怪しいんで帰りは明日にすると言い出したのも、そりゃあいつらしいと」
 もちろんそれはその後、ビッグアンプル上空へ向かうためだ。だが、だからこそ腑に落ちない点は際立った。なぜなら検分したヘリに燃料は、今ここで確かめたフライトプランと合致する量を消費したうえで、ビッグアンプルまでを軽くした分しか残されていなかったのである。
 取調べで榊は、行く先を知らなかったと話していた。果たして慎重な輩であればこそ、行く先不明の物騒なフライトを前に、燃料を入れず飛んだりするだろうか。
 疑念は募り、いや、あり得ないと疑念は臨界を越えた。やがて乙部は、ひとつの仮説を立てるに至る。
 つまるところ榊の乗ったヘリは、見合うだけの燃料を搭載していた。
 それが意味するのは、必要量を測ることができた事実である、すなわち榊こそ向かうべき目的地を知っていた人物だ、ということだった。いや、目的地など初めからなかったのかもしれない、と乙部は思い巡らせもする。なぜなら榊はあの後、春山を適当な所で捨て置くつもりでいたのだろうから。そう、状況はこう分析されている。春山は SO HWAT に利用されている可能性が高い、と。


 そして夕暮れ間近のベッドタウン。
 春山のアパートを渡会らへ譲り渡したストラヴィンスキーは、さらに手分けしてヤクザ者周辺を洗い終え、乙部の後を追うように榊のマンションへ辿り着いていた。
 だがそれは踏み込む直前だ。
 勢い勇んで見上げたストラヴィンスキーの目の前で、それは起きる。こもった音と共に榊の部は、火の粉を巻き上げ吹き飛んでいた。

case3# バスボム complete!