case4# COMING SOON! -3/7







 果ての暗さに瞳孔は開き切っていた。
 それ以上、見開いた目で百々は防音用のヘッドフォン、イヤーマフを押さえ硬直する。
 レフに引っ張り込まれたそこはほかでもない、重火器保管庫に併設された射撃練習場だった。
 勤務中、匿われたものと同じ物を携帯するレフだからこそ立ち入りは許可されているのか。電子キーの暗証番号を打ち込むやいなや引き開けた鉄扉の向こう、突き当りの棚からイヤーマフを掴み出すと百々へ押しつけ、加えて放っておけずついてきたストラヴィンスキーへも手渡すと、自らも装着して薄暗い射撃レーンへそのアゴを振っている。「20世紀CINEMA」でも目にした銃は、そうしてレフの懐から引き抜かれていた。
 薄暗い射撃レーンの向こう、的は十数メートル離れた先に吊られている。
 狙い澄まして銃は持ち上げられると、同時に引いた左足へ重心を預けるが早いか、レフはわずかに落とした腰で半身の姿勢を取り、もう片方の手を銃へと添えてみせた。瞬間、小さいながらも爆発は、そんなレフの手の中で起きる。小刻みに跳ねる銃は薬莢を吐き出し続け、その動きに百々は目を見開いた。
 一部始終に百々がビッグアンプルの夜を思い出したことは、言うまでもない。つまりレフは移送車警護の危険を警告しているつもりなのだとして、それは体験済みだとひとりごちた。その鼻先へ、やがてむわん、と火薬に焼けた鉛の鉄臭さは漂ってくる。吸い込んだ百々の考えは、すぐさま違う、と裏返っていた。
 そう、ビッグアンプルで対峙したとき互いは距離を保つと、百々はその生々しさを知ることはなかった。しかしながら明後日に控えた警護が同様だとは思えない。襲撃なのだ。むしろ接近戦は予想されると、あの程度ではすまないやり取りを百々に予感させた。
 まったくもって本当に狙ったのかどうかという間合いだ。そうして二発ずつ、合計八発の弾を撃ち終えたレフは銃を下ろしていった。
「お見事」
 何をや納得した様子でストラヴィンスキーはうなずく。
 返すかわりのようにレフは、銃の上部を引いて元へ戻した。親指の腹で側面の小さな突起を押し上げるまで、視線が手元へ落ちることはない。動作は流れるようで、ままに握りかえたグリップを百々へ向けて差し出した。
「撃ってみるか?」
 言葉は百々の顔を持ち上げさせる。
「ちょっとそれ、まずいですよ」
 間へ、ストラヴィンスキーは割って入った。
「右利きも左利きもなければ、反動も少なく軽い。扱い易さでは名が通っている。お前でも手順さえ覚えれば簡単に撃てるはずだ」
 だがレフは、まるで相手にしようとしない。
 そして百々は、ただ銃へ視線を落としていた。
 そこに黒い鉄の塊はある。見れば見るほど、ゴマンと目にしたスクリーンの情景を思い出さる代物だった。だからして動作もまた通り一遍を把握している。レフが言うとおりだ。全ては簡単過ぎるように思えてならなかった。しかしこうして誘われたところで二つ返事で手が出せないのは、今、この場所でなぞる意味を感じ取っているからにほかならない。
 見知らぬ者同士、面と向かって傷つけ合う。
 「襲撃」の二文字は地続きの現実と、百々の前へちらついて決してレジャーと片づけられぬ覚悟を迫っていた。
「ストップ、ストップ。レフはライセンスがあるからここへ許可なく立ち入れますけど、だいたい百々さんを連れ込んだ地点でアウトじゃないですか」
 視界の端でストラヴィンスキーの振る手がちらついている。
「チーフに知れたらまた一喝、食らっちゃいますよ」
「なら誰がこのことをチーフへ知らせる?」
「それは僕にきま……」
 目もくれず返すレフへ言いかけたストラヴィンスキーが、やおら喉を詰まらせた。
「あれ? 止めずについてきてる僕も、同罪かな? これはとうとう、やっちゃいましたね」
 続く笑いは乾き切っている。
「……いい」
 経て百々は、首を振り返した。
 つまりここで撃つなら、対峙した相手を傷つけるという意思が、かっこたる殺意が必要だった。それが一丁の銃、その両側に立つ狙われる者と狙い撃つ者の違いだ。しかも制圧、検挙が前提なら、恐怖に煽られるまま反撃してもいいわけがない。その殺意は理性によって、コントロールされていなければならないものでもあった。
 そんなこと、できっこない。
 百々は思う。
 片側だけを体験したただけで、全てを知った気になっていた自分を悔いた。
 だからして断れたことへほっ、としてもみる。
 だというのにそれが正しい選択だと言ってレフへ顔を上げることもまた、できないでいた。なにしろそれこそが「やらせてください」と百合草へ食い下がった百々の自覚していた「責任」だからだ。
 百々はうつむき続ける。
 いつしか離れていた手に、勝手とずり落ちたイヤーマフは肩の上にあった。掛けたままで百々は、ひたすら投げかけられるレフの不満げな視線に耐える。
 やがて諦めたように銃は視界から、引き戻されていった。
「なら、走ってもらう」
 所定位置へ落としたレフが、唐突と言った。
「は?」
 意味が分からず百々は頭を跳ね上げる。だがレフはもう身をひるがえした後で、迷うことなくイヤーマフを取り出した壁際の保管庫へと向かっていた。舞い戻るや否や引っ提げいたソレを百々へ投げつける。
「着ろッ」
 受け取ったのは単なる条件反射的だ。そうして思いがけぬ重みに、肩を落とした。何かと驚き目の高さへ持ち上げたなら、そこに身衣の前後に鉄板を仕込んだ防弾ジョッキを見つける。
 とレフが背中越し、親指で外をさした。
「奥にヘリポートへ上がる非常階段がある。十五分だ。上まで行って戻ってこい」
 とたん百々の唇は尖ってゆく。
「なっ、んでっ? ここ、十五階なんですけどっ。っていうかそんなの無理っ」
 同時に真横でペシリと、なにをや観念したストラヴィンスキーが己の額を打ちつける音はした。聞かずゲットアウトと、いやロシア語なら違うハズだが、とにかく体現するレフは、再度、外を強く指さしてみせる。
「つべこべ言うな。今すぐ行けッ」
 つまり、思い上がっていたことへのあてつけか。十枚のレポートに始まった無理難題も、このあたりが限界となる。堪えに堪えた百々の堪忍袋の緒はついに、そこでぶつリと切れた。
「つべこべ言うに決まってるじゃんっ! あたしは来なくていいってっ、はずされたんだもんっ。巻き込んでおいて、いらないって言われたんだもんっ。なのにこんなの、必要ないじゃんっ!」
 腹立ち紛れ、これでもかと振り上げた腕で防弾ジョッキを投げ捨てようとした。だがゴツ過ぎてままならず、手間取っているうちにも歩み寄ってきたレフにひったくられる。頭から問答無用でかぶせられていた。
「だー。まーえー。前が、見えなぁーいっ」
 ス巻にされてもがけば、まったく見ていられない、とストラヴィンスキーに助けられていた。
「ああ、もう。百々さん、こっち、ここから手、出してください。はい、引っ張りますよ。……二、三、そーれ」
 どうにか所定位置から顔を出す。その左右へ回り込んだストラヴィンスキーが、慣れた手つきで胴囲を合わせ始めた。そのたび引っ張られて体は揺れ、どうにか踏ん張り百々は倒れまいと堪える。おかげで仁王立ちとなったなら、好都合とレフはそんな百々の目と鼻の先に手を差し出した。
「オイッ、目を覚ませッ。立ち止まっているヒマはないぞッ」
 忙しくその手を打ち鳴らす。
 面食らって百々は目を瞬かせ、そのうちにも整った装備に、やおらその背をレフに前へと押し出されていた。
「走れッ」
「わひゃっ」
 つまづきかけて振り返る。
「どうしてっ!」
 言うがレフは答えない。
「後ろは見るなッ。前だけ見ていろッ」
 浴びせかけると、両手を左右へ大きく広げた。ポーズはとおせんぼをしているようで、ままに半歩、一歩と歩み寄ってくる。その壁がごとき威圧感と圧迫感は、凄まじかった。
「ぅえ、ええっ?」
 百々は頬と眉を引きつらせる。
「いいか、俺に追い越されるなッ」
 と、間髪入れず追加されるルール。
「な、なにっ? な、なんでっ。わけわかんないよっ!」
 だろうとレフの歩みは止まりそうにない。むしろ一足ごとに重みを増すと、従うほか選択の余地をなくしていた。
「って、て、てっ! もし追い越されたらっ?」
 咄嗟に尋ねて、すぐにも百々はバカだったと後悔する。
「だからそこ、なんで笑うのぉっ」
 おかげで尻も持ち上がった。
「その笑顔、怖いってばぁっ!」
 無駄のない動作で回れ右だ。叫ぶと同時に、百々は命からがら駆け出してゆく。


 そうしてなんら見せ場のないまま過ぎる、十五分。
 案の定、百々は階段の中頃で這いつくばっていた。そらそうだ。日々鍛錬しているわけでもなければ、昨日の筋肉痛も癒えぬ体でおよそ四キロの防弾ジョッキを着込み、薄ら笑いを浮かべる大男に追われノンストップと非常階段を駆け上がり続けたのである。制限時間がどうのという前に、十三階を超えた地点で体力は限界を迎え、気力性も使い果たしていた。
「で、だ、がっ……、はっ、吐く。じ、死ぬっ。こっ、殺され、ぶぅ」
 欠乏気味の酸素に、すでに日本語さえもがおかしい。それでも淡々、追い上げてくるレフの足音は、死刑執行人よろしくすぐ下方にあった。
 もうだめだ。
 辞世の句さえ脳裏をよぎる。
 と足音は、真下の踊り場で止んでいた。
 ついに追いついたレフは、そこで一息ついてみせる。
 経て、再び気配は動き出すと、残る数段を百々の位置までのぼりはじめた。やがて屈み込む息遣いは、百々の真横から聞こていた。つまりまたもや手を打ち鳴らされて大声で怒鳴られるのか。百々はひたすら身を強張らせる。
 が何も起きない。
 ただゲームオーバーを告げてレフの手が、防弾ジョッキのマジックテープを剥がしていった。
「納得できたか?」
 そうして脱がされた防弾ジョッキに、体は新鮮な空気を吸い込んだかのような軽さを取り戻す。九死に一生を得たとはこのことだ。百々はともかく起き上がろうと、階段の手すり、その脚へ悶えるように手をかけた。
「いいか、強襲をかけようとする奴らが、素手で交戦してくるわけがない。万が一襲撃を受けた場合、お前をフォローしている余裕は誰にもなくなる。お前が武装できないと言うのなら、自分で自分の身を守るため、防護服を着込んだ上で動き回れるだけの体力が必要だ」
 聞きながら百々は、階段の上へ座りなおしていった。見れば防弾ジョッキを肩に担いだレフは、そこからちゃんと聞いているのか、といわんばかりの目を百々へ向けている。
「だが、現実はこうだ。どちらも無理なら、お前がこの件でできる事は何もない」
 言葉は痛烈だった。
「しかしこれはお前だけの問題じゃない」
 付け足されるのを、百々は聞く。
「俺たちの安全を確保するためにも必要な選択だ。はずされたことをひがむのはよせ。待機する。それがお前に課せられた仕事だというだけだ」
「なにも、しないのが?」
 確かめずにはおれなかった。
 問いにレフは、ひとつ、うなずき返す。
「それもまた、チームを守る」
 はずされた、と嘆くチームを、だった。
「はずされたヤツには、そんな役割もない」
「あ、いたいた」
 と、階下からだ。ストラヴィンスキーの声は吹き上がっていた。
「レフ、そろそろブリーフィングに向かった方が、いいですよ」
 おっつけ眼鏡のブリッジを押し上げた顔が、螺旋の真ん中へ突き出される。入れ替りとばかり左腕の腕時計を振って、時間が近づいていることを知らせた。答えてレフもまた、手すりの間から手だけを振って返している。その間も目だけは本当に納得できたのか、と百々を見つめ続けていた。
 果たしてそれでもいやだと駄々をこねたら、次に何をさせられるのかわかったものではない、と恐れたせいではない。百々にもこれが荒かろうと懇切丁寧な、百合草の端折った説明であることくらい、もう気づけていた。
「わかった。待機、してる」
 睨むように見上げた目で、小さくアゴを引いて返す。おっつけ動作としてはっきりレフへ、うなずいた。
 見届けレフが、立ち上がってゆく。そのついでだ。掴んだ百々の体もまた引っ張り上げた。
「あと二階だ」
 言葉は直後、つけ加えられる。
「ええっ! 終わりじゃないのっ? まだのぼるわけっ?」
「屋上まで行けば、地下直通のエレベータがある。それとも十四階分、ここから足で下るか?」
 確かに、足元はエスカレーターでもなんでもなかった。
「明日の筋肉痛が怖いんですけど」
 渾身のふくれっ面を向けるがレフは、それがどうしたと白い目だ。それもこれも口が裂けたならおぶってくれ、と言えそうだが、裂けそうにないなら百々はそこで甘えに後悔に、憤りに不条理さえごっそり両の肩から振り払う。
「って、明日の事は、考えなぁいっ」
 叫んで気合いを入れなおした。こうなれば渾身の前傾姿勢だ。両の足へ力をこめる。
 いや、と思い出して押し止まった。
「て、追い越されたけど、どうなるの? ちょっと気になってたりして」
 なら明らかに考えていなかったと思しきレフの返事は、曖昧なうえに全くもっていただけない。
「夢にでも、出てくるんじゃないのか?」
「じょ、冗談っ」
 なお百々に気合いは入る。夢のかけらも望めぬ泥のような眠りを求め、猛然と階段を駆け上がっていった。
 そんな後ろ姿を、追いついたストラヴィンスキーもまた見送っている。
 見えなくなったところで肩を、レフに並べて立ち止まった。
「なにも、ここまでしなくていいと思うんですけどね」
 漂う雰囲気は、やれやれがちょうどだ。そうして眼鏡のぶ厚いレンズをレフへと向けた。ならそれは単なるタイミングの仕掛けた錯覚か。まるでストラヴィンスキーの視界から逃げ出すように、レフもまた残る階段を上り始める。
「あいつは中途半端が誰かを怪我させる、そう言った。それは間違っていない」
 声は、そうして向けられた背中から聞こえていた。
「だから、はっきりさせた、ってわけですか?」
 やれやれのついでと、ストラヴィンキスキーは肩をすくめる。おっつけ自分も続きをのぼった。
「それに昨日、バスへ乗り移ることを止めなかったのは俺も同じだ。責任がある。中途半端は、誰かを怪我させる」
 繰り返された言葉はどうやら、なかなかの名文句らしい。
「なるほど」
 ストラヴィンスキーはうなる。
 様子にレフが上段で、ふいと肩をひるがえしていた。振り返ったその顔は、何がなるほどなのかと問いたげで、なら言ってやるのも悪くないと、ストラヴィンスキーは唇を左右へにっ、と引き伸ばしてゆく。
「いえね、これじゃチーフも、気苦労が増えただけってことかな、と」
 そうしてすかさず指を立てた。
「案外、名コンビってことですよ」
 否や、正したのは姿勢だ。
「では、お先に」
 放つ敬礼で断りなんぞ入れる。後のロケットダッシュは、なかなかのものだった。状況を問うな。目の前の課題に全力を投じろ。不条理に屈しないこの訓練は、国を問わず定番らしい。どこかで受けたに違いない走りっぷりは、それを確かに証明していた。
 その背が踊り場で反転する。消えるまで見送ってレフは、ようやく己が立ち尽くしていることに気づかされていた。
 我に返り大きく息を吐き出す。
 重みは急に蘇ったようで、防弾ジョッキを担ぎなおした。
 なら取り残されたそこへ追い上げてくるのも、そこから追い上げてやるのも、己だけとだなる。
 一段づつなどそぐわない。二段とばしの全力疾走が鉄則だ。レフもまた、残る階段を一気に駆け上がっていった。


「たく、あんたら、何してる?」
 挙句、向けられた乙部の目は果てしなく白い。
 だいたい四人も乗り込めば、ことのほか狭かいのだ。そこで百々は座り込み、横腹を押さえたレフは壁に手をつくと、ストラヴィンスキーなど似合わぬ形相で仁王立ち、ひたすら荒い息を繰り返している。
 そう、地下へ降りるエレベータ内、乙部と乗り合わせるなど誰にとっても計算外で間違いなかった。
「先に言っておくが、俺を誘うのだけはよしてくれ」
 一瞥した乙部が、その誰もへ背を向ける。
 いや、この狭さで他人のフリか。
 無理があろうとそれきりだった。乙部は灯る表示を見上げ続ける。