case4# COMING SOON! -4/7







 経て目にする、褪せた看板。
「遠すぎるよ、20世紀」
 百々の放った言葉は哲学的と響いたが、当の本人がボロボロならそこに知的な雰囲気は微塵もなかった。悪魔のような階段ダッシュのせいで、止めを食らった体はもうボロボロだ。ひきずり百々は、どうにか「20世紀CINEMA」へ辿り着いていた。
 重すぎて正面扉を押し開けることができないのではなかろうか。うがりながらフロアへ足を踏み入れる。フロアは相変らず別世界のような静けさに覆われていた。両シアターが上映中だからだだろう。客足も途切れて手持無沙汰となった社員とバイト仲間の姿が、すぐにも百々の目にとまる。
「おはようございます」
 これでも一応は「業界」だ。羨ましい限りと眺めながら、昼夜関係なくかわされる挨拶を投げた。
「おはよ」
「ああ、おはようございます」
 カウンター向こうでバイト仲間が手を振り返し、社員が百々へと開いた眉間で振り返った。
「支配人から電話、いただいたので」
 なら用件は社員にも伝わっていたらしい。
「ええ、聞いてます。奥で話をしてるから、来てもらうように言われてました。ちょうどさっき、始まったところじゃないですかね? 奥の休憩室です。行って下さい。希望シフトの提出もまだだったと思いますけど、帰り際でも間に合いますから」
「すみません。うっかりしてて」
 などと、日々はそれどころでない過激さだったが、双方に理由にできるような接点こそない。百々はおとなしく頭を下げる。
「大事な話らしいですよ」
 向けて社員が、意味ありげと笑ってみせた。
「え、なんだろう」
 呟き百々は、繰り出す会釈で先を急ぐことにする。カウンター向を回り込むと、事務所へ続く鉄扉を引き開けた。
 とたんカタカタと、いや、バラバラの方がしっくりくるか、映写機の音がうるさく聞こえてくる。目には、次回公開作のポスターに販促グッズ、各種チラシに売上報告書が貼られたホワイトボードが飛び込んできていた。雑然かつ、てんこ盛りのそこに人はおらず、どこか間の抜けた様子で百々の前に広がる。
 百々はとにかくその一番奥、一段高くなった映写室の真下にある休憩室へ向かった。
 辿りついたところで、ドア向こうから支配人、水谷の声が辛うじてもれているのを聞き取る。
 映写機の音を考慮するならノックは力強く、が鉄則だ。百々は力を込めて拳を振った。
 と、中で止む声。
 見計らい、ドアを押し開ける。
「失礼します」
 広さは八畳あまりか。足元に伸びる階段を数段、降りた所に休憩室は穴倉のごとく設えられていた。いうまでもなく窓はない。その閉鎖空間の大半をうめているのは机で、周囲に憩用と持ち込まれた椅子が、今日もまばらと散乱していた。
 その一番手前で背を向け、水谷は腰かけている。振り返ると、いつもの笑みが百々を見上げた。
「あ、百々君、いいタイミングですね。待ってましたよ」
 おはようございます。
 ここでも百々は頭をさげかける。
 かなわず飛び上がりそうになって押し止まった。
 そう、それは机を挟んだ水谷の向こう側だ。
 腰掛けた田所が、憮然とした面持ちで百々を見ている。
 すっかり忘れていた、などと言ったところで、それはあの夜、交わしたやり取りではなく、今日、田所が遅番シフトだったという事実についてだろう。
「これで話は一度ですみそうですね。こちらへ座って下さい」
 だのに水谷は、言って百々を田所の隣へ促す。あまりの不意打ちに、回れ右で逃げ出したい衝動はいかほどか。だができないなら百々は渋々、指示された場所へと足を進めていた。
「おつ」
 腰かける間際に繰り出す、いつもの挨拶。
「お」
 田所が、それ以上の短さで返していた。
 そんな田所の様子を横目に盗み見れば、互いの視線はそこでしばし絡み合う。
 切ってじゃあ、と断りを入れたのは水谷だった。
「田所君には悪いけれど、百々君のためにもう一度、最初から話、させてもらいますね」
 言って座りなおすあたり、今日の水谷はやけに改まっている。机へ乗せた手を組む仕草も物々しげで、何か厄介ごとでも起きたのかと、百々もまた面接以来、真一文字に結んだ唇で挑んだ。
「さっき、配給会社から連絡がありましてね。本年度のアカデミー賞、作品賞と、監督賞、主演女優賞に撮影賞、来週から上映のバスボムがノミネートされたことが分かりました」
 水谷は明かして言う。
「これは今日の夜にも、公式発表される予定です」
 なるほど。確かにそれは改まってしかりの内容だろう。
「わぁ……」
 百々は近しい誰かが結婚すると知った時のような感覚を覚えて、その眉を跳ね上げる。
「今、至急、文言の入ったチラシとポスターを手配してもらってます。そうですねぇ、明後日の先行上映には間に合わないとしても、ロードショーには必ず間に合う具合かな。その点では20世紀のみんなに手分けしてもらって、チラシの差し替えやポスターの張りかえ、ネットサイトの情報更新、期間が短い分、ちょっと頑張ってもらおうと思っています」
 そうして浮かべた意地悪な笑みもろとも、水谷は「出来ますか」と二人の顔をのぞき込んだ。すぐにも冗談だと緩ませ、倒していた体を元の位置へ引きもどしてゆく。
「もともとミニシアター系の映画なので、この辺で上映しているのはウチだけですし、問い合わせも殺到するだろうと予想しています。明日からはてんやわんやになると思いますよ。覚悟しておいて下さい」
 社員が大事な話だ、と言っていたはずだった。
「てんやわんや、ですか……」
 百々は口の中で繰り返し、降ってわいたような一大事を薄らぼんやり想像してゆく。
 そこで期待に満ちた顔は「20世紀ICNEMA」へ次から次に押し寄せていた。入れ替わりで感動冷めやらぬ面持がシアターを後にして行ったなら、混じる靴音が、話し声が、熱く、そして暖かくロビーへ広がってゆくのを感じ取る。まるで血でも巡り始めたかのように、熱は日々、惰性で営業を続けていた「20世紀CINEMA」へ確かにナニカを蘇らせると、証拠とばかりくすんでいたフロア黄金色と輝かせた。のみならず、その光に包み込まれた劇場を一回り大きく膨らませさえする。
 これだ。
 百々は光景へ息を飲んでいた。
 この興奮を待っていたんだ。
 言葉は強く脳裏を過り、それこそ、ここでバイトをしようと決めたあの時、百々が目にしていたものだと言わしめる。
「すごい、かも」
 呟いていた。
「……違う、すごいっ!」
 言いなおして、迷うことなく田所へ振り返る。
「すごいね。バスボム、やっちゃったんだ」
 持ち上がってゆく頬が止められない。なら田所も、そこでアヒル口を得意げと尖らせていった。
「だからいい映画だって、言ったろ」
「それを受けてあさっての先行上映会には急遽、スタンリー・ブラック監督が舞台挨拶に来られることが決定しました。ここまで話してたんだっけね」
 言った水谷が田所へ視線を送っている。
「はい」
 どうやらこれが憮然と見えていた田所のワケらしい。やけに深刻な顔で田所はうなずき返し、百々はパチクリ、目を瞬かせた。
「え、舞台挨拶、って? 誰かここへ来るんですか?」
 食らった田所の肩が落ちるも致し方なし。
「おま、何、聞いてるんだよ」
「え、えと、なんだろ?」
 などと、ワザとではない。うまく全体が掴めなかっただけなのだ。
「ブラック監督がウチへ来るって、言ってるんだよ」
 助けて繰り返す田所が、半ばヤケクソで説明する。
「あ、ああ、そっか、そっか、そっか」
 とにかく百々はうなずき、そのうちにも見えだした状況に、ようやくこれでもか、と伸び上がってみせた。
「ええぇっ! それって先行上映で、監督が舞台挨拶するってことですかぁっ?」
「そ、そうそう。そう、百々君にもやっと理解してもらえたかな?」
 相槌を打つタイミングを逃し続けた水谷のどもり方は、激しい。
「すごいよ、タドコロっ! アカデミー賞が来るんだってっ! オスカー監督だよっ! しかも海外からきちゃうんだよっ! こんな小さな映画館にだよっ! すごいよっ! げーのーかいだよっ!」
 もう動揺が止まらない。ままに百々は掴んだ田所の制服を揺さぶり続け、だとしてすでに聞かされていた田所の反応こそ薄かった。
「あのさ、アカデミー賞はこないし、オスカーはまだ取ってないだろ。発表は来月。それにその、げーのーかいって、なぁ」
 それを言うなら映画業界だ。
 言いたいところを飲み込んで、田所は脱げそうに落ちたジャケットの肩をぐい、と引き上げる。前で水谷もまぁまぁ落ち着いて、となだめすかし、話を元へ戻していった。
「で、ですね。もちろんブラック監督のお出迎え等、応対はわたしの方でする予定ですが、その際のお手伝いを百々君にお願いしたいと思っているんです」
 経て、明らかとなる驚くべき事実。
 百々は思わず、田所のジャケットから手を離していた。
「へ?」
「どうでしょう、お願いできますか?」
 この反応を見たらすぐにも前言は撤回すべきと知れたが、「20世紀CINEMA」の人材がそれほど潤沢でないこともまた、動かしがたい現実だ。
「あ、たしが、ですか? 社員の橋田さんは?」
 橋田とは、さきほどカウンターであいさつを交わした社員だ。
「それが次の上映作品の手配で出張になっちゃってて、都合がつかないんですよ。当日の混雑を予想したら、それでなくても人手は欲しいところなんですけど。なにしろ急だったですからねぇ」
「え、英語とか、喋れませんけれど」
 近頃、この悩みが拭い去れない。
「それは気にしなくてもいいですよ。向こうも専属のスタッフを連れて来られるということですし、その中には通訳の方もおられるそうです。それにブラック監督自身、かなりの日本ツウらしいですからね。簡単な日常会話ならできると昨日、わたしも知らされました」
 おかげで胸をなでおろせば、つまりそれは引き受けたも同然のリアクションとなる。
「この急な舞台挨拶も、ちょうどお忍びできていた日本旅行中に発表が重なったせいで、監督の思い付きから推し進められた話だということです。でないと、たった二日でスケジュールの調整なんて、なかなかできる人ではないですからね。ま、評判通り、少し変わったところのある人物なのかもしれませんが、何せ芸術家の考えることです。わたしたちの思い及ぶようなところにはないんでしょう」
 水谷の言い分に、田所も隣で半ば迷惑だと言わんばかり、うなずき返していた。
「百々君には控室のセッティングをしてもらったり、お茶を出してもらったり、雑用になりますが、その辺りをお願いしようと思っています。そういうのはやっぱり女の人の方がいいと思いますし、それにホラ、そもそもウチには女の子が少ないから」
「は?」
 つまるところ人選は選抜でなく、消去法の果てにたどり着いたものらしかった。だとしてこの役得を突っぱねる理由こそ、百々にはない。それにちょうどセクションCTからは待機が命じられたところだ。ここぞで爆弾だの粛清だの、横やりが入る心配こそなかった。
「どうする? お前、やる?」
 横目で田所が様子をうかう。
「だって、せっかくだもん」
 すぼめた口で百々は返した。
 つまりあの階段ダッシュは有名人と謁見するための代償だったのか。違っていたとしても、しごき万歳。天晴無能。体の痛みもなんのその。たとえ二日後が筋肉痛の頂点だろうと、かまいはしない。世には捨てる神があれば拾う神があることを、百々はスルメのごとく噛みしめる。噛みしめ、次の瞬間にもとびきりの声を上げていた。
「あたし、頑張ります。支配人、やらせてくださいっ!」
 ただし、拾われたその後についてを語った者がいたかといえば、定かでない。しかしながら百々の明後日は紛れもなく、夢か幻と輝いていた。