case4# COMING SOON! -6/7







 指定された場所なら思い浮かべることはできていた。駅前の繁華街、その少々入り組んだ路地に建つ、ネオン管のアーチが目印の細長いビルだ。
 すでに日の落ちた空に星はなかった。代わりとばかり、色とりどりに積み上げられた看板が、心揺り動かす色を夜空に放っている。百々は次々に見送って、指定時刻の五分前、どうにか目的の場所近くへ辿り着いていた。
 間違いなしと、見えたネオン管の下に待ちぼうけるハートの姿を見つける。その口は何事かを話して動き、なるほど独り言でないならその向こうにズボンのポケットへ両手を突っ込み、丸めた背を揺らして笑うストラヴィンスキーの顔はのぞいた。
 一見して互いの間に、緊迫した空気はない。だからして合流した百々もまた、アーチの奥へ案内されていた。
 「ヒッキーズ ダイニングバー」の文字が並ぶドアを潜り抜けると、挙句の果てに、これでもかと伸びるチーズを舌先で絡め取ることとなる。


「美味しいっ!」
 唸り声を上げていた。
 そう、蒜山バスの一件で支給されると聞いていた危険手当こそが、この待遇だったのだ。
「嘘は言わん」
 勧めたハートが、疑っていたのかと言わんばかり頬をすぼめた。そんな誰もの目の前で、マルゲリータはまだチーズをとろり、光らせている。
「だって、ほんとだもん。何しろ運動した後だもんね。おなかすいてたんだ、これが」
 脂ぎった指を紙で拭き、百々はスプモーニの赤いグラスを傾けた。
 囲う店内は、テーマパークがごときアメリカンな雑貨にざっくばらんと飾り付けられている。厨房前のカウンターには色とりどりの洋酒が並び、上ではロック歌手のライブビデオが流されていた。テーブルはほかにも六つ、フロアに散らばると、つんざくようなギターの音をBGMに客たちが談笑を繰り広げている。
 揺さぶられたなら、酔いさえスムーズにまわってゆくようでならなかった。百々の真向かいに座ったストラヴィンスキーもまた、例外なく頬を緩ませ声を高くしている。
「じゃ、僕もいただきまーす」
 一口つけたトムコリンズのグラスを置いて、マルゲリータへ手を伸ばした。
「ん。相変わらず、おいしいですね」
 食んで味わい、しみじみこぼす。
「だよね」
「アルコールは大丈夫なのか?」
 微笑みかけた百々へ、届くなり一気に半分、ビールを飲み干したハートに問われていた。
「強くはないけど、飲めまぁーすっ」
 どれほど返事がご陽気だろうと、入店してまだ十五分なら、酔っ払うにはまだ早い。
 とすかさずそこへ、ソーセージの盛り合わせが乗った鉄板と、黄金色に積み上げられたフライドポテトは、生春巻きに、取り分け用のスプーンを添えたタコライスは、運ばれてきた。一気にテーブルの上が賑わう。百々の目もまた、皿から皿へ泳ぎに泳いだ。
「わぁ、すっ、ごい」
「遠慮はするな、実際、お前はよくやった。俺からのねぎらいだ。今日は飲んでたらふく食え」
「はいはい、百々さん、お箸、こっちです」
 取り皿を、ストラヴィンスキーが慣れた間合いで配ってくれる。
 前にして遠慮なんてできっこなかった。受け取り百々はもろ手を上げて、即座に料理へ飛びついた。
「じゃ、いっただきまーすっ!」
 いの一番につまみあげたのは、生春巻だ。合図に、クロスするような具合でハートの手が残るピザを引き上げてゆく。合間をぬってストラヴィンスキーが、つまんだポテトでケチャップをすくい上げた。
「ホント、後で聞きましたけど、昨日は大変だったみだいですね。お疲れ様でした」
 前歯でカリカリかじりながら、百々へ軽く頭を下げる。
「ああ、最後は二本とも引き抜いちゃったけど、解除番号、間違えてなくてよかったよ。うん」
 生春巻きを口にしたまま、思い起こして百々はため息をつく。
 笑って眺めるストラヴィンスキーは、またトムコリンズを舐めた。
 なら聞いてもらいたい話は、もっとほかにあるだろう。百々は、満を持して身を乗り出す。
「だってさ、あたししかいないんだよ。任せようったってさ、レフはおばあちゃんにかかりっきりだし。おかしいよ。バイクで飛び移ってくるくらいなんだよ。絶対、実力行使なタイプだと思うのに、やたらめったら優しいんだから。全然、こっちに見向きもしてくれないんだもん」
 とはいえ、言って責め切れない成り行きがあったことも確かだ。
「って、車、運転できなかったのはあたしだし、おばあちゃん、重すぎて動かせなかったのもあたしなんだけど」
 力んで浮いていた体を百々は、下げてゆく。
「百々さんがそこまで言うのは、どうかと」
 肩をすくめるストラヴィンスキーが、新しいポテトへ手を伸ばしていた。
 傍らでハートもまた、呼び止めた店員へ早くも二杯目を注文している。
「それはそれで悔しいな」
 事実だとしても、納得するかどうかはまた別の話だ。百々はこぼして、残りの春巻きを口の中へと押し込んだ。
「そういうところ、見習いたいものです」
 微笑むストラヴィンスキーには、他意がない。褒められたような気がして百々は、こそばゆさに身を縮めた。改め伸ばして、どうにも理解できなかった疑問を二人へ投げかける。
「ってさ、……レフって、おばあちゃん子とか何かなの?」
 とたん、届いた二杯目へ口をつけかけていたハートがつんのめってみせた。
「どうして、そう思うんです?」
 確かに、ああもいかつい大の大人を捕まえて、おばあちゃん子呼ばわりはないだろう。至極真面目にストラヴィンスキーに問いただされる。
「だって、おばあちゃんが日本人なんだって聞いた。漢検一級も取りたいってスゴんでたし、バスでだって……」
「相変わらず勤勉な人ですね」
「何かこう日本とかさ、おばあちゃんにこだわり、あるのかなって思って。でないとあたしの頭じゃ、非常時のあの行動は理解できないよ」
 百々は少し氷の溶けたスプモーニを引き寄せる。一口含んだならその横顔へ、驚いたような声をかけたのは、ようやく二杯目を口にできたハートだった。
「やつはそんなことまで喋ってるのか」
「精一杯の世間話ですけど」
 などと茶化したつもりが、ハートはとたん、重い息を吐き出す。その指が、ソーセージの乗った鉄板から骨付きソーセージをまみ上げた。遠慮なくケチャップへ突っ込むさまは、もう豪快としか言いようがない。
「あっ、ハートはまたそれをする。ダメですって言ってるのに。ほら、もう、いっぺんに減っちゃったじゃないですか」
 おかげでごっそり減ったケチャップをのぞき込むストラヴィンスキーは、悲しげだ。見向きもせずハートはソーセージへかぶりつき、こう断言した。
「俺はやつを認めん」
 言葉は唐突で、次に手をつける皿を物色していた百々の視線も思わず持ち上がる。
「そう、なの?」
「やつはもともとファイアーマンだ。それもロシア軍下のな」
 話すハートは一点を見つめきりだ。
「ロシア国土の大部分は湿地帯だ。自然発火に、人為的過失。何にせよ、そこに眠る泥炭へついた火を消すことが、そもそもヤツの仕事だった。俺たちとは畑が違う」
 そんなこんなでポテトは諦めたらしい。仕方なさげにストラヴィンスキーは、タコライスの皿を引き寄せている。
「ハート、それ、個人情報漏えいです」
 百々の分を取り分けてゆく。
「フン、内部の者なら誰もが知っている話だろう。ならドドも知る権利がある。そもそもやつがばあさんのことを漏らしたなら、かまう必要はない」
 平らげたハートの手から、残った骨は投げ捨てられる。
「まぁ、それはそうですけれど」
 しぶしぶ認めてストラヴィンスキーが、タコライスの皿を百々へ渡した。受け取って百々は、忘れがたいセリフがあったことを思い出す。
「そういえばバスに乗り移った時、知り合いにロシア空軍がいて助かった、とかって言ってた」
「その火事、一旦、燃え出したら数か月続くこともある大規模火災だってことです。聞くところによれば、広大な焦土のど真ん中にパラシュート投下。空輸を受けながら現場でキャンプを張って、火を追いかけつつ消火するらしいですね。消防士とはいえ、一種のレンジャーって具合です。空軍に知り合いがいてもおかしくないと思いますよ」
 どうやらハートに取り皿は必要ないらしい。自分の分を確保したストラヴィンスキーは、教えてタコライスの皿をそのままハートへ向ける。
「な、なんだかスゴい」
 言ってはみたが、レフなら似合っていそうでならなかった。百々は改めストラヴィンスキーへ礼を言い、タコライスへ箸をつけることにする。
「そんな奴が、野っ原で火を消していた間だ」
 などと、どうやら全ては前置きだったらしい。
「そのばあさんは、庭園美術館の爆破事件で、宮殿施設ごと焼けて死んだ」
 話に、百々は動きを止めていた。
 やがて聞きなれた言葉はそこへ、つけ加えられる。
「SO WHAT だ」
 持ち上げたきりの箸先から、ぱらぱら飯粒がこぼれ落ちていた。
「おばあちゃん子か」
 呟きハートはジョッキの残りを一気にあおる。