case5# GUN & SHOW -1/7







 それからあと、百々が護送警備の話についてを尋ねることはなかった。そもそも部外秘だろうし、たとえ聞くことが出来ても百々に手出はできない。気になるだけならただ昼を挟んでの移動とだけ、小耳にはさむにとめおいた。
 ほかにも知ったハートの不満が百々の中に気がかりを残したが、昨日今日、生じた不和でないなら彼らこそプロである。表向きだけでも破綻なくこなすだろうと、遠く彼方へ押しやっていた。
 何より今、急ピッチで進められているのは映画「バスボム」の先行上映に舞台挨拶の準備だ。それらは自然、百々の中から余計ごとを奪い去ってゆく。
 聞くところによると「20世紀CINEMA」公式サイトは遅番スタッフの手により、公式発表に合わせて更新がすまされたらしかった。電話のベルはその直後から鳴りはじめると、予想通り問い合わせは殺到。二台しかない電話は片方がすぐにも録音メッセージへ切り替えられ、残る一台に専属スタッフが張りつく状態に陥っている。
 もちろん問い合わせ内容のほとんどは舞台挨拶の日時確認に映画館の所在地、込み具合の予想などで、当日の満員御礼はこれにて保証されたも同然になったのだという。
 ふまえて翌朝、全スタッフへ呼び出しはかけられていた。なにしろこの大イベントの影響で上映スケジュールは急遽、変更されると、一日、六回だった「バスボム」の上映は一回目が中止とされたからである。これはブラック監督の舞台挨拶が十時二十分、二回目の上映前に設定されたせいで、人手不足より起こるだろうトラブルを避けるための苦渋の決断でもあった。
 このスケジュール変更もまた舞台挨拶の告知と同時に、ネットやポスターで知らされているが、古い情報を元に何も知らない客が当日、劇場を訪れないとも限らない。それら客への対応の申し送りは徹底され、加えて相当の混雑が予想される今回のみ、チケットが当日整理番号券配布のうえ、番号順での発券であることもまた伝えられた。そうして最後、当日の役割分担は確認される。
 終えたなら、それぞれは明日に備えて整理番号券の準備に、ポップの張り替えに、電話対応に、すでに形が作られつつある当日チケット目当ての行列整理に、散っていった。
 もちろん並行して通常営業もまた続けられたなら、一日はおかげで水谷が言っていたとおり、てんやわんやのうちに過ぎ去っていった。
 経て、最終上映もした終了後の二十二時五十分、客の引いたシアターA内において、舞台挨拶のためのセッティングは始められる。フロアでもまた、「あかウサ」以上の混雑が予想される物販コーナーの作りつけが、開始された。
 パンフレットにサウンドトラック。タイトルにちなんだ入浴剤に二色ペンに携帯ストラップ。ポーチに入った男女ペアのショーツがあるかと思えば、ロゴの入った細かな文具類が、ショーケースへ並べられてゆく。初日ゆえ、どれがどれほど売れるか想像もつかず、客の流れもまた整理しなければならなかったなら、倉庫に眠っていた折り畳み式の長机を本来のショーケースへ継ぎ足す格好で売り場を拡張。在庫の入った段ボールを書き割りのように背後へ並べ、入口扉前、壁面に並行する格好で作りつけは終了していた。
 しかし同日の午後。百々はといえばそれらてんやわんやを傍らに、一人、事務所の椅子に腰かける。
「当日は十一時三十分、ブラック監督は、タクシーで通用口に到着。劇場入りされます。ご案内はわたしがする予定ですが。更衣室がありますね。百々君は、あのドア奥に別のドアがあるのを知ってますか?」
 水谷の説明に耳を傾けていた。
「ええっと」
 思い出さんとして百々は、握っていたメモとペンをヒザへ押しつける。宙を睨んでその口を開いた。
「知っています。けれど、開いているのは見たことがないです」
「そこですね。この後、準備に向かいますが、そちらに応接室があります。そこへご案内して、舞台挨拶までの時間を過ごしていただきます」
 なるほどと、百々はうなずき、押し付けていたメモを取り上げ、急ぎ時刻と要件を書きこんでゆく。
「百々君も、通用口までお出迎えにゆきますか?」
「えっ、いいんですか?」
 確かめられ、声を裏返した。
「そうですねぇ。多くでお出迎えした方が印象はいいでしょうからね」
 とはいえ未曽有の事態に、大出血で割いた人員が百々の一人なのだからまったくもっていただけない。しかしながらこれを役得と言わずして、なんというのか。
「行きます」
 迷わず答え、百々はその時に備えリハーサルなんぞ試みる。
「はっ、ハローでいいんですよね」
 様子はすでに、先行き怪しい。
「いや、むしろ黙っておいてもらった方がいいかもしれませんけど」
 こぼす水谷の笑みも、おかげで微妙に迷惑気と歪んでゆく。
「じゃ、じゃあ笑顔、笑顔でお願いしましょうかね。誰しも第一印象は大事ですから」
 慌ててつくろい、付け足した。
「はいぃ」
 などとそうして繰り出した笑みこそ、目も当てられないものとなる。
「ともかく」
 なかったことにして水谷が、仕切りなおした。
「舞台挨拶は十二時二十分より開始。およそ三十分間が予定されています。当然ですが控室からシアターへ入るためには、アルバイトの皆さんが着替えて通る同じ通路を使います。つまりロビー横からフロアへ出て、そこから奥のシアターへ移動する順番ですね。そこで百々君にはブラック監督が出られた後の控室の施錠と、監督がフロアに出た際は、他のスタッフと一緒にシアターまでの通路確保をお願いしたいと考えています」
 話に聞き入るあまりなおざりとなっていた手元に気づき、百々はメモを再開させる。その手が止まったことを確認して水谷は、さらに話を続けた。
「舞台挨拶はプロの方に司会を依頼してあります。内容は本作の監督へのインタビューが中心ですね。通訳を挟んだ司会者との対談形式です。これは十五分ほどを予定。最後に花束贈呈、客席側を入れての記念撮を行います。この写真は後ほど宣伝素材としてチラシやサイト、パンフレットに使用されます。ウチでも引き伸ばしたものをフレームに入れて、サインと一緒にロビーに飾ろうかと考えています」
 ふんふんと、走る百々のペンは快調だ。
「そこで」
 と水谷は、やおら言葉を切った。
 どうしたのかと百々はメモから顔を上げる。
「百々君には花束贈呈をしてもらって、そのまま控室前へ移動。帰ってこられたブラック監督のために部屋を開けてもらう予定でいます」
 瞬間、おおっ、と百々の口から声はもれた。
「花束贈呈、あたしがするんですかっ?」
 役職も何もないアルバイトのぶんざいで、だ。
「わたしが行ってもいいんですが、わたしはできるだけフリーでいた方がいいかなと。橋田君もいないわけですからねぇ。咄嗟のトラブルに対応できる責任者がホント、いないんですよ」
 吐く水谷の様子は苦々しい。
「誰でもいいというわけではありませんけど、お出迎えやらお茶出しやら、やってもらうことになる百々君ですし、その日はここの顔のようなものですから、お願いできると助かるんですけれど」
 確かに、そんな具合でここまでやってきた「20世紀CINEMA」である。待遇の違いこそあれ、アルバイトだの社員だのと水谷にはあまり関係ない様子だった。一生懸命やってくれるなら任せてみる。それが水谷流なのだ。だからして前向きと仕事にのめり込むスタッフも少なくなく、それは勤続年数の長いバイトが多いと言う点でも証明されていた。
「劇場の顔、ですか……」
 だとしても、そうして持ちかけられた役割は二つ返事で返せぬほど大きい。百々は口の中で繰り返し、水谷はその顔を心配げとのぞきこむ。
「一日だけ、ダメですかね?」
 言われたなら、確かに役割はこの先延々、続くようなものではなかった。いえば一晩で消える魔法に似ていて、気づけばこそ、それは魅力的な光をまといはじめもする。いいかも、などと魅了されたなら憧れるままいつからか、百々の肩から力は抜け去っていた。
「わかりました」
 ヒザを打つ。
「支配人にしかできないこと、やってください。その間にわたしが花でもヤリでも、渡して投げちゃいますからっ」
 なら砂糖の入ったホットミルクのようなあの笑みは投げかけられて、目にした百々はやはり、と確かめなおしていた。
 どうにも素っ頓狂でお調子者、どこまで本気でどこからふざけているのか分からない水谷だったが、この時ばかりはいつだろうと知的と映って止まない。多くの物を見知った後の穏やかさ、とでもいうのか、笑みに込もる温もりとその深さは、百々へとその人柄を伝えていた。だからこそ従業員は慕い、それでいて一目置くのだ、と改め思いなおす。そしてここぞで伝わるそんな雰囲気こそが、みなの囁く水谷マジックでもあった。嘘偽りでない証拠に、百々のヤル気もまたここぞで倍増している。
「後はですね」
 切り出す水谷は表情を、もう仕事のそれへ戻していた。
「タクシーを待たせておくと出待ちの客に囲まれる可能性があるので、わたしが改めて手配します。到着後、通用口までをご案内。お見送りで終了です。以降は百々君も、他のスタッフと一緒に表の仕事へ戻ってもらうつもりでいます」
 慌てることなく百々は最後までメモし、水谷の話はそこで一段落つく。
 なるほど。聞けばゲストが飛びぬけて有名人なだけで、たいして複雑な段取りはなさそうだった。むしろ普段の業務に含まれない舞台挨拶という設定に、マイクや照明の設定等、映写室の方が負担は大きいのでは、とうがってみる。
「わかりました。頑張ります」
「お願いしますよ」
 返せば水谷が、また悪戯げな笑みを浮かべた。ひっこめて、ならさっそく、とデスクから電卓を取り出す。
「百々君には買い物を頼みます」
「はい」
 ついぞ力んで身を乗り出すが、聞けばその内訳は明日渡す花の発注に、控室に用意する菓子や飲み物とありきたりだった。さすがに世界の巨匠へ茶渋のついたうえ、プリントの剥げた器を出すのは気が引けるからと、そこへ新しい器の購入もつけ加えられる。
 聞くところによればスタンリー・ブラック監督率いる一団は、通訳とツアーコンダクター、日本人の友人の合わせて四人らしい。舞台挨拶の司会者を加えたなら、当日は五人分が目安か。預かった現金を手に百々は、「20世紀CINEMA」を後にする。駅前の繁華街へと靴先を繰り出した。
 途中、テナントビルの影に整理番号券配布を待ち、他愛もない話に花を咲かせて座り込む客の姿を見つける。しばらくも行けば繁華街入口で、ポスターの張り替えにいそしむバイト仲間とも出会った。気づけばどの顔も、すれ違う見知らぬ人さえ、いや、この街全体が、明日の一大イベントに胸を躍らせているように見えてならなくなる。
 ならそのとき王様だ、と思っていた。
 それがひと時、これほども人と世界を変えるなら、きっと映画は今でも娯楽の王様に違いない、と百々は感じ取る。なら映画館はそんな王様が住まう宮殿に違いなかった。だからして奔走する今も明日の一幕も、誰もが一度は訪れてみたいと憧れる華やかな宴となり、招かれたなら期待と興奮のままに、勇気と優しさの限りに、感動という名のもてなしは披露されると、誰もが心底、その非日常に酔いしれるのだった。
 とはいえ全ては架空の産物だ、と片づけられて相当のツクリモノにほかならない。ただし、一度だろうとこうして胸躍らせたなら、それが映画だろうと何だろうと分かるはずである。費やした時間は己が人生の一部となり、それは架空の産物とかき消されるのことない現実へすり替わる。
 ちょうど今、見回す百々の世界が様子を変えてしまったように。
 明日が少し、いつもと様子を変えて輝くように。
 既存の娯楽は全て、楽しむことを義務付けられた労働だ。
 SO WHAT は主張して、多量の火を放っていた。
冗談じゃない。思い返せば、腹の底から怒りは噴き出し、百々は固く唇を結ぶ。何しろ革命によって SO WHAT が消し去ろうとしているのは経済的ダメージなどと足元にもおよばない、今、百々が感じ取っている全てだ。
 足はいつもの道を辿り、駅前へ向かっている。気づけば百々は、ハートたちと飲んだ「ヒッキーズダイニングバー」の前にいた。
 時間はまだ正午を過ぎたところか。ランチを企画していない店前に人影はなく、出された生ごみが回収を待ってうずくまり、色を失ったネオン管がなおさら侘しげと空へアーチを放っていた。
 目に入れば思い出す顔に、百々の胸中へ「強襲」の二文字は浮かび上がる。明日だと思い、昨晩とは似ても似つかぬ薄汚れたテナントビルを見上げた。
 自分だけがこうもうつつを抜かしていいいのか。
 過る罪悪感についぞ奥歯を噛みしめる。だが忙殺されている今だからこそ、そうじゃない、と語りかけてくる声もまたあった。
 やり方こそ違っているだけなのだ。目的はセクションCTも「20世紀CINEMA」も変わりない。
 これもまたチームなのかもしれない、と百々は考える。
 接点のない援護。
 そう、セクションCTは移送車を無事目的地へ送り届けることで、百々は先行上映を成功させることで、明日、互いに娯楽を守り切る。
 繁華街を抜けたなら、駅前を横切る国道に出ていた。信号を待って視線を投げれば果てに、オフィスをかくまう病院はある。
 きっと彼らはしくじったりしない。
 なら同じだ、と百々は自分へ言い聞かせた。
 前で信号が青を灯す。
 めがけて百々は、最初一歩を大きく踏み出していた。